第26回

怨霊になった天皇

2022年11月11日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

2022年11月8日、今回は「天王星食」も同時に見られる皆既月食が、442年ぶりに全国で見られました。次回に、日本で見られるのは322年後ということで、珍しい天体ショーを見ようと、夜空を見上げた人も多くいたことでしょう。

ところで、日食や月食は、太陽や月が欠けていくことから「不吉な出来事」として、むかしから捉えられてきました。政変が起こったり、戦が起こったり、また神の怒りが干ばつや豪雨、噴火や地震などの天災として地上に降ろされて、疫病や飢饉が起こるのでないかと、心配されたのです。皆既月食は月がすべて見えなくなるのではなく、月食中は赤黒い月に変色することからも、古代の人に恐怖心を抱かせたのだと思います。

一方で、時代は近代になり、皆既月食は月が地球の影に徐々に覆われていき、太陽と地球と月が一直線に並び、月全体が地球の影に完全に覆われるのだと解き明かされた結果、だれもが月食や日食を不吉な先読みとは考えなくなったのです。人間が住む町も、人工の明かりで満たされて、月の明るさがなくなっても十分に暮らしていけるようになり、恐怖心はなくなりました。しかし、本当に、月食には現代人がいうように、科学的な意味しかないのでしょうか。

月食と同じように、昔は怖がっていたけれど、今は怖がらなくなったものに、怨霊があります。

恨みを抱いて亡くなった人が、自分を悲嘆の底に追い落とした人間に「末代まで祟ってやる」といって死んでも、今の時代では、その恨みや呪いは、ないことになっているのでしょう。

2020年3月に、私は用事の帰りに思い立って、山道を通るルートで帰途につきました。山間のカーブの多い細い道を十数キロほど進むのですが、その途中に白峯寺があります。この辺りは、空海(弘法大師)が山頂に如意宝珠を埋め、円珍(智証大師)が地主神から信託を受け取ったという伝承が残る場所で、白峯寺には京より配流されてきた崇徳上皇の御霊と玉体が、幕末までありました。江戸幕末の動乱期に、悲運の崇徳上皇を憂いた孝明天皇が京都に移すように命じ、その子供の明治天皇が孝明天皇の遺志を継いで、京都御所の近くに新しい神社を作って、お帰りいただいたのです。

ですから、2年前に私が白峯寺を訪れた時には、崇徳上皇の玉体も御霊も、京都にお帰りになられてから久しかったのですが、白峯寺に車が近づくほどに、私の両目から涙がこぼれて止まらない状態になったのです。狭い道なので、対向する車の人は「なにごと……」といぶかしく思ったことでしょう。前からくる車の運転手がわんわん泣きながら走ってくるのを目撃したら……けっこう不気味です。

私といえば、「やれやれ。これは、崇徳上皇に感応したのかなぁ…」と、かなり気持ちは、どんより。感応は初めての体験ではなく、十年ぐらい前にも同じようなことがありました。神道の金井南龍氏が書いた「かみさまのおはなし」を読んでいて、急に泣き出して止まらず、しばらく大泣きをしたことがあります。どう考えてみても、おかしい体験だったので、当時、積会長にご報告したところ、「乗られたら(憑かれたら)、自分で対処しなければね」というお言葉。そうか、やっぱり別のものに乗られていたのか……どうしよう。すでに金井南龍氏は、私が命の書に登録させていただいていたので、彼ではないはず。自己探査の結果、「かみさまのおはなし」の中に登場される、昭和34年ごろに厳島神社の宮司として、神様の御用をされていたイキミタマの方ということがわかりました。宮司さんの本名は、わからなかったけれど…どうにか登録できて、ほっとしたのです。そして数年前には、イザナミ神でした。比較的近い、同じ地域にいらっしゃったせいか、これも数日、タオルを片手におんおんと泣いておりました。

今回は、崇徳上皇のようでした。実はこの話には続きがあります。そんな体験をした翌日に、北関東の会員さんのコーチングを受ける機会がありました。当時、私は誠実でない友人の行動に悩まされていて、その内容をグチグチと愚痴っていました。その時に、コーチングをしてくれている会員さんの意識上に、黒い龍のような存在が現れて「助力する…」というようなことを、伝えてきたのです。まあ、そんな出来事も忘れかけていたのですが、私の知らないところで意外な展開になっていたことを数カ月前に、知りました。また、続報は、書ける時がきたら書かせてもらいます。当時は、翌日ということもあり、もしかしたら「その龍体は、崇徳上皇……それとも○○神社の神様」という思いもあったのですが、よくわかりません。もしかしたら、崇徳上皇かもしれません。

さて、ここからが本題になります。

2年前の話なので、崇徳上皇のことはすっかり忘れかけていたのですが、光文書800+27「早良親王と円の終わり」(二千二十二年九月十五日記)に、日本に置かれた御霊様が働きだされたことが書かれてありました。九月の大阪セミナーでは、もっと詳しく御霊様の説明があったのですが、その御霊様の一柱に崇徳上皇がいらっしゃることから、そういえば2年前に感応したことがあったな、と思いだしたのです。そこで、「命の書に、お入れしたほうがいいでしょうか…」と聞いたところ、「きげんよく、はたらかれているのだから、そっとしておきなさい」といわれたので、そのまま、そこで話は終わりました。

あれから私も、手の怪我で入院したりと忙しくしていたのですが、何かをきっかけにして、崇徳上皇のことを考えると、また涙が出てくるようになったのです。

えっ、もしかして2年間、そのまま私に乗っていらしたのですか。えぇぇ。

もちろん、私に乗っていたとしても、それはご本体ではないと思います。白峯寺に残っていた崇徳上皇の、残り香のような意識なのかもしれません。なんせ、ご本体は長い年月、京の都で恐れられた御霊様なのです。

この本は、明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏が書いた「怨霊になった天皇」です。

2009年に刊行されて、2011年に文庫版として出版されましたが、この本の執筆に使用したパソコン4台、プリンター1台が壊れたそうです。このことは、ご自身で竹田氏が、YouTubeで解説されていました。どうも、私の内なる存在は、この本を読んでほしいようで、導かれて本を購入することになりました。

最近、私は本が読めなくなっています。一時的なものかもしれませんが、意識内に、お話が入ってきません。物語についているエネルギーをしんどく感じます。そして、私の本音は、あまりこの本を読みたくない……です。しかし、全部でなくても読めるところだけ読むのでいいというなら、できるかもしれません。本を読んで、何かを理解した後に、また進展や変化があるのでしょうか。

少し気が重いですけど、取り組んでみます。

日戸 乃子(ひと のこ)

第21回目

一期一会

2022年11月10日
語り:説諭士

 久しぶりに、華道を志した初心を、思い出させてくれる出会いがありました。
お琴のレッスンを受けている人たちの、ミニミニコンサートです。
その部屋は、穏やかな暖かい波動が充満し、癒しの空間の雰囲気が漂っていました。
そこに関わる人たちの波動が、いかに大切なことかが、うかがい知れます。
お琴の先生は、気持ち的に私と同じ(失礼ですが)天然さん、いつも会話が弾みます。

このミニミニコンサートは、月1回水曜日の朝10時から11時までの1時間。
生徒さんの発表会、手作り感満載の催しです。

部屋に入ると、ツワブキの黄色い花が一目をひきます。
横にあしらった萩の葉、そしてツワブキのふいりの葉と、虫が食った葉が、なんとも言えない趣があり、それにも増して器の代わりにペットボトル。
架台にダンボウルを使い、何と新聞紙を巻いている。
高い代金払って用意したのではなく、0円で見事な演出です。

プログラムは
1、BELIEVE
2、虹
3、世界に一つだけの花、花は咲く

優しい音色が、心地よく、とっても癒されました。

先生のご挨拶で、今日の出演者の一人、兵庫県姫路教室の生徒さんですが、大病を抱えているらしく、落ち込む気持ちを払拭する気持ちで、演奏に参加してくださったのだそうです。
「わたしたちも、いつ何が起きるかもわかりません。
一期一会を大切にしたいと思います。」
との言葉に、私もお礼の言葉を一言添えさせて頂きました。

「素晴らしい演奏ありがとうございました。私は、部屋に入って、ツワブキの花が私の心を和ませてくれたこと。そして、その瞬間思い出したことがあります。中学生の時から、身近に咲く草花をさりげなく生けるのが大好きで、生花道具のあることも知らず、蒲鉾の板に、たくさんの釘を打ち付け、さしていたことが、お花の先生の目に留まり教室に通い始め、以来花生けから離れられず、現在もたまにはいけることを楽しんでいます。
高いお金を払っていける花も立派ですが、庭の片隅や道端で、ひっそり咲いている花を生けるのが大好きでした。
そしてペットボトルだからこそ、透き通る水が眩しく輝いて見えました。
『水は花を潤し、花は人の心を潤す』お互いに生かし合う演出と、何気なく生けて下さった想いが最高のおもてなしを感じさせて頂き、今日の一期一会に心から感謝いたします。
 わたしの言葉に、先生も「ありがとう。高田さんの言葉が、今日の催しを最高に盛り上げてくれて嬉しいです。」と答えてくださいました。

ちょっとした心配りと、その場に感じる波動、感謝の思いの波動が部屋中に満たされている、そんな心地よいひと時でした。
これからも、一期一会を大切にして、たくさんの人との出会いを楽しみたいと思って居ます。
これからもよろしくお願いいたします。

第七十六回

たましいの目的 その三
死について考える

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年七月十八日 配信

何田:積先生、質問がきています。質問、「この大災害や大地震などの天災で亡くなった人、交通事故や仕事で亡くなった人、不慮の事故で亡くなった人の死んだ後はどうなりますか? たましいは、どうしていますか?」。

他の方からの質問もあります。「孤独死などの一人で何かの原因で亡くなった人は、死んだらどうなりますか?」と、いうものです。いかがでしょうか? そして、私からも質問です。「生まれてくる前から事故に遭う経験をするために、事故を想定して生まれてくる」という、見解はどうでしょうか?

:まず、最後の何田さんの質問では、その時点で死ぬことになっているとしたら、未来はすべて予測可能ということになります。それではこの物質宇宙は、必要がないことになります。一方で、天災や災害でお亡くなりになった方が、病院で亡くなった方と比べてどこが違うのか? といったら、これらは予期せぬ死ということになります。わかりやすくいうと、どちらも死は死なのです。たましいがその死によって、それが不慮の天災や事故や事件に遭われて亡くなったからといって、天にすくい上げられるということはありません。悲しいことですが……。ただ生き残った人が、その人たちのために祈ってあげることはできます。

何田:生き残った人が亡くなられた人のために祈れば、亡くなられた人はすくわれますか? すくわれるという言い方はおかしいかもしれません。「命の書」に登録すれば、たましいはすくわれる、次のチャンスがもう一度与えられるということは知っています。命の書に登録しなくても、生き残った人が祈れば、その方はすくわれますでしょうか?

:その境目なのです。生き残った人の責任は大きいのです。生き残った人は亡くなった方をちゃんと送ってあげられるかどうか? が、鍵です。

何田:生き残った人が死んだ人のたましいに、どれだけのことをしてあげられるかどうか、ですか?

:現在までのところ、日本人というのは変な言い方ですか、日本人はたましい的にあきらめがいいので、あまり幽霊として出てきてはいませんね。また、たとえば阪神大震災とか、東日本大震災とか、天が起こされた事象に関して亡くなったたましいについては、日本の神様は少しは考慮されています。

今回の西日本豪雨(二千十八年六月二十八日から七月八日頃)の雨って、完全に天からの日本人に対する警告なのです。七月八日(日)の日に大阪でシンロジカル・セミナーを開催しましたが、皆さんから大阪に豪雨で行けるかどうか事前にご相談があったけれども、私はセミナーはできるし、皆さんはくることができると答えていました。それで無事にセミナーもできて、皆さんもこられました。ただ、あの豪雨はまだ警告の第一段階です。天から「警告したよ、一昨年は熊本で、去年も、北九州で警告したよ、今回は西日本、中国地方から近畿地方まで警告したよ」といわれています。そういう意味ではもっともっと、死というものが身近になります。

何田:今までは、高度成長期ではあまり死なない方向に・・・…。

:そう。敗戦後の日本では、死についてよく考えないことが暗黙の了解としてありましたが、それが今年から問われます。死とは何か? ということをしっかり考えなければ、幸せな生を手にすることはできないでしょう。

何田:最近の日本映画で、亡くなった人達が大勢、霊となって集団で生きている人達の前に現れてコンタクトするという映画やドラマが、多く出てきています。そんな現象が現実に現れたりなんてことが起きますか? どうでしょうか?

:映画じゃなくて現実に起こっています。阪神大震災の時は少なかったですが、東北の東日本大震災ではたくさんの霊が人間にコンタクトしてきています。家族とかが撮った写真にも、いっぱい写っています。

何田:その霊は生きている人間に、何を訴えるために出てきているのでしょうか?

:それは逆です。その霊は死を受け入れられないもの達です。「私は死んだのですか?」と、問うのです。自分が死んだと思っていません。だから霊はその場に留まったままでいます。それが変なお話で、その人のお葬式を出して終わっていても、自分が死を受け入れていないから霊となって出てくるのです。生きている人間がその場に行けば、その霊が現れてコンタクトするために、写真に写るという形になります。お葬式を出すということは、あなたはもう死んだので生きている人間の現世に出てきたらダメですよ、というケジメの儀式だったのです。しかし、それも昔のお話で、現在ではお葬式は機能しなくなりました。だから、サイト「死んだらチャンネル 死んだらどうなる 最新情報」を作ったのです。

何田:ああ、この死んだらチャンネルは生きている人達だけでなく、亡くなった人達のための情報チャンネルでもあるということですか!

:そう、死んだらどこへ行くのですか? キリスト教の天国もないのにどこへ行くのですか? 仏教の極楽もないのにどこへ行くのですか?と、問うています。「命の書」に登録しておけば、また人間になれます。知らないから、霊として滞留します。その後、ほとんどの霊はエネルギーがなくなって、私がいうところの地獄へいくことになるでしょう。その地獄とは、何もできないたった一人だけの世界です。何にもできない世界なのです。仏教でいう無間地獄ではなく、一人で何もできない孤独の世界で、永遠に近い時間すごす地獄に行くのです。たましいの神性を成長させなければ、皆さんはこの新しい地獄へ行くことになります。

ほとんどの日本人は、これで生まれ変わるチャンスはもうないから、この「死んだ後にある知識」を知らなければ、日本人のたましいは地獄行きを決定して死んでいきます。唯一の救済処置は、「命の書」への登録になります。皆さん、都合のよい思い込みを信じてばかりで、本当の死んだあとの知識を知ろうとしないのです。審判はあるのです。警告は充分にされました。というわけで、神様業界は過酷なので、これ以外の例外はありません。

第26回目

東京大学地震研究所訪問

2022年11月05日
語り:島道鉱泉四代目当主/能登はるみ

主人、妹と、東京大学地震研究所にお伺いしました。

亡くなった何田匡史さんのお参りに何度か来ていただいた地震研究所の皆様。島道鉱泉の坂下の敷地には、地震を測定する器械が設置されているのです。

雪崩発生から、9ヶ月が経過しました。東京大学でのジオパーク検定もあり、お礼と報告を兼ねて、3人で訪問しました。

新パッケージや書籍のご紹介、また地震研究所のお仕事などをお聴きしました。島道鉱泉は、凄い場所なんだという事を改めて知らさられた時間でした。

その後、前橋へ主人が、新しい仕事を始めるための打ち合わせでした。来年の春には、美意識サロンを開店する予定で動いております。

精神学協会プログラム5まで学んでいる主人の意識や身体が変わっていく様を傍で見ていて勉強になる日々を送らせて頂いています。

毎日、感動、感激の時間の繰り返しです。この世の全ての存在に感謝なのです。

 

第22回目

実学を喰らう

2022年11月6日
語り:たずさえ社

本日の岐阜は、信長まつりで大賑わいでした🎶 キムタク扮する信長公に『キャーキャー』の歓声が……♪皆様も、テレビでご覧になられた事でしょう(^^♪

昨日、経営者仲間に『前島さんの野菜、うちの会社に持ってきて』と、注文を受けたので、その会社に伺いました♪ その時、撮影されたスナップがグループlineに投稿されました♪

この投稿のお陰で注文が相次ぎ、対応に追われた一日でした♪
本日はといえば、『キムタクフィーバー』で、温浴施設の来館者も少なく、久しぶりに休みがとれました♪ これは『キムタク』のお陰…? 最近、お客様に『前島さんの野菜は味が濃い』とか『The野菜って感じ』等とお褒めの言葉を頂きます♪
有難いお話ですが、ここ最近は多忙過ぎて~目が回る日々を送っています♪ 久しぶりの休みは『Thecookingtime』🎶


長良川の野菜、紀ノ川の金山寺みそ、これぞ『実学』の掛け算料理(^^♪ なんちゃって…♪
目まぐるしい一日の終わりに、ふと『精神学は実学』その実用的且つ、進歩に直接貢献できているのだろうかと考えてしまう、今日この頃です♪ 

第25回

 

モノ・家たちの波動

2022年11月  3日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

 

2016年に母親が末期がんで亡くなり、その前から重度の認知症だった父親は、以後は施設で生活することになりました。戦争の物のない時代を体験していた母親は、同世代とたがわずに、いらなくなっても物を捨てられない人でした。ですから実家には、生活用品がたくさんあり、それらの始末・片付けを、最終期の母親から頼まれたのは妹でした。

2022年になり、あれから7年が経過しましたが、実家にはまだたくさんの生活用品が残っています。2トン車を手配して3回ばかり捨てましたが、2トン車といっても乗せられる量はそんなに多くありません。見透かされたように「全部処理(捨てる)するなら、50万円ぐらいはかかりますね」と、業者の人からは言われたりもしました。

どうやって、無人になった実家を片付ければいいのかというのは、日本全国でいま問題になっている事柄だと思います。

今回、妹から、年末までに2トン車を2回ほど用意してほしいといわれました。

4トン分のごみを捨てたいということですが、そう聞いていってみた実家は妹の健闘の後は見られるものの、各部屋ともまだいらないものであふれています。まずは、捨てるものと残すもの、地区でごみとして出せるものと処理場までもっていって有料で処分するものの仕分けが先なのですが、作業はそこまでにもいたっていません。妹も、自分の仕事の合間に行っているので、はかどらないようです。私は、もともと片付けが苦手なうえに、左手が現在は痺れていて動きがままならないのです。妹と協議した結果、応援をお願いすることにしました。

そこで、仕分けの応援に来てくれるメンバーに、「今はこんな状況です!」ということを知らせるために、実家の内部写真を何枚か、line経由で画像を送りました。すると、仕分けに行くまでに実家のお祓いをしておいてほしいという返事が返ってきたのです。一応、頼りないですが、私も「S・B・Mインストラクター」であり、「マツリヌシ」の有資格者なので、何かのエネルギー阻害が生じているのだなと察して、連絡を入れました。亡くなった母のエネルギーというのではなく、亡くなった母親が看護師として働いていた時に長年にわたって持ち帰ったエネルギーが、いまだに実家内に滞留しているようなのです。

過去に、マツリヌシになりたての頃に、自宅のお祓いをしたことがあります。

ご近所の氏神様にご挨拶してから、半紙で円錐形の入れ物を作り、その中に聖塩をいれて、土地の四隅に配置して、言霊とともに反時計回りに土地を回っていくのですが、5回まわるところの3回目で、吐き気と体調不良を感じて、3回で終わらしたことを思いだしました。お祓いに使用する聖塩は、希釈できない積司(せきつかさ)がベストですが、我が家に在庫は半袋ほどしかありません。また、退院してから間もない私の体力ではムリそう……私もそんな負荷を背負うのはいやです(笑)。

やれやれ……どうしようと思ったのですが、その時に頭に浮かんだのが、解禁されたアプリで利用できるイコンシールの特大(1枚1100円)。家の写真を撮って、その画像にアプリのイコンシールを貼り付けるだけで効果があるということです。そこで、まずはすぐに写真が撮れる自宅を携帯で撮影しました。その画像をパソコンに取り込んで、「イコンシールのダーク」と「イコンシールのライト」のシールを貼り付けました。貼り付け前と、貼り付け後をエネルギーがわかる、応援メンバーに送って確認してもらったところ、「波動が変わっている。かなり軽くなっているよ」という言葉。私が見ても、差があることがはっきり見て取れたので、翌日に私の実家と、同じく空き家になっている夫の実家の2軒を撮影して、それらの家の画像にアプリ上でイコンシールのダークとライトを、それぞれに貼り付けたのです。

向かって左↑が、イコンの貼り付け前。     ↑右が、貼り付け後です。

それも送付して、確認してもらったのですが、明らかには写真から出る波動が変わっているということなので、無事にお祓いが出来ていることがわかりました。私としては、「マツリヌシとして、ぐるぐると回るのやらなくて、よかった!」と単純にほっとしたのですが、考えてみたら、空き家になっている実家にマイナスのエネルギーが滞留している場合、その影響を妹も私も受けないはずはありません。そこに住んでいなくても、意識としては道ができているので、影響は受けているのです。

現在、日本では空き家率が年々上昇してきています。もちろん賃貸用の物件が空き家の場合もありますが、我が家のように高齢の両親が他界して住まなくなった結果、古家が残っているケースも多いのです。売るにも売れずに、そのままにしているケースの場合、人が住まなくなった家に別のエネルギーがはびこり始めることも考えられます。

アプリで貼り付けたイコンシールの有効期限は約1カ月ですが、考慮してみましたが、マイナスの影響を受けないためにも継続してお祓いをすることは必要で「これは必要経費かな」と、今では考えています。

日戸 乃子(ひと のこ)

第20回目

波動と意識

2022年11月3日
語り:説諭士

 何年も前に私が体験した時の波動のお話です。
友達の家を訪問し、玄関を入って部屋に通して頂きました。
私より先に、友達仲間二人が先に着いていて、座敷に座り雑談していました。
わたしもそばに座ったものの、何故か居心地が悪く胸が痛い・・・どうしたのだろう?
自分の体調なのかと思いつつ・・・どうもそうではなさそうだし・・・?
浮かない顔をしていることに気付いた友達が、私の顔を覗きながら心配してくれるのです。
何か良からぬ話をしていたのではないかと、私は感じていました。「私が来るまでに、何の話ししていたの?」と尋ねると3人が顔を見合わせているのです。
「もしかして、誰かの噂話?」うなずいて認める3人。
そこに残っていたのは、『悪口の言葉の波動』だったのです。
この世の中は、良くも悪くも波動まみれ。
人から出る思いや言葉の波動が、溢れて居ます。
感謝する思いや、愛のある良き言葉は人を幸せにします。 
何時もその様に心がけたいものです。

 この度、いぬカミサマシールと、ねこカミサマシールができたことについてお伝えしたいと思います。
動物にも、人間に負けない愛の意識を持っていることに、遭遇することがありました。
愛犬との思いの交流です。
白内障手術前後の愛犬の行動に、改めて愛犬を誇りに思える体験をしたことです。
階段や、段差のあるところでは、必ず振り返って、私が通り過ぎるのを確認して歩き出します。
言葉に出さなくてもわかるのです。
その態度には、私自身もびっくりでした。
先日、その愛犬に、いぬカミサマシールを貼ってみました。
直後には感じなかったのですが、ふと気付いたことに、私が思っていることを感じての行動が目立つようになり、私自身も、愛犬の思っていることが、何となくわかるようになっていました。
愛犬との意思疎通ができるようになって、ほとんど毎日散歩を楽しんでいます。

この、いぬカミサマシールや、ねこカミサマシールを使うと、あなたの愛犬や愛猫にも何らかの反応があるはずです。
動物の心は、人間よりも純粋です。
そして、私たちより、犬や猫たちの方が、私たち飼い主のことを、信頼と愛の心を持って接しているのかも知れません。

愛犬や愛猫を、不幸にも無くされていたなら、『命の書』に登録をしてあげてください。
是非、お勧めいたします。

第七十五回

たましいの目的 その二 天の義

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年七月十一日 配信

:天の義に属して生きると、「義の人」になるのです。近年、若い人たちに、あの戦争(第一次、第二次世界大戦)で亡くなられた人達は、たましいに光を持って亡くなられたから幸せだったのだ、と気が付く人が増えてきます。それに引き換え、現在を生きている人達は日々、この世の悪魔達の誘惑にさらされて生きることに悩み苦しみ、常にたましいを悪魔達に売ろうとしている、と知るべきです。

何田:キリスト教の義に生きた人達はひと筋に、神様の信仰に生きられました。また、太平洋戦争で亡くなられた英霊達もお国を守るとして死んでいかれました。生きる目的、死ぬ目的は一つで、道は一つだったと思います。しかし、現在はいろんな解釈と選択肢があって、何をチョイスして生きて死に往くのか? を自分で選べるようになった世の中なので、余計に迷うことになっている時代だと思います。

:選べるということより、「義によって生きる」ということが、格好悪いと皆さんは思っていませんか?

何田:それは九十九パーセントくらい、現代では義が格好悪いと思っている人が多いと思います。たぶん、義を通して生きることは損だと考える人が、すべての人にあると思います。

:「義によって生きよ! 義を持って生きよ!」。これが、死んだらチャンネルを立ち上げた目的で、テーマです。
義を持って生きて死んだ人は、必ず天にすくいあげられます。けれど義によって生きてない人は死んだ後、天から捨て去られます。この正しい知識を見つめて自覚して生きることをしないといけません。ひとりひとりが、自分の人生でこの知識に、もう一度気が付かないといけません。結局、他人がどうのでなく、自分ひとりが「天の義」を、人生の中心に据えて生きてきたのか? そうやって死んでいくのか? これが死んだ瞬間、あなたのたましいが光となって天に昇るか、それとも闇のものとなって内なる神や神々とともに地獄に閉ざされるのか、なのです。ターニングポイントは、あなたの身体の死の瞬間ですが、たましいの行き先は日々の人生の過ごし方、時間の使い方、精神性の高さ、そして本当の正しい知識にあります。たましいは、すべてのことを記録しています。昔の人間は、死後の世界でも神様を欺くことができると考えていたようですが、内側に記録が残っているのです。
現在はそういう、ひとりひとりが試される時代だから、イエス様の十字架のテーマが置かれているのです。イエス様の十字架を恐れる人間は、義の人にはなれないのです。聖書を知ると、自分が十字架にかけられるのが嫌だな、という脅迫が常にあるわけです。イジメはしたくないけれどイジメに加担するのはイジメる側にいないと、自分が十字架に周りから架けられるのが嫌だ、という恐怖心があるのが理由です。十字架への恐怖、つまり恐怖心がイジメや闇を作り出すわけです。

何田:自分の人生で、天の働きをまっとうして人生を送ろうとすれば、十字架に架かってもよいという覚悟を持たなければ、義がわからない、ということでしょうか?

:そうです。覚悟がなければ解らないのです。今、この時点で、ここを自分の頭で考え抜かない限り、神なぞというものには近づくことはできません。自分に恐怖心があれば、その恐怖から出た言葉や行いは闇につながり、自分は闇の住人になります。恐怖をおそれない、天の義をまっとうして生きることの覚悟がなければ、天の住人にはなれないのです。
天に繋がる言葉や行いを、人生というこの時空間に顕わして生きた人が死んだ瞬間、たましいは天にすくいあげられ、次に進化のステージにいけます。これら、すべては正しい道理です。それを、人の道といってもいいのです。すべてはあなたの人生の時間の過ごし方で決まります。そのためには、考え抜かないといけないのです。

何田:積先生のお話を聞いていますと、マンガやアニメのストーリーのように聞こえます。

:そうそう、マンガとかアニメの方が解りやすいです。日本文化としてのマンガ・アニメを、精神学の知識をベースに、作家活動する人がいればとても売れるでしょう!

何田:積先生は、コンテンツの最も重要なポイントは、感動といわれています。感動はたましいが震えることだといわれていました。人は本当の正しい義というものに出合うと、たましいは震えて感動し、それが天の義だと人は理解するものでしょうか? では、義とは何でしょうか?

:義とは、簡単にいうと、殺すな、盗むな、偽証をするな、のいましめに代表されるものです。人間として生きる基本の重要部分です。キリスト教や仏教の戒律は、人間がつくったものだと、天はいっています。この三つでいいのです。

何田:イジメをしている人はどうでしょうか?

:人をイジメている人は、殺しをしています。人におまえ死ね、おまえ汚いから死ね、などの言葉や行いで相手を殺しています。義を貫いて、殺すな、盗むな、偽証をするな、をして死んだ人は、神様が言祝い(ことほい)でくださいます。
よくよく、いっておきますが、たましいにとって一番重要なポイントは、人の評価ではないのです。たましいには、神様というか、天の評価が一番重要なのです。人間の評価を気にしている間は、ダメなのです。庶民感覚でいう、お天道様が常に見てくださるという倫理観、行動原理を自分の中に持っているか、持っていないかなのです。それが、義なのです。