第151回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2021年5月12日(水)

(通算第222回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20210130収録)

積先生:「信仰のある普通の人は、神様を求めているから、好きになって会いたいと願うでしょ。ただし、教会に行ったからといって、イエス様に会えないということは、今はもうほとんどの人はわかっています。マリア様に会えることは教会ではきっとできない。

けれど“浄化と上昇”をするだけで、イエス様に会えるかもしれない、マリア様にも会えるかもしれない、と伝えたら、神様を求めている人は素直に“浄化と上昇”を行うでしょう。
何田さんみたいに、宗教評論家みたいな人が、“そんなことあるはずがない!”って、食って掛かかるの。“精神学って新興宗教でしょ”って。
『“精神学”は宗教ではありません。』といくら論理的に説明しても、そういう人達にとっては“宗教”なのです。

だからそういう人とお話をするだけ、“無駄”なのです。
本当に神様を求めている人だったら、『えっそんな簡単なことで神様に会えるのだったら、やってみよう!』って思います。

私が仏教に持つ感想は“話がややこしい”のです。神様というか、真理は仏教の説明するような、難しいものじゃないの。
お釈迦様をよく研究してごらん。お釈迦様は毎日何をしていましたか?毎日“考えていただけ”なのです。お釈迦様は毎日、論理的に考えておられました。本を読んだわけでもない。
ずっと論理的に考えていると、ある日突然、“答え”が見つかったのです。
(お釈迦様のように)そんな時間をかけなくても、“浄化と上昇”をマスターすれば、あっという間にお釈迦様の到達された領域まで行けます。

質問や疑問があれば、お釈迦様に聞けばいいでしょ。イエス様に聞けばいいでしょ。ムハンマド様に聞けばいいでしょ。
そこ(その領域)に生きておられるのだから。神様に直接、聞けばいいのです!きっと答えてくださいます。
これは“浄化と上昇”をすれば、“だれでもできること”なのです。」

何田:「ああそうですか!わからないことがあれば、神様に直接聞きけばいいのですか!」

能登はるみさん:「何田さんもイエス様や女神様を見た時、言葉ではなくて、イメージやニュアンスで伝わってくるって言っていたじゃないの。」

何田:「新約聖書のヨハネの黙示録のヨハネ様と同じで、イエス様に会うと、感動してひれ伏してまって・・・、会話して質問すればいのですね!」

積先生:「会話したらいいのです。けれど、返事は私と同じで、イエス様に『光とは何ですか?』って、聞いてごらん。『光だよ』って言われて終わるでしょう。」

何田:「はあ、答えは同じということですか・・。」

積先生:「一生懸命、頭の中で堂々巡りをやって、2000年間、人類は悩んできたのです。
なぜか?“上昇”をしなかったから、です。
だから人間は不幸になってきました。

今の地球上で“幸せな人”っていうのは一握りの支配者だけでしょ。
(その)一握りの支配者も“本当に幸せ”なのか?
“人の血”を飲まなくては生きていられない人って、“本当に幸せ”といえるのだろうか?
という“お話し”でしかないのです。」

何田:「私は小さい時から感じていたことがあります。子供の頃から、自然、生き物、昆虫や星(天文)が好きでした。
積先生へのお聞きしたいことは、純真無垢(じゅんしんむく)って、子供の頃のような心、精神はとても素晴らしいと、世間ではいわれますが、本当にそれでいいのでしょうか?
大人のように、変に心や精神が曲がって育っても困りますが、いかがでしょうか?
純真無垢や赤子の様な心、精神って一番大事なところでしょうか?」

積先生:「一番大事なところかどうかは少し置いておいて、例えば“素朴な子”が都会に出てきたらどうなりますか?
イジメにあって、深く傷ついて、人間ぎらいになって、“自分はひとりの方がいい”ってなるでしょ。
でも、『人間っていうのは、人間とかかわらないと、生きていけない』のです。
無垢なまま田舎で過ごせる、“アルプスの少女ハイジ”のような(世界に)、憧れるのはいいけれど、『人生はそれでは終わらない』のです。
『必ず“人間世界の闇”っていうものに、向き合わなければならない日が来ます。』

積先生:「お釈迦様がそうでしょ。」

何田:「積先生は、お釈迦様は王子の立場でありながら、人々の苦しむ姿を小さい時から見て、お釈迦様も苦しまれ、耐えられなくなって、出家されたといわれました。」

積先生:「そうです。現在からみたら、2500年前のお釈迦様の苦しみはまだ単純でした。
可哀想な人を見て“ああ人間はこんなに不幸なのだ”って考えられました。
今の人間はどうですか?お釈迦様のように、哀れんだり同情したりしますか?
現在の人間は、そのように哀れんだり、同情したりしません。
なぜなら『この世の中に、不幸が溢れているから。』
子供の頃から“不幸”をいっぱい見てきているからです。

次回をおたのしみに!