第47回 神を超えよ!仏を超えよ!Ⅱ『デス・トーク』 2019年5月15日(水)

(通算第116回)
お話し:積哲夫  聞き手:何田匡史
(20181228収録)

何田:「積先生は、生きている間に精神性をどれだけ高められるかということ、精神性の階段を上がることは、人間が“神界”に上がれるかどうか?で、死んだ後の『たましい』の行き先が二つに分かれるということでしょうか?
人間は“神界”に上がれなければ、他は“新しい地獄”に行ってひとり閉ざされるということ、でよろしいでしょうか?
つまり、人間として生きている間に、人間だけの世界で成功したり、普通に生きて罪が少なく死んでいっても、死んだ後の“神界”への引き上げがなかったら、“また苦しむ世界が待っている”ということでしょうか?
つまり、自分ひとりで頑張って生きても、間違ってしまうので、苦しむ世界が待っている、ということになります。

積先生:「その質問に答える前に何田さんに、哲学的な質問をします。
一神教の考え方では、宇宙の主宰神はたったひとりでしょ。神様だから一柱(ひとはしら)といいますが、たったひとりの“宇宙の主宰神”なんてものに君はなりたいと思いますか? たったひとりなんだよ。」

何田:「孤独は・・・、孤独はとてもつらいです。孤独は嫌です。」

積先生:「すべてを所有する宇宙の主宰神、なんてなりたくないでしょ。すべてを所有するということは、すべての責任を負うということです。
それに対して、宇宙が生まれ、いろんな神様が生まれて、人間が生まれた、というのがこの日本国が伝えている神話です。
“神様業界だって孤独には耐えられない”そこからヤオヨロズの神々が生まれ、その物語を人間が引き継いでいるというのが、私の知識です。孤独でいいのなら何もしないことのほうが“善”でしょう。全知全能なら、この宇宙も必要ないはずです。」

何田:「そうですね、そのようになります。」

積先生:「ところが、この宇宙の法則は、始めてしまったものは、やめられない(とめられない)、のです。
進行するのです。“物語(ものがたり)は。”それが時間は一方通行だということです。

何田:「出口は、“ゴール”はあるのでしょうか?」

積先生:「『ゴールが“光の宇宙”です。』という回答が出てきたのがついこの前です。
それまでは八百万の神々(やおよろずのかみがみ)がじたばた、ジタバタしているのがこの地球という舞台だったわけです。
だから人間がジタバタ苦しむのは当然の理屈(わけ)です。
“出口を知らない”のですから。

何田:「あああ!そうだったのですか!つまり神様、神々様も出口が解らないから苦しんでおられたということですか!」

積先生:「そうです。」

何田:「もう一つご質問です。よく神様が試練を与えてくださって、とか、神様が人間の私を試しておられる、という言葉を世間ではよく言います。
本当に神様や神々様は試練とか苦しみを与えられるのでしょうか?
私にはどうも解せないのです。」

積先生:「神様が与えられるのではなくて、(『たましい』の)成長のプログラムとして、“それを経験しないと学ぶことができないもの”を“試練(しれん)”と呼ぶ、のではないでしょうか。」

何田:「“試練”、それは生まれる前から準備されているものでしょうか?」

積先生:「人間をやるのであれば、試練は与えられるものだと考えた方が、人間の生き方としてはいいのではないでしょうか。」

何田:「ああ、なるほど。神様と繋がりができますもの。大事なことをお聞きできました。
積先生、ありがとうございました。」

積先生:「“人間”てね、“躓かない(つまずかない)”のだったらば、“人間に生まれる必要はない”、のです。
(人間は) 躓く(つまずく)、のです。
躓く(つまずく)ことによって成長していく、のです。
それが人間として生まれることの極めて大きな意味、だからです。

神様が失敗したのだから、人間が失敗しないはずはない、のです。
その失敗を克服して、“このルールの物語からはもう卒業しましたね”、っていったら、“次のステージに行けますよ”、というお話しです。
本当に卒業したら、“こんな物質宇宙、欲しいですか?”と聞かれたら、“いらないよ”、っていう返事になる。そういう、お話しになります。」

何田:「今回は貴重なお話しでした。よく解りました。すべてが繋がったと感じます。
積先生、本当にありがとうございました。」

次回をお楽しみに!