第七十九回

たましいの目的 その六
人生の苦労

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年八月八日 配信

:現在の日本の親はどうやって子供を育てていますか? うちの子供だけが苦労をしないようにと、子供を育てているでしょう。それは単なるエゴイストです。そうなると子供の責任は、もっと重くなります。

何田:はい。それは親の、子供に対する認識が正しい方向とは逆ですね。

:そうです。認識が逆なのです。私の立場として、私は皆さんの先達として、先に生まれて働いたおかげで今は楽をしています。君たちの方が実は大変なのよと、楽しく教えています。人は学び終えたら楽になるけれど、そうでない間は大変な苦労があります。それが人として生まれる意味だからです。子供に、人として生まれて楽をして死んでいけるようにしてあげたいと、考える親が日本のほとんどになったことで、すでにこの日本は滅んだのと一緒なのです。

何田:昔の時代、江戸、明治時代では子供が生きるためには、その子に苦労をさせてでも、苦労を生き抜くために、厳しく躾(しつけ)をさせてきました。

:現在は、つまり世論です。要するに世の中で、お金の価値は変わらない、東京大学の価値も変わらない、その前提で世の人は価値観を組み立てていますが、歴史というものはそういうものではありません。昔の時代とは決定的に違いがあります。私がお伝えしている重要なポイントは、ここから先はたましいが裁かれるということです。

何田:人の、たましいが裁かれるのですか!

:その、たましいが裁かれた時、地獄に落ちるような生き方をしてきた親によって育てられた子供は、その地獄のような環境から脱出するのにどれだけのエネルギーを使わなければならないのか?  子供は自分が死んだあとに、天に引き上げられるためには、親の地獄に落ちるような生き方やその教えを改めるために、どれほどの苦労をしなければいけないのか?  だから、「地球は地獄でしょうか?」という質問は半分正しいです。地獄を創るために、この地球が存在すると考えた方がいいのかもしれません。

何田:救済措置はありませんでしょうか?

:逆に質問します。なぜ地獄に救済措置が必要なのですか?  まあそう考えるのは、何田さんの出発点が仏教徒だからでしょうね。

何田:先生、「聖別をする」という言葉があります。人間の身体は神の容器です。人間の身体に神が降りれば、神の光の部分と闇の部分に分けられます。だから私は、聖別するという言葉は、光の部分と闇の部分に分けることだと考えました。

:違います。 聖別というのは、聖なる力を宿すということ、です。聖なる力は、すでに人間のたましいに宿されています。聖なる力は、人間のたましいには生まれる前から宿されているのです。人間全員が、生まれた時にはすでに聖別されて、人間としてこの世に送り出されています。本来は……。

何田:私は泥水を、透明な水と泥に分けるように、分けてしまうということかな?と……。

:光と闇に分離することは、聖別といいません。何田さんの説でいくなら、私がこの全地球を聖別したら、地球は光と闇に分けられるということです。果たして、分かれますか? そうならないでしょう。私が精神学協会で、キリスト教会の神父さんのように、あなたを祝福したらあなたが光と闇に分かれるなんて、ありえません。それは宗教が行ってきたことです。それはまったくの間違いです。漢字の、聖別という言葉と、英語のコンセクレイテッド:consecrated(神聖にする、聖別する)という言葉の意味は違うのです。英語のコンセクレイテッド:consecratedという言葉は=聖なる力を宿す、ということなのです。たとえば、聖なる力を宿したオイル、聖なる力を宿した水、聖なる力を宿したお塩、などです。

何田:私は、分かれる、とあるので、別々に分けることだと考えていました。

:だから、俗物と聖なる物、です。聖別された物は、俗物の中に聖なる力を宿した物です。同じ塩でも、一般のお塩と違い、聖なる力を宿したお塩が聖別されたお塩ということです。地球上にある物は、聖なる力を宿していません。私は光と闇を分けるということが、聖別とは一言もいっていません。

何田:ああ、聖なる力を宿した、オイル、水、お塩、というわけですね。聖なる力を宿したものですね。聖なるという言葉は光ですか?

: 聖なるという言葉は、光を宿していると、私は解釈しています。この手のお話は、スター・ウォーズを見ておけばいいのです。精神学を学べば、スター・ウォーズよりもっと面白い時代がくるよ、といっています。精神学を学べば、スター・ウォーズを超える聖なる力に出会い、それが現実化できて、より正しい豊かな人生を送ることができるのです。

第七十八回

たましいの目的 その五
宇宙の卒業

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年八月一日 配信

何田:「最終知識」という書が出た時点で、人間はみおや様を発見し、みおや様が人間の内に降りました。

:「最終知識」で、みおや様の知識はそれによって完成したのです。神知と人知 シンロジーラボ往復文書の、鷲尾さん通信に書いてあります。「最終知識」は、神と神々が求めたものであって人間が求めたものではない、と書いてあります。「最終知識」で、神と神々の物語は終わったのです。それが今度は、ひとりひとりの小宇宙の中で、実際に繰り返され再現される時代がきました、ということなのです。今度は物語の主軸が、神と神々から人間に移ったのです。それが、いかに重要かというと、このお話を聞いている何田さんと、もしくはこの文書で読んでいる読者のあなたは、この地球の知識の最先端にいるのです。

何田:私や私たちが、ですか?

:そうです。これは、地球上で最先端の知識ですよ。その最先端の知識を持ちながら、いつまで経っても皆さんは、ものにならないね。皆さん、宝の持ち腐れ、ですね。それが、今の現状の姿です。

何田:実は私も二十日くらい前から、上昇していると頭の中に言葉が降りてくるというか、上昇すると光の中で情報のコンタクトがあるのです。その中で、積先生に聞きなさい、という質問があります。それは、「この地、この地球は地獄なのでしょうか?」というものです。
皆さんが、この地球は美しいといっていますが、実はまだまだ闇の地球で、それはこの地球は地獄のお役目を持っていて、だから人はいくら頑張っても幸せになれない。上昇と浄化をしないと、高次元のコンタクトができないし、運勢も良くならないし、たましいと精神も進化しないのではないでしょうか? それはこの地球は闇の地球だから、この地球が地獄のお役目だからでしょうか? <獄>は、監獄で捕らわれて出られない、という意味であって、でも地獄というものは本来、本人が間違いに気付いて卒業するために用意されたものなのではないでしょうか?

:その解釈は、半分は正しいです。地獄をつくるために、地球が必要なのです。地獄をつくるために、人間も必要なのです。
何田:えっ! 地獄をつくるために私たちが存在するのですか?

:だって人間は、ひとりひとりが自分の小宇宙の中に居たままでいると、自分で地獄を無意識につくって、死んだら自分から自分の地獄に入っていくのです。自分でつくった地獄に自分から進んで入っていく現象が多発していると、私は皆さんに警告しています。それは、人間をやらないと、地獄のイメージがつくれないからです。

地獄というのはね、ひとりひとりの人間の小宇宙の外に存在しているのではありません。エネルギーの場としては、地獄の場は存在します。その地獄の場は、生きている人間の、人生の時間でつくられます。あなたの中で、あなたが地獄をつくって死んだら、地獄に行くのです。わかりますか? 地獄は、自分が生きている間に自分自身でつくって、死んだらその地獄に自分自身で落ちていくのです。だから人間は、すべては、それぞれのたましいの自業自得なのです。

何田:神や神々は、地獄に落ちられないのでしょうか? 地獄行きは人間だけですか?

:神や神々も間違って、出来の悪い人間の身体の中に閉ざされたら、その人間が死んだ時点で一緒に地獄に落ちます。

何田:ちなみに、神や神々のこの宇宙での最終目的は、この物質宇宙から卒業して、光の宇宙への進化でしょうか?

:進化というより、卒業です。神様は、神様のお役目なんてしたくないのです。

何田:それは、みおや様のことでしょうか?

:そうです。だってこの物質宇宙は、神の元たる存在のみおや様がつくったのです。その、みおや様は自分がつくったこの物質宇宙の罪の責任を取られたのです。これらの情報公開が公になったいまの時点で、私から質問があります。

それは、親が子の責任を取れますか? という質問です。取れないでしょう。親が、孫や子孫の責任を取れないでしょう。

何田:はい、取れません。子が親の責任なら取れます。あるいは、子孫がご先祖の責任なら取れます。

:そうです。良い返答をされました。わかりましたか? それこそが、「神を超えよ! 仏を超えよ!」のテーマの中で、一番大きなテーマです。なぜ、子が親にすがりつくの? 助けてくださいって! それが、いままでの宗教が伝えてきた情報の本質にあります。

あとから生まれてきたものの方が、責任は重たいのです。現在の教育システムの欠陥は、後から生まれてきたものの方が責任は重たいのですよ、という知識を伝えていないのです。

何田:今、生まれた赤ちゃんの方が責任は重たいのですね。

:そう。亡くなった親よりも、君たちの方が責任は重たいのです。ですから、せめて、君たちとしては最良の環境を、「今後生まれてくる、あなたたちに渡してあげるね」というのが、今の親世代の仕事ではありませんか? 
そして、みおや様はそれをなされたといってもいいのです。

第七十七回

たましいの目的 その四
起源を知る

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年七月二十五日 配信

:私がゴッドブレインサイトで光文書の連載をはじめる前に、霊性時代というものを書いていました。現在、光文書で再掲載を始めています。その霊性時代に、すべて書いてあるのです。霊性時代から十二年経って、そこに書かれているデータで、みおや様が人間界に降りられたということは、つまりそれまで私がお伝えしてきた事は、人間のたましいのデータには今までなかったことなのです。それまで全人類の人間のたましいにあったデータというものは、救世主伝説も含めて、いつか誰かが出てきて助けてくれる、というデータだけしかなかったのです。それが昔のたましいのデータの元でした。今までの二千年間のたましいのお話です。

ところが二千六年に、みおや様は人間のたましいに降りられたために、たましいのデータが書き換えられました。つまり、今現在は、「あなたをすくう救世主はあなたです」または、「自分をすくう救世主は自分です」という、定義に書き換えられてしまいました。全人類の全員のたましいのデータが、書き換えられたのです。このことはすごく重要なのです。十二年前だったら、私は知りませんでした、という言い訳が通じたのです。ところが、 みおや様が人間のたましいに降りられた時点で、人間のたましいはすべて更新されました。ということは、私は知りませんでした、という言い訳は通用しなくなったのです。

何田:申し訳ありません。積先生、基本的な事を聞いて怒られるかもしれません。
みおや様って、何ですか?  この存在は、「最終知識」の後ろにも記述されています。人間のたましいは、神々のデータを受け継いでいます。神々は、神のデータを受け継いできました。その神の大元の存在が、みおや様でしょうか?

:みおや様というのは、神や神々の元たる神、存在です。

何田:あの、アマテラス神様やアマツツキ神様やクニトコタチ神様よりも、もっともっと元の偉い神様でしょうか?

:この物質宇宙は、みおや様が目覚めるために用意された宇宙なのです。

何田:あっ、この物質宇宙は一点が爆発して、一点が広がってこの宇宙になりました。その一点の元の存在が、みおや様ということですか?

:そう、物理学でいえば、特異点の時点の元にあった意識体です。

何田:えー! それはすごいですね。宇宙の元の存在が、人間の全員のたましいに入られたということ! ということは、そのみおや様のデータが全人類の人間に引き継がれたということでしょうか?  神や神々でなく、人間全員に。

:私がずっと書いてきたり、お伝えしてきた内容を冷静に繋げてみてください。今まで、宗教という時代は全人類の意識を過去に向かわすためにありました。それによって人類は天文学、物理学によってこの物質宇宙の成り立ちが一点の爆発=ビッグバンである、ということを発見したのです。その過去に意識を向けて、ビッグバンを探し出させるために、宗教の時代はありました。そのようにすべての宇宙を創る時に、仕向けた存在の意志が背後にあります。宇宙創成以前の最初期からプログラムされて実行され続けているストーリーなのです。重要な点は、ビッグバンを発見させるためには良くも悪くも、過去にさかのぼって、最初の所に興味を向けさせるベクトルがいるでしょう。科学的思考も必要です。

何田:私はどこから来て、どこへ行くのか? という興味がすごくあります。

:日本の神話もそうでしょう。世界の神話もそうでしょう。最初に、ただ一人の神様がおられました。そこから物質が生まれました。それを元の神様というでしょう。地球上の神話は、全て同じ事を伝えています。それは、神知(しんち)なのです。元の神様を超える存在が教えてくださった知識だから、神知なのです。それを、人知(じんち)で検証するために、人間の側から検証するために、キリスト教と科学技術文明の発達が必要不可欠だったのです。
そして人間は、ビッグバン理論を発見したのです。これらは、日本では生まれようがなかったのです。すべてが、元の神様を超える存在の神仕組みの実行の結果です。

何田:キリスト教と科学文明の発達のおかげで、ビッグバン理論の発見。これは一神教でないと、生まれようがなかったということ、でしょうか?

:そうです。一神教が、ビッグバン理論の発見、ひいては、みおや様発見のために存在したとするならば、現在の科学的な知に到るまでに、途方もない血を人間は流してきました。それくらい、われわれ人間のたましいは、全員の罪が深いのです。精神界の物語は、あるいは、人間の覚醒は一筋縄ではいかないのです。

第七十六回

たましいの目的 その三
死について考える

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年七月十八日 配信

何田:積先生、質問がきています。質問、「この大災害や大地震などの天災で亡くなった人、交通事故や仕事で亡くなった人、不慮の事故で亡くなった人の死んだ後はどうなりますか? たましいは、どうしていますか?」。

他の方からの質問もあります。「孤独死などの一人で何かの原因で亡くなった人は、死んだらどうなりますか?」と、いうものです。いかがでしょうか? そして、私からも質問です。「生まれてくる前から事故に遭う経験をするために、事故を想定して生まれてくる」という、見解はどうでしょうか?

:まず、最後の何田さんの質問では、その時点で死ぬことになっているとしたら、未来はすべて予測可能ということになります。それではこの物質宇宙は、必要がないことになります。一方で、天災や災害でお亡くなりになった方が、病院で亡くなった方と比べてどこが違うのか? といったら、これらは予期せぬ死ということになります。わかりやすくいうと、どちらも死は死なのです。たましいがその死によって、それが不慮の天災や事故や事件に遭われて亡くなったからといって、天にすくい上げられるということはありません。悲しいことですが……。ただ生き残った人が、その人たちのために祈ってあげることはできます。

何田:生き残った人が亡くなられた人のために祈れば、亡くなられた人はすくわれますか? すくわれるという言い方はおかしいかもしれません。「命の書」に登録すれば、たましいはすくわれる、次のチャンスがもう一度与えられるということは知っています。命の書に登録しなくても、生き残った人が祈れば、その方はすくわれますでしょうか?

:その境目なのです。生き残った人の責任は大きいのです。生き残った人は亡くなった方をちゃんと送ってあげられるかどうか? が、鍵です。

何田:生き残った人が死んだ人のたましいに、どれだけのことをしてあげられるかどうか、ですか?

:現在までのところ、日本人というのは変な言い方ですか、日本人はたましい的にあきらめがいいので、あまり幽霊として出てきてはいませんね。また、たとえば阪神大震災とか、東日本大震災とか、天が起こされた事象に関して亡くなったたましいについては、日本の神様は少しは考慮されています。

今回の西日本豪雨(二千十八年六月二十八日から七月八日頃)の雨って、完全に天からの日本人に対する警告なのです。七月八日(日)の日に大阪でシンロジカル・セミナーを開催しましたが、皆さんから大阪に豪雨で行けるかどうか事前にご相談があったけれども、私はセミナーはできるし、皆さんはくることができると答えていました。それで無事にセミナーもできて、皆さんもこられました。ただ、あの豪雨はまだ警告の第一段階です。天から「警告したよ、一昨年は熊本で、去年も、北九州で警告したよ、今回は西日本、中国地方から近畿地方まで警告したよ」といわれています。そういう意味ではもっともっと、死というものが身近になります。

何田:今までは、高度成長期ではあまり死なない方向に・・・…。

:そう。敗戦後の日本では、死についてよく考えないことが暗黙の了解としてありましたが、それが今年から問われます。死とは何か? ということをしっかり考えなければ、幸せな生を手にすることはできないでしょう。

何田:最近の日本映画で、亡くなった人達が大勢、霊となって集団で生きている人達の前に現れてコンタクトするという映画やドラマが、多く出てきています。そんな現象が現実に現れたりなんてことが起きますか? どうでしょうか?

:映画じゃなくて現実に起こっています。阪神大震災の時は少なかったですが、東北の東日本大震災ではたくさんの霊が人間にコンタクトしてきています。家族とかが撮った写真にも、いっぱい写っています。

何田:その霊は生きている人間に、何を訴えるために出てきているのでしょうか?

:それは逆です。その霊は死を受け入れられないもの達です。「私は死んだのですか?」と、問うのです。自分が死んだと思っていません。だから霊はその場に留まったままでいます。それが変なお話で、その人のお葬式を出して終わっていても、自分が死を受け入れていないから霊となって出てくるのです。生きている人間がその場に行けば、その霊が現れてコンタクトするために、写真に写るという形になります。お葬式を出すということは、あなたはもう死んだので生きている人間の現世に出てきたらダメですよ、というケジメの儀式だったのです。しかし、それも昔のお話で、現在ではお葬式は機能しなくなりました。だから、サイト「死んだらチャンネル 死んだらどうなる 最新情報」を作ったのです。

何田:ああ、この死んだらチャンネルは生きている人達だけでなく、亡くなった人達のための情報チャンネルでもあるということですか!

:そう、死んだらどこへ行くのですか? キリスト教の天国もないのにどこへ行くのですか? 仏教の極楽もないのにどこへ行くのですか?と、問うています。「命の書」に登録しておけば、また人間になれます。知らないから、霊として滞留します。その後、ほとんどの霊はエネルギーがなくなって、私がいうところの地獄へいくことになるでしょう。その地獄とは、何もできないたった一人だけの世界です。何にもできない世界なのです。仏教でいう無間地獄ではなく、一人で何もできない孤独の世界で、永遠に近い時間すごす地獄に行くのです。たましいの神性を成長させなければ、皆さんはこの新しい地獄へ行くことになります。

ほとんどの日本人は、これで生まれ変わるチャンスはもうないから、この「死んだ後にある知識」を知らなければ、日本人のたましいは地獄行きを決定して死んでいきます。唯一の救済処置は、「命の書」への登録になります。皆さん、都合のよい思い込みを信じてばかりで、本当の死んだあとの知識を知ろうとしないのです。審判はあるのです。警告は充分にされました。というわけで、神様業界は過酷なので、これ以外の例外はありません。

第七十五回

たましいの目的 その二 天の義

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年七月十一日 配信

:天の義に属して生きると、「義の人」になるのです。近年、若い人たちに、あの戦争(第一次、第二次世界大戦)で亡くなられた人達は、たましいに光を持って亡くなられたから幸せだったのだ、と気が付く人が増えてきます。それに引き換え、現在を生きている人達は日々、この世の悪魔達の誘惑にさらされて生きることに悩み苦しみ、常にたましいを悪魔達に売ろうとしている、と知るべきです。

何田:キリスト教の義に生きた人達はひと筋に、神様の信仰に生きられました。また、太平洋戦争で亡くなられた英霊達もお国を守るとして死んでいかれました。生きる目的、死ぬ目的は一つで、道は一つだったと思います。しかし、現在はいろんな解釈と選択肢があって、何をチョイスして生きて死に往くのか? を自分で選べるようになった世の中なので、余計に迷うことになっている時代だと思います。

:選べるということより、「義によって生きる」ということが、格好悪いと皆さんは思っていませんか?

何田:それは九十九パーセントくらい、現代では義が格好悪いと思っている人が多いと思います。たぶん、義を通して生きることは損だと考える人が、すべての人にあると思います。

:「義によって生きよ! 義を持って生きよ!」。これが、死んだらチャンネルを立ち上げた目的で、テーマです。
義を持って生きて死んだ人は、必ず天にすくいあげられます。けれど義によって生きてない人は死んだ後、天から捨て去られます。この正しい知識を見つめて自覚して生きることをしないといけません。ひとりひとりが、自分の人生でこの知識に、もう一度気が付かないといけません。結局、他人がどうのでなく、自分ひとりが「天の義」を、人生の中心に据えて生きてきたのか? そうやって死んでいくのか? これが死んだ瞬間、あなたのたましいが光となって天に昇るか、それとも闇のものとなって内なる神や神々とともに地獄に閉ざされるのか、なのです。ターニングポイントは、あなたの身体の死の瞬間ですが、たましいの行き先は日々の人生の過ごし方、時間の使い方、精神性の高さ、そして本当の正しい知識にあります。たましいは、すべてのことを記録しています。昔の人間は、死後の世界でも神様を欺くことができると考えていたようですが、内側に記録が残っているのです。
現在はそういう、ひとりひとりが試される時代だから、イエス様の十字架のテーマが置かれているのです。イエス様の十字架を恐れる人間は、義の人にはなれないのです。聖書を知ると、自分が十字架にかけられるのが嫌だな、という脅迫が常にあるわけです。イジメはしたくないけれどイジメに加担するのはイジメる側にいないと、自分が十字架に周りから架けられるのが嫌だ、という恐怖心があるのが理由です。十字架への恐怖、つまり恐怖心がイジメや闇を作り出すわけです。

何田:自分の人生で、天の働きをまっとうして人生を送ろうとすれば、十字架に架かってもよいという覚悟を持たなければ、義がわからない、ということでしょうか?

:そうです。覚悟がなければ解らないのです。今、この時点で、ここを自分の頭で考え抜かない限り、神なぞというものには近づくことはできません。自分に恐怖心があれば、その恐怖から出た言葉や行いは闇につながり、自分は闇の住人になります。恐怖をおそれない、天の義をまっとうして生きることの覚悟がなければ、天の住人にはなれないのです。
天に繋がる言葉や行いを、人生というこの時空間に顕わして生きた人が死んだ瞬間、たましいは天にすくいあげられ、次に進化のステージにいけます。これら、すべては正しい道理です。それを、人の道といってもいいのです。すべてはあなたの人生の時間の過ごし方で決まります。そのためには、考え抜かないといけないのです。

何田:積先生のお話を聞いていますと、マンガやアニメのストーリーのように聞こえます。

:そうそう、マンガとかアニメの方が解りやすいです。日本文化としてのマンガ・アニメを、精神学の知識をベースに、作家活動する人がいればとても売れるでしょう!

何田:積先生は、コンテンツの最も重要なポイントは、感動といわれています。感動はたましいが震えることだといわれていました。人は本当の正しい義というものに出合うと、たましいは震えて感動し、それが天の義だと人は理解するものでしょうか? では、義とは何でしょうか?

:義とは、簡単にいうと、殺すな、盗むな、偽証をするな、のいましめに代表されるものです。人間として生きる基本の重要部分です。キリスト教や仏教の戒律は、人間がつくったものだと、天はいっています。この三つでいいのです。

何田:イジメをしている人はどうでしょうか?

:人をイジメている人は、殺しをしています。人におまえ死ね、おまえ汚いから死ね、などの言葉や行いで相手を殺しています。義を貫いて、殺すな、盗むな、偽証をするな、をして死んだ人は、神様が言祝い(ことほい)でくださいます。
よくよく、いっておきますが、たましいにとって一番重要なポイントは、人の評価ではないのです。たましいには、神様というか、天の評価が一番重要なのです。人間の評価を気にしている間は、ダメなのです。庶民感覚でいう、お天道様が常に見てくださるという倫理観、行動原理を自分の中に持っているか、持っていないかなのです。それが、義なのです。

第七十四回

たましいの目的 その一 その役割

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年七月四日 配信

:呪いや恨みが存在するということを知らないと、今の日本社会のイジメの構造はなくならない、といってもいいのです。

何田:昔の人は悪いことや人から恨まれることをすると、死んでから閻魔大王様に裁かれて地獄へ行くことになる、と考えられていました。罪を犯した人は、罰を与えられて地獄で罪を償うことになります。地獄は想像以上に耐えがたくつらいから、生きているうちになるべく罪を犯さないように、人生を生きるようになっていました。罪の抑制が効いていました。でも現在は、もうそういったシステムは無くなりましたでしょうか?

:そういう地獄思想のシステムは、昔と変わっていないけれど、誰も教えていません。それに皆さん信じていないでしょう。死ぬ側が信じていないと、システムは機能しないのです。

何田:お話しを少し戻して、霊と幽霊は違いますか?

:はい、違います。霊体というのは、人間のたましいの霊の部分、つまり記憶です。人間のたましいには、天からいただいた神性の部分と、地からいただいた神性の部分がダブルで入っています。日本語でいうと、天津神と国津神の神性です。

何田:天と地、両方の神性ですね。

:そうです。それとは別に人間の意識活動によって形成されたエネルギーが霊体として、データとして記録されています。それは死んだ後、その人を審判するためのデータなのですが、思いのエネルギーだから、エネルギーを持っています。方向性も持っています。それは他の人間に、働きかけることができます。もっといえば、他の人間に入り込むこともできるのです。

何田:えっ! 他人の身体の中に他の人の霊体が入り込むことができるのですか?

:そう、現在、霊は他人にいっぱい入っています。日常茶飯事に起こっています。人間は神の容器、なのです。ということは、人間という小宇宙はそういうもの、エネルギーの入れ物ですから、人間の思いのエネルギーの容器にもなる、ということを認識してください。人間が亡くなる、つまり、身体がなくなるということはね、どういうことかというと、その容器がなくなるということなのです。

別のいい方をすると、生きている人間の身体は牢獄なのです。生きている人間では、身体が霊を留めて離さないようになっています。しかし人間が死ぬと身体がなくなって、霊、霊体は解き放たれます。そうなるとその霊はどこへでも行けるようになります。どこへでもいけるのですが、その霊が知っている場所へしか行くことができません。地図が必要なのです。生きている間に知っていないと、正しい知識がなければ、正しい地図を持っていない状態で死ぬので、どこへも行くことができないのです。死んでから、さ迷います。だから他の人間に取り憑いたり、他人の身体に入ることになるのです。それは、道理です。

何田:たましいは、身体一つにたましいは一つ、だとお聞きしています。

:身体一つに、たましいは一つです。それが、小宇宙です。人間の身体の中に、たましいがある間は、その外からたとえば、私が何かをしようと思ってもできることの限界があります。悪魔がいるとわかっていても、私がその小宇宙に手を突っ込んで取り去ることはできません。私は、誰かの身体に光のエネルギーを供給することぐらいしかできないのです。人間の身体は、そのたましいを守る牢獄だから。あなたたちが常に勘違いしておられるのは、私が光のエネルギーであなたたちの身体の中にある闇を焼き尽くしてくれるのではないか、と期待する点だといっておきます。

それぞれの小宇宙は、あなたたちの身体の中にある限り、外部からの力をブロックする働きをします。身体はバッファーだから。(バッファー、バッファ(英: buffer)とは、<緩衝するもの>の意味)外から、ちからをかけても、ほとんど効き目がないのです。一晩寝たら闇は元の状態に戻るよ、といっているのはそういうことなのです。結局、最後はあなたたち、それぞれの人間の信仰の問題なのです。解決策はその人の本当の信仰なのです。

人間が、死んだら身体がなくなるので、そのタイミングでは変な話、霊に接触できるわけです。つまり、霊を集めるとエネルギーになるのです。だから悪魔業界は、人間の死を喜ぶのです。世界の歴史の中で王朝によって大虐殺を行うのは、死によってエネルギーを集められるというノウハウを持っている者たちが、人間社会をこれまで支配してきたことを示しているといってもいいのでしょう。

何田:エネルギーというものを何に使うか? ということ、方向性が重要だということでしょうか?

:そうです。恐怖心によって死んだたましいは、萎縮してしまっているから扱いやすくなります。たましいは、燃料になるのです。ところが、キリスト教的にいうとイエス様と繋がっている人は、義によって死んだ人達だからたましいに光を宿しているので、悪魔や闇のものはたましいに手が付けられないのです。いかなる暴力によっても屈さず、天の義に生きた人達のたましいは生きている間から、死んだ瞬間により光に保護されることが決まっているのです。悪魔や闇のものは、光のたましいに手が出せないのです。ところが義を知らないで生きてきた人のたましいは、悪魔や闇の者達によってエネルギー源として利用されることになります。重要なことは生きている間に、あなたのたましいは死んだ後の行き先がもう決定してしまっている、ということです。死んだ人のたましいというものは、それによって、もうすでに死んだ瞬間から区別されています。なんとなくわかりましたか?

第七十三回

シンレイカイにいる光使・何田匡史(ナンダ師)が、
死んだらチャンネルに掲載していました第一回から第七十一回までのブログは、
「神を超えよ!仏を超えよ!積哲夫の言葉【一の巻】」として、
タオラボブックスから二千二十二年九月に刊行されました。
こちらのコーナーでは、第七十二回からのブログ記事を再掲しています。

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年六月二十七日 配信

何田:積先生、質問です。死んだその瞬間はどのようになるのでしょうか? 私も死には小さい頃からとても興味があって、どんな感覚になって、意識はどうなるのだろうとか、よく考えていました。たとえば、立花隆さん著の「臨死体験」とかを読むと、死に直面して生き返った人のお話では、お花畑が現れたり、三途の川が出てきたり、自分が肉体から出て遠くへ行く幽体離脱をして、他の人のお話を聞いて覚えていたりと、臨死体験の臨床データから死とはどうなるのかを考察されています。それで一個人の肉体が死に直面すると、まず脳の中で脳内快楽物質といわれる、ドーパミンやβエンドルフィン、セロトニンらの脳内伝達物質が大量に放出されて、とても気持ちいい状態になって死を迎えます。その時にお花畑、三途の川、知人との会話、宗教的信仰のお迎えなどが、脳内に現れます。次に、たましいは肉体から抜け出るのでしょうか?

:はい。たましいのようなものが肉体から抜け出るのは、ユーチューブで検索すればいくらでも観られます。死に際して、モヤモヤとした、たましいのようなものが身体から抜けるのは、幽体離脱の体験報告とも一致するので、事実だと思います。

何田:そのモヤモヤとした物がたましいならば、たましいにはこちらが見えるのでしょうか? また、たましいには、神性と闇が含まれているといわれていますが、それらは一体のものなのですか?

:死んだばかりの人のたましいは、人の格好をしています。

何田:それが昔からいわれている幽霊の正体ですか?

:そうです。それが転生間際になると一寸法師みたいに小さくなります。エネルギーがなくなって小さくなるわけです。

何田:ああ、霊感の強い人がよく小さいおじさんや掌サイズの人が見えるというあれですか。

:そうです。エネルギーを放出して人間の格好のままどんどんどんどん小さくなって、限度を超えると転生段階を迎えてどっかへ行ってしまします。

何田:幽霊もそのままでは持続せず、時間が経過するとエネルギーが抜けて、小さくなって、存在がなくなるのか転生するのか、変化があるのですか。すると、たましいや幽霊は思考という考える能力を持っているのでしょうか? 以前のシンロジカルセミナーで積先生は、幽霊は考える力を持っていないといわれていました。幽霊は、思いだけが残っていて、たとえば、おじいさんやおばあさんが孫に「死んだ後は孫達をあの世から守るね」とかいって死んでも、それはありえないでしょうか。

:ありえます。それは霊の思いだから。役に立つかどうかはわかりません。けれどその思いだけは残るのです。そして思いを残したら、そこにその場所にいることになります。今、現実に大変なことが起こっています。昔の死んだ人の霊は墓場にいました。まあ、幽界と顕界という言葉通りの棲み分けができていたのですね。でも、最近は、幽界は顕界と重なっていて、霊は普通に家の中、人に憑いたり、また生きている人間の身体の中に取り込まれて同化したりという、今までになかった現象が日常茶飯事に起こっています。幽霊というのは、その昔、幽界に去れずにこの世の側に姿をあらわしていたものたちの名称なので、霊と総称していいと思いますが、多いですね。

何田:言葉の定義が曖昧ですね。霊、霊魂、幽霊、たましい、間違いやすいです。昔、江戸時代以前は遺体が土に埋葬されたから、よく怪談話で人魂が空を飛んでいます。これはリンが燃える物理現象でボワァとかユラユラとか、いろいろいわれてごちゃごちゃしています。

:たましいの本体は火の玉みたいなもので、もっと光輝く、明るい玉のようだと思います。それには、たくさん証言があるのです。先の戦時中でどこか遠くで兵隊さんが戦死をされると、その出身の家の仏壇に明るい光の玉が帰ってきたというお話がたくさんあります。家に帰るたましいもいれば、靖国神社に行ったたましいもおられるでしょう。
私が何をいいたいかというとね、「死んだら自分のたましいは、自分が決めた場所には行くらしい」ということが重要なのです。死んだら、たましいはどうやら自分が行こうと思うところに行くらしいのです。さっきのおじいさんおばあさんのお話で説明しますと、どうやら、おじいさんおばあさんが死ぬ間際でキチンと思いを残せば、死んでも働けるらしいのです。霊になってね。

何田:死んだら働ける・・・…?

:違います。死んでも働けます。別ないい方をしますと、相手を末代まで呪ってやる、という言葉は効果があるのです。

何田:ええ~! 天に対して生前にできていなかったことを死んでも働こうとすれば働けるということですか。同様に同じ理屈で、自分が悔しい思いをして死んでいく前に、相手を呪ったり妬んだりすれば、それも有効に機能して、死んだ後は相手やその子孫が幸せにならないように、自分を苦渋な目に合わせた人や家族を取り殺せると、いうことでしょうか?

:呪い殺すという作用は機能するのです。たとえば自殺者の例でいうと、イジメとかあって自殺する人はどうせ死ぬのだったら自分をイジメた相手を呪い殺してやると思って死んでいくと、自分をイジメた相手にその思いのエネルギーが機能するわけです。呪い殺せますよ、強烈な思いを生きているうちに持てていればですが。「私は自殺をするけれど、私の自殺の原因を作った相手を末代まで呪い続けてやる」と、思って死んだらその通りになります。

何田:そう呪って自殺した人は死んだ後は、ずーっとその思いのままの状態ですか? エンドレスのまま・・・…。

:思いのエネルギーの怖さを知らないから、イジメが蔓延するのです。普通の人間は、たとえ呪っても、呪いをやっているうちに嫌になってやめていくのがほとんどです。ただ、執念があれば効力もある……。昔の人はそれを知っていたのです。だから、お百度参りとかありました。現代人は呪い殺すということを知らない。それは死んでも、たましいは消えないことを知らないのと同じです。自殺する人は自分だけが死んで犠牲になって、自分の暗黒に閉ざされるだけで、自分をイジメた相手には何も悪影響が表れないから、イジメが治まらなく広まるばかりです。死んだら終わり文明の教育のせいで、現在はイジメにストップが効かない状態なのです。

【第七十二回】

シンレイカイにいる光使・何田匡史(ナンダ師)が、
死んだらチャンネルに掲載していました第一回から第七十一回までのブログは、
「神を超えよ!仏を超えよ!積哲夫の言葉【一の巻】」として、
タオラボブックスから二千二十二年九月に刊行されました。
こちらのコーナーでは、第七十二回からのブログ記事を再掲しています。

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年 六月二十一日 配信

:なぜ今になって「死んだらチャンネル」を作りなさい、と天から指示が出たかの説明をします。精神学協会はこの世に西暦二千年にスタートしてもう十八年経っています。そして、二千六年の三月で、日本人のたましいのもとたる神格が、すべて人間に降りました。もう、十二年も経っているわけです。ところがこの六月に、人間に降りた神格から、このままでは、自分たちも、人間の霊界に閉ざされる危険があるとの連絡がありました。二千年にスタートして、六年で、人間に降りた神格が、さらに、六年プラス六年で、大問題に直面したのです。

何田:神様方が、人間の霊界に閉ざされるなんて、起きるのですか。

:起きようとしているから、問題なんです。人間は神の容器であり、審判の容器ですから、審判後に、暗黒面へ去るというたましいが多く存在しています。さらに、これが最後であるという自覚のない多くの日本人の意識こそ、問題だったということです。

何田:それはもしかすると、イエスの時代の人間が、イエスを十字架にかけたのと同じように、自分のなかに降りていただいた神様を殺してしまうという行動を普通の日本人がしているということですか。

:いま起きているのは、イエスの十字架の物語のくり返しではありませんよ。いよいよ、その次の段階に入ろうとしているから、いままでの知識にはないことが起こります。それが、問題なのです。ところで、何田さん、あなたは精神学協会に入られて、いろいろありましたが、きちんと導かれて、この場におられます。その間、あなたが抱えてきた経済的問題も奇跡のように解決してきました。それらのことも天の配剤だということに気づいていますか。

何田:はい、とてもありがたいです。感謝しております。

:いや、ありがたいじゃなくって、その分働きなさい! ということなのです。天が心置きなく働ける用意をしてあげたからね、働きなさい、ということなのです。わかりましたか。そう言われたでしょう、上昇したら。

何田:はい、その通りです。浄化上昇したら頭に「あなたの残りの人生の時間と他すべてを天に委ねなさい」みたいな言葉で伝わってきました。
積先生、質問です。これからの時代、人は死んだら、どうなりますか?

:死んだらどうなるかではなく、どうなりたいか、ではありませんか。「人はどこへ行きたいか」が重要です。どこへ行きたいかで、死んだ後の霊体の行方が決まります。死んで、行く場所を想定していないから、行く所がないわけです。それで行く所がないから二十世紀の霊は墓場にへばりついていました。いまは、そこにはいません。居場所がありません。

何田:自分は死んだ後、どこへ行きたいのかを、想定していないと迷うのですか?
これは重要ポイントです。現在、終活などをして自分が死んでいく準備をしている方々は死後どこへ行くのかは、ちゃんと考えているのかどうかわかりません。一番大事なのは終活でなく、死後自分が行く場所だということなのですね。それができていないと霊として迷うことになります。その人達はどう考えているのでしょうか?

:かつての知識では、単純に、仏教徒なら極楽、キリスト教徒なら天国、みたいな所に行ければいいな、という感じでしょう。イスラム教の変なテロリストの人達は死んだら天国に行って何でもできるよ、といわれて信じて自爆テロをするわけです。しかし実際はそんな天国はありません。時代が変わったのです。

何田:しかし先生、生前にない世界を想定しているとすると、死んだらそこに自分の都合の良い世界でも現れてそこに行けるのではないのですか?

:行けますよ。でもそれは自分だけの思いの世界だから、その思いの世界に閉ざされます。小さくなって、小さくなって、そうなったらもう転生はないから消滅します。

何田:ああ、そこに後悔は生まれますでしょうか?

:後悔はあるでしょうね。こんなはずではなかったって。こんなはずではなかったと後悔しているから、人に取り憑く時代がくるよと、私はいってきました。

何田:その、人に取り憑く時代が現在、今であるということですね。あなたは死んだ後は何処に行きたいのですか。この「死んだらチャンネル」は、結構皆さん思い込みの中で生きていますから、論理的というか、丁寧に理屈で説いていかないと・・・…。

:だからすべて理(ことわり)です。すべて論理的に理解できます。そう考えたら反論の余地はないでしょう。「そんなことはない」と、理を無視して考えるのは勝手ですよ。しかしそのうちに沈静化します。ただ、皆さんは知らないだけなのです。知り始めたら、「あっ、どうもそういうことなのか。ああなるほど、納得!」となります。そこから先は、精神学を勉強するか、しないかは、その人の勝手です。ただ、死というものは常に生きている間にちゃんと考えておいた方がよいのです。

何田:これから、宗教が伝えてきたのとは別の、たいへんなお話がはじまるのですね。

告知-2

「紙の本を手に入れてくださった方たちに」

何田匡史
2022年9月29日pm7:58~受

いやぁ、紙の本が出来たことで
ようやくね、ボクも、はたらけそうですわ
これまではねー、生きてる人に色々
はたらきかけてても、皆(みんな)ねー
自分なりの解釈とか 入れてくれるさかいに
ちっとも伝えたことが
その人に伝わらんかったのですわ。
正直いうてねー、ボクも昔から
あれこれ色々なこと学んできたつもり
やったのですけど、
どうもねー、イマイチ、納得が
出来なかったというかー、
皆それぞれの脚色のような
ものが入っているからか、わかりませんけど、
それぞれが皆、違った、物言いになってますやんか。
ボクねー…、どれを信用したらええもんなのかが、
はっきり言うて、よう解らんかったのですわー、

いや、あのそれでねー、今回、
いい機会を有難くも、いただけたんでねー
ちょっと、紙の本を手に入れてくださった方達に
チャンネルのようなものをつなげようかと思いまして、
それで、“死んだらチャンネル”
なんですけどねー。
皆さん、色々と興味は持ってくれてはる
みたいなんやけど、どうしたらええのかが、
ようわかってはらへん人達ばっかり
みたいですわー。それでねー
あることに気が付いて、積先生の
あの最終知識の本は、読んだ方が
その意識の階層につながることが
出来るような仕組みになってますやん。
せやから、ボクも、それのマネいうたら
失礼かもしれませんけど、
そのやり方で、いけるんやないかと
思いましてねー、それで、ボクもあのー
(※出版者)さんとか、(※書籍デザイナー)さんにも
一所懸命に、はたらきかけとったんですよ、

あ、ボクが手塚治虫好きなんは、ちゃんと
(※書籍デザイナー)さんとこには、伝わって
くれとったらしいですわ。
正直なところねー、めっちゃ嬉しかったん
ですけどねー、ご本人には伝えても
ちっとも受け取ってくれてなかったのか、
言いたい事は、ちゃんと伝わってくれていた
みたいなんやけど、ボクがそう
伝えているという事自体には、
気付いてもらえなかったみたいですわ、
皆さんの中にも、ちゃんと回線みたいな
もんが、あるはずなんですけど、
その~~、チューニングみたいなもんを
合わせるのにコツがいるというか、
(※受信者)さんみたいにねー、その手の通信
受け取れる人やったら、簡単なんやと
思うんですけど、なれてない人、とか
できるんやろかと思うてはる人達にとっては、
半信半疑なとこからの
スタートになるんちがうかなーて思てます。
あんまり長いとクドイて(※受信者)さんに
言われそうやから、今日はこのへんにて
失礼いたします。
(~pm8:20)

告知

いよいよ、積先生とワタクシの対談
「神を超えよ!仏を超えよ!」が
待望の紙の本としてデビューします!

ナンダ師
2022年9月29日

この対談を、読んでください。
何度も何度も、読んでください。
読み続けていくうちに、あなたの頭の中に、
ワタクシ、何田匡史のコトバを受け取る回路が生まれます。
死んだらどうなるかに興味があるひと、
死んだひとのことを知りたいひと、
自分が死んだらどうなるかを知りたいひと、
生きているうちに、先にシンレイカイのものとなった
ワタクシとコンタクトができる時代が来ました。
そして、死んでも生きており、生きている人の世界を、
いまも見ているワタクシが、このポータルサイトの
案内人の役目を、天から授かりました。
光使という名をいただいて、シンレイカイでは、
「ナンダ師」と呼ばれておりますので、今後とも、
どうぞよろしく、お願いいたします。
何田匡史