超えていく その一
ブッダ(仏)
◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
初回 二千二十年七月二十九日 配信
何田:この対談テーマの「神を超えよ! 仏を超えよ!」ですが、仏 (ブッダ)という存在は人間ですね。
積:仏様になったから、神様から認められて、神様が仏様にその悟り(さとり)の内容を教えてくださいというポジションになったでしょう。(何田注:お釈迦様の悟りの内容を皆にも教えてほしいとブッダに梵天=インドのバラモン教における最高原理、神様、ブラフマンの神様が頼む、梵天勧請(ぼんてんかんじょう)のこと。)
私は、それを超えなさい、といっています。もっとはっきりいえば、精神学を学んでいる人は積哲夫を乗り越えて、次のステップに進みなさい、といっているのです。可能性としてはできるのですから、やり始めなさい。
何田:はい、わかりました。ありがとうございます。人間が想定している、人間が考えている神や仏は、実際に存在している神や仏とは違うのですか?
積:どちらにしても人が作ったものです。もしくは相互作用で生まれたものです。神も仏も存在はしています。
何田:存在しているなら、「助けてください」と祈れば、助けにきてくださるのでしょうか? 助け合う世の中を作りたいといえば、一緒に助けにきてくださるのでしょうか?
積:何田さん、間違っています。その前に、裁き(さばき)がきます。仏教だってお釈迦様が亡くなられたあとの五十六億七千万年後に何かが起きると、いっています。聖書でも、最後の審判を伝えています。この、何かが起きる裁きのタイミング、それが今始まる時に生きているだけで楽しいと思いませんか?
何田:これからの光の地球に生まれてくる光の子供達の、映像はわかります。今までの人類の罪や闇を背負っていない新しい人類です。元気で、明るくて、創造の中で新しい光の経済をつくる子供達です。これからの時代の光の地球、光の子供達の礎(いしずえ)となるために働くことが喜びの人生につながることはよくわかります。そこに神様、仏様の存在はどのように関与されるのでしょうか?
今の時代ひとりひとりの人間の中に、光と闇の戦いが移動したことで、どういう位置を取られるのでしょうか。人間と神様、仏様のスタンスとして、ひとりひとりの人間の身体の中に、たましいの中に入って、融合して、神人一体となって働かれるのでしょうか?
積:何田さん、人間的な思考の中だけで考えてはいけません。神様には神様の存在目的があります。仏様には仏様の存在目的があります。神様をつくられたものが存在され、目的がきちんとあって、そのために神様は地上に配されました。
何田:なるほど、神様をつくられた存在がおられて、目的があって神様方は日本におられるわけですね。積先生、私は小さい時から考えていたのは、神様や仏様は時に人間を裏切らぎるのではないのか? という疑問でした。神様や仏様は、人間の人生に関与して、途中でやめて、責任と処理を人間だけに残して、その人からいなくなることもあるのでは? と疑問がありました。
積:それは、「神も仏もあるものか!」ということでしょうか? それはありますよ。神様は人間を助けてくれません。十字架上のイエスのことを思い出せばいいのです。
何田:えっ、神様は人間を助ける存在ではない?! それはどういうことでしょうか?
積:だって人間が「助けてください」という願いは、ほとんどが神様と関係がないテーマで助けてくださいでしょう。
何田:テーマですか? それは、ほとんどの人間が自分や周りの人のためと思っています。神様業界から関係のないテーマかどうかなんて、人間はぜんぜん考えていないと思います。神様は人間を助けてくださる存在だと、人間側が考えているからです。そこにまちがいがあったのですか?
積:そこです。だから笑い話でね、京都伏見稲荷大社に参拝に行って、お金を儲けさせてくださいと願いをいって、「儲かったらお礼をします」と約束して、お祈りしてお金を得た人がね、そのあと伏見稲荷大社に「儲かったから、これだけお金を神社に納めます」と、もってくる人はほとんどいないというお話です。その笑い話と同じです。人間だって、神様を裏切っているではありませんか。違いますか? お互い様ですよ。
何田:そうです、いわれてみれば人間は必要な時だけ神様にお願いして、叶ったら、神様をほったらかしでは、神様仏様もお話も祈りも願いも聞いてくださいません・・・…。原因は自分の行動でした。人間は自分勝手都合主義で、自分は裏切ってもいいけれど、神様仏様は裏切りを許されないはず、と人間が勝手に思っています。イエス様を磔刑に架けた人間達と同じ根っこですか。本当の宇宙の真理を見ないで、自分都合で信じ込めば何でも叶うなんて・・・…。
積:神のくせに裏切るなんてというのは、人間側の傲慢ですね。
何田:神様と人間の正しいコミュニケーションがないのが原因だと思いますが、いかがでしょうか? 信じていたのに、なぜ助けてくれないのか? 何度も期待が裏切られると神様仏様に対して疑心暗鬼になるのです。それが恐怖につながります。また裏切られるのではないか、と思ってしまいます。
積:そこで、自分の信仰が足らなかったから助けてくれなかったのだ、と考えて宗教をやっている人は一生懸命お金を持っていくわけです。あの金額では足らなかったのだ、さらにお金を持っていって、今度こそは神様に願いをきいてもらおう、と宗教にはまっていくのです。それが今までの宗教のやり方です。
何田:神様と自分という、本当の進むべきテーマから外れたことをしているから。
積:そうです。
何田:その自覚がないから、自分の間違いに気がついて修正するまでは苦しむことになるのですね。そして、自分は悪くない、自分は正しい、と考えているから、神様、仏様を呪っていくのですね。
積:その精神状態になると、はっきりいって人の身体は壊れていきます。
何田:積先生との対談は、「神を超えよ!仏を超えよ!一巻」からで通算百八十一回ですが、お話しを聞いていくほどに、精神学はデリケートであり、谷間に渡した足幅しかないガラス板の上を渡っているような気がします。踏み外せば奈落の底(地獄、闇)に落ちていく、ことがわかってきたように思います。
積:ガラスの上じゃないよ。刃(やいば)の上だよ。刀(かたな)の上です。足を踏み外すとどこかが切れてしまいます。