第21回目

精神学は実学

2022年10月31日
語り:たずさえ社

里の秋に映えるこの菜園風景~♪

のどかでした…♪ つい一か月前までは(^^♪ しかし、夢にまで見た光景が現実のものとなると、生活が一変しまします♪
先週の木曜日、たずさえ社 長良川菜園の直売所がopenしました~🎶

今までは、農作業(収穫も含む)➡皆さんに食べて貰ってました♪
今では、農作業➡加工(洗い、選別、軽量、袋詰)➡納品➡陳列➡販売までが、ここ数日の一連の流れになりました♪
私も働きますが、野菜たちがいい仕事をしてくれているな~と感じるのは、『美味しい野菜ですね♪』と言われた時です♪

まだ始まったばかりの仕事ですが、この調子で行くと品切れ⁈の可能性も… 余り考えないようにします(^^♪  
このニュースを知った、経営者仲間達が『うちの会社で職域販売して』とかお弁当屋からoha-が来たりと有難いことですが… 始めたら止められません♪ 邁進します🎶 『精神学は実学』を実感しました(^^♪

第25回目

精神学協会プログラム 『呪波』の効果

2022年10月29日
語り:島道鉱泉四代目当主/能登はるみ

精神学協会プログラムを習い始めた主人は、時々、うなされています。昨夜は、金縛りになっていて夜中に叫び声を出していました。

昨日は、主人の会社や実家の用事を足しに、色々な場所へ足を運びました。行動と一緒に、主人の感情が揺れ動く様を見て、波動の凄さを感じる毎日です。

5月下旬に初めて出逢った彼との時間は、わたしの価値観や思考回路をクリアにしてくれます。違った場所で生まれ育ち生きてきたわたしたちは、出逢って間もなく結婚しました。それは、まさに運命的で奇跡的な出来事ばかりが繋がり、今日に至るのです。

わたしは、何のために生まれて何を成し遂げるために生きているのか?

主人の言動を通じて、考えさせられる日々が続いています。毎日が、感謝、感動、感激の繰り返しなのです。 ありがとうございます。

 

第24回

霊の実在

2022年10月 27日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

一週間が経ちましたが、kota君は、すこし落ち着いたでしょうか?

まあ、あなたは死のうと考え、それを実行したので、自分がなくなっていることは自覚していると思います。ほんとうに、お疲れさまでした。あなたがどうやって生きてきたのかということの真相は、他の人には憶測するだけですべてを理解することはできないけれど、いっぱいつらい思いをしたのだと思います。あなたに、あれも話そうこれも話そうと考えていたんだけど、もうそういう考え方を、私もやめます。それは私の視点でしかないからです。この世界は閉塞感のなかにあり生きにくいから、年間3万人もが自ら死んでいくんだけれど、ひとりひとりにはその人なりの歴史と思いがあるんだよね。しかし、死は終わりではなく、終着点でもなく、身体はなくなっても意識体としてあり続けることを知っているならば、いま死を選ぶことはまったくの間違いということに気が付いてください。

現代の日本に生まれているということは、これが最後の生になるからです。

ゲームにたとえると、死んだとしても再チャレンジはないということ。どんなに、いまの自分の条件が悪くても、武器を持っていなくても、自ら退場することは永遠の退場につながっていくのです。

2016年に、「呼び覚まされる霊性の震災学」という本が出ました。その中に、2011年3月11日の東日本大震災の時に津波で期せずして亡くなった方々が幽霊としてあらわれることに遭遇したタクシー運転手のインタビューや証言などが一部掲載されています。その年は、私が末期がんだった実母を看取った年で、母親はいなくなったけれど霊として存在しているのなら、どこかにいないだろうかと探す思いの中で出会った本でした。

東北の3月は、まだ寒いので津波で亡くなった時には、人々はコートを着た冬の装いでした。災害があった年の夏、復興に向けて頑張っている津波にのまれた町では、盛夏にコートを着た人がタクシーを止めて乗り込んでくる現象が幾度か起こったそうです。タクシーに亡くなった方が乗り込んでくる怪談は、日本全国に点在していると思うのですが、津波に呑み込まれた町ではタクシーを運転している方も震災経験者であり、幽霊であったとしても、まったく怖くなかったという証言もありました。まさに、亡くなっているとわかっている人へも普通のお客さんとして接して、希望のところへ送り届けていたようです。

肉体をなくしても、意識は存在するのだとしたら、今いる自分の位置が、そして視点が変わると思いませんか。

今悩んでいることを、「これって、たいしたことがないじゃないか……」と、考えなおすことはできませんか。今は、生きているだけで丸儲けなのですから。そういう時代なのです。そしてもう少しすれば、次の文明の姿が見えてきます。今までの閉塞感ではなく、意識の開放系の文明が構築されていくのです。その文明に参加するためにも、自分の意識を自由に組み替えておく必要があります。「~を、しなければならない」「~は、こうでなければならない」「これが常識です」は、すべて思い込みであり、その時代のそのまた狭い領域で、一部の人だけが信じているモノなのです。ですからそんなルールはどこにもないのです。あると思いこまされているだけ……。常識の信者にはならないことです。

ひとつだけお伝えしておくと、他人には期待しないし、全員には好かれようとしないことです。

自分と合わない人からは、さっさと離れること。自己中心的な人や、自己顕示欲が強い人、称賛されることへの過度な中毒症状がみられる人は敬遠したほうがいいでしょう。ほんとうに多いです。競争を、美学と思っている方たち。

そして、付き合いたい人には誠実であること。

自分をよく褒めて、どんな時の自分も許し、他人とは比べないことです。

「人は人、自分は自分」それでいいと思います。へんに競争には巻き込まれずに、マウンティングしたがる人とは、すこしずつ距離を取ればいいんです。そして、その相手のことを思い出さないことです。

意識は自由であり、楽しく生きていいみたいですよ。

それでなくても、人生には試練がたくさん用意されているのだから、いちいち真っ向から戦いを挑んでいたらストレスだらけになるけれど、戦いを挑んでいる張本人は自分なのだということになかなか気が付かないのです。比べているのも、相手ではなく、自分なのかもしれません。刷り込まれていたり、定着している癖を変えていくのには時間が必要なのかもしれませんが、そのために「浄化と上昇」があり、生活の中に組み込んで意識の進化を促進させるといいでしょう。

そんなに先の話ではないようですよ、地球の変革は。

ぜひ、このムーブメントに、新しい意識の持ち主として参加してみませんか、kota君。そして、これを読んでいる、あなた。生きていても、死んでいても、光を持っている意識は進化できるので、その光の供給を得るためにも、生きているうちに自らを「命の書」に登録しておいてくださいね。

「命の書」の大切さが、何田さんの働きによりシンレイカイでも広がったらしく、私の友人の会員さんは夢枕に2018年に亡くなった女優さんが出てこられたそうです。「よかったら、命の書に登録してほしい……」みたいなお願いだったそうですが、「今はちょっと物入りな時期なので…」と申し訳ないが、お断りをしているとか。まあ、私たち人間は身体をもって生きていますから、亡くなった方と違って現世的な問題も抱えているのです(笑)。

見つけてもらいやすいからといって、わらわらと来られても困ります。まずは、お身内の夢枕に立って訴えるか、または登録料も添えてからお申込みをいただけると、こちらは助かります。

いろいろと、そちらにいる何田さんと相談してチャレンジしてみてください。また、IT業界の麒麟児、スティーブ・ジョブズもシンレイカイで会社を興しているので、彼のもとで働いて、稼ぐという手もあります。彼は、シンレイカイでも現世でも人材を探しているそうですから、一念発起してチャレンジしてみるのもありですよね。彼が生きているときに、アップルに入社するのは大変だったかもしれないけど、今ならそれよりも身近であり、そして倍率は低いかもしれません。ガレージハウスから始める創成期に参加できるって、めちゃくちゃ面白いと思いませんか。すでに、日本人の方も何人か参加されているようです…人気の高かった政治家の方とか……。

次回は、家のお祓いについての経過報告ができたらいいな、と考えています。

日戸 乃子(ひと のこ)

第24回目

何田匡史さんと似ている主人

2022年10月20日
語り:島道鉱泉四代目当主/能登はるみ

大阪・ヴァグリエ、和歌山・神饌行器(しんせんほかい)小倉への旅。

主人に介護をしてもらいながら、色々な環境に身を置く暮らしは、何田匡史さんとわたしが計画していたプロジェクトでした。

わたしは、何田匡史さんから『誠実さ』と裏切らない姿勢を学びました。彼の裏切らない姿勢は、私の心をいつも清らかにしてくれました。その反面、愚痴や文句が絶えず、いつも肉体のどこかが不具合でした。

にんげんは、いつも、両極端な感情を持ち合わせ、周りに振りまいています。しかも、悪い方、悪い方に考えてじぶんじしんを苦しめてしまいます。じぶんだけ苦しむだけなら、まだマシですが、まわりにも伝わってしまうので厄介なものです。

主人も何田匡史さんと似ていますので、肉体がボロボロになっています。島道鉱泉に縁がありましたので、今は静養してもらいたいものです。

じぶんの気持ちと身体を大事にして欲しいと思います。

第19回目

『海洋散骨』のご紹介

2022年10月27日
語り:説諭士

 海洋散骨をさせていただきました。
船主様のご厚意により、できる限り黒潮の近くへとお運びをいただきました。
その日は、少し曇り気味の天候とはいえ、酷暑の続く中での散骨儀式をおこなうことに、黒潮近くまで船を出してくださるということで、ご遺族様の船酔いだけが心配でした。

随分と沖へ出たことは、海の色を見れば一目瞭然。
深い紺青色に、まばゆい太陽の光が反射して神秘的で感動的な光景が目に焼きつきます。

素晴らしい海洋ロケーションの中、散骨の儀式を執り行いました。
人の一生は海より出で海へと帰るの言葉通り、遺骨はご遺族の手によって海へとお返しいただきました。
まかれた白い遺灰は、縄目のように回転しながら沖へと向かい、その表面には献花された多数のお花が共に流れて行きます。
その様を船上からお見送りをするご遺族様は、刻々とお顔の表情が変わっているのがわかりました。
「安堵の笑顔とこれで父も私たちの手元から離れ、また私たちもあらたに一歩を踏み出すことができます。心に感動を与えて頂く心温まるセレモニーをして戴いて、本当にありがとうございました。」
お礼のお言葉を頂いた時は、私自身もこのような儀式をさせて頂くことに、この上ない喜びを感じさせていただきました。

また、船主様が発した言葉に「散骨儀式は本当に素晴らしい。また散骨しているご家族の姿も、これだけ沖に出て波がぴたっと止まった時は、何も理解して居なかった自分でもここは聖域だ!海が神殿みたいだ!という不思議な感覚があった。
と、おっしゃってくださった言葉を申し添えて頂きます。

※海洋散骨には、必ず『命の書』の登録をさせて頂きます。
 送られる御霊が光の世界に導かれ、癒しの時間を過ごされた後に、審判をうけるべく世界に進み、
 その御霊が望むべき方向に導かれていきます。

※『命の書』へのお申し込みは、亡くなられた方への「愛のカタチ」として、また生きているうちに登録を
 希望する方への受付も、お受けいたします。

※さまざまなご相談も受け付けていますので、是非ご相談ください。

第七十四回

たましいの目的 その一 その役割

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年七月四日 配信

:呪いや恨みが存在するということを知らないと、今の日本社会のイジメの構造はなくならない、といってもいいのです。

何田:昔の人は悪いことや人から恨まれることをすると、死んでから閻魔大王様に裁かれて地獄へ行くことになる、と考えられていました。罪を犯した人は、罰を与えられて地獄で罪を償うことになります。地獄は想像以上に耐えがたくつらいから、生きているうちになるべく罪を犯さないように、人生を生きるようになっていました。罪の抑制が効いていました。でも現在は、もうそういったシステムは無くなりましたでしょうか?

:そういう地獄思想のシステムは、昔と変わっていないけれど、誰も教えていません。それに皆さん信じていないでしょう。死ぬ側が信じていないと、システムは機能しないのです。

何田:お話しを少し戻して、霊と幽霊は違いますか?

:はい、違います。霊体というのは、人間のたましいの霊の部分、つまり記憶です。人間のたましいには、天からいただいた神性の部分と、地からいただいた神性の部分がダブルで入っています。日本語でいうと、天津神と国津神の神性です。

何田:天と地、両方の神性ですね。

:そうです。それとは別に人間の意識活動によって形成されたエネルギーが霊体として、データとして記録されています。それは死んだ後、その人を審判するためのデータなのですが、思いのエネルギーだから、エネルギーを持っています。方向性も持っています。それは他の人間に、働きかけることができます。もっといえば、他の人間に入り込むこともできるのです。

何田:えっ! 他人の身体の中に他の人の霊体が入り込むことができるのですか?

:そう、現在、霊は他人にいっぱい入っています。日常茶飯事に起こっています。人間は神の容器、なのです。ということは、人間という小宇宙はそういうもの、エネルギーの入れ物ですから、人間の思いのエネルギーの容器にもなる、ということを認識してください。人間が亡くなる、つまり、身体がなくなるということはね、どういうことかというと、その容器がなくなるということなのです。

別のいい方をすると、生きている人間の身体は牢獄なのです。生きている人間では、身体が霊を留めて離さないようになっています。しかし人間が死ぬと身体がなくなって、霊、霊体は解き放たれます。そうなるとその霊はどこへでも行けるようになります。どこへでもいけるのですが、その霊が知っている場所へしか行くことができません。地図が必要なのです。生きている間に知っていないと、正しい知識がなければ、正しい地図を持っていない状態で死ぬので、どこへも行くことができないのです。死んでから、さ迷います。だから他の人間に取り憑いたり、他人の身体に入ることになるのです。それは、道理です。

何田:たましいは、身体一つにたましいは一つ、だとお聞きしています。

:身体一つに、たましいは一つです。それが、小宇宙です。人間の身体の中に、たましいがある間は、その外からたとえば、私が何かをしようと思ってもできることの限界があります。悪魔がいるとわかっていても、私がその小宇宙に手を突っ込んで取り去ることはできません。私は、誰かの身体に光のエネルギーを供給することぐらいしかできないのです。人間の身体は、そのたましいを守る牢獄だから。あなたたちが常に勘違いしておられるのは、私が光のエネルギーであなたたちの身体の中にある闇を焼き尽くしてくれるのではないか、と期待する点だといっておきます。

それぞれの小宇宙は、あなたたちの身体の中にある限り、外部からの力をブロックする働きをします。身体はバッファーだから。(バッファー、バッファ(英: buffer)とは、<緩衝するもの>の意味)外から、ちからをかけても、ほとんど効き目がないのです。一晩寝たら闇は元の状態に戻るよ、といっているのはそういうことなのです。結局、最後はあなたたち、それぞれの人間の信仰の問題なのです。解決策はその人の本当の信仰なのです。

人間が、死んだら身体がなくなるので、そのタイミングでは変な話、霊に接触できるわけです。つまり、霊を集めるとエネルギーになるのです。だから悪魔業界は、人間の死を喜ぶのです。世界の歴史の中で王朝によって大虐殺を行うのは、死によってエネルギーを集められるというノウハウを持っている者たちが、人間社会をこれまで支配してきたことを示しているといってもいいのでしょう。

何田:エネルギーというものを何に使うか? ということ、方向性が重要だということでしょうか?

:そうです。恐怖心によって死んだたましいは、萎縮してしまっているから扱いやすくなります。たましいは、燃料になるのです。ところが、キリスト教的にいうとイエス様と繋がっている人は、義によって死んだ人達だからたましいに光を宿しているので、悪魔や闇のものはたましいに手が付けられないのです。いかなる暴力によっても屈さず、天の義に生きた人達のたましいは生きている間から、死んだ瞬間により光に保護されることが決まっているのです。悪魔や闇のものは、光のたましいに手が出せないのです。ところが義を知らないで生きてきた人のたましいは、悪魔や闇の者達によってエネルギー源として利用されることになります。重要なことは生きている間に、あなたのたましいは死んだ後の行き先がもう決定してしまっている、ということです。死んだ人のたましいというものは、それによって、もうすでに死んだ瞬間から区別されています。なんとなくわかりましたか?

第20回目

過ぎたるは及ばざるが如し

2022年10月23日
語り:たずさえ社

最近、わが菜園を見に来られる方が増えてきてます。友人、知人にお隣さん等…♪
そして、皆さんが『いいところですね~♪』『ここは気持ちがいい~♪』『きれいに野菜を作ってますね♪』等と言われます♪

幾つになっても褒められると嬉しいものです♪ 農作業にも力が入ります♪ 調子のいい時などは、午前中は農作業、昼から本業、夕方農作業♪ そんなルーチンを見かねた、農作業の師匠徳子さんは、『前島さんあまりやり過ぎると体を壊すよ』と労いの言葉をよくかけてくれます(^^♪
それが昨日の22日夜、右足のひざ裏脇の筋に痛みを感じました。深夜寝返りを打つと激痛が走る⁉ 翌朝足を引きずりながら畑に行きました( ´艸`)
その旨を徳子さんに報告すると『だから言ったこっちゃない~』と、苦笑(^^♪

近々温浴施設で野菜の直売が決定しました♪

学んでも学んでも、人間は思いの世界のトラップにはまり易い⁉ あっ‼私のことでした♪
明日、整形外科に行ってきます(^^♪

第23回

歴代のペットたちを「命の書」へ登録!

2022年10月20日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

シン・シンダラチャンネルのサイトが一新されて、ねこカミサマやいぬカミサマのシールのことも公にされて、また一般に販売されるようになりました。9月の、大阪でのシンロジカルセミナーの時に、テスト版のねこカミサマシールが参加者に配布されて、私も2枚もらって帰って、我が家の猫たちに貼ってみました。行動が大きく変わるかなと思いましたが、あいかわらず、よく寝ています。猫って一日16時間ほど眠るので、シールを貼ることでねこカミサマとつながっても、頼りになるのかならないのか……、我が家の猫たちに限っていえば、わがままな性格と猫っぷりは健在です。

人間とともにいる犬と猫が新たに精神界の眷属として加えられるように、精神界での変更が行われたのと同時に、ペットも命の書への登録が解禁されました。登録したからといって、次に「人間へ生まれ変われる」という保証はないそうですが、光の宇宙への方向性は担保されるので、私は入院中、ずっとそのことを考えていました。私も、人間として長生きするという保証はないので、思い切って、気になっていたペットたち+人間一名を命の書に登録することにしました。

●ピーコ(白文鳥)

私が、小学生から中学生ごろまで飼っていた手乗り文鳥ですが、私の世話が足りずに死なせてしまいました。ずっと罪悪感があったのですが、まさかこの歳になってピーコに贖罪できるとは……ということで登録させていただきました。死んだ日も不詳ですが、無事に登録できたようです。※ペットの登録の場合は、ペットの名前の前に、飼い主の名字を入れて登録すればいいようです。この場合、私は小学生だったので、旧姓を使いました。

●ビースケ(白い日本犬・雄)

19歳の時に、溝に落ちていた白い子犬を救い出しました。その後、実家で飼っていたのですが、最後は逃げ出して、私の家の軒下で亡くなりました。ビースケは14年間生きていたんですが、その頃私は自分の結婚や子育てで頭がいっぱいで、拾ってきたのは私なのに、彼のことはほとんど頭の中になかったです。実家に行ったときに、お風呂場でシャンプーをして洗う係だけは、引き続きしていました。拾ってから10年後に、私が実家の近くに家を建てて引っ越してきてから、ときどき実家を脱走しては、よく迷わずに私の家まで来ていました。最後も、脱走して我が家まで来て、「帰らない」と主張して、そのままそこで最期を迎えました。

●カール(雑種犬・雄)

子供たちが小学生の時に飼っていた犬です。母犬が血統書付きというところからもらってきた子犬ですが、育ったら立派な中型の雑種犬になりました(笑)。でも、性格は優しく、外飼いでしたがカミナリが大嫌いで、カミナリが鳴ると網戸を破って家に駆け込むという、家族を笑わせてくれるいい子でした。共働き時代だったので、もっときちんと世話をしてやればよかったと、今も思っています。

●そして、現在飼っている我が家の猫2匹。11歳と4歳。まだ健在ですが、先に登録させていただきました。

(この後に、猫一匹(雌猫・7歳で死亡)の登録を忘れていることに気が付き、次回に誰か人間を登録するときには、忘れずに彼女も登録しようと思っています)

私がいつ天命を、まっとうするのかはわかりません。数年後かもしれないし、長生き時代を反映して後30年ぐらいは生きているのかもしれません。自分の寿命はわからないけれど、その時には「命の書」に登録した彼らが出迎えてくれる楽しみがあるなら、まあ、死ぬのも悪くないな、と思えてくるのです。というのも、9月の大阪セミナーの参加者の方で、会員でない視える方(一般の霊視ができる方)に「あなたに憑いているらしい白い猫が見える」といわれた人がいらっしゃいました。それを気にされていて、会場でその白い猫について質問されたのですが、会員の方で白い猫の通訳をしてくれた人の言葉から『その方が前世に飼っていた猫で、その人の転生先に追いかけてきている白猫の霊』だとわかったのです。なお、質問者は、今世では、猫は飼ったことがないそうです。

ペットと人間の関係は、こちらが考えているよりももっと深いもののようです。

そういう事象を鑑みるに、私とご縁があった歴代ペットを、私が生きているうちに「命の書」に登録しようと決意したのです。こちらも、いつまで生きているかわからないし……(笑)。

そして、命の書の登録は+人間一人。入院中に時間があり暇だったので、Twitterを読んでいました。最初に気が付いたのは立山踏破の写真とコメントでした。以前書いたように、精神学協会には登山同好会(?)なるものがあります。少し横道にそれますが、これまでの登山の話をします。

いちばん最初に、私が挑戦したのは富士山でした。2013年の8月の話です。どうしても富士山に一度は登ってみたかったので有志数人で挑戦しました。ですが、9合目で一泊したところ一睡もできずに翌朝は高山病を発症しており、元気な人は山頂へ向かい、私はしかたなく一人で下山しました。(9合目までで体調を崩して、先に下山した人もいました)

「どうしても富士山の頂上へ行きたい!」という思いは消えることがなかったのですが、高山病になってしまうというジレンマ。その時に、登山熟練者の会員さんが引率してくれることになり、もう一度、参加者を募って富士登山にでかけました。夜明け前から登る一泊しない弾丸コースだったのですが、おかげさまで引率されていた10人ほどが富士山登頂に成功しました。引率してくれた会員さんは、人間でない精神界の存在から「……登山を助けて(協力して)やれ…」というメッセージを受け取っていたらしいです。それから、数年を経て、私たちは白山、立山と登りました。富士山と白山、立山の山頂を結ぶと、日本の中に地理的な正三角形ができます。それとともに、私は、ひとりではなく志を同じくしたメンバーで動いた方が、ひとり(単独)ではできないことも成し遂げられるということを、実際に学んだのです。

さて、話を戻しますね。

ですから、最後に私が登った立山のTwitter上の風景には、興味を惹かれました。

その動画を上げていたのは、kota(@20_ZXT02K)という47都道府県をバイクで走破中の22歳の青年でした。日本一周ツーリングの締めに立山に登ったということで、立山連峰登山動画を上げていたのです。これが2022年9月30日でした。その2日後、私がTwitter上で見たものは、「ここで僕の旅は終わり。 もう苦しみたく無いし悩みたくも無い。 最後に日本一周出来て幸せだった、楽しかった。 さようなら。」そして、「最後にご迷惑をおかけします、本当にごめんなさい。」の言葉。

最後に添付された画像は、「注意欠陥多動性障害」の病名が記された彼の診断書と、暗闇に浮かびあがるダムの写真。早くに気が付いたフォロワーさんが警察に通報していて、私が見た時にはすでにkota君の死は確認された後だったのです。

ここまで書いて、かなり文章が長くなったので、kota君の話は次回に続けさせてもらってもいいでしょうか。

とりあえず、診断書により彼の本名がわかったので、私が命の書に登録させてもらいました。でもね、私hitonokoは君に伝えたいことがたくさんあるので、それは来週に書かせてもらいます。それまで、しばらく、ゆっくりと休んでください。

なお、自殺を考えている人はまずは自分を「命の書」に登録してからにしてくださいね。どうも登録すると、自殺願望がかなり薄くなって消えていくらしいので、お薦めします。

日戸 乃子(ひと のこ)

第18回目

『命の書』は究極の愛

2022年10月20日
語り:説諭士

 抵抗もできなくて、なす術もなく、残酷な行為によって命を落とした小学生が、まさか自分たちの身近な地域で、この様な事件が起きると言う信じられないニュースに、町中大騒ぎした記憶が、わたしの脳裏に焼き付いています。
連日テレビのニュースが流れる中、犯人逮捕。
同じ団地に住む大学生だったことが、更にショックは大きく、二人の間に何があったのかは知る由もありませんが、想像を絶する残酷さに、恐怖におののき、身体が硬直し逃げることすらできなかった、そんな光景がわたしの頭の中で一瞬映像化(錯覚かもしれませんが見えたように感じたのです。)しました。
わたしは躊躇することなく、その小学生を『命の書』に登録致しました。
後日、その子のお父さんと主人が知り合いだった事。そして同級生グループの旅行で、バスの運転手さんがその子のお父さんだったこともあり、車中、子供の事件のことや裁判中であること、親としての辛い気持ちを、いろいろ聞かせていただくなんて、偶然とは思えませんでした。

以来、親からの虐待を受け、幼い命が消えた悲しい事件を知るごとに、どうしても『命の書』への登録が必要と思ったときは躊躇せず、登録致しました。
ある子供の時に、登録が少し遅くなったのです。
寝ていると、トントントントンと、子供の小走りに走る足音で目が覚めたのですが、「命の書の登録を早くお願い」という意を汲み、翌日『命の書』へ登録するということもありました。
何故そのような事を?と思うのですが、どうしてもそうしないと気が済まないと言う気持ちの前に、その子との魂が触れ合ったと言った方がピッタリなのかも知れません。

それと随分前の出来事ですが、新年を迎える元旦の朝、夢を見ていたのです。小学生くらいの子供達12人か13人が、暗いトンネルの中で向かい合って三角座りして、みんな顔を膝にくっつけて、目は虚ろで弱々しい。
「どうしたの?」と何度たずねてもみんな無言。
その内、一人の男の子が「僕たち生まれてこない方がよかったんだよ。」
また他の子が「楽しいことなんて何にもなかった」「友達もいないよ」「みんなが羨ましい」
と言い出したのです。
「みんなの気持ちわかった。おばちゃんと一緒にみんなのやりたいこと考えよう?」・・・・・しばらく沈黙が続く中「君たち、やりたかったことおばちゃんに教えて」すると一人の男の子が立ち上がって「僕いろんな夢持ってたよ。でも何一つできなかった」次々と子供たちが夢を語り始めた時でした。
子供たちの足元が明るくなってきたのを感じていました。
「よし、みんなの夢を叶えよう❣️❣️」「やりたい❣️」「ヤルヤル❣️」と言ってぴょんぴょん飛び跳ねる姿が、足元の光が子供たちの姿を捉えていました。

わたしは、「なんて明るい綺麗な光なんだろう❣️」と思いつつ子供たちの姿と光を見つめていた時、「おい、起きよ。テレビ見ろよ。」と主人の声がしたのです。
「何でこんな時に起こすの?せっかくいい夢を見てたのに」と、ぼやきながらテレビの前へ。
「アッ❣️と声が出てしまいました。テレビに映っている光と下からのぼってくる角度が全く一緒。
その光は『初日の出』富士山の素晴らしいシルエットを捉えていたのです。
一瞬感謝の心に変わりました。

それ以来、子供の元気と幸せを祈るようになりました。
私にとって、ただの夢ではなかったのです。
自分のお役目として、『たましい』までも救済できる『命の書』と出会えたことが、自分が求めてきた唯一の道だったのです。
「命の書」への登録によって、何の縁もゆかりもない子供たちから、『真の愛』を教えて頂いたのです。
因みに、夢に出てきた子どもたちは、この世の子どもたちではありません。

ここまでお読みいただき感謝しています。
これからも『命の書』の大切さを皆さんにご紹介してまいります。
また、人生のご相談があればこのチャンネルから、お申し込みください。
ありがとうございました。

第七十三回

シンレイカイにいる光使・何田匡史(ナンダ師)が、
死んだらチャンネルに掲載していました第一回から第七十一回までのブログは、
「神を超えよ!仏を超えよ!積哲夫の言葉【一の巻】」として、
タオラボブックスから二千二十二年九月に刊行されました。
こちらのコーナーでは、第七十二回からのブログ記事を再掲しています。

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年六月二十七日 配信

何田:積先生、質問です。死んだその瞬間はどのようになるのでしょうか? 私も死には小さい頃からとても興味があって、どんな感覚になって、意識はどうなるのだろうとか、よく考えていました。たとえば、立花隆さん著の「臨死体験」とかを読むと、死に直面して生き返った人のお話では、お花畑が現れたり、三途の川が出てきたり、自分が肉体から出て遠くへ行く幽体離脱をして、他の人のお話を聞いて覚えていたりと、臨死体験の臨床データから死とはどうなるのかを考察されています。それで一個人の肉体が死に直面すると、まず脳の中で脳内快楽物質といわれる、ドーパミンやβエンドルフィン、セロトニンらの脳内伝達物質が大量に放出されて、とても気持ちいい状態になって死を迎えます。その時にお花畑、三途の川、知人との会話、宗教的信仰のお迎えなどが、脳内に現れます。次に、たましいは肉体から抜け出るのでしょうか?

:はい。たましいのようなものが肉体から抜け出るのは、ユーチューブで検索すればいくらでも観られます。死に際して、モヤモヤとした、たましいのようなものが身体から抜けるのは、幽体離脱の体験報告とも一致するので、事実だと思います。

何田:そのモヤモヤとした物がたましいならば、たましいにはこちらが見えるのでしょうか? また、たましいには、神性と闇が含まれているといわれていますが、それらは一体のものなのですか?

:死んだばかりの人のたましいは、人の格好をしています。

何田:それが昔からいわれている幽霊の正体ですか?

:そうです。それが転生間際になると一寸法師みたいに小さくなります。エネルギーがなくなって小さくなるわけです。

何田:ああ、霊感の強い人がよく小さいおじさんや掌サイズの人が見えるというあれですか。

:そうです。エネルギーを放出して人間の格好のままどんどんどんどん小さくなって、限度を超えると転生段階を迎えてどっかへ行ってしまします。

何田:幽霊もそのままでは持続せず、時間が経過するとエネルギーが抜けて、小さくなって、存在がなくなるのか転生するのか、変化があるのですか。すると、たましいや幽霊は思考という考える能力を持っているのでしょうか? 以前のシンロジカルセミナーで積先生は、幽霊は考える力を持っていないといわれていました。幽霊は、思いだけが残っていて、たとえば、おじいさんやおばあさんが孫に「死んだ後は孫達をあの世から守るね」とかいって死んでも、それはありえないでしょうか。

:ありえます。それは霊の思いだから。役に立つかどうかはわかりません。けれどその思いだけは残るのです。そして思いを残したら、そこにその場所にいることになります。今、現実に大変なことが起こっています。昔の死んだ人の霊は墓場にいました。まあ、幽界と顕界という言葉通りの棲み分けができていたのですね。でも、最近は、幽界は顕界と重なっていて、霊は普通に家の中、人に憑いたり、また生きている人間の身体の中に取り込まれて同化したりという、今までになかった現象が日常茶飯事に起こっています。幽霊というのは、その昔、幽界に去れずにこの世の側に姿をあらわしていたものたちの名称なので、霊と総称していいと思いますが、多いですね。

何田:言葉の定義が曖昧ですね。霊、霊魂、幽霊、たましい、間違いやすいです。昔、江戸時代以前は遺体が土に埋葬されたから、よく怪談話で人魂が空を飛んでいます。これはリンが燃える物理現象でボワァとかユラユラとか、いろいろいわれてごちゃごちゃしています。

:たましいの本体は火の玉みたいなもので、もっと光輝く、明るい玉のようだと思います。それには、たくさん証言があるのです。先の戦時中でどこか遠くで兵隊さんが戦死をされると、その出身の家の仏壇に明るい光の玉が帰ってきたというお話がたくさんあります。家に帰るたましいもいれば、靖国神社に行ったたましいもおられるでしょう。
私が何をいいたいかというとね、「死んだら自分のたましいは、自分が決めた場所には行くらしい」ということが重要なのです。死んだら、たましいはどうやら自分が行こうと思うところに行くらしいのです。さっきのおじいさんおばあさんのお話で説明しますと、どうやら、おじいさんおばあさんが死ぬ間際でキチンと思いを残せば、死んでも働けるらしいのです。霊になってね。

何田:死んだら働ける・・・…?

:違います。死んでも働けます。別ないい方をしますと、相手を末代まで呪ってやる、という言葉は効果があるのです。

何田:ええ~! 天に対して生前にできていなかったことを死んでも働こうとすれば働けるということですか。同様に同じ理屈で、自分が悔しい思いをして死んでいく前に、相手を呪ったり妬んだりすれば、それも有効に機能して、死んだ後は相手やその子孫が幸せにならないように、自分を苦渋な目に合わせた人や家族を取り殺せると、いうことでしょうか?

:呪い殺すという作用は機能するのです。たとえば自殺者の例でいうと、イジメとかあって自殺する人はどうせ死ぬのだったら自分をイジメた相手を呪い殺してやると思って死んでいくと、自分をイジメた相手にその思いのエネルギーが機能するわけです。呪い殺せますよ、強烈な思いを生きているうちに持てていればですが。「私は自殺をするけれど、私の自殺の原因を作った相手を末代まで呪い続けてやる」と、思って死んだらその通りになります。

何田:そう呪って自殺した人は死んだ後は、ずーっとその思いのままの状態ですか? エンドレスのまま・・・…。

:思いのエネルギーの怖さを知らないから、イジメが蔓延するのです。普通の人間は、たとえ呪っても、呪いをやっているうちに嫌になってやめていくのがほとんどです。ただ、執念があれば効力もある……。昔の人はそれを知っていたのです。だから、お百度参りとかありました。現代人は呪い殺すということを知らない。それは死んでも、たましいは消えないことを知らないのと同じです。自殺する人は自分だけが死んで犠牲になって、自分の暗黒に閉ざされるだけで、自分をイジメた相手には何も悪影響が表れないから、イジメが治まらなく広まるばかりです。死んだら終わり文明の教育のせいで、現在はイジメにストップが効かない状態なのです。