第41回目

津島神社-全国天王総本社

2023年6月11日
語り:たずさえ社

岐阜県には、木曽川水系の一級河川が三川流れています♪ その三川の総称を木曽三川と言います♪
木曽川水系は、木曽川、長良川、揖斐川の三河川を幹川とし、山地では渓谷をなし、それぞれ濃尾平野を南流し、我が国最大規模の海抜ゼロメートル地帯を貫き、伊勢湾に注ぐ有数の大河川です。
長野県木祖村の鉢盛山(標高2446m)に発し、木曽谷として名高い渓谷を中山道に沿って南南西に下って岐阜県に入り、飛騨川などと合流し、愛知県犬山市で濃尾平野に出て、南西の流下し、長良川と背割堤を挟み併流南下し、伊勢湾に注いでいます(延長299km)
私の住む岐阜市には、岐阜県のほぼ中央に位置する郡上市高鷲村の大日岳(標高1709m)に発し、山間渓谷を南東に流下し岐阜県美濃市で濃尾平野に出て、岐阜市中心部を流れ、木曽川、揖斐川と背割堤を挟み併流南下し、三重県桑名市で揖斐川と合流し、伊勢湾に注いでいます(延長166km)揖斐川は、その源を岐阜県揖斐郡藤橋村の冠山(標高1257m)に発し、山間渓谷を下流し岐阜県揖斐川町で濃尾平野に出て、大垣市の東部を南下し、長良川と背割堤を挟み併流南下し、三重県桑名市で長良川と合わせ伊勢湾に注いでいる(延長121㎞)岐阜県揖斐郡揖斐川町の冠山に源を発し、岐阜県内や福井県、滋賀県との県境付近から集水しながら南流していて、途中、一部で木曽川、長良川と並行して流れ、河口付近の三重県桑名市で長良川と合流し、そのまま伊勢湾に注ぎます。

県住民の生活に欠かせない重要な河川が合流する、その要衝の地に、津島神社ー全国天王総本社が鎮座します。
社伝によれば、建速須佐之男命が朝鮮半島から日本に渡ったときに荒魂は出雲に鎮まったが、和魂は孝霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称:津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝えられる。弘仁9年(810年)には嵯峨天皇より正一位の神階と日本総社の称号を贈られ、正暦年間(990年~994年)には一条天皇より『天王社』の号を贈られたと伝えられている。

東海地方を拠点とした織田氏に始まり、豊臣氏、徳川家までも、経済拠点の津島の支配を重要視して、関係の深い神社として崇敬し、社殿の造営などに尽力したと記されています。後のに幕府公認の朱印地となり、厄除けの神とされる牛頭天王を祀ることから、東海地方や東日本を中心に信仰を集め、各地に分社が作られました。
『お伊勢参らば津島へ参れ、津島参らば片参り』と歌われるほど、信仰の篤い津島神社なのです。

たずさえ社は、津島神社周辺並びに木曽三川での仕事も多々あります。この神域で生業をするものとして、ご挨拶が遅れたことを深くお詫びをするため、6月1日、娘と共にご参拝に行ってきました。
特に津島神社は娘との関係も篤く、たずさえ社にとって要衝の神社でもあると痛感いたしました♪
最近、ブログをupする上において、書かなければならないことが書けない!そんなことが多々あります。でもそれを出力しなければ前に進めないと感じながらジレンマに陥りジタバタしていた目の前に、『最終知識』が飛び込んできました♪
そこには、『人間は神について考え抜くことで…このくだりから始まり、あることを知らなければ、前へ進めないと感じた時、一種の瞑想状態で思索を続けると、瞬時に全体が理解できるという突破点があるということだった。また知らねばならぬ知識は、いつも偶然のように目の前の書物や、文献の中に置かれていた』鳥肌が立った瞬間でした(^^♪

この度の、津島神社参拝をきっかけに、ブログ更新並びに、たずさえ社の運営も新しい形で前進するものと確信しました♪