第28回

実家のかたづけ

2022年11月 24日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

 

使わなくなった生活用品で、あふれかえっていた実家。11月19日に、大掛かりなかたづけを決行しました。

それまでも、妹が地道に取り組んでいたのですが、なんせ物が多すぎます。今回は、その物を捨てられるようにまとめることを心掛けました。そして、十数年前に祖母が使っていた介護ベッドも無事解体でき、タンスなどもパーツにばらして紐でくくり、車に乗せられるようにまとめました。

家のかたづけは、作業への慣れとこれまでの経験値によって、格段に差が出ることがわかりました。

一日で、かなりの量のごみが区分されて、まとめられたので、まだ全部がかたづいたわけではないのですが気持ち的にはずいぶんと楽になりました。地域にある公営の塵芥センターに、ごみを持ち込む作業が残っていますが、以前は家庭ごみも粗大ごみも無料で引き取ってくれていましたが、現在はすべて有料になっています。ごみを捨てるにもお金がかかるようになり、「捨てることを考えてからでないと、うっかり、家具とかも買えないよね」と認識をあらたにしました。時代が変わることで、生活も大きく変わっていきます。祖母や母の時代は、前の大戦の記憶も残っており、高度成長期を経験したけれど、物のない時代のつらさも忘れられずに、物の処分が積極的にできない心理状態でした。

そのような人々が大半だったので、今では日本全国に『実家の片付けに苦労している子供たち』がいるということになります。そんな心理状態の親に育てられた子供たちの中にも、物が捨てられない人間が少なからずいます。

かくいう私もそうで、今回のかたづけで、実家の2階でみつけたムートンの敷物を「まだ使えるから……」ともったいない精神で持って帰ろうと考えていたら、家族から「長い間放置されていて、虫がわいているかもしれないような敷物は持って帰らないでね」とダメ出しをもらいました。そうだよね、敷物が欲しいなら、新しく清潔なものを買った方がいいのに決まっています。

そういうわけで、実家のかたづけには光明がみえたのですが、手伝いに来てくれた方が自宅に帰ってから「浄化と上昇」をしていたら、玄関を入ってすぐ左手の部屋に置いてあった日本人形らしきものが意識上に出てきたと報告してくれました。

↑エネルギーが残っていた琉球人形。ダークとライトのイコンシールを貼りました。

「何かエネルギーが残っているようだから、イコンシールを貼っといた方がいいわよ。人形は、けっこう厄介だからね」

ということで、まったく人形の記憶がなかった私は実家に行って調べてみると、たしかに琉球人形がいわれた場所にあります。顔もきつそうな感じに思えたので、ダークとライトのイコンシールを貼りました。このほかにも、実家の品物を袋にまとめてごみに出すときには、ミニでもいいのでダークイコンシールを貼ってから捨てた方がいいと助言がありました。それだけ、生活していた人間の思いが品物には、付着しているということです。

来週には、すこし遠方にある畑と、そこに茂っている桜の木、農作業用の小さな小屋の整理をします。

それらのご報告もさせてもらいたい、と考えています。

日戸 乃子(ひと のこ)

 

第27回

横ではなく、上へ

2022年11月 17日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

2022年11月13日に、大阪で64回目のシンロジカルセミナーが行われました。ここから以下は、私の感想です。もしかしたら、勘違いをしている部分もあるかもしれませんのでご容赦ください。

ざっくりとまとめると、地球というかこの宇宙は、つねに二つの勢力が争ってきたものであり、それは今も続いているということです。そして、ここからが肝心なのですが、その二つの勢力は、どちらも闇に分類されるということになるようです。まあ、この宇宙ができる前(開闢以前)からその構造はあり、たんに闇と闇の権力争いでしかなかったのでしょう。そうやって、何度も宇宙や文明は、闇同士の争いにより消滅していった経緯を持っています。

闇は、どちらの勢力であったとしても、そのどちらも最終的には光に対抗しようとするようです。

どうやら、光というものはこの地上にもあるかもしれませんが、それは100パーセントの真理の光ではなく、闇と光の合体物として存在します。人間も、その他の意識体も、内部に光を有していますが、それはその意識体の努力なくしては、たましいの光の総量は増えていきません。とくに人間は、たましいの光の総量を増やすために、物質的な肉体をもって生まれでて、人生の中で苦労に出合うことで様々な気づきを得て、自分のたましいの闇を削いでいく(光と闇を分離する)という、けっこう過酷な作業を行うことになるのです。光のベクトルへ向かいたいのだ、という自覚がないと逆に闇を増やして、自分だけの地獄をその小宇宙内に創り、肉体がなくなった死後には、ひとりでその地獄に閉ざされることになります。

人生の中で、かなり闇を増やし、そして今も闇を増やす生き方をしている人間にとっては、この構造は認めがたいものなのでしょう。

安易な道も、都合のいい抜け道もないのです。人生を豊かにするために、いい会社に就職して、財を築き、他の人間との競争に勝って、現実を充実させるという行動パターンは、すべて物質社会での横の行動でしかなく、たましい内の闇が増えることはあっても光の総量が増えることはないのです。

力点は、横ではなく、上なのです。光が何であるのかを学ぶために、「浄化と上昇」をして、自分の内側の闇と光を分ける作業を行います。地道な作業ですが、行うことで、あなたの過去と現在の整理が進みます。

言い方を変えれば、過去と、それにつながる現在の闇が理解できて、理解とともに闇が知識という光へと転化します。

最近、思うのですが、人生は選択の連続なのですが、いちばん大きな選択は「右に行きますか、左に行きますか」という根本の部分で、自分自身の存在をかけて「右(たましいの光を増加させる方へ)へ行く!」と、最初に決めてしまうことなのだと感じています。しかし、これさえも内なる闇を光に変えていかなければ、この決断に到達しないという前提があるのです。

疑いながらでもいいので、まずはやってみることです。

そこから、自己の変化や意識の変革が始まると思います。

日戸 乃子(ひと のこ)

第26回

怨霊になった天皇

2022年11月11日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

2022年11月8日、今回は「天王星食」も同時に見られる皆既月食が、442年ぶりに全国で見られました。次回に、日本で見られるのは322年後ということで、珍しい天体ショーを見ようと、夜空を見上げた人も多くいたことでしょう。

ところで、日食や月食は、太陽や月が欠けていくことから「不吉な出来事」として、むかしから捉えられてきました。政変が起こったり、戦が起こったり、また神の怒りが干ばつや豪雨、噴火や地震などの天災として地上に降ろされて、疫病や飢饉が起こるのでないかと、心配されたのです。皆既月食は月がすべて見えなくなるのではなく、月食中は赤黒い月に変色することからも、古代の人に恐怖心を抱かせたのだと思います。

一方で、時代は近代になり、皆既月食は月が地球の影に徐々に覆われていき、太陽と地球と月が一直線に並び、月全体が地球の影に完全に覆われるのだと解き明かされた結果、だれもが月食や日食を不吉な先読みとは考えなくなったのです。人間が住む町も、人工の明かりで満たされて、月の明るさがなくなっても十分に暮らしていけるようになり、恐怖心はなくなりました。しかし、本当に、月食には現代人がいうように、科学的な意味しかないのでしょうか。

月食と同じように、昔は怖がっていたけれど、今は怖がらなくなったものに、怨霊があります。

恨みを抱いて亡くなった人が、自分を悲嘆の底に追い落とした人間に「末代まで祟ってやる」といって死んでも、今の時代では、その恨みや呪いは、ないことになっているのでしょう。

2020年3月に、私は用事の帰りに思い立って、山道を通るルートで帰途につきました。山間のカーブの多い細い道を十数キロほど進むのですが、その途中に白峯寺があります。この辺りは、空海(弘法大師)が山頂に如意宝珠を埋め、円珍(智証大師)が地主神から信託を受け取ったという伝承が残る場所で、白峯寺には京より配流されてきた崇徳上皇の御霊と玉体が、幕末までありました。江戸幕末の動乱期に、悲運の崇徳上皇を憂いた孝明天皇が京都に移すように命じ、その子供の明治天皇が孝明天皇の遺志を継いで、京都御所の近くに新しい神社を作って、お帰りいただいたのです。

ですから、2年前に私が白峯寺を訪れた時には、崇徳上皇の玉体も御霊も、京都にお帰りになられてから久しかったのですが、白峯寺に車が近づくほどに、私の両目から涙がこぼれて止まらない状態になったのです。狭い道なので、対向する車の人は「なにごと……」といぶかしく思ったことでしょう。前からくる車の運転手がわんわん泣きながら走ってくるのを目撃したら……けっこう不気味です。

私といえば、「やれやれ。これは、崇徳上皇に感応したのかなぁ…」と、かなり気持ちは、どんより。感応は初めての体験ではなく、十年ぐらい前にも同じようなことがありました。神道の金井南龍氏が書いた「かみさまのおはなし」を読んでいて、急に泣き出して止まらず、しばらく大泣きをしたことがあります。どう考えてみても、おかしい体験だったので、当時、積会長にご報告したところ、「乗られたら(憑かれたら)、自分で対処しなければね」というお言葉。そうか、やっぱり別のものに乗られていたのか……どうしよう。すでに金井南龍氏は、私が命の書に登録させていただいていたので、彼ではないはず。自己探査の結果、「かみさまのおはなし」の中に登場される、昭和34年ごろに厳島神社の宮司として、神様の御用をされていたイキミタマの方ということがわかりました。宮司さんの本名は、わからなかったけれど…どうにか登録できて、ほっとしたのです。そして数年前には、イザナミ神でした。比較的近い、同じ地域にいらっしゃったせいか、これも数日、タオルを片手におんおんと泣いておりました。

今回は、崇徳上皇のようでした。実はこの話には続きがあります。そんな体験をした翌日に、北関東の会員さんのコーチングを受ける機会がありました。当時、私は誠実でない友人の行動に悩まされていて、その内容をグチグチと愚痴っていました。その時に、コーチングをしてくれている会員さんの意識上に、黒い龍のような存在が現れて「助力する…」というようなことを、伝えてきたのです。まあ、そんな出来事も忘れかけていたのですが、私の知らないところで意外な展開になっていたことを数カ月前に、知りました。また、続報は、書ける時がきたら書かせてもらいます。当時は、翌日ということもあり、もしかしたら「その龍体は、崇徳上皇……それとも○○神社の神様」という思いもあったのですが、よくわかりません。もしかしたら、崇徳上皇かもしれません。

さて、ここからが本題になります。

2年前の話なので、崇徳上皇のことはすっかり忘れかけていたのですが、光文書800+27「早良親王と円の終わり」(二千二十二年九月十五日記)に、日本に置かれた御霊様が働きだされたことが書かれてありました。九月の大阪セミナーでは、もっと詳しく御霊様の説明があったのですが、その御霊様の一柱に崇徳上皇がいらっしゃることから、そういえば2年前に感応したことがあったな、と思いだしたのです。そこで、「命の書に、お入れしたほうがいいでしょうか…」と聞いたところ、「きげんよく、はたらかれているのだから、そっとしておきなさい」といわれたので、そのまま、そこで話は終わりました。

あれから私も、手の怪我で入院したりと忙しくしていたのですが、何かをきっかけにして、崇徳上皇のことを考えると、また涙が出てくるようになったのです。

えっ、もしかして2年間、そのまま私に乗っていらしたのですか。えぇぇ。

もちろん、私に乗っていたとしても、それはご本体ではないと思います。白峯寺に残っていた崇徳上皇の、残り香のような意識なのかもしれません。なんせ、ご本体は長い年月、京の都で恐れられた御霊様なのです。

この本は、明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏が書いた「怨霊になった天皇」です。

2009年に刊行されて、2011年に文庫版として出版されましたが、この本の執筆に使用したパソコン4台、プリンター1台が壊れたそうです。このことは、ご自身で竹田氏が、YouTubeで解説されていました。どうも、私の内なる存在は、この本を読んでほしいようで、導かれて本を購入することになりました。

最近、私は本が読めなくなっています。一時的なものかもしれませんが、意識内に、お話が入ってきません。物語についているエネルギーをしんどく感じます。そして、私の本音は、あまりこの本を読みたくない……です。しかし、全部でなくても読めるところだけ読むのでいいというなら、できるかもしれません。本を読んで、何かを理解した後に、また進展や変化があるのでしょうか。

少し気が重いですけど、取り組んでみます。

日戸 乃子(ひと のこ)

第25回

 

モノ・家たちの波動

2022年11月  3日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

 

2016年に母親が末期がんで亡くなり、その前から重度の認知症だった父親は、以後は施設で生活することになりました。戦争の物のない時代を体験していた母親は、同世代とたがわずに、いらなくなっても物を捨てられない人でした。ですから実家には、生活用品がたくさんあり、それらの始末・片付けを、最終期の母親から頼まれたのは妹でした。

2022年になり、あれから7年が経過しましたが、実家にはまだたくさんの生活用品が残っています。2トン車を手配して3回ばかり捨てましたが、2トン車といっても乗せられる量はそんなに多くありません。見透かされたように「全部処理(捨てる)するなら、50万円ぐらいはかかりますね」と、業者の人からは言われたりもしました。

どうやって、無人になった実家を片付ければいいのかというのは、日本全国でいま問題になっている事柄だと思います。

今回、妹から、年末までに2トン車を2回ほど用意してほしいといわれました。

4トン分のごみを捨てたいということですが、そう聞いていってみた実家は妹の健闘の後は見られるものの、各部屋ともまだいらないものであふれています。まずは、捨てるものと残すもの、地区でごみとして出せるものと処理場までもっていって有料で処分するものの仕分けが先なのですが、作業はそこまでにもいたっていません。妹も、自分の仕事の合間に行っているので、はかどらないようです。私は、もともと片付けが苦手なうえに、左手が現在は痺れていて動きがままならないのです。妹と協議した結果、応援をお願いすることにしました。

そこで、仕分けの応援に来てくれるメンバーに、「今はこんな状況です!」ということを知らせるために、実家の内部写真を何枚か、line経由で画像を送りました。すると、仕分けに行くまでに実家のお祓いをしておいてほしいという返事が返ってきたのです。一応、頼りないですが、私も「S・B・Mインストラクター」であり、「マツリヌシ」の有資格者なので、何かのエネルギー阻害が生じているのだなと察して、連絡を入れました。亡くなった母のエネルギーというのではなく、亡くなった母親が看護師として働いていた時に長年にわたって持ち帰ったエネルギーが、いまだに実家内に滞留しているようなのです。

過去に、マツリヌシになりたての頃に、自宅のお祓いをしたことがあります。

ご近所の氏神様にご挨拶してから、半紙で円錐形の入れ物を作り、その中に聖塩をいれて、土地の四隅に配置して、言霊とともに反時計回りに土地を回っていくのですが、5回まわるところの3回目で、吐き気と体調不良を感じて、3回で終わらしたことを思いだしました。お祓いに使用する聖塩は、希釈できない積司(せきつかさ)がベストですが、我が家に在庫は半袋ほどしかありません。また、退院してから間もない私の体力ではムリそう……私もそんな負荷を背負うのはいやです(笑)。

やれやれ……どうしようと思ったのですが、その時に頭に浮かんだのが、解禁されたアプリで利用できるイコンシールの特大(1枚1100円)。家の写真を撮って、その画像にアプリのイコンシールを貼り付けるだけで効果があるということです。そこで、まずはすぐに写真が撮れる自宅を携帯で撮影しました。その画像をパソコンに取り込んで、「イコンシールのダーク」と「イコンシールのライト」のシールを貼り付けました。貼り付け前と、貼り付け後をエネルギーがわかる、応援メンバーに送って確認してもらったところ、「波動が変わっている。かなり軽くなっているよ」という言葉。私が見ても、差があることがはっきり見て取れたので、翌日に私の実家と、同じく空き家になっている夫の実家の2軒を撮影して、それらの家の画像にアプリ上でイコンシールのダークとライトを、それぞれに貼り付けたのです。

向かって左↑が、イコンの貼り付け前。     ↑右が、貼り付け後です。

それも送付して、確認してもらったのですが、明らかには写真から出る波動が変わっているということなので、無事にお祓いが出来ていることがわかりました。私としては、「マツリヌシとして、ぐるぐると回るのやらなくて、よかった!」と単純にほっとしたのですが、考えてみたら、空き家になっている実家にマイナスのエネルギーが滞留している場合、その影響を妹も私も受けないはずはありません。そこに住んでいなくても、意識としては道ができているので、影響は受けているのです。

現在、日本では空き家率が年々上昇してきています。もちろん賃貸用の物件が空き家の場合もありますが、我が家のように高齢の両親が他界して住まなくなった結果、古家が残っているケースも多いのです。売るにも売れずに、そのままにしているケースの場合、人が住まなくなった家に別のエネルギーがはびこり始めることも考えられます。

アプリで貼り付けたイコンシールの有効期限は約1カ月ですが、考慮してみましたが、マイナスの影響を受けないためにも継続してお祓いをすることは必要で「これは必要経費かな」と、今では考えています。

日戸 乃子(ひと のこ)

第24回

霊の実在

2022年10月 27日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

一週間が経ちましたが、kota君は、すこし落ち着いたでしょうか?

まあ、あなたは死のうと考え、それを実行したので、自分がなくなっていることは自覚していると思います。ほんとうに、お疲れさまでした。あなたがどうやって生きてきたのかということの真相は、他の人には憶測するだけですべてを理解することはできないけれど、いっぱいつらい思いをしたのだと思います。あなたに、あれも話そうこれも話そうと考えていたんだけど、もうそういう考え方を、私もやめます。それは私の視点でしかないからです。この世界は閉塞感のなかにあり生きにくいから、年間3万人もが自ら死んでいくんだけれど、ひとりひとりにはその人なりの歴史と思いがあるんだよね。しかし、死は終わりではなく、終着点でもなく、身体はなくなっても意識体としてあり続けることを知っているならば、いま死を選ぶことはまったくの間違いということに気が付いてください。

現代の日本に生まれているということは、これが最後の生になるからです。

ゲームにたとえると、死んだとしても再チャレンジはないということ。どんなに、いまの自分の条件が悪くても、武器を持っていなくても、自ら退場することは永遠の退場につながっていくのです。

2016年に、「呼び覚まされる霊性の震災学」という本が出ました。その中に、2011年3月11日の東日本大震災の時に津波で期せずして亡くなった方々が幽霊としてあらわれることに遭遇したタクシー運転手のインタビューや証言などが一部掲載されています。その年は、私が末期がんだった実母を看取った年で、母親はいなくなったけれど霊として存在しているのなら、どこかにいないだろうかと探す思いの中で出会った本でした。

東北の3月は、まだ寒いので津波で亡くなった時には、人々はコートを着た冬の装いでした。災害があった年の夏、復興に向けて頑張っている津波にのまれた町では、盛夏にコートを着た人がタクシーを止めて乗り込んでくる現象が幾度か起こったそうです。タクシーに亡くなった方が乗り込んでくる怪談は、日本全国に点在していると思うのですが、津波に呑み込まれた町ではタクシーを運転している方も震災経験者であり、幽霊であったとしても、まったく怖くなかったという証言もありました。まさに、亡くなっているとわかっている人へも普通のお客さんとして接して、希望のところへ送り届けていたようです。

肉体をなくしても、意識は存在するのだとしたら、今いる自分の位置が、そして視点が変わると思いませんか。

今悩んでいることを、「これって、たいしたことがないじゃないか……」と、考えなおすことはできませんか。今は、生きているだけで丸儲けなのですから。そういう時代なのです。そしてもう少しすれば、次の文明の姿が見えてきます。今までの閉塞感ではなく、意識の開放系の文明が構築されていくのです。その文明に参加するためにも、自分の意識を自由に組み替えておく必要があります。「~を、しなければならない」「~は、こうでなければならない」「これが常識です」は、すべて思い込みであり、その時代のそのまた狭い領域で、一部の人だけが信じているモノなのです。ですからそんなルールはどこにもないのです。あると思いこまされているだけ……。常識の信者にはならないことです。

ひとつだけお伝えしておくと、他人には期待しないし、全員には好かれようとしないことです。

自分と合わない人からは、さっさと離れること。自己中心的な人や、自己顕示欲が強い人、称賛されることへの過度な中毒症状がみられる人は敬遠したほうがいいでしょう。ほんとうに多いです。競争を、美学と思っている方たち。

そして、付き合いたい人には誠実であること。

自分をよく褒めて、どんな時の自分も許し、他人とは比べないことです。

「人は人、自分は自分」それでいいと思います。へんに競争には巻き込まれずに、マウンティングしたがる人とは、すこしずつ距離を取ればいいんです。そして、その相手のことを思い出さないことです。

意識は自由であり、楽しく生きていいみたいですよ。

それでなくても、人生には試練がたくさん用意されているのだから、いちいち真っ向から戦いを挑んでいたらストレスだらけになるけれど、戦いを挑んでいる張本人は自分なのだということになかなか気が付かないのです。比べているのも、相手ではなく、自分なのかもしれません。刷り込まれていたり、定着している癖を変えていくのには時間が必要なのかもしれませんが、そのために「浄化と上昇」があり、生活の中に組み込んで意識の進化を促進させるといいでしょう。

そんなに先の話ではないようですよ、地球の変革は。

ぜひ、このムーブメントに、新しい意識の持ち主として参加してみませんか、kota君。そして、これを読んでいる、あなた。生きていても、死んでいても、光を持っている意識は進化できるので、その光の供給を得るためにも、生きているうちに自らを「命の書」に登録しておいてくださいね。

「命の書」の大切さが、何田さんの働きによりシンレイカイでも広がったらしく、私の友人の会員さんは夢枕に2018年に亡くなった女優さんが出てこられたそうです。「よかったら、命の書に登録してほしい……」みたいなお願いだったそうですが、「今はちょっと物入りな時期なので…」と申し訳ないが、お断りをしているとか。まあ、私たち人間は身体をもって生きていますから、亡くなった方と違って現世的な問題も抱えているのです(笑)。

見つけてもらいやすいからといって、わらわらと来られても困ります。まずは、お身内の夢枕に立って訴えるか、または登録料も添えてからお申込みをいただけると、こちらは助かります。

いろいろと、そちらにいる何田さんと相談してチャレンジしてみてください。また、IT業界の麒麟児、スティーブ・ジョブズもシンレイカイで会社を興しているので、彼のもとで働いて、稼ぐという手もあります。彼は、シンレイカイでも現世でも人材を探しているそうですから、一念発起してチャレンジしてみるのもありですよね。彼が生きているときに、アップルに入社するのは大変だったかもしれないけど、今ならそれよりも身近であり、そして倍率は低いかもしれません。ガレージハウスから始める創成期に参加できるって、めちゃくちゃ面白いと思いませんか。すでに、日本人の方も何人か参加されているようです…人気の高かった政治家の方とか……。

次回は、家のお祓いについての経過報告ができたらいいな、と考えています。

日戸 乃子(ひと のこ)

第23回

歴代のペットたちを「命の書」へ登録!

2022年10月20日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

シン・シンダラチャンネルのサイトが一新されて、ねこカミサマやいぬカミサマのシールのことも公にされて、また一般に販売されるようになりました。9月の、大阪でのシンロジカルセミナーの時に、テスト版のねこカミサマシールが参加者に配布されて、私も2枚もらって帰って、我が家の猫たちに貼ってみました。行動が大きく変わるかなと思いましたが、あいかわらず、よく寝ています。猫って一日16時間ほど眠るので、シールを貼ることでねこカミサマとつながっても、頼りになるのかならないのか……、我が家の猫たちに限っていえば、わがままな性格と猫っぷりは健在です。

人間とともにいる犬と猫が新たに精神界の眷属として加えられるように、精神界での変更が行われたのと同時に、ペットも命の書への登録が解禁されました。登録したからといって、次に「人間へ生まれ変われる」という保証はないそうですが、光の宇宙への方向性は担保されるので、私は入院中、ずっとそのことを考えていました。私も、人間として長生きするという保証はないので、思い切って、気になっていたペットたち+人間一名を命の書に登録することにしました。

●ピーコ(白文鳥)

私が、小学生から中学生ごろまで飼っていた手乗り文鳥ですが、私の世話が足りずに死なせてしまいました。ずっと罪悪感があったのですが、まさかこの歳になってピーコに贖罪できるとは……ということで登録させていただきました。死んだ日も不詳ですが、無事に登録できたようです。※ペットの登録の場合は、ペットの名前の前に、飼い主の名字を入れて登録すればいいようです。この場合、私は小学生だったので、旧姓を使いました。

●ビースケ(白い日本犬・雄)

19歳の時に、溝に落ちていた白い子犬を救い出しました。その後、実家で飼っていたのですが、最後は逃げ出して、私の家の軒下で亡くなりました。ビースケは14年間生きていたんですが、その頃私は自分の結婚や子育てで頭がいっぱいで、拾ってきたのは私なのに、彼のことはほとんど頭の中になかったです。実家に行ったときに、お風呂場でシャンプーをして洗う係だけは、引き続きしていました。拾ってから10年後に、私が実家の近くに家を建てて引っ越してきてから、ときどき実家を脱走しては、よく迷わずに私の家まで来ていました。最後も、脱走して我が家まで来て、「帰らない」と主張して、そのままそこで最期を迎えました。

●カール(雑種犬・雄)

子供たちが小学生の時に飼っていた犬です。母犬が血統書付きというところからもらってきた子犬ですが、育ったら立派な中型の雑種犬になりました(笑)。でも、性格は優しく、外飼いでしたがカミナリが大嫌いで、カミナリが鳴ると網戸を破って家に駆け込むという、家族を笑わせてくれるいい子でした。共働き時代だったので、もっときちんと世話をしてやればよかったと、今も思っています。

●そして、現在飼っている我が家の猫2匹。11歳と4歳。まだ健在ですが、先に登録させていただきました。

(この後に、猫一匹(雌猫・7歳で死亡)の登録を忘れていることに気が付き、次回に誰か人間を登録するときには、忘れずに彼女も登録しようと思っています)

私がいつ天命を、まっとうするのかはわかりません。数年後かもしれないし、長生き時代を反映して後30年ぐらいは生きているのかもしれません。自分の寿命はわからないけれど、その時には「命の書」に登録した彼らが出迎えてくれる楽しみがあるなら、まあ、死ぬのも悪くないな、と思えてくるのです。というのも、9月の大阪セミナーの参加者の方で、会員でない視える方(一般の霊視ができる方)に「あなたに憑いているらしい白い猫が見える」といわれた人がいらっしゃいました。それを気にされていて、会場でその白い猫について質問されたのですが、会員の方で白い猫の通訳をしてくれた人の言葉から『その方が前世に飼っていた猫で、その人の転生先に追いかけてきている白猫の霊』だとわかったのです。なお、質問者は、今世では、猫は飼ったことがないそうです。

ペットと人間の関係は、こちらが考えているよりももっと深いもののようです。

そういう事象を鑑みるに、私とご縁があった歴代ペットを、私が生きているうちに「命の書」に登録しようと決意したのです。こちらも、いつまで生きているかわからないし……(笑)。

そして、命の書の登録は+人間一人。入院中に時間があり暇だったので、Twitterを読んでいました。最初に気が付いたのは立山踏破の写真とコメントでした。以前書いたように、精神学協会には登山同好会(?)なるものがあります。少し横道にそれますが、これまでの登山の話をします。

いちばん最初に、私が挑戦したのは富士山でした。2013年の8月の話です。どうしても富士山に一度は登ってみたかったので有志数人で挑戦しました。ですが、9合目で一泊したところ一睡もできずに翌朝は高山病を発症しており、元気な人は山頂へ向かい、私はしかたなく一人で下山しました。(9合目までで体調を崩して、先に下山した人もいました)

「どうしても富士山の頂上へ行きたい!」という思いは消えることがなかったのですが、高山病になってしまうというジレンマ。その時に、登山熟練者の会員さんが引率してくれることになり、もう一度、参加者を募って富士登山にでかけました。夜明け前から登る一泊しない弾丸コースだったのですが、おかげさまで引率されていた10人ほどが富士山登頂に成功しました。引率してくれた会員さんは、人間でない精神界の存在から「……登山を助けて(協力して)やれ…」というメッセージを受け取っていたらしいです。それから、数年を経て、私たちは白山、立山と登りました。富士山と白山、立山の山頂を結ぶと、日本の中に地理的な正三角形ができます。それとともに、私は、ひとりではなく志を同じくしたメンバーで動いた方が、ひとり(単独)ではできないことも成し遂げられるということを、実際に学んだのです。

さて、話を戻しますね。

ですから、最後に私が登った立山のTwitter上の風景には、興味を惹かれました。

その動画を上げていたのは、kota(@20_ZXT02K)という47都道府県をバイクで走破中の22歳の青年でした。日本一周ツーリングの締めに立山に登ったということで、立山連峰登山動画を上げていたのです。これが2022年9月30日でした。その2日後、私がTwitter上で見たものは、「ここで僕の旅は終わり。 もう苦しみたく無いし悩みたくも無い。 最後に日本一周出来て幸せだった、楽しかった。 さようなら。」そして、「最後にご迷惑をおかけします、本当にごめんなさい。」の言葉。

最後に添付された画像は、「注意欠陥多動性障害」の病名が記された彼の診断書と、暗闇に浮かびあがるダムの写真。早くに気が付いたフォロワーさんが警察に通報していて、私が見た時にはすでにkota君の死は確認された後だったのです。

ここまで書いて、かなり文章が長くなったので、kota君の話は次回に続けさせてもらってもいいでしょうか。

とりあえず、診断書により彼の本名がわかったので、私が命の書に登録させてもらいました。でもね、私hitonokoは君に伝えたいことがたくさんあるので、それは来週に書かせてもらいます。それまで、しばらく、ゆっくりと休んでください。

なお、自殺を考えている人はまずは自分を「命の書」に登録してからにしてくださいね。どうも登録すると、自殺願望がかなり薄くなって消えていくらしいので、お薦めします。

日戸 乃子(ひと のこ)

第22回

病院での出来事

2022年10月13日
編集:日戸 乃子(ひ とのこ)

前回、怪我をして入院生活になった経緯をお伝えしたのですが、あれから以降、私のパソコンは病院のWi-Fiに接続できなくなり、投稿できなくなりました。手も、十数針縫っていたために、しびれと痛みがあって、夜もよく眠れない日々が続いていたのです。

病院って、視える人にとっては「亡くなった方がたくさんいらっしゃる」場所らしいです。私が入院したのは県内では屈指の大病院で、送ってくれた友人は「病院の建物のエネルギーが半端なく重たかった…」と、後に言っていました。10階建ての7階に、手術後2週間ほど入院することになったのですが、整形外科病棟なのでさすがにここで亡くなる人は稀のようです。しかし、上階や下階には内科病棟や外科病棟もあり、病院内の売店では抗がん剤治療による脱毛をカバーするための帽子やウィッグも販売されていました。

さすがに、リアルに霊が視えない私でもエネルギーの重さは感じることができるので、家族に自宅からイコンデバイスと、イコンシールが入った封筒を持ってきてもらって、フル回転で使用しました。ダークとライトのイコンデバイス2台で、この大病院全部をカバーすることはできないので、一応、コマンドで私を対象に作動させて、手術跡の包帯の上にもイコンシールやアスリートシールを貼って、傷の回復を促進させることに努めたのです。

シールは目立つのか、「包帯に貼っているのは何ですか?」「手に貼っているのは何ですか?」と、看護師の方が勤務交代をするごとに聞かれました。私は、「市販されている波動シールです。これを貼ると、傷の治りが早いと思って貼っています」とにこやかに答えていました。すると、「そんなの売っているのですね。波動シールですか……」と意外に、怪訝な顔をされずに受け入れられることに。まあ、いろんな患者さんが入院してくるから、慣れているのかもしれません。

入院した部屋は、前回書いたように、個室ではなく、女性ばかりの四人部屋でした。

私の向かいのベッドの方は70歳代ですが、会社を二つ運営している経営者で、性格は押しが強く勝気な方。自分のベッドスペースから携帯電話を使って会社へ指示を出すのですが、その声音と会話は筒抜けで、しばらく聞いていると頭痛がしてくるレベルの、人間が出す荒い波動が押し寄せてきます。仕方がないので逃げ出して、共有スペースの談話室へ移動します。コロナが流行る前は、ここは家族や見舞客との交流の場だったのでしょうが、現在は入院患者に面会は禁止になっています。がらんとした場所で椅子に座って、ぼんやりと窓の外を眺めていました。

人間の身体は不思議なもので、自分の免疫によって、徐々に回復していき、できないこともできるようになっていきます。(まあ、悪くなる場合はこの逆のルートを経験することになりますけど)。四人部屋の私以外は、子供さんはいるものの皆さん一人暮らしで、生活の不安や家族へのグチがちょっとずつ顔を出してきて、その人の生活背景を知るようになっていくのです。

先に紹介した向かいのベッドの経営者の方ですが、毎朝、6時ごろにお経を唱えます。どちらかの宗教(仏教)を信じている信仰心の篤い人なのかと考えていましたが、私が退院する日になって、何かの拍子にたましいの存在の話題に触れた時にその方が、

「私ね、夢だったのかもしれないけれど、人が三途の川を渡るところを見せられたことがあるのよ。悪いことした人は、渡し銭の六文銭を渡しても渡し船には乗せてもらえないし、自分で泳いで三途の川を渡っても、向こう岸に上ろうとすると向こうにいる鬼(?)に川の中へと戻されるの。そしてね、死んだ時の状態によって人間は行く場所が決まっているから…」

と私に話します。

どういう状態で、彼女がその三途の川の場面を見たのかはわかりません。夢だったのか、幻視だったのか……本当はその話を聞いたときに、私はきちんと彼女に伝えるべきだったのかもしれません。

「あなたが信じているその死後の情報は、確かにある時点では存在をしたものかも知れませんが、今は時代が進み、全体のルールと仕組みが変わっています。もう、三途の川もないし、生まれ変わりの法則もありません。日本人は、これが最後の人間としての生であり、これから先もたましいの進化を望むなら、自分の意志として自分の名前を『命の書』に登録して、今の人生を精一杯生きてください」

きっと、そのように私が話しても、宗教に満足している彼女の心には届かなかったと思う。

でも、ここに書くことで、別の誰かにこの言葉が届けば、光へと進化することを選択したたましいが、どこかに生まれることになる。

命の書への登録……自分の分は、人生で一回だけだから。とりあえず、謎が残っていても理解が追いつかなくても、生きているうちに自分で自分を救ってあげてください。死んでから、誰かに登録してもらうのは、たいへん難しいです。

日戸 乃子(ひと のこ)

第21回

闇の処理

2022年9月29日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

山の斜面で転び、手をついた下に朽ちた細めの切り株があり、左手の掌を突き刺しました。

それが、9月24日の土曜日の話で、刺創は深さが3㎝ほどあり、すぐに病院へ。レントゲンの結果、次には私の地元の県立総合病院へたどり着き、大きく掌を切開する緊急手術になりました。傷の奥には、苔むした木片が残っており、それをすべて取り去る必要があったのです。

あれから五日が過ぎて、毎日、抗生剤の点滴を受けながら過ごしてします。時たま、ドクターヘリが飛んできて屋上に着陸し、また飛び去って行きます。4人部屋なのですが、私のほかは膝の手術、大腿骨の手術、肩の手術のお三方で、80歳代2人と70歳代1人という構成です。(私が最年少の60代になります)毎晩、手術後のイタイ、イタイ…の声が充満している病棟です。(整形外科病棟ですからね)でも、ここで働かれている方は、医者も看護師もお掃除の人まで含めて夜勤でも日勤でも、いつも笑顔で前向きに接してくださって(中には例外の方もいらっしゃいますが)、久しぶりの入院ということもあり、いろいろと物思う時間ができています。

2016年に79歳で亡くなった実母は、この病院で定年退職まで看護師として働いていました。(間で県内を数回、転勤していました)私にとって、支配的で万事に厳しく、愛情表現のない母親は苦手で、反発心もあり、母親の死後もなかなか過去の思いが整理できなかったのですが、浄化上昇をすることで少しずつそぎ落としていったものがあります。

前回のブログで母親の弟である叔父のことを書きましたが、子ども時代の環境や人間関係から、私は常に自分が受けた闇を、次には自分の心の中でさらなる闇として吐き出し続けていたのだと思います。そう考えると、どれだけの闇を作り続けてきたことになるのでしょうか。この作業を、人間一人一人が、大なり小なり言葉として闇を生産して自分の外側に吐き出してきたならば、この地球が闇に覆われているといわれても納得できるのではないでしょうか。人のことをあれこれというのは、まさにこの闇の再生産にほかなりません。

実は、私の世界には、私だけしかいないということです。私に向かって闇を吐き出すものがいても、それは私には関係ないことで、闇を吐き出す人の問題なのです。ただ、それに反発してしまう、または反応してしまうと、その闇エネルギーの循環につかまってしまいます。横のつながりにつかまってしまい、人間関係のエネルギーの中で、人は闇をためて疲弊していきます。

大切なのは、上に向かう意識エネルギーで光の宇宙につながろうとする意志でしかないのです。地球は、人間が出す闇で覆われています。その闇に覆われた地球を個々の意識が抜け出すことが、すでに「聖書の時代」が終わったこの時代には不可欠なことなのです。

日戸 乃子(ひと のこ)

第20回

決別というさようなら!

2022年9月 22日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

※今回は、すこし私の内なる闇の話になりますので、現在、精神が不調の方は読まずに飛ばして、また後日、改めて読んでくださいね。

 

世間には、自分を中心に世界が動いていると信じている人が少なからずいます。

自分で自分をほめる自慢話と、人に対してマウントを取ることを生きがいとしており、誠実性は薄く、弱き者には強く、強き者にはだまり、得があると思えば口上手く強者に取り入り、自分を売り込みます。いや、お友達にはしたくないし、どうしても関係しなくてはならないなら、お付き合いは最小限にしたい相手です。

そんなひとりに定められるのが、母方の末子の叔父でした。

私の年齢分だけ、叔父とはお付き合いがあったわけですが、私と妹が小学生の時に母方の祖母が数年間、3日に1日ぐらい子守に来ていたことがあり、その分、母の実家が留守になっていたので、「お前を見るために、母親(おばあちゃん)が子守にいっていたから、中学生だった俺は寂しかったんじゃ!」と、70歳が近くなっても私の顔を見るといわないと気が済まない、精神年齢はまさに中学生ぐらいの叔父でした。過去に中学生の叔父から妬まれていた私は、その頃その母方の祖母にいじめられていたのですが、そんなことはまったく叔父は気が付いていなかったでしょう(ちなみに、実母も「ぜんぜん気がつかなかった」と当然のように言っていました)。正確には、祖母は私ではなく、4歳下の妹を見るために田舎から来てくれていたのです。そういう理由で、叔父は私に会うと過去の自分の幸せを無断でかじったものとして、私に意地悪な言動をすることを繰り返していました。子供にとっての9歳の年齢差は大きく、夏休みになって母方の実家に妹と一緒に預けられるたびに、私はいつもいわれのない理不尽な悔しさを感じていたのです。

その叔父が2022年9月14日にガンで亡くなりました。15日に、大阪に住む母親の妹の叔母から連絡があり、16日にこちらの地元でお葬式があったので、亡くなった母の代わりに出席して、最後を見届けました。疎遠になっていた叔父の40歳代の息子と娘(いとこたち)とも会い、いろいろと情報交換をしたのですが、叔父の行状は私が母親から聞いていたものよりひどいものでした。

結局、いとこたちが小さいときに、叔父は自分の不倫が元の離婚の末に、いとこたちを養護施設に預けて、それを見かねた祖母が引き取って育てていますが、その後も借金を重ね、それも祖母に支払わせて、祖母が亡くなった後は、成人した子供たちにもお金の無心をしていたことがわかりました。そのようなことから、ここ十年近くは子供たちとも絶縁状態になっていたのですが、自分の死期が近くなったこともあり後を頼む者がいないことから、ふたたび叔父からいとこたちに連絡を取ってきたということです。そして、まだ明らかにはなっていないですが、いとこたちの話ではいくらかの借金が残っている可能性もあります。

万事に手堅い私の母親とくらべると、兄弟といえどもまったく異なる生き方を叔父はしてきたようにみえますが、この自分中心の「俺が感」、世界の中心に自分がいるという万能感は、祖母を含めて母方に共通する思考で、それがある意味カルマ(業)的なものになっています。ピラミッド(ヒエラルキー)の頂点に上ろうとする人間の普遍的な欲望といえばいいのでしょうか、他人を支配しようとする意識面が強いのです。要は、人に向けて発する『念』が強い人間として存在することになります。私は、小さいときから、それらの親族たちを見てきて、またその影響を受けて育ってきたのですが、もちろん良い面よりもマイナス面の方が何十倍も大きかったです。私の人生は、この人間が発するマイナス面のエネルギーを浴びることからの出発でした。

話を進めますが、私の中(小宇宙)には、私の年齢分だけの堆積された叔父への鬱積した思いがあります。

叔父の葬儀をきっかけにして、叔父との過去の記憶が次々と表面に浮かんできました。それらはほとんどナルシストの叔父が発する嫌なエネルギーをまとった記憶でした。それと同時に、私の中に怒りが再燃していきます。叔父は何を根拠にして、あれほど傍若無人で傲慢だったのでしょうか。なぜ、自分を大きく見せるという無駄なことに、まわりの肉親や他人を傷つけても、一生涯のエネルギーを費やしたのでしょうか。それは、うすっぺらな自己満足の虚構でしかないのに…。

「叔父が私の夢枕に立ち、自ら懇願するまでは『命の書』には入れない。いや、叔父は命の書に入れるほどの価値があるのだろうか? どうせ、生きていても死んでいても叔父からは感謝もされないのに、なぜ私がそれほどの愛を彼にあたえなければならないのか……」

憤懣やるかたなかったのですが、浄化と上昇をしているとだんだんと「こだわるのは、バカらしいなぁ~」と考え出したのです。叔父は生きている間、その叔父の発するエネルギーと言葉によって、私は子供時代から長年にわたり傷つけられてきました。しかし、叔父が死んでからも生前の叔父の言動や仕打ちにこだわれば(意識をすれば)、叔父のエネルギーは私の小宇宙にとどまり続けます。地獄へ行くしかない叔父を命の書に登録しないのは、いわゆる私の復讐になります。

過去の次元(聖書の時代)にあった『復讐』は、もう必要ありません。それらは卒業すべき感情であり、概念です。

本日、9月22日。叔父を命の書に登録して、代金も送金しました。

これにより、私の中にある、叔父に関しての過去の記憶とエネルギーを決別することができます。

 

日戸 乃子(ひと のこ)

第19回

シンレイカイからの情報発信!

2022年9月 14日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

2022年9月11日(日曜日)の午後に、『第63回シンロジカルセミナー』が大阪にて開催されました。

私はセミナー前に、何田匡史(本名:増田匡史)さんが積哲夫氏の聞き手(対談者)として登場する新刊本「神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】」の紹介と、申し込み受付のお話をさせていただいたのですが、やっぱりここはご本人から一言いただきたいと思い、死者の通訳(代弁者)ができる方に、彼の言葉を伝えてもらいました。何田さんもうれしかったようで、当日は会場に早くから来てくれていたようです。以下が、彼の言葉になります。

———-

皆さん、増田(何田)です。

この度は、積先生と私の対談本である『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉』というまことにたいそうな本を出していただきまして、ほんとうにわたくし、感無量でございます。

出来れば皆さんにも、積先生のありがたいお話とかを知っていただきたいので、ぜひぜひご購入下さい。

おねがいいたします。

———

と、ご本人が通訳を通じて、おしゃっておりました。何田さんの、生前の生真面目な人柄がにじみ出ていました。

ナンダ師として、シンレイカイで働いている何田さんには、ぜひともシンレイカイの様子や、シンレイカイで出会った死者の方のお話などを伝えていただければ…と、私は個人的には考えております。『命の書』に登録してほしいシンレイカイにいる死者の方も、何田さんのところにご相談にいらっしゃっているようです。まあ、死んでしまうと、あちらとこちらの距離は遠いので、どうせならば生きているうちに、自分で自分を登録できるうちに『命の書』のことを、知りたかったことでしょうね。

でも、死んでしまった皆さん。あきらめないでください。家族の方の夢枕に立ち続けたら、いつかは気が付いてくれるかもしれませんから。実行あるのみです。がんばりましょう。

もうひとつ、心に残った記事がWEB掲載されていました。

以下、神戸新聞からの転載になります。


タイトル「45歳の死、生きざまに反響 別れの動画再生200万回 緩和ケア医関本さんの言葉に「励まされた」

緩和ケア医としてがん患者約千人を看取り、自らもがんのため今年4月に45歳で亡くなった関本剛さん。生前に収録し、自身の葬儀で上映した「別れのあいさつ」の動画が注目を集めている。遺族の了承を得てユーチューブの神戸新聞チャンネルに掲載すると、半月ほどで再生回数が200万回を超え、高評価も3万に達した。「励まされた」「希望をもらった」-。コメント欄には感謝の声があふれている。(津谷治英)

関本剛さんは神戸市東灘区出身で関西医大卒業後、病院勤務を経て2018年、母雅子さん(72)が開業した緩和ケア専門の関本クリニック(同市灘区)院長となった。翌19年に末期肺がんと脳転移が見つかり、抗がん剤治療を受けながら、亡くなる1カ月前まで患者の診療を続けた。

動画は病状が落ち着いていた2年前に収録され、遺言通り通夜、葬儀で流された。今年8月には、母校の六甲学院中学・高校(同市灘区)で同窓生らが開いたお別れ会でも大画面で紹介された。

「いささか短い人生ではありましたけれども…」。動画の中で、剛さんは話し始める。自らの死を念頭に置きながら湿っぽさはなく、カメラを見つめる瞳も言葉も落ち着いている。家族や友人に恵まれ、目標にしていた仕事に従事した生涯を「最高の人生」と振り返った。妻と子を残していくことだけが気がかりと明かし、「よろしくお願いします」と頭を下げた。一方で「あの世に行って、先に逝かれた先輩たちとおそらく宴会三昧の日々だと思う」と視聴者を和ませる配慮も。「後から来られる皆様のために、いいお店・いいお酒を手配してお待ちしております。そんな日が、少しでも遅くなりますことを」。笑顔で手を振り、別れを告げた。

     ○

再生回数は9月10日正午時点で216万回を突破。視聴者は中高年の女性が多いとみられ、コメントも830件以上が寄せられた。「死に直面していながら、この冷静さと穏やかさ、さすが緩和ケアの先生」「全く存じあげない方なのに涙が止まりません。生を無駄にしてはいけないと、勇気をいただきました」

励まされたという医療従事者も。「看護師です。今まで患者様のために走ってきた人生だと思います。私も先生の分までこれからも頑張っていきます」末期がん患者からの言葉はひときわ重い。「緩和ケアが始まるところです。…いかに生き切るかが良き死を迎えることだとしたら、この方の生は誠にそういうものだったのでしょう。うらやましくも希望であります」

母の雅子さんも反響の大きさに驚いた様子で、次のようなコメントを寄せた。

 「剛のメッセージがお役に立てているのを喜んでいます。将来、天国であまりに多くの方々から声をかけていただくことになり、剛もびっくりすることでしょう」

●関本剛さんの動画記事

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多くの人を見送った緩和ケアの医師だからこそ、現場でたましいの存在を確信していたから、関本剛さんはこのような死後も存在し続けることを前提としているビデオ・レターを残されたのだと思います。死んでも意識があり続けると知ったら、現在をどう生きるのかを真剣に考えると思いませんか?

いま生きているその生き方が、死後にも問われるということになるのですから。

日戸 乃子(ひと のこ)