第36回

新しい契約

2023年1月20日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

2023年に、初めて行われるシンロジカルセミナーに出席しました。

どうも、天との契約が新しくなった(らしい)です。新規の契約は、現在の正会員全体に及ぶような話でしたが、詳しくは知りませんが、喜ばしいことだということはわかりました。私的な解釈は、「聖書の時代」が本格的に終わったのだと思っています。もちろん、個々人の小宇宙(意識領域)の時代設定はいろいろなので、いまだに20世紀後半を生きている人もいることでしょう(とくに団塊の世代は……)。ですが、今年に入って、また違う層に突入したのだと感じています。いうならば、これから体験する乱世の時代でしょうか。

今回の契約の意味がはっきり解っているわけではないけれど、私の中に出てくるのは『自由だ!』という文言です。

自分で選べる時代になったのだと感じていますが、もちろん動いた結果は自分が背負うということにもなります。自分の小宇宙以外に、たとえば他人を糾弾したり、そこに責任を求めてもまったくうまくいきません。怒りには、悪魔的な意識体のつけ込む要素があり、すぐに足をすくわれることになります。そういうことを自覚しながら、最善の選択をすることが求められているのでしょう。

エネルギー状態は、かなり悪くなっているみたいで、最近ではネット上の動画も見ていると気分が悪くなってきます。文字情報も然りで、少し読めば先を読み進めることに疲れを覚えます。じわりと拒否反応がでてきています。

記録から言えば、五たびほろんで六番目の世。それが、ほろばずに七番目へと今回は移行するのでしょう。これは決定事項です。しかし、一方でいままで明らかにされていなかった五たびのほろびの文明の情報が出てくることで、しんどさも加速するかもしれません。ということは、宇宙(マクロコスモス)と対になっている人間の小宇宙(ミクロコスモス)でも、同じような情報の開示から混乱を体験するのではないかと思っています。

それでも、五たびのほろんだ文明で一生懸命に戦った光の存在も、また再度の働きのために、こちらも現れてくるかもしれません。

(現在、光の意識体のメンバー募集中です。笑)

なんか、とりとめのない話になりましたが、「聖書の時代」を人間が終わらせることで、想像の禁止事項が取り払われて、思いがけない発想の転換というか、これまで考えもしなかった(心にも思考にも表れなかった)『自由』が手に入ると思います。

それは、創造の自由なのです。いや、これから先は楽しいかも、です。

第35回

集合写真への効果

2023年1月14日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

年末年始にかけて、3往復ほど、地域のクリーンセンターに軽ライトバンに積み込んでゴミを運んで処分しました。

断捨離なんて言葉もあるけれど、白いゴミ袋に物を入れるときに、モノによっては「やっぱり、捨てるのは、もったいないかぁな」と思ってしまう自分がいて、『人間なんて、なかなか変われないものだわ』と苦笑が出てきます。

今捨てているのは、祖母や母親のものなので、自分のものよりも気やすく判断できるのですが、それでも植え付けられた『もったいないおばけ』精神がでてきて迷ってしまうことも。

モノを早々と手放せて処分できる親に育てられていたら、変な刷り込みも受けなくて、いらない苦労もしなくて済んだかもしれません。大人になって、自分が常識としていたことが合わなくなってきたら、思い切って変化することが求められるのですが、ほとんどの人は日常の思考でさえ変化させることが怖くて、小さいころに押し付けられたものを当たり前として生きているのです。

それでも、少しずつ変わってきているのか、受け入れてきているのか、妹がアイヌの神様を象った木彫りの人形を持ってきて「これにイコンシールを貼りたい」と言ってきました。妹の子供がどこからかもらってきたものですが、「このまま、何もせずに捨てたら、エネルギーだけが返ってきそうで怖いから……」と、まあ、彼女の保身からの要請だったのですが、それでもエネルギーとか波動自体の存在は信じてきているようです。

今年から、どうも世界の経済崩壊が具体的になり、ますます世相が暗くなる方向のようです。それに伴って、生きている人間から出てくるエネルギーも強くなってくるだろうし、予告されている最後の審判が顕現化するための次元の変動もまだまだ続くと思われます。その余波を受けることを少しでも減らすために、イコンデバイスを起動してイコンシールを、名前による対象者特定で利用したりしていたのですが、もっといい方法はないのかと考えた結果、元旦に撮影した家族の集合写真を使って波動調整をして、今年一年をのりきっていこうと考えています。

 

具体的には、家族の集合写真に、アプリのイコンシールダークとライト(特大)を貼り付けます。

この話を別の会員さんに伝えたら、「それって、特大サイズが写真に写った人数で割られるから、効果が少なくなってしまうと思うけれど?」と指摘されたけれど、私の考えでは写真に写った対象者すべての個々にイコンシール特大の効果が生まれると考えています。だって波動には、普通の物理制限がないですから。写真に写っている一人一人の波動を認識して、等しく同じ効果が付与されると考えられます。ただし、写っている家族個々のマイナスエネルギーの蓄積量は一律ではないので、一回の添付での最終的な効果には差が生まれてくると思います。

今年一年間は、月初めにこれを恒例化していくことにします。私は、ワクチン接種をしていませんが、家族の何人かは接種済みです。もしかしたら、あるかもしれないワクチンの暗黒面を抑え込むためにも、有効ではないかと考えているのです。遠距離でも、相手に知らせずに実行できることで、言葉通りに『陰ながらの助力』が可能になります。

結論はまだですが、効果を得られるかもしれない方法が見つかったので、気持ちとしては軽くなりました。

 

日戸 乃子(ひと のこ)

第34回

審判の実行

2023年1月5日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

2023年。新しい年になりました。

年末から年始にかけて、比較的にゆったりした時間が流れのなかにいたのですが(さぼって大掃除も最低限しかしていません)、頭の中には過去の体験の暗めの記憶がフラッシュバックしてきて、「いや、今年(2023年)は、どんな年になるのよ」とちょっとだけ、げんなりしていました。「それらは、もう乗り越えて終わった話なのに、その記憶というかエネルギーが頭から離れないというのは、私のほうの意識状態が降下しているということですよね……」という、自己確認をしつつ、本日の光文書を読んだらタイトルが「裁きの時」になっていました。やはり波乱の一年になりそうです。

過去の体験の暗めの記憶が出てきても、整理できているというか、私なりの評価と答えは出ているので、気持ちが動揺することはないですが、でも気分はよくないし明るくもありません。なぜ、これを繰り返すのかわからないのですが、すでに長年の思考が癖になっているとしか思えません。今年はもっと本格的に、自分を変えることにも焦点を当てていこうと思っています。私の中にある不快な記憶たち、もういいから……ってね。記憶というよりも、過去の「人」ですね。

人間の意識はレーダーの役目もするから、私が意識を当てた者のエネルギーを感じることになります。きっと私の中からその記憶が浮かび上がるたびに、記憶の中に存在する人のエネルギーを感じているのでしょう。登場人物は、すでに亡くなっている人もいますし、まだ存命な方もいますが、私の中での存在感が強くなっているように感じています。

なかには私の小宇宙(意識内)に、すでに棲みついている存在もいるのかもしれません。

自宅の大掃除はさぼりましたが、私の領域内の大掃除は決行いたします。なぜなら、この状態を放置すれば「生きていくのが非常にシンドイ」からです。もしかしたら、エネルギーの変動によってこれらの現象が起こっているのかもしれないとも考えています。

日本人の約8割が、コロナのワクチン接種を終えています。その割には、依然と、コロナに罹患する人は増大してきていますし、コロナが原因でなくても日本人全体の死亡者数も増加してきています。ワクチン接種を終えた人間から発せられるエネルギーや、土地のエネルギーが変化(悪化)していることを考えても、今年から本格的にはじまる各個人の審判の舞台が整ったということなのでしょう。すでに、ワクチンを接種している私の家族のために何ができるのかを、いろいろとシンロジカル的に実行していくつもりです。

今年一年、どのような変化がきても、笑顔でたくましく乗り切っていくしかないのですから(笑)。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

日戸 乃子(ひと のこ)

第33回

ミクニの現実化

2022年12月 29日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

今年、さいごの更新になるのですが、何を書くのか、これだというのが思い浮かばずに、ぎりぎりまで粘っていました。

来年の抱負というか、これからの残りの人生でやりたいことがカタチとして出てきたのですが、今の時点では資金も機会(お膳立て)もムリそうにみえます。うっかりしたら寿命も足らないかもしれないけれど、がぜん面白そうなので一応、能天気に目標にしてみるかというところまで設定してみようと考えています。

思い切っていえば、『ミクニのシティを創りたい』というのが夢です。

数年前になりますが、これからの人生をどのように過ごしたいのかと考えて、浄化上昇していた時に頭の中にでてきたのが、こちらの言葉と希望でした。要は人なのです。私は、残りの人生で一緒にいたい、または一緒に働きたい人間は、どんな人間なのかと考え、その人間と出会うためにはどうすればいいのかと、考えてみました。

 

これまでの人生経験で、付き合いたくない人の傾向ははっきりと絞られてきたので、その特徴を持っていない人とつながっていきたいのですが、そういう方は少数です。そして、距離的に離れていてもいいですが、できれば集まってつながって、次の文明の特徴を持った『ミクニ』と形容された地域を実際に作ってみたいのです。シティは街(または市)という意味なのか、また別のお金に関する意味があるのかはわかりません。光の経済も内包した一つのモデルケースが創られれば、それは瞬く間に、日本中に広がっていくことでしょう。そこには、人間の死へと続く生活や、子供のころから精神学を学んでおくことで、自分の能力を早期に起動できるなど、現在とは異なる死生観と人間の可能性を背景にして暮らすようになれば、そこから生まれてくるものは、まったく違ったものになりますし、身体と意識にも反映されて実際に変わってきます。

もう、今の文明の中で、健全に生きていくのは限界なのです。

私という存在の根を考えてみて、「この希望はどこから来たのか?」という疑いもあったのですが、相変わらず「面白そうだ……」と考えている私がいることから、風呂敷はたたまずに広げておくことにします。

2023年、大きな変化の中で、少しでもミクニが構築できるように働きますので、どうぞよろしくお願いします。

 

日戸 乃子(ひと のこ)

第32回

新しいおふだ

2022年12月22日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

精神学協会の会員になってから、毎年クリスマス前に来年に使用する新しいおふだが届きます。

今年も、本日、私用の二枚のおふだが届きました。

一年間・十二か月は、本当に早く過ぎていくもので、今年もすでに残すところ十日間を切っています。

何田さんが雪崩に巻き込まれたり、家族が亡くなったり、入院するような大けがをしたり、新たな背景がわかったりと、目まぐるしい展開があった今年でした。そして、来年には本格的な世界経済の変動も起こるみたいで、それらに対応するためにもっと自分の内なる小宇宙を整理して、何があっても対応できるように努めていきたいと思っています。

最近しみじみ思うのは、「精神学に出会ってよかったな」ということです。二千六年三月に、思い切って、大阪にある精神学協会の事務所を訪ねなければ、維持会員から正会員に変更して「精神学プログラム」を学ぶこともなかったでしょう。それで、私の人生の問題のすべてが解決したわけではないのですが、そこからがスタート地点になり、学びを積み重ねることで、自分の人生上に起こった過去の出来事を理解し、現在起こっていることもきちんと分析することができるようになりました。これらの学びがなければ、心穏やかに親たちを次の世界へと看送ることもできなかったでしょうし、この世を去るまでいつまでもつらかった過去の記憶にこだわっていたことでしょう。

最近は、「けっこう幸せ、いい人生だわ」と考えられるようになりました。

まあ、「幸せ」は主観的な感覚なので、また何か事が起こったら落ち込むこともあるのかもしれませんが、自分という人間が何のために生まれてきて、何を目指すのかということが分かったことで、生まれてきたことに無駄はなかったとわかり、存在することを肯定しやすくなっています。これらへ至るのは、精神の傾向(質)が問題なので、現実のチート能力はいりません。

要するに、特殊能力がなくても、存在するだけで周りの人を元気にできるような波動を出せる人間になれたらいいな、と思っています。

今の文明では、能力や才能が有り、それらをお金に変換できて、立身出世を目指すのが推奨される思考になるのですが、すべての人がその戦いに勝利できるわけでもなく、どうもその仕組み自体に矛盾があるなと思いながらも、他人の評価を受けながら社会の中であがき続けることになります。今の価値基準は、もう過去の文明のものなのです。そこに焦点を当てながら、自分自身を再構築していくことで、まったく違う未来と、よき結果が生まれてくるのかもしれません。

きたるべき来年に期待しつつ、残った今年を楽しみます。

日戸 乃子(ひと のこ)

第31回

未知の意識体の暗躍

2022年12月 15日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 妹が、一冊の本を持ってきました。インターネット閲覧中に広告が出てきて、気になって書店で探して買ってしまったといいます。姉(日戸 乃子)ならば、興味を持って好みそうな内容だと考えて、わざわざ持ってきてくれたらしいのです。

「はじめは気になって読んでみたけれど、何が書いてあるのか私ではよく理解ができなかったんだけど……」と、妹。

どんな内容なのかと問うと、日本の未来のことについて書いてあり、宇宙人のことも出てくるといいます。

現実派の妹にしては珍しい本を買ったな、と思ったけれど、昨今の世界の経済状況や国際情勢に関しての不安感から、未来の情勢がどうなるのかと心配していた妹の気持ちに、するりと入り込むように、買ってしまったようです。

私が、借りたのは、最終巻。同じタイトルの三部作の三冊目で、このほかに上巻と下巻があります。

なんか、最終巻だけ読んでも意味が解らないよね…と思って、妹から借りた本を読む前に書籍販売サイトで上巻と下巻の感想を調べてみました。

私は知らなかったのですが人気の書籍らしく、各本には1000個以上のカスタマレビューが付いていました。私の調べ方は、まず星一つの感想から見ていきます。ワーストに近い感想ですが、そこでしっかりとした視点からの批評があれば、それを参考にさせてもらっています。それとは別に、ブログで本の感想をまとめている読者の方もいて、こちらも参考にさせていただきました。どうやら、ドラコニアなどの爬虫類系の宇宙人が地球に関与した話も載っているようです。要約された内容を見てみましたが、情報自体の真贋はよくわかりません。

ブログ上で、この本で書かれている内容についての動画もあることを知り、それも少しばかり見てみました。動画の中で、解説を受け持っている著者の関係者の姿をみたり、その波動を感じて、借りた本を読むことをきっぱりと辞めました。どこから送られてきた未来情報かわかりませんが、私は全面的に拒否します(笑)。

そして本日、妹から借りた本にイコンシールのダークとライトを貼りました。借りた本なので直接シールを貼るわけにはいかず、ビニール袋に入れて、その上から貼ったのです。この作業をするために、私のもとにこの本が来たのかもしれません。

いま、地球の波動の悪化を反映してか、未来に対して恐れや不安を抱えた人間の関心を引くように、さまざまな予言や未来情報などがあふれています。その中に宇宙人系のものもあり、古くはアセンションやライトワーカーの情報もあるのでしょう。スピリチュアル関係の情報には、私も若いころは傾倒したものですが、たとえば宇宙や地球が次元上昇したからといって、そこに住んでいる人間が全員次元上昇できるという話は、人間側のご都合主義でしかないのです。また、自らが何もしていない人間がワクワクしながら暮らしているだけで、そちら側に移行できると考えるのも浅はかです。

仏教でいう、「ナムアミダブツ」などの念仏を唱えれば、真理を理解していなくても、死後は極楽へ行けるというのと大差ない情報であり、間違った世界観(情報)を受け入れれば、そこから自分の中へと別の何者かに住処(すみか)を与えます。せっかく聖書の時代が終わり、二千年にわたって人間の意識に蓋をしてきた神の時代が過ぎ去ったのに、今度は宇宙意識体、または宇宙人情報というものによって、それらの情報を受け入れた人間の頭(脳)に蓋がされることになるのです。この地球で、最後の審判が起こり、人間が右と左に振り分けられるという情報は聖書の時代の前から、完全な形ではなかったけれど伝えられてきました。それを超えて、次の文明に到達するのは、光と闇の内なる戦いを終えた人間であり、宇宙意識体でも神や悪魔でもないのです。たとえば、過去に、爬虫類系の宇宙人が人類の歴史に関与したことがあったとしても、それは単なる現象の一部でしかないのです。現在の分岐点では、人間であるあなた、または私が精神をどのように成長させたのかが、問われています。主人公は、光へ成長する人間のたましいであるということを知れば、それを阻もうとする闇側の情報や策略にも警戒が必要なのです。

二〇〇九年二月、一気に流入した闇のエネルギーにより、精神の混乱が起こった体験が、私にはあります。強迫観念と、恐怖からそこに存在しないものが見えたりして、逃れようとしてあがく自分がいました。急に起こった精神の変調に対して、私本人がついていけなかったのですが、その渦中において恐怖の考え(物語)が次々と自分の中に生まれても、それに攫われないように『自分の精神の核を守る』というのが、稚拙ながらも唯一の防御方法でした。

ひどかった状態が二週間ほど続き、心の中(脳内)に恐怖の想像が現れなくなり、普通に暮らせるようになるには三か月ほどかかりました。SBMも、聖油も、イコンシールも、まだ存在しなかった時代でしたが、会長と、整体師で今はSBM東京サロンの代表者のおかげで、私の小宇宙内の負のエネルギーが軽減して、最短で元に戻ったのだと思います。なぜ、突然に精神の変調が私に起こったのか? 大きな疑問というか謎だったのですが、ある日、私の頭の中にそのエネルギーがどこから来たのかの情報が届きました。

当時友人で、スピリチュアル系の情報が好きな女性が、「地球の中が空洞になっていてそこには別の世界がある」とか、「爬虫類型の人間が存在して、人類の上に隠れるようにして権力を握っている」などの陰謀が書かれた本を何冊も紹介してくれて、彼女が持っている本も貸してくれましたが、私はその本が気持ち悪くて読めませんでした。もうその本も返して、手元にはなかったのですが、私が抱いた恐怖の種類から、そこから流れてきたエネルギーだと理解したのです。

それから半年ぐらいして、「君がエネルギーを受けていなければ、友達のほうが死んだかも……」みたいな言葉を、会長から聞いて、多くをお伝えしていないのに同じような見解であることに、内心驚きました。

ただし、その友人とは縁を切りました。彼女には、その指向性から闇系の意識体が乗っている、または関与していることが推察されたからです。それから私は好奇心から、闇の深い情報を得ないように気を付けています。それらの闇の深いエネルギーを浴びても『自分は大丈夫!』と、いうことはけっしてありません。

自分のたましい(小宇宙)のお掃除をするのは、自分自身でないとできません。掃除しなければならないのに、ゴミのような情報を取り入れ続ければ、情報の何が正しくて何が間違っているのかもわからなくなるのです。たましいの覚醒の前段階には、正しい歴史認識が必須になっています。そこを崩そうとする偽情報には、十分に気をつけたほうがいいでしょう。

 

日戸 乃子(ひと のこ)

第30回

意識体との交流・過去の清算

2022年12月 8日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

11月13日に、大阪でシンロジカル・セミナーが開催される前日の夜明けごろ、はっきりとした声で「赤は魔除けになるから、身に着けていけ……」という声だけが届いたのです。起床しても言葉の内容を覚えていることから、迷いながらも赤いマフラーを身に着けてセミナーに参加しました。

セミナー中には参加者の一人に、イコンシールのダークとライトを身体のポイントの数か所に貼って、コロナの後遺症的な波動、またはワクチン接種により発生した体内の阻害要因を除去する実験が行われたのですが、イコンシールを貼るごとに、その参加者に影響を与えていた悪魔的なエネルギーが排出されて、一番前列でセミナーを受けていた私はかなりの至近距離でそのエネルギーを浴びてしまうことになりました。

「…なるほど、これがあったから赤を身に着けて行けということだったのか……」

何者からの助言かわからなかったのですが、従っても大きな問題は起こらないと思って身に着けてきてよかったのですが、覚醒時でなくても、はっきりと声が聞こえるという体験を私はあまりしたことがなかったので、セミナー後に確認を会長にさせていただきました。

確認したかったのは、二つです。

古来から伝えられている「赤色はほんとに、魔よけの効果があるのか」と、「何者がその言葉を送ってきたのか」ということです。セミナーの前日に送ってきたということは、その確認を私ができるタイミングで干渉してきたということだと考えました。いただいた答えは、実際に赤色に魔よけの効果はあるそうで、また言葉を送ってきたものは「君に送ってくるぐらいだから、どうせシンレイカイにいるものだから、位置が高いものではないよ」的な返答でした。

ううっ……やっぱり、シンレイカイ担当になっているのですね、わたし。まあ、こうしてブログを書かせてもらっているので、そうなのでしょう。シンレイカイ……たしかにグランドクロスの一番下ですから、下層には、地獄も魔界も存在するということですよね。

今まで私の人生では、ほかの意識体との交流はほとんどなかったのですが、次元の変動とともに、これからは頻繁に接触や交流が起こるかもしれません。その時に、どのように対応すればいいのかというのが、いままでそんな体験がない普通人だった私の戸惑いです。相手がどんな存在なのか、または伝えられたことが正しいのかどうかはどうやって見極めればいいのでしょうか。

「いわれたことをやってみて、結果が芳しくなかったらそれは正しくないものからの助言だったということだよ」と会長。

そうですか、いちいち穴に落ちて確認をしなければならないのですね。めんどうくさいですね。

これとは別の話で、前回報告した畑の整備中に、応援メンバーの一人から、「耕運機を使うのは、〇〇(日戸乃子)はダメだけど、ヒロにならできる」と、お母さんが言われていると申告がありました。母親は七年前に亡くなっており、今年の初めに七回忌も終わっていたのですが、実家の片づけや畑の片づけは気になったのか現れていたようです。身近でヒロがつく名前は二人。そのうちの一人は妹です。

その時に、私の中で怒りの感情が動くのがわかりました。

「亡くなったのちまで、私を否定して、妹をひいきにするのか」という負の感情です。幼いころから、妹のことをたった四歳しか違わないにもかかわらず母親の目線と同じように心配するように、なかば強制されてきましたが、いい加減にしてほしいと思っていました。母親が、心配し、かわいがっていたのは妹のほうで、それによって傷つき続けてきた私がいました。その習慣が、反射的に感情となって胸中に現れたのですが、冷静になって考えてみれば、それはどうでもいいことなのです。乗り越えた問題で、要するに人の感情や判断は止められないということを、長い年月をかけて私は理解しました。

母親は、私よりも妹と気が合ったのだろうし、そう思うことは止められない。しかし、それで大人になった私が傷つく必要はないということです。ものすごく単純な道理だったのですが、子供の時分にはその環境から逃れられないことから、これらのことが理解できませんでした。不公平を感じるたびに、怒りと情けなさに包まれたものです。

でもこれは、人類にとっての永遠のテーマの一つです。カインとアベルの話から分かるように、古くから兄弟の、または姉妹の間の不公平な扱いや、親の愛情の偏りは普通にありました。これが男の子と女の子の組み合わせの兄弟だとまたケースが異なり、無数の軋轢のバリエーションが生まれます。多くの人が、それを経験して、老年になってもその時の悔しさの感情を傷として持ち、きちんと理解できず整理できていない人が、ほとんどなのだということも知りました。人類が持つ、妬みの原型のひとつです。

自分の問題と、他人(親)の問題を分けて考えることで、記憶の中の出来事も整理されていくのです。今回のケースでは、条件反射のように私から負の感情が出てきてしまったけれども、しばらくたってから『母の思いは母の思い、私の思いは私の思い。まったく別物。どちらも正しい』と思い直したのです。

親からの愛情不足の幼少期を送った人間は、無数にいます。しかし、だからといって、いつまでも親から愛情をもらおう、またはもらいたいと考えるのは、生産的とはいえません。子供の時にもらえなかったものは、大人になっても、親からはもらえないものなのです。だから別の方法をとります。自分以外から愛情をもらおうとするのではなく、つらかった自分の子供時代の状況を解剖して全体像を読み解くと、親や親族の現実(当時の周りの状況や心理)が、よく見えてきます。

自分の中の負の感情に向き合うのは、気力も体力も必要です。しかし、何度も感情の嵐に合いながら、自分と家族の感情の相関図を読み解くことで、解釈の幅が広がり、過去には許せなかった記憶とそれらに付随した感情や怒りが消えていきます。そうやって過去を清算したものが、次への進化を望めるようになるのだと思います。

日戸 乃子(ひと のこ)

第29回

土地のエネルギー

2022年12月1日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

先週に続いて、今回は畑や土地、木の枝の剪定をしました。

仕事を始める二週間前、事前に手伝ってもらう応援メンバーに現地を見てもらったのですが、隣の畑に枝がかかりそうなので、伸びた枝を剪定予定の桜の木からは怒りを感じるとのことでした。

これに関しては、剪定予定だった樹木が、桜の樹だったと解って、

「えっ、花が咲いているのは見たことがないよ。これって桜だったの?」と、のんきに不用意なことを言った私への怒りらしく、「木が怒っていますよ!」ということでした。そうなのよね、桜の花…まったく記憶にないのね。ということは、その季節には長い間、畑にきていなかったということになります。誰も見てもらえずに、桜も寂しかったようで、怒っていたそうです。

加えて、「土地(畑)も、お荷物扱いされている……と、怒っているよ」と応援メンバー。

これらの土地は、実父が終戦後の農地解放の時に、今までは一族が小作人として耕してきていた畑を、貯金をはたいて買ったものの一部なのですが、あれから事情が大きく変わって、私の父母は私を連れてこの地を離れて、街中に移り住んだのです。10年ほど前までは、実母が野菜を作りに畑へ通っていたのですが、母が耕さなくなってからは地域のJAに頼んで、近隣に迷惑をかけないために、草刈りだけは定期的に行っていました。しかし、問題はそういうことではなく、これらの土地を所有することで今後も負担が大きいな、と感じている私の意識にあったようです。

畑で野菜を作るというのが苦手だということとは別に、父母がこの地を離れなければならなくなった親戚間の人間関係の軋轢も残っていて、私はあまりここへは来たくなかったのです。要するに、私の前の代の人間関係の思惑がエネルギーとして関係者内に残っていて、あまり居心地がいいとはいえませんでした。

今年の初夏に、スイカやレモンなどの苗を10本ほど畑に植えてみましたが、数日たって見に行ったらすべて抜き去られていました。イノシシなどの動物の犯行というよりも、人間による仕業ではないのかと、暗い気持ちになったのです。近くに住む親せきの顔を思い浮かべてしまいました。その後、私が思い浮かべた親戚は、生きている間に命の書に登録しました。

樹木の剪定と、農作業用の小屋の整理を行う前日に、近隣の神社2か所に私はマツリヌシとしてご挨拶に行ってきました。聖塩(積司)と秘積水を、境内にそっと撒かせていただいて、明日は畑と樹木の剪定をすることをご報告しておきます。土地の浄めをする時には、管轄の神社にご挨拶に行くことでスムーズに浄化が進み、また天からの支援も受けられるのです。

そして、畑と農作業小屋に関しては写真を撮り、アプリのイコンシール(特大)のダークとライトを貼り付けました。これらで一応の土地の浄化は完了したので、次の日に現地にて自分の目で確かめて、エネルギーが残っていそうなところには、紙のイコンシールを直接貼って除去することにしました。一方、桜の樹にも聖塩と聖水をかけてからお詫びの言葉を伝えて、来年の開花時期には観にくることを伝えました。

翌日。

応援メンバーとともに、農地の整理へ。

農作業小屋には、実家と同じく母がため込んで捨てられていなかった物品がたくさんあり、それを45Lのビニール袋に詰めていく作業を行いました。なぜか、小さな農作業小屋に大きな整理ダンスが据えられていて、引き出しの中からは祖母の着物やら洋服が出てきて、それも迷わずに袋へ詰めていきました。部屋の隅に重ねておかれていた布団類は、束ねて紐掛けしてもらい、こちらもゴミに出します。身近に使っていた鏡類が入ったビニール袋には、イコンシールのダークとライトを貼ってエネルギーを抜き去ってから捨てるようにします。なぜなら、ゴミとして処分したとしても、付着したエネルギーが処理されていなければそれらが返ってきてしまい、影響を受ける可能性があるからです。どこからもらってきたのかわからない漁船の『大漁旗』も2旗が見つかりましたので、それらを入れたビニール袋にもイコンシールを貼りました。

桜の樹は木と話ができるメンバーに、どのあたりの枝なら切ってもいいのかを聞いてもらって、そこを切ってもらいました。桜の樹も機嫌が直ったのか、素直に切らせていただいて順調にすすみました。今回は、不要な枝の剪定だったのですが、樹木本体を伐採するときには、後々に事故やケガが起きないようにきちんと事前にお祓いをしてから伐採をすることが望まれます。一本の樹を取り去ることは、人間側の都合でしかありません。植物にも意識があり、人間と意思疎通ができて話せるということを考えてみても、これまでとは違う関係性が生まれてきます。唯物論が主流でなかったころ、自然の中に人の生活があった時には、これらのことは常識だったのかもしれません。

日戸 乃子(ひと のこ)

第28回

実家のかたづけ

2022年11月 24日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

 

使わなくなった生活用品で、あふれかえっていた実家。11月19日に、大掛かりなかたづけを決行しました。

それまでも、妹が地道に取り組んでいたのですが、なんせ物が多すぎます。今回は、その物を捨てられるようにまとめることを心掛けました。そして、十数年前に祖母が使っていた介護ベッドも無事解体でき、タンスなどもパーツにばらして紐でくくり、車に乗せられるようにまとめました。

家のかたづけは、作業への慣れとこれまでの経験値によって、格段に差が出ることがわかりました。

一日で、かなりの量のごみが区分されて、まとめられたので、まだ全部がかたづいたわけではないのですが気持ち的にはずいぶんと楽になりました。地域にある公営の塵芥センターに、ごみを持ち込む作業が残っていますが、以前は家庭ごみも粗大ごみも無料で引き取ってくれていましたが、現在はすべて有料になっています。ごみを捨てるにもお金がかかるようになり、「捨てることを考えてからでないと、うっかり、家具とかも買えないよね」と認識をあらたにしました。時代が変わることで、生活も大きく変わっていきます。祖母や母の時代は、前の大戦の記憶も残っており、高度成長期を経験したけれど、物のない時代のつらさも忘れられずに、物の処分が積極的にできない心理状態でした。

そのような人々が大半だったので、今では日本全国に『実家の片付けに苦労している子供たち』がいるということになります。そんな心理状態の親に育てられた子供たちの中にも、物が捨てられない人間が少なからずいます。

かくいう私もそうで、今回のかたづけで、実家の2階でみつけたムートンの敷物を「まだ使えるから……」ともったいない精神で持って帰ろうと考えていたら、家族から「長い間放置されていて、虫がわいているかもしれないような敷物は持って帰らないでね」とダメ出しをもらいました。そうだよね、敷物が欲しいなら、新しく清潔なものを買った方がいいのに決まっています。

そういうわけで、実家のかたづけには光明がみえたのですが、手伝いに来てくれた方が自宅に帰ってから「浄化と上昇」をしていたら、玄関を入ってすぐ左手の部屋に置いてあった日本人形らしきものが意識上に出てきたと報告してくれました。

↑エネルギーが残っていた琉球人形。ダークとライトのイコンシールを貼りました。

「何かエネルギーが残っているようだから、イコンシールを貼っといた方がいいわよ。人形は、けっこう厄介だからね」

ということで、まったく人形の記憶がなかった私は実家に行って調べてみると、たしかに琉球人形がいわれた場所にあります。顔もきつそうな感じに思えたので、ダークとライトのイコンシールを貼りました。このほかにも、実家の品物を袋にまとめてごみに出すときには、ミニでもいいのでダークイコンシールを貼ってから捨てた方がいいと助言がありました。それだけ、生活していた人間の思いが品物には、付着しているということです。

来週には、すこし遠方にある畑と、そこに茂っている桜の木、農作業用の小さな小屋の整理をします。

それらのご報告もさせてもらいたい、と考えています。

日戸 乃子(ひと のこ)

 

第27回

横ではなく、上へ

2022年11月 17日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

2022年11月13日に、大阪で64回目のシンロジカルセミナーが行われました。ここから以下は、私の感想です。もしかしたら、勘違いをしている部分もあるかもしれませんのでご容赦ください。

ざっくりとまとめると、地球というかこの宇宙は、つねに二つの勢力が争ってきたものであり、それは今も続いているということです。そして、ここからが肝心なのですが、その二つの勢力は、どちらも闇に分類されるということになるようです。まあ、この宇宙ができる前(開闢以前)からその構造はあり、たんに闇と闇の権力争いでしかなかったのでしょう。そうやって、何度も宇宙や文明は、闇同士の争いにより消滅していった経緯を持っています。

闇は、どちらの勢力であったとしても、そのどちらも最終的には光に対抗しようとするようです。

どうやら、光というものはこの地上にもあるかもしれませんが、それは100パーセントの真理の光ではなく、闇と光の合体物として存在します。人間も、その他の意識体も、内部に光を有していますが、それはその意識体の努力なくしては、たましいの光の総量は増えていきません。とくに人間は、たましいの光の総量を増やすために、物質的な肉体をもって生まれでて、人生の中で苦労に出合うことで様々な気づきを得て、自分のたましいの闇を削いでいく(光と闇を分離する)という、けっこう過酷な作業を行うことになるのです。光のベクトルへ向かいたいのだ、という自覚がないと逆に闇を増やして、自分だけの地獄をその小宇宙内に創り、肉体がなくなった死後には、ひとりでその地獄に閉ざされることになります。

人生の中で、かなり闇を増やし、そして今も闇を増やす生き方をしている人間にとっては、この構造は認めがたいものなのでしょう。

安易な道も、都合のいい抜け道もないのです。人生を豊かにするために、いい会社に就職して、財を築き、他の人間との競争に勝って、現実を充実させるという行動パターンは、すべて物質社会での横の行動でしかなく、たましい内の闇が増えることはあっても光の総量が増えることはないのです。

力点は、横ではなく、上なのです。光が何であるのかを学ぶために、「浄化と上昇」をして、自分の内側の闇と光を分ける作業を行います。地道な作業ですが、行うことで、あなたの過去と現在の整理が進みます。

言い方を変えれば、過去と、それにつながる現在の闇が理解できて、理解とともに闇が知識という光へと転化します。

最近、思うのですが、人生は選択の連続なのですが、いちばん大きな選択は「右に行きますか、左に行きますか」という根本の部分で、自分自身の存在をかけて「右(たましいの光を増加させる方へ)へ行く!」と、最初に決めてしまうことなのだと感じています。しかし、これさえも内なる闇を光に変えていかなければ、この決断に到達しないという前提があるのです。

疑いながらでもいいので、まずはやってみることです。

そこから、自己の変化や意識の変革が始まると思います。

日戸 乃子(ひと のこ)