1.みじかにいる母 2018.6.16

5月24日のその日の午後、私は役場が経営する斎場の焼き場に居て、今まさに目の前で棺が納められたボイラーの重い扉が閉じられようとしています。
その時に聞こえてきました「さいなら〜」という声が…、耳で聞いたというより耳の中に響きました。「さようなら〜」とか「またね〜」ではなく、あっさりとした感じで「さいなら〜」と…。せいせいした〜という感じにも受け取られ、母親らしいな〜とも感じられ、重い扉が閉じられていく間際に、本来なら最高潮の悲しみに浴さなければならない場面で、なぜだか微笑ましいな〜と感じていたことを今でもはっきりと覚えています。

関西のとある病床にて5月22日12時ジャストに母は眠るように静止しました。
腫瘍から始まり進行の早い膠原病なども発症し、最期の方は病気のオンパレードでもともと弱かった心臓が耐えきれず、主治医曰く普通の人の30%ぐらいしか機能しいていないと言われたその日の境に、心臓の動きと同じようにやっと呼吸をしているような状態で、その鼓動の間隔が長くなるにつれ意識も遠のいているように、だんだんと目を閉じていきました。

あの日から約ひと月ほどが経つのですが、そんなおりにこのサイトと出会い投稿ができることを知りました。そして書いてみようと思いました。

これを書いている今、私は大阪から東京に向かう新幹線の中にあります。
関西方面はよく晴れていたのですが、名古屋を過ぎ関東に近づくにつれ、だんだんと雲行きが怪しくなって来ています。それでも雲間から差す日の光が遠くの山並みを照らし、手前の曇り空とのコントラストが新緑の色を深く印象づけています。
もうすぐ富士山が見えるころですが、隣にいるであろう母も、生前よく私と一緒に行きたいと申しておりましたので、楽しみにしているのではないかと思います。
昨今は新幹線のチケットも会員登録したネットで購入出来るのですが、この度はそのサービスの一環として普通料金より安い上にグリーン車に搭乗出来ました。周りには乗客が居ず、今これを書きながら感慨に浸るには非常に良いときを与えてもらえているのだと思われ、まるで水中にあるように耳が遠く意識が冷静の最中に有り、母とのコンタクトを後押ししてくれているように感じます。

富士山は、雲に隠れて裾野しか見えませんでした…。