第8回目

神仏を超える旅

2022年6月30日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

『肉体がなくなったら、この世で、神様の仕事ができないなぁ』
『だったら、浄化上昇して、頭をクリアにしたら神様の声が聴こえるようになるんじゃない。そうしたら、一緒に働けるんじゃないの』
何田匡史さんが生きていた時は、物質世界と精神世界をしながら、この世で出来る楽しいイベントを開催する話ばかりしていました。
幼少期のわたしは、病院で友達が見えない存在が見えていて、声をかけてきて、一緒に遊んだり、悩み事を聞いたり、時には追い返したり、、
小学生から、そんなことばかりを繰り返していると、霊や魔は、生きてるニンゲンと一緒、同じなんだと気がつきました。

また、神様言われている存在は、果たして正しいのか間違っているのか、と突き詰めると、、、
とんでもない闇と素晴らしい光に分けられるんじゃないか、、、
神の中にも、魔の中にも、霊の中にも、当然、光と闇があるのではないかと、、、仮定したら面白いんじゃないか。
そうなれば、見える世界も見えない世界も、気軽に楽しめるような気がします。
そんなふうに考えると、ニンゲンに、光と闇の部分があるのは、仕方ないのかもしれません。
6月に、入り、じぶんの思いや願いが、すぐ現実化するたびに、早く何田匡史さんの傍に行きたいと思うようになりました。
それは悲観的な思考ではなく、この世に思い残すことは何もないと考えているから、死は怖くないのです。

何田匡史さんは、精神学協会の光使という紋章のような勲章のような名誉ある役職をいただきました。
彼は、精神学協会・積哲夫会長に見送られて、この世を旅立ちたいと強い希望がありました。
それは、彼のもう一つの夢、死後の世界で、神様業界に君臨している存在を確認するという目的もあり、何田匡史さんご本人は満足いく結果になったようです。
残されたわたしは、大変です。
大変な役割がたくさん出てきて、彼と一緒に取り組むプロジェクトを、また最初から組み直して始めることになりました。
シン・シンダラチャンネルの配信が始まり、私のまわりには新しいニンゲンが集中しています。
それは、まさしく、神の仕業、紙の仕組み、神のなせる技のような現実ばかりです。
余命宣告されていて、今もなお生き続けていられるのは、まわりのニンゲンに声をかけてもらっているからです。
ニンゲンの中にも神が存在し、その神の神性と交信をする。
それが、今のわたしが意識していることなのです。
ですから、何田匡史さんが、わたしに託した沢山の宿題を終わらせてから、正々堂々と死後の世界にいる匡史さんに逢いに行きたいと思います。
『はるさんは、もっとみんなの前で喋らないと』
『はるさんは、色々な人に逢わないと』
『はるさんは、人に勇気を与える人だよ』
『はるさんは、人に希望をくれる人だよ』
今でも、何田匡史さんの言葉を思い出すと涙が出てきます。
彼は、わたしを一番、理解してくれた唯一の存在だったのです。

『神を超えよ!仏を超えよ!』
の書籍出版の準備が進む中、新しい事業展開のサロン開店の準備が始まりました。
6月上旬に、決意してから、怒涛のような流れが、わたしに押し寄せて、新しい出逢いとご縁が繋がっています。
今日は、地元の商工会の方との関わりの中で、次のステップに繋がるお話をいただきました。
また、新潟県糸魚川市に存在する超一流の職人の方との出逢いもありました。
まさに『癒しのパワースポット島道鉱泉』の四代目当主の存在価値を見出した日でもありました。
来週は、大分でのシンロジカルカウンセリングに出掛けます。
これから、始まる島道鉱泉プロジェクトにまつわるお話を聴きに出掛ける旅です。
今日、ある命に感謝して、物質世界で形を残して行きたいと思います。
最後まで、お読みいただきありがとうございます。

第7回目

島道鉱泉から下界に下りる決意

2022年6月23日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

6月19日(日)東京で開催されたシンロジカルなセミナーに参加しました。
世界初の出来事が目白押しの内容は、今、まさに、わたしのやりたいことに繋がるツールの発表ばかりでした。
活気的なツールと、それをじぶんの目で確かめて、身体で体験、検証できる貴重な日になりました。
また『日本人は救世主』対談者・積哲夫氏と坂本敏夫氏のおふたりにもお逢いでき、二重の喜びを味わいました。
わたしの人生は、いつもツイテいます。
最後は、いつも当たりくじを引きます。

幼少期から、直感のままに行動してきた自己中心的思考は、いつもわたし自身を助けていました。
もうひとりのわたしが、わたしを励まし、支え、助けてくれました。
この世で、怖いのは、じぶんの奢りだ。
そう、じぶん自身に言い聞かせて生きてきました。
今回も、ちょうどいい具合に素敵なことばかりが続きました。
妹がホワイトニングセルフケアのサロンを出店する同じタイミングで、お店を出す流れになりました。
やるだけやったら神様に委ねる。
いつも、わたしの中にあるコンセプトです。
ただ、最近、不思議なくらい、何もしていないのに、流れが早くなり、思いのままに事が動いています。
それが、亡くなった何田匡史さんと私がやりたかったことに繋がっていますので、とても面白いと思います。
もう、島道鉱泉に隠れているのは止めよう。
もう、島道鉱泉で遊んでいるのは止めよう。
もう、島道鉱泉にしがみつくのは止めよう。
癒しのパワースポットは、窮地に立たされた方々が訪れて傷を癒す場所です。
わたしのようなものが居るべき場所ではないのです。
島道鉱泉でゆっくりするのはおしまいです。
島道鉱泉の高台にくつろいでいるのは終わりです。
まだ修復作業が終わらない環境を点検しながら、また、新しい決意をしました。
『精神世界の力をフル活用しながら、ちゃんと物質世界で、真面目に働らかないとなぁ』
島道鉱泉の坂道を下りながら、何田匡史さんと語り合ったビジョンを形にするべく考えていました。
今日も恵まれた環境に、与えられた役割に感謝いたします。
ありがとうございました。

第6回目

語り手:積哲夫氏、聞き手:坂本敏夫氏の本
『日本人は救世主』が発売されました。

2022年6月16日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

購入した書籍を手にした時、清々しい風が吹いてきました。
紙の柔らかさと指触りの良さが印象的で、呼吸するのが楽になりました。
7歳で幽体離脱を経験してから、わたしの肉体は、波動の影響を受け、呼吸の状態が変化するのです。
発病がキッカケで、呼吸困難の日々を過ごしましたが、
人間の発する波動、土地から感じる波動などで、体調が変化しました。

この地球は魔の世界と聞きました。
幼少期
『左目で闇を受け右目で真実を見よ』とメッセージがありました。
現在、わたしの左目の視力は、測定不能になりました。

6月上旬に、妹と、ある化粧品メーカーの事業説明会に参加しました。
未来の地球のために出来る事、SDG’sの推奨やISO番号を取得した企業の発表がありました。
その企業のイベントに参加して感じたことは『未来の地球を綺麗にするって素晴らしいなぁ』でした。
わたしは、じぶんのことばかり考えていて未来の事など考えていませんでした。
しかし、その環境に身を置き、わたしの中のやる気スイッチが入りました。

『精神学は経済学だ』『全て用意されている』『恐れることはない』
化粧品メーカーの未来へのコンセプトが、色々な事に繋がり、
今日のじぶんを作っている事を確認しました。
神様は、正しいことをしていれば(神様が許可する)必ずご褒美をくれます。
余命宣告をされ続けた肉体が、また動いているのか、なぜ、目が見えているのか、、、
結局、最後は、やはり、精神学協会に繋がったからだと思うようになりました。

わたしは、10年以上前、精神学プログラムを勉強しました。
そこには、じぶんの人生で経験した知識がたくさん記載されていました。
なるほど、確かに、そうなるのね、なぁ〜んだ、簡単じゃん。
プログラムのテキストを読むたびに、じぶんの中の人生のパズルのピースが、
ひとつずつはまっていきました。
プログラムを終了した後、希望する人なら、資格も取れるようになっていました。
正しい知識を得て、そのままエスカレーターのように経済に繋がるシステムに乗れる
仕組みになっていました。
『誰でも簡単に経済に繋がる仕組みを世に広ろげなければ、わたしの余生は終わらない』
精神界のお仕事は楽しいことばかりだと言うことを、忘れていました。

『僕は、はるさんと精神学を世に広げるんだ。』
何田匡史さんとの約束を忘れていました。
今日も、匡史さんと一緒に過ごした坂道を下ります。
彼の面影を思い出しながら通り過ぎています。

『神の、み心のままに』
今日も、彼を思い出し、彼の意志を引き継ぎ、わたしらしさを発揮していきたいと思います。

第5回目

神様からのメッセージ

2022年6月9日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

2022年2月23日の大規模な自然災害の被害は、何田匡史さんの死だけではなく、自然の木々や花、そして山菜まで流してしまいました。
島道鉱泉の坂道の道路は通行できるようになりましたが、土手には、雪崩で流された雑草などが散乱しています。
女性と高齢者だけになってしまった島道鉱泉。
整備、管理をしてくれる女性たちは、働き者です。
島道鉱泉3代目当主の父親は、大事な跡取りを失い、しばらく心の整理がつかない様子でした。
5代目になるはずの彼と仲良しだった母親は『亡くなった匡史が可哀想だ』と事あるごとに呟いています。
二人で、島道鉱泉の環境を守ってきたので次世代に引き継ぐ事を楽しみにしていました。

癒しのパワースポット島道鉱泉(しまみちこうせん)は、空気がキレイで、水が透き通っている環境です。
それなのに、わたしは、7歳に肺疾患と目の難病を発症しました。
30歳で寝たきり、40歳で肺機能が低下し、死に至ると宣告されている肺。
7歳の時、角膜が剥げ数回の手術を受けながら、網膜剥離になり瞳が閉ざされ、20歳までに失明すると宣告された眼球。
いつ死んでもおかしくない、いつ見えなくなってもおかしくない病があるわたしは、今日も生きています。
発病してから、約45年の月日が経ちますが、わたしは、まだ元気で生きています。

幼少期は、じぶんの肉体が思うように動かない辛さを経験しました。
目が不自由で、肺呼吸が苦しいですが、重病人に見えないため、心ない事をたくさん、たくさん言われてきました。
小学1年生の2学期から6年生まで、家族と離れ離れの病院生活を余儀なくされ、悲しく苦しい事ばかりでした。
『神様、なんで、わたしだけ、こんな目にあうのですか』
『神様、どうして、こんなに息苦しいんですか』
『神様、教えてください。わたし、何か悪いことしましたか。』
3人姉妹の中で、なぜ、わたしだけが病気になってしまったか。
目がかすみ、息苦しく、生きているだけで大変でした。
なぜ、わたしだけ、病気になってしまったのだろう。
その理由を探すために、生きてきました。

今回のシン・シンダラチャンネルの投稿にあたり、この際なので、じぶんとわたしの分析を真剣に始めることにしました。
わたくしごとでは
シンダラチャンネルを配信していた彼を思い出したくないのに、なぜシン・シンダラチャンネルの配信者になったのか。
かみごとでは
何田匡史さんは、じぶんの夢を叶えたから、やはり神様は存在するんだ。

にんげんごとのわたしとかみごとのじぶん。
魂は光と闇が50%ずつで生まれてくるそうで。
今のじぶんは、どうだろう。
魂の中の神・魔・霊は大丈夫かな。
それぞれの存在も光50%、闇50%のままになっているのか。

18年前、何田匡史さんとわたしは、出逢いました。
精神学協会に繋がり、命が長引きました。
彼は、自殺願望が強く、この世は苦しくて、60歳まで生きていたくない。が口癖でした。
わたしは、お金を稼ぐだけに生きていた魔的な生活をしていて、120歳まで生きる。が口癖でした。
ふたりとも
精神学で、じぶんの役割を考えるようになりました。
じぶんが光で、わたしが闇。
じぶんはわたしの救世主。
沸き上げる闇の部分を解明できたら自殺には至らない。

シン・シンダラチャンネルに繋がったあなた。
このサイトでは、死ぬ前に準備することを自ずと気づいていける不思議な領域です。
本当の目的を探す人生のナビゲーションをいたします。
信じては行けません。
確認してください。
確認作業を繰り返し続けてください。
核心部分に触れたら、どうか、逃げないでください。
それが、あなたの人生を輝かせるキッカケになるはずです。
信実はひとつだけです。
この世に起きる現実を真摯に受け止め、じぶんの中の闇を探しましょう。
わたしの中の闇のにも光が存在しますので、その光りを検証しながら、死後の世界に行く前の準備をしたいと思います。

何田匡史さんよりメッセージをいただいたとY先生からご連絡ありました。
『はるさん、7月は気をつけて。ありがとう。』
彼は、きっと、シン・シンダラチャンネルに合わせて、わたしにメッセージを送るつもりなのでしょう。
それを披露しないといけない衝動に駆られます。
しかも、シン・シンダラチャンネルの原稿を書いている時に、メッセージの連絡が来ています。
やはり神業です。
神様は絶妙なタイミングで現れてくださいます。(笑)

今日は、神様になった何田匡史さんの凄さを確認できた日になりました。

第4回目

島道鉱泉・再生への道

2022年6月3日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

島道鉱泉の山々は、青い空と白い雲と新緑のコントラストが眩しい季節になりました。
何田匡史さんが、あの世に旅立たれて早くも3ヶ月がたちました。
月日というのは、人の気持ちや思いを変えてくれます。
変えてくれるというより忘れさせてくれると表現した方が近いでしょうか。
天災の悲惨な状況から、徐々に改善し、あらゆる存在のチカラをお貸しいただき、島道鉱泉の山々は、別世界になりました。
朝日が上り、眩しい陽射しが当たります。
鳥がさえずり、風が爽やかで、池の鯉が、時々、飛び跳ねています。
春になり、暖かな日が続き、木の芽が吹き、お花たちはそれぞれの個性を輝かせはじめました。
そんな風景を眺めながら、わたしは物思いにふけっています。

『これからどうしよう』
現実世界の自然界やまわりの方々の支援、応援が集まって来ていますが、わたしの心は不安で、気持ちは落ち込むばかりです。
復旧活動がスムーズに進み、たくさんの皆様の誠意の上に成り立つ暮らしと、湯治場・島道鉱泉の活性化に人力を尽くしてくださる支援・応援が集まっているのに…。
この世には、何田匡史さんがいません。
シン・シンダラチャンネルの配信をしていた何田匡史さんがいません。
相談する人がいない不安さと、まだ島道鉱泉の場所で働く覚悟がありません。
昨年の5月に彼と、京都から移住してきたこの時期、彼との事を思い出すと、悲しみと切なさが溢れて出してきます。
島道鉱泉の環境は、素晴らしい景色ですが、今のわたしからしたら残酷で憎い仇のような存在です。
まだ、わたしは、島道鉱泉の環境と一緒に働く事が出来ない小さいにんげんなのです。
にんげんごとで考えたら大切な彼の命を奪った『島道鉱泉の山々』との関係を断ち切りたい気持ちでいっぱいです。
でも、何田匡史さんからのメッセージ『はるさん力を貸してください』の事が頭から離れず悩んでいます。
何田匡史さんが、この世からいなくなり、わたしはスッカリ元気がなくなり、まだグジグジしています。
そして、何田匡史さんを奪った島道鉱泉の山々を許せないのです。
昨年の、この時期、匡史さんと日向ぼっこをしながら、未来のピジョンを語りました。
光と闇の仕組み、魂のテーマ、生きるとは、死とは、死んでから困らないように生きているうちに何をしなくてはいけないか、などなど…。
真実を追求し、本当のことを世に伝えるために、匡史さんは、神様に真剣に向き合い、精神学を勉強し、一生懸命生きていました。
わたしは、彼ほど精神世界に興味がなく、彼の一生懸命さと熱意に付き合っていた感じです。
そんな、彼といる時が一番面白くて楽しい時間でした。
いま思うと、何田匡史さんがやりたかった事は、わたしの小さい頃からの夢と重なるところがありました。
シン・シンダラチャンネルの配信が始まり、わたしの身の回りに不思議な事が起こり始めています。更新日近くになると、匡史さんが、わたしの身体に重なる事があり、わたしでない感情が湧き出てきます。
やはり、何田匡史さんとわたしは仲良しなのです。
今日は、彼と一緒に、散歩しながら『シン・シンダラチャンネル』で何を配信するか悩んでいる日になりました。
また、覚悟が決まっていないじぶんの弱さに気づいた日でもありました。
最後まで、お読みくださりありがとうございました。

第3回目

青空からのメッセージ

2022年5月26日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

何田匡史さんが、この世を卒業してから1ヶ月。
4月上旬、家族を労うため石川県金沢市と新潟県弥彦村に出向きました。
目的は神社に、お礼参りに行くためでした。
しらやまひめの神様も、やひこの神様も不在でした。
でも、近くのホテルに予約して、素敵な思い出作りをしました。
神社へのお参りの最中に、糸魚川市役所から連絡がありました。
4月上旬、島道鉱泉坂道の除雪、木々の撤去などの作業を開始するとのこと。
4月中旬には、雪崩の影響で取り残された重機も引き取られ、坂道に埋もれていた木々は撤去されました。

大自然の猛威を忘れないために、あえて残された木々たち。
雪崩の悲惨さを見る度に悲しさが込み上げてきますが、そうも言ってはいられません。
未来に生きる方々のために、自然災害の厳しさと怖さをお伝えしていかなければなりません。
悲しいことばかりではありません。
苦しいことばかりではありません。
今回の天災で、糸魚川市をはじめ、消防、警察、地元の業者の皆様が、懸命に働いてくださいました。
本当にありがたかったです。
『ぼくが、はるさんを守るから、はるさんの力を貸してください』
何田匡史さんが大沢岳の青空から、清々しい風に乗ってメッセージを送ってきたのは言うまでもありません。

第2回目

一生忘れられない日

2022年5月19日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

何田匡史さんからの連絡がないまま不安な夜を過ごした朝、糸魚川消防と警察の方々が、島道鉱泉まで救出作業に来られました。
島道鉱泉へ続く坂道は雪崩の被害が大きく、歩いて降りれないこと、電信柱が倒されて電気が止まるかもしれない可能性があり、かなり危険な状況だと知らされました。
『わたしたちより、匡史さんの救出作業を先にお願いします‼︎』と頼みましたが、『生きてる方の命が優先ですから、一緒に避難してください‼︎』と促されました。

気持ちの整理もつかぬまま、ヘリコプターでの救出作業が始まりました。
島道鉱泉の駐車場上空にヘリコプターが迎えにきてから、安全点検が繰り返され安全ベルトや注意事項の説明を受け、いざヘリコプターへ‼︎
地上100m(ワタシの推測)から下ろされたロープだけを頼りに、機体へ引き上げられる瞬間まで、生きた心地がしませんでした。
ヘリコプターのプロペラの風で周りの杉は大きく揺れ、島道鉱泉の駐車場は粉吹雪が巻き上がっていました。
わたしは思わず息を飲み、隊員の方にしがみつきました。
『大丈夫ですよ、ちゃんと捕まってください。大丈夫ですからね‼︎』
周りの隊員の方々にも励まされながら、『雪山で助けられるのに、わたしはまるで、まな板の上の鯉だな』と馬鹿なことを考えなが、ヘリコプターへ吊り上げられました。

わたしが、一番で、次に父親が無事救出された途端に、匡史さんが、まだ見つかっていない切なさが込み上げてきました。
その日は、晴天だったので、雪山の景色は最高でしたが、『匡史さんは、この雪の中に眠っているんだろうなぁ』と想像すると空しくなりました。
2月24日は、雪崩の影響で、陸の孤島になってしまった島道鉱泉からの救出された切なく悲しい壮絶な日になりました。

糸魚川市のご厚意で、24日は、ビジネスホテルに泊まりましたが、一睡もできず朝を迎えました。
8時から災害現場での車確認が始まりました。
2台の軽自動車は、無残な形で発見され、次々とレッカー車で運ばれました。
2台目の車がレッカー移動されたタイミングで、匡史さんの遺体の確認作業を父親と妹がすることになりました。
『やっぱり』と思うと同時に、言葉では表せない気持ちがありましたが冷静なわたしがいたので不思議でした。
ただ、糸魚川消防、警察、市役所、匡史さんの救出作業に関わってくださった方々に感謝しかありませんでした。

父親が『匡史が見つかって良かった』
妹が『お兄さん、寝てるみたいだったよ』
の2人の言葉を聞いた途端に我慢していた緊張感がほぐれて、匡史さんが見つかった安堵感が混じり、涙が次から次から流れていました。

2月25日は、かげかえのない存在をこの世から見送った、一生忘れられない日になりました。

第1回目

2017年から2022年2月まで、ネット上に
『死んだらチャンネル』というサイトがありました。

2022年5月11日
語り:日戸 乃子(ひと のこ)

そこでは約5年間にわたり、『神を超えよ!仏を超えよ!』というタイトルで、何田匡史氏(本名:能登匡史)が聞き手となり精神学協会・積哲夫会長に「人間は、なぜ苦しい人生を歩まなければならないのか?」などの根本的な疑問を、多方面から質問する対談形式のブログが週一回で掲載されていました。生きることの根幹を深堀する、このブログ記事を楽しみにしていたファンもたくさんいたのです。
それらの原稿量は5年間で、新書本3冊分にものぼり、2022 年前半期にはその対談を元に一冊目の本が出版される運びになっていました。
ブログを書いていた何田匡史氏が住む『島道鉱泉』は、新潟県糸魚川市の雪深い山地にあり、昭和初期まで盲目の瞽女 ( ごぜ ) さんが三味線と歌唄いで芸を披露する仕事場としても活用されていました。また薬効の高い湯治場としても有名で、何田匡史氏はこの島道鉱泉の次期継承者として、一年前から移住していました。
2022年の冬は例年にない積雪があり、年末に何田氏と連絡を取った時には、電話の向こうの彼から息の荒い声が聞こえ、「除雪作業が大変や!腰が痛くなるよ」と、ぼやいていました。

京都生まれで、京都育ち。
雪が少ない地方からの移住なので、雪に埋もれるような生活のなか、屋根の雪降しの作業に毎日黙々とはげんでいたのです。
2022年2月23日夕方。
島道鉱泉の建物に向かう坂道を登っていた何田匡史氏を、突然の雪崩が襲います。
警察や消防による必死の捜索の後、何田氏の無事を祈るたくさんの思いは届かず、二日後に雪の中から冷たい遺体となって発見されました。しかし、雪崩の遭難には珍しく、損傷の少ないまるで眠っているようなきれいな姿で見つかったのです。
そして彼が楽しみにしていた、初めての出版本は遺作となってしまいました。
そして、葬儀の時。
「こちら(霊界)からメッセージを届けるという働きをしたい。そのために『死んだらチャンネル』を再始動してほしい」という言葉と決意が、向こう側に移った何田匡史氏から、日本全国に住んでいる複数の友人や知人に思いとして届けられたのです。
もともと、何田匡史氏は鮮明なビジョン(幻視)を見たり、希望者に精神学の『浄化と上昇』の指導をするなど、生前から精神界とつながって働いていた特別な能力のある人間でした。
ですから、あちら側に移動した彼から言葉が届けられたとしても、なんら不思議なことではないのです。
何田匡史氏の願いにより、人類史上初めての「身体を持つ人間だった個人が、死後の世界から、死後の様子を伝える」という使命と役割をもつサイトが誕生したのです。
死者と生者が協同して死後の世界を案内する企画が、この『シン・シンダラチャンネル』なのです。
ただし、霊界と呼ばれる領域では、現在大きな変動と混乱が起こっています。
(※詳細は、光文書 VOL.800+3『死後世界』を参照 https://www.godbrain.com/vol-8003/
それら精神界の再編成による激動の渦中から、生前と同じく学ぶ姿勢の篤い何田匡史氏のレポートが届くことを祈ります。