第37回目

挑戦

2023年2月23日
語り:説諭士

 主人の選挙戦からしばらく経ち、自分の気持ちもやっと落ち着いた気分にもどりました。
今にして思えば、主人の選挙戦はあっという間の日々でした。
後援会活動(選挙戦に入るまでの活動)として、支援をいただきに地域を回ります。
それは、候補者の妻として当然の務めです。
1年前に市議選、そして今回の県議選と、落ち着ける暇もなく、決意した限り精一杯頑張り尽くさなければ、と心中焦りの中で、容赦なく時が流れていきました。
当初は、市会議員でいれば安泰なのに、何故今更しんどい思いしにいくのか、何のために県へ行くのか、主人や私の友達、親族身内や市会議員の時の後援会役員の方々からも、この様なお言葉をいただきながら、また現職議員から後援会長を通じて、出馬をやめよとの信じられないこともある中、断固として譲らなかった主人の決意を信じながらも、心細い気持ちのまま、支援お願いの挨拶まわりが始まりました。

 そんな中、いよいよ告示日を迎え選挙戦の火蓋が切られました。 3日目選挙カーの屋根に乗せた候補者の看板が、街宣中ガレージの屋根に引っかかり、下に落ちるというアクシデントに見舞われ、とんでもない事態が起こったのでした。
半日凱旋できない状況の中、一瞬「これでマイナスの波動がはずれた!」と思った時、何人かが「悪いもん落としたから勝てるぞ!」と、みんなが拍手して、「良かった良かった」と不思議な光景ですよね。
支援者の皆さんのポジティブさが、マイナスをプラスに変えてしまいました。
その事がきっかけで、と言っても過言ではないほど、次の日から身にしみて周りの反応が良き方向にかわり「よう思い切ったなあ」「同年齢で勇気もらったよ」「僕も、あんたの旦那に負けない様に、百姓仕事まだまだ頑張るわ」「年齢を感じさせない若さがある。地域のために頑張ってほしい」と、嬉しい言葉を聞かせてくれるようになりました。

公認候補者ばかりの中に、無所属で戦う必死の姿が、有権者の方々に伝わったのでしょうか?
最終日、凱旋が終わって事務所に戻った主人たちを、事務所に詰めかけ出迎えて下さった方々が、拍手で迎えて下さる光景に涙する主人と、共に戦ってきた乗務員やウグイス嬢たち、精一杯戦い抜いたという感動を共有できた瞬間、「本当にありがとうございました」の言葉と「ご苦労さま」と達成感の喜びの波動が、周りに満ちていました。
あとは明日の審判を待つのみですが、「戦い抜いて悔いはない」と私に言ってくださった若い子の言葉が印象的でした。

 翌日の結果は、本当に立派な成績で当選させて頂きました。
過去の選挙戦にはなかった、有る事無い事の誹謗中傷を受けながらも、わたしたちを信じてくださった同級生たちに「気にすることないよ。そんな噂誰も信じてない。言う人の品格を落とすだけ。選挙にはつきものや」と励まされ、勇気づけられたことも忘れられません。
今までにも、多くの皆様のご支援に応えながら、選挙戦を経験させていただいてきましたが、また今回もこの様な喜びと感謝を新たに重ねさせていただくことは、主人はじめ家族身内にとって、ありきたりの言葉でしか表現できませんが、本当に言葉では言い表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。

今回主人の姿を見て、何事も自分の信念を持って挑戦する勇気が、人々の心に響くという実感を肌で感じさせていただき、主人がまた新たなステージに立たせていただいたこと、皆様から温かいお言葉をいただきご支援いただいたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、本当にたくさんの愛をありがとうございました。

たくさんの感謝と愛の心を感じさせていただき、更に、今回わたし個人にとって『挑戦』という行為に勇気という明かりを灯していただいたことも大きな収穫でした。
わたしは一貫した活動をしてきた主人の姿を見て、今だからできる事、自分にしかできないことを、自分の想い描いていることの集大成として、信念を通し、『挑戦』することを決意しました。
「主人に負けず、やり抜こう」と、闘志を燃やし、これから二人のやることは違っても、夫婦揃っての終活です。

残された人生で、感謝と愛の心を込めて、少しでも世の中のお役に立てることを願い行動致します。たくさんの感動と優しい言葉をありがとうございました。

第36回目

混沌

2023年2月23日
語り:説諭士

この地球に、人間が降り立ち、『初めに結語ありき』から始まった、日本の仕組み。
わたしたち人間が、生きるための指標が言葉から始まりました。
やまとことばは、神界語と信じてやまない私にとって、子どもたちが話す言葉に、神界語の波動すら感じられなくなったことの危機感は、どうしても拭うことができません。
言葉の乱れは、世の乱れにつながります。
今のまま進めば、この国どころか、世界の崩壊につながる危機感が増すばかりです。

お金が全てと思っている人たち(政治家や官僚、そしてそれになびいていく、企業) マスメディアやマスコミから、洗脳によりコントロールされ、正しさの基準すら見失っているのではないかと、懸念すら感じてしまう一般市民。
何が正しくて、何が間違っているのか、⁉️を持ち学ぶべきだと思います。
世の中を支配する者たちの、子羊や飼い犬のようになってはいけない。
自分達の生活を守るために、危機感を覚えるものに対して、意見を言うべき行動の取れる人材が必要です。
そのための教育システムを変え、GHQの弾いた路線から改めて、日本本来の正しい歴史や文化を学ぶべきだと、このような小さなわたしですら、世の中に対しての危機感を、通説に感じているのですから、すでに世の中が、とんでもない方向に進んでいるのでしょう。

ある人の言葉が目に止まりました。
「ほとんどの人は、真実を知りたいわけではない。自分が信じている事が真実だと、安心したいだけ」

わたしたちが学ぶ、精神学協会では、すでに個々のレベルでの審判に入ったと知らされました。
この世での生き様すべてが、心の中に映し出され、認めざるを得ない状況に置かれ、否応なく光と闇に分けられるのです。
光の道に進むためには、死んで審判されるより、生きているうちに審判を希求するのが、より良い生き方だと、わたしは理解しています。

まさしく『今』ではないでしょうか?
世界を良くする為には、今、わたしたちがしっかりした心の目を養い、未来を担う子どもたちに、良い模範を示さないといけないのではないでしょうか。世の中の波に押し流されるのを、仕方がないと思わないで、自分でやれることに、『勇気』を持って行動すべきだとおもいます。『正義感』と『愛のこころ』を持ち合わせていれば、未来が変わるはずです。一人ひとりが『その波を波及する小石になれたら』と、わたしは願っています。

第35回目

言葉におもう

2023年2月16日
語り:説諭士

「おはようございます!」
一日の始まりの朝の挨拶で、わたしたちは今日も一日頑張ろうとおもう。
「こんにちは~」笑顔とこの一言で、ご近所さんとコミュニケーションをはかり、「こんばんは~」の挨拶で、今日もご無事でよかったですねの思いがこもり、「おやすみなさい🌙」で「今日も一日、ありがとうございました。」と感謝の気持ちでとこにつく。
この短い言葉一つ、声をかけられて、腹を立てる人がいるでしょうか。
もし挨拶できない、声をかけるのが苦手、という人がいるかも知れません。
でも、思い切って声をかけてみると、相手から、笑顔の返事が返ってきたら、それは嬉しいはずです。
人を幸せな気分に、導いてくれる言葉なのだと、気づくはずです。

先日、孫たちの会話が、耳に入って来ました。
「ねえねえこれできる?」といううちの孫、孫の友達が返した言葉「むず」。
そして、黙々と自分のやりたいゲームに夢中。
その後の会話が続かない。
だんだん日本語がこわれていく気がしてなりません。
言葉は、コミュニケーションをはかるうえでは、最も大切なものだと認識しているが、簡略化された言葉には、相手へのいたわりや、思いやりが感じられなくなったと思えて仕方がない。
簡略化した言葉そのものにも、『愛』『敬う』気持ちが伝わってこない。
今の若い子たちは、それでコミニケーションがとれているのでしょうか。
年代の違いとは思いつつも、何か虚しい気がしてなりません。
こうして、言葉が壊れ、相手を敬う気持ちが薄れ、社会が壊れていくのだろうか。
グローバルという言葉に乗っかって、英語が重要視されるなか、わたしは日本人として、国語を大切にする気配が失われることを、懸念しています。

また、言葉一つで、相手を追い詰めたり、度を越せば『死』に追いやったり、殺人兵器にもなりかねないと思っています。

標準語でなくても良い。
方言の方が、温かみがあって、親しみがあって、地域の絆につながっているのではないかと考えます。
同級生の友達が、学校を出て、東京で生活していた頃、居酒屋で偶然、同郷の人に出会い、方言を聞いただけで、凄く親近感が湧き、故郷を、懐かしく思い、以来時々その居酒屋で酒を酌み交わしていたのだと、当時話していた彼の言葉を、思い出しています。

『やまと言葉は、神界語』だと、わたしたちは、学びました。
『言葉は魔法』良くも悪くも、人の心を簡単にコントロールしてしまいます。
今の子供たちが、当たり前と思ってしまうのが、いかがなものでしょう。
それでなくても、いつの間にか、死語が増えています。
短くしてしまった、単語のような言葉ではなく、心のこもった、思いやりの言葉を交わせられる、子どもたちからの、会話を聞きたいものです。
言葉の崩壊が、国の崩壊に、つながると思うのは、思い過ぎでしょうか?

第34回目

改めて思う人間性

2023年2月10日
語り:説諭士

主人の新たなステージへの挑戦について、前回にも書きましたが、2月1日より後援会活動が始まって、まだ10日余りしか経たないのに、ずいぶん長く行動していた様に感じるのはどうしてなのだろうか。
過去には無い人間関係、そして毎日のように耳に入ってくる様々な情報は、過去の市議選には無かったものを感じています。
大きな選挙戦になるほど、人間の闇が放出される世界なのだと痛感しながらも、その流れの中にどっぷり浸かってしまったと、後悔はないものの、日々反省と挑戦へのチャレンジ精神の中で、どんな事があっても、頑張って勝利しなければならないと言う、強い決意が湧き出て来て、眠れない夜もしばしばです。

過去の選挙活動では、主人と共に、挨拶回りするケースが多かったのですが、今回は日数が足りないという思いもあって、わたしのお願いできるところへのご挨拶は、自分で回らせていただいています。
他候補者は、それぞれのかかわっている党の公認を得て、党としての看板や新聞へのチラシ折り込み等、賑やかな応援合戦となって来ました。
その様子を、冷ややかに反応している人たちが、主人を応援してくださっています。
党の応援で企業の建物や入口、また道路に面した所などに、貼られた〇〇党は〇〇さんを応援しています、というポスターを後目にしながら、無所属の主人は、こつこつと地道に歩いてまわっています。
党の公認を得ていないが為に、ポスターなどは貼れずに、「高田さんのポスター、全く見当たらない。新聞の折り込みもはいってないし、ほんとうにでるの?」と、有権者の方から、問い合わせが来るなど、不安材料が続きます。
兎に角、主人は、一人でも多くの人と接触し、意見を聞かせていただいたり、自分の思いを、お伝えしたりしながら、真面目に活動しているのに、それを潰そうとする行為が目立ち、本当に悲しくなります。
まさしく、『光と闇』のたたかいとなっています。

自然ゆたかなこの地で、未来の子どもたちが、明るく、笑顔の絶えない、心豊かな子どもたちに育ってほしい、と願いつつ、未来ある子どもたちの成長を見守り、地域の発展のために、頑張ろうとする主人の考えに賛同して、一生懸命に走り回って、一票一票をいただくために、一軒一軒訪ねて、活動してくださっている人たちも多くいます。
『その人たちに支えられ、応援してくださっている人たちを信じ、最後まで頑張ろう!』という主人を支え、主人の健康管理も、わたしの務めとしながら、主人に期待を寄せてくださる人たちを、裏切ることのないよう頑張り、支援者の方々と共に、必ず喜びを分かちあえると信じて、行動を共にいたします。

第33回目

ここにも一つの終活

2023年2月2日
語り:説諭士

 議員生活27年、78歳の主人が、また更に過酷な世界に挑戦するという決心を固め、大幅に遅れながらの出馬の準備中。1月31日付けにて、市会議員職を退任いたしました。
辞職後の2月1日からは、正々堂々と県議選への挑戦に、精一杯取り組む事が出来る様になりました。

ことの発端は、2期連続選挙のない事が色濃くなり、今回も選挙が無ければ『12年間無投票』になると言うのはどうか?
それは許せない、『市民の審判を受けるべき』というところから、出馬の話が持ち上がったものでした。
正義感の強い主人の性格からすれば、当初反対していた身内も、そこまで決意が固いとは想像もしていませんでした。

1月3日と7日の娘たちとの話し合いで、やっと、主人の想いが娘たちに伝わった様な流れでした。
一般の伝え聞きした方々からも、過去トップ当選を続け優秀の美を飾って終われるのに、何で?またと言う声や、今更しんどい事に挑戦しなくても、健康のことが心配、年齢的にも当然のお言葉です。
今まで、主人を支えてくださって来た後援会の方々からも賛否両論のご意見でした。

先日、お集まりいただいた皆様方に「様々なご意見を、本当にありがたく受け止めています。でもまだまだやりたい事があり、どうか私のわがままをお許しください。」と言って頭を下げる主人の挨拶に、集まってくださった方々からは「勇気をもらったよ。やっぱり、何歳になっても挑戦する勇気が必要やと想った。元気でいる限り役に立とうと思わなあかん。共に頑張ろう!」と逆に勇気づけの言葉を、帰りがけに伝えてくださった方もいました。

主人と挨拶回りや、今後の行動を話し合っている時、ふと私の心に去来したものがありました。
主人は主人の立場で生き甲斐として、果敢に取り組もうとする意気込みが、多くの人たちに、『勇気と元気』を与える事につながっているのだという事に、身をもって気づかせていただきました。
『生涯現役』を健康で貫いてほしいと、祈りの精神で主人を支え、協力していくことが、今のわたしの務めだと心に刻み、最終の4月9日の投票日まで、主人の応援に奔走いたします。

「『選挙は魔物』だから、良くも悪くも人の心がよく見える。振り回されない様、『最高の笑顔を❣️』だよ。」と、いつか心に伝えられた言葉を再認識していると、27年間に培われた経験値なのか、人の心の動きが、手に取るほどよくわかるようになっていました。
それでも『笑顔』です。
その笑顔は、作り笑いではなく、心の底から応援していただける感謝の気持ちが、心の表れとして、自然に表現している事が大事です。
心無い握手であっても、心からの自然な笑顔によって、強く握り返してくださる体験も沢山してきました。
主人の決断が、良き方向に導かれます様に、、、祈り
また、今回も学ばせていただきます。

第32回目

人生の終り方

2023年1月26日
語り:説諭士

 お釈迦様の時代から、人間には生老病死の四苦があると言われています。
それぞれの苦しみを乗り越えるには、一言では言えない並々ならぬ頑張りと、自分を信じる強い信念が必要です。
わたし自身も、小さい頃から様々な病気体験を繰り返し、青春時代、級友達が卒業旅行に行っても参加できない体調に、寂しい思いを繰り返していたり、その中で一番耐えがたい思いを体験したがんの告知。
それでもショックと苦しさを乗り越えて来ました。
また、心肺停止の経験もし、あの世の光も見て来ました。
息を吹き返した時の苦しさと、目が覚めた時の感謝と幸せ感が忘れることはありません。
体験者として、こころの成長につながった事がいっぱいです。
「なんで?私がこんな身体?」こんな気持ちになったことも再三でした。
でも、「何でこんな体に産んだの?」と、親を責めたことや、思ったことは一度も無かったです。
たんたんと、子供なりに受け入れていたんですね。
それよりも、両親には本当に心配かけて来た事を申し訳なく思っていました。
そのような体験からか、人の痛みが少しは分かる人間に成長できたかな?です。

先日、幼なじみの友から、久しぶりの電話が入りました。
人一倍元気な友だけに、電話を受けた第一声から、とても同じ人とは思えない、か細い声に「どうしたの?」「どこか具合がわるいの?」咄嗟にこの言葉しか浮かばないほど、元気のない声が伝わって来ました。
「今日は、ちょっと楽なので声を聞きたくて」と言うのです。
「病名は、膵臓癌、それも胃よりも大きくなっていて、手術不可能と言われた。他にも2箇所に転移していると言われた。抗がん剤で、髪も抜け、何も食べられなくなって、体力がガタ落ちした。でも、今は食べる量は少ないけど、なんでも食べたいものは食べて良いと、でも美味しいと思った事ないので、60キロ以上あった体重が、40キロになりガリガリに痩せてしもうたわ」としんどそうに話すのでした。

訪ねて来てくれても、起きられないからと言うことだったので、暫くして、私の方から電話連絡してみました。
前回と同じく、元気のない声です。
「明日、抗がん剤を受けに、病院に行くことになっているの。今は抗がん剤が頼りだから。辛抱せんと仕方ない。頑張るわ。」
と言うものの、諦め感がひしひしと伝わってくるのが、ちょっと悲しかったです。

自分の生命が、今にも消えそうな時、人の思いは様々でしょうが、病気になったことは、第一に正面から受け入れなければならないのだから、治療方法や病気に対する考え方、家族との暮らし方や接し方、そして自分の人生について等々、そこからどうする?なのです。
神頼みや医者任せではなく、自分で答えを見出さなければなりません。

そして、いつか人はこの世をさることになります。
その事を踏まえて、自分はこう生きる、または、どう生きるべきか?との考えを持って生きる事が大事です。
私たちの命の補償は誰にもできません。
だからこそ、普段から、死について考える事が大切だと、わたしは常々想って生きています。

わたしたちの肉体は、本当に不思議です。
血液の中の栄養素を運ぶ血管の長さは、赤道の2倍半の長さだと言われています。
呼吸のリズムは、波が打ち寄せたり引いたりのリズムだと言います。
体調の悪い時や感情的になって興奮状態の時は呼吸が浅くなり、逆にリラックスしている時はゆっくりと穏やかなリズムを保っているはずです。
波長というのも、波と波のリズム間隔だと想います。
波長が長ければ穏やか、人が生まれる時は満ち潮、なくなる時は引き潮の時だと、聞き知りました。
全て、自然のリズムのなかに、答えがあるように思います。
こう考えると、ここでもモーセ様の言葉『人の生命は地にあり』を思い出してしまいます。

そして、死後の世界の存在を否定することなく、受け入れた生き方を、機会あるごとにお話ししたいと考えています。

今回は友達の電話がきっかけで、この様な文章になりましたが、誰もがいつその様なことになるか知れません。
「明日は我が身」という言葉がありますが、明日のことはわからないのです。
このテーマは、真剣に考えてほしいという思いで、綴らせていただきました。

第31回目

地と水と人と

2023年1月19日
語り:説諭士

 前回の、龍神動画と初夢に至るまでを振り返ってみました。
龍神界と私の「たましいは」、深い縁で繋がれている、という物語が存在しています。
地球誕生の歴史を知っていると言われる、古い古い龍神と、切っても切れない水神とのご縁があって、現在に繋がっていると、わたしは認識しています。

数年前、奈良県吉野にある洞窟に行った時、「地脈・水脈・人脈を整えよ」と言う言葉が、こころの奥に響いて来ました。
人の力では、どうすることもできない問題かも知れませんが、でもそのテーマを与えられた限り、答えを出さなければならないのですとわたしは考え、その時点で答えを出すための実践が、すぐに始まりました。

畑・田んぼが与えられました。
わたしには、農業のノウハウがありません。
でも、天はちゃんと、その人材を集めてくださいました。
土を耕し、作物を作る作業が始まりました。
土を大切に想い、良い作物が作られるまでに、先ず土の改良から始まる事を知りました。
暑い最中の作業に、わたしの体力が付いていきません。汗びっしょりになりながら、作業をしてくださる人を労うことしかできず、せいぜい飲み物を運ぶくらいが、わたしのお役目です。

そんな中、いちご狩り園のお話も入って来ました。
当初は、様々な問題が山積していて、一つ一つ問題解決しながら、本当に苦しいことも乗り越えながら、一歩一歩すすんできました。
「美味しいイチゴを育て、園に来てくださる人たちの笑顔を見るのが楽しみ」と、言いながら作業に精を出してくれる姿を見つつ、ここに至るまで色々なことがあったことも、お勉強だったと思える所まで、頑張ったねと労を労い、来客を待つ不安はあっても、楽しいと思えることの方が大きく、気持ちよく楽しんでいただくために、イチゴハウスの足元の整備や駐車場周りの大掃除に、一生懸命作業に専念して下さっています。

いちご園のオープンに向けて、精神学協会の会長が、いちご園の周りの土地を、お祓いに来てくださいました。
「周辺の波動が、この上なく悪い状態、この土地で、これだけ美味しい『いちご』をよく作れたね」と、お褒めの言葉をいただきました。

「和歌山が、日本の現状を示している」と言われて来ました。
愛の心配りをしながら、土地と向き合い作物を作る作業にも、きっと光が差し、『地脈・水脈・人脈』が整う事を信じています。
ここまでの道のりは、わたし一人ではできるものでは無かったこと。
そこに関わってくださった、皆さんがいたからこそ、達成できたものです。
和歌山が日本の雛形であるなら、この事がきっかけで、和歌山から日本中に、光が届けられる事が可能になったと、確信しています。

また、モーセ様の言葉として『人の生命は地にある』と言う言葉を心に刻み、地域の活性と、人々の笑顔と、自分たちのお役目達成と、生きがいのために、しっかりした絆をつくり、努力して行く事を、天と地と水にお誓いし、進んでまいります。

第30回目

初夢

2023年1月12日
語り:説諭士

 ここ数年、見たことも無かった初夢がかないました。
信じられないような光景❣️ウワー綺麗❣️❣️❣️
自分の声で目が覚めました。
今年は60年目の、癸卯(みずのとう)の年、今までの苦労が報われる年だと言われています。
良い夢は、三日間人に話すことなかれ、その言葉を信じ、話したくてウズウズしながら、誰にも話さずじっと我慢を決めていました。
その夢のお話です。
初めに映像が出て来たのは、普段の田圃の景色です。
左手の方からズーッと目で追っていると、稲の切り株が残った普段の田圃でした。
また元の左手の方に目を向けると、エッ!? 切り株に寄り添うように何かが輝いている⁉️ 最初は花⁉️かと思いました。
よく見ると、花ではなくタケノコのような形をしていて、眩しいほどキラキラと光を放っているのです。
それが一つではなく、視野に入っている田圃の全ての切り株に、同じ様に寄り添い輝いている。
言葉では、表現できないほどの輝きと美しさに、「ワーッ綺麗❣️❣️❣️」と声を上げた瞬間、自分の声で目が覚めた、ちょっと恥ずかしい一瞬でした。
 
余りにも綺麗だったので、随分興奮気味だったわたしは、夢の追想をしながら、なぜタケノコのような形だったのか?そして、どのような意味が込められているのか?しばらく考えていましたが、自分なりに確信に至る答えは、土地もっと大きくは、地球と共に生きる喜びを実践するのが、自分自身の使命でもあると再認識に至った思いがしました。
タケノコは成長するたびに節目があります。
人間も成長するたびに試練があり、そこの節目を乗り越えてまた成長させて頂き、また節目を迎えたら学び成長するのだと、信念を持って進みたいと願っています。
幸いにも今、共に働く仲間がいて、そこに協力者が居て、いちご園やニンニクや梅や柑橘類など、また新たな協力者の知恵と知識を借りて、稲作にも広がりつつあります。
土地への感謝と、愛を注ぎ作物を育ててくれる仲間の人たちにも感謝しつつ、自分ができる協力を惜しまず、この初夢が元で、改めて地域の発展のために力を注ぐ決意をいたしました。

この初夢につながる、一つの写真があるので、ご紹介しておきたいと思います。
わたしにとっては、まさしく『天と地の契約』になったと信じています。

和歌山県一宮神社のひとつで、古事記にもあります木の神様、五十猛の尊様をお祀りしている伊太祁曽神社に、年末のお手伝いに、行かせていただいた時の写真です。
生命の水として古くから、こんこんと水の湧き出ている井戸が有り、そこに龍神さまが奉納されています。
その前に立った時、メッセージをいただきました。
その事は次回に投稿させていただきます。

第29回目

嬉しいご報告

2023年1月5日
語り:説諭士

 あけましておめでとうございます。
昨年の年の暮れ、一本の電話がありました。
懐かしさと、嬉しさが入り混じった興奮状態での会話です。
「久しぶりです。明日、両親と3人で行っていいですか?」
「午前中は、お餅つきするので、午後3時以降がありがたいんだけど、それで良い?」「はいお願いします。僕ずっと会いたかった!」
という事で、30日午後3時過ぎの来訪でした。

電話の主と最初にご相談を受けたのが22年前。
あの頃とは違い、随分大人びた姿と、笑顔で話してくれる姿に驚きは隠せませんでした。
「何歳になったの?」「40歳です。」
随分大人びているけど、話していれば、どことなくあどけなさの中に、その頃の面影を垣間見つつ、ご両親も本人もニコニコ笑顔で、楽しく会話が弾む。

お父さんに連れられて来た彼の、初めて会った時の印象は、うつろで凄く寂しい目をしていたのを覚えています。
このような状態になったきっかけは、高校卒業を目前に、競馬の騎手を目指し体重調整の為、サウナで体重を落とし頑張ったのですが、体重が少しオーバーし不合格。
その後人格が変わったように乱暴になり、部屋のあちこちを破壊したり、挙げ句の果てには多重人格で、身も知らぬ家に電話したり、女性の人格となりお化粧したり、天井裏に潜んだり、余りの暴力で暴れた時は救急車で病院に運ばれ、3度目の時このまま病院に運ぶと、鍵付きの部屋に入れられる処だったその時、救急車の中で「高田さん!たかださん!」と呼び続けたそうで、わたしに連絡があったのは、23時を過ぎていたと記憶。
すぐ駆け付けても1時間半はかかる距離を、必死で車を走らせました。
到着した時、目にした光景は、救急車の中でベルトで縛られたまま、一眼で暴れたことがわかるほど服は泥んこ、息が荒くすごい興奮状態でした。
先ず呼吸を落ち着かせようと深呼吸させました。
だんだん正気を取り戻し「高田さん来てくれてありがとう。落ち着いて来た。もう大丈夫」と言いつつ救急隊の人にも「御免なさい。ありがとうもう大丈夫です。」
1時間半も救急車を出さず待ってくださったことも奇跡でした。

その後も、いろいろあって、一番記憶に残っている事件です。
お父様から緊急を要する電話がありました。
昼過ぎに家を出たまま、夜になっても家に帰ってこない。
電車に乗って大阪方面に行ったのか、警察に保護願いを出した。もし高田さんの方に連絡あれば宜しくという内容。まさかこの真冬に、歩いてくるはずがないと思いつつ、気にしながらうとうとしていました。
明け方4時過ぎ、無言の電話。
一度は切れたものの、また直ぐに電話がなる。
「00君?」小さな声で「うん」「どこにいるの?」「高田さんの家の近く」公衆電話の場所は近くには一つしかなく直ぐに分かったから、車で迎えに行きました。
公衆電話のボックスの中で、座り込んでいる本人を見つけ、直ぐにお父様に連絡。迎えに来てくれるまで、体を温めてあげようと、家の中へと思ったのですが、足が動かないと言う。
それもそのはず、道も凍るような寒さの中、素足でスリッパばき、自分の家(泉南)から14〜5時間歩いて、足裏の皮は剥けて痛々しく、とても歩ける状態でなく、迎えに来てくれるまで車中で待ちました。
この寒さと暗がりの中、一人どのような気持ちで歩いていたのだろうと思うと、涙が止まりませんでした。

その後、本人の努力もあり就職するが、人とのコミュニケーションが取れず、苦労しているとはお父様から耳にしていました。

いろんな事を思い出すと、わたし自身も身体にあざを作ったり、とにかく必死でした。
勿論本人は苦しかったでしょうが、ご家族にとっても地獄の日々が続いていたと思います。

久しぶりの再会に、「最後にあったのは、貴志川八幡神社の神様の前で、いろいろごめんなさいと、高田さんに謝った時から今日で18年」だと本人ははっきり覚えていて、その後も何度も会いたいと思っていたのだと言ってくれました。
その言葉にお母様も「何回もその言葉を聞いていました。
本当に会いたかったんだと思います。今日会えて嬉しいね」というお母様の言葉に、笑顔でうなずいていました。
そこまで思ってくれていた事に、わたし自身も最高のプレゼントをいただいた気持ちに、心からありがとうを言わせていただきますという思いで、嬉しいご報告をさせていただきました。

第28回目

終活のすすめ

2022年12月29日
語り:説諭士

 人生のエンディングをどのように演出しようと考えますか?
人は生まれた時から、もうすでに『死』に向かって生きていると言っても過言ではありません。
『死を考えて生きる』生き方をせざるを得なかった、わたし自身の体験を交え、今回お話しさせていただきます。

今から約20年ほど前の体験です。腰の辺りの違和感を覚えたのが始まりでした。
ちょうど更年期の年頃でもあり、誰もが経験するのだと思いつつ、気にはなりながら、いつかは治るだろうという気持ちでいたのです。
その頃『心と身体の健康』をテーマに、瞑想教室を開催しながら、東洋医学をベースにした予防医学を学び、健康食品販売の仕事をしていたこともあり、健康については少々敏感になっていた時期でもありました。

処が、日々鈍痛の繰り返し、思い切って病院に行って何度か検査を受けた結果、「子宮の外に癌ができています。それも結構大きいですね」その医師の言葉に頭の中は真っ白。
ガーンと胸の真ん中に冷たい氷の柱をぶち込まれたような衝撃。
医師の説明を受けてはいるものの、まったく理解していませんでした。
その頃は、まだ検査も治療法も現在のようには進んでなくて、死の病の認識の頃でしたから。
その時の気持ちは生涯忘れることはないでしょう。
治療も勿論病院には通院せず、死と向き合い、自分の未来を真剣に見つめたことはありませんでした。
家族との時間を大切にして、思い出をたくさん残したくて頑張った時間。

当初、医師に言われるまま手術の覚悟を決めていたのですが、主治医の反対を押して手術も治療法もせず、癌と付き合う覚悟を決めました。
この決断にはとっても勇気がいりました。しかし、この決断が信じられない方向へと転換したのです。

みなさまの2023年が良い年であられますように!
仕事柄、5人の末期癌の方々とのお付き合いが始まり、同じ思いを共有しながら、約3〜4年ほどの間に5人とも他界。
みなさんが、ご家族に感謝の言葉を述べられ、一人ひとりの人生の幕を静かに下ろされた後の、穏やかな顔が幸せだった事を物語っていましたと、嬉しいご報告をいただきました。
その時、安心感なのか達成感なのか、人知れず、死と向かい合って生きていた私にとっては、かけがえのない尊い時間に思えたのでした。
その後、久方ぶりに主治医の先生の診察をと思い立ち、病院へ足を向けることになり、診察の結果、それは信じられないような事実が起きたのです。エコーでの結果2センチ位まで小さくなっていたのでした。
「先生も信じられない」と言いつつ、「このまま様子を見ましょう」ということで、時々診察に通い、その後2年ほどで「完全に消えましたよ」とお墨付きをいただき、不思議ですが、わたしには5人の方々が、私の癌を持っていってくださったとしか思えませんでした。

戦国時代の武士や、戦時中の人たちは常に『死を考えて生きる』生き方をしていたのでしょうが、今の私たちは、平和に慣れすぎる(平和ボケ)生活の為か、そう言う生き方とは無縁になってしまったのでしょうか?
釈迦の教えにも人間の苦しみは『生老病死』の四苦があると伝えられています。
この苦を如何に乗り越えていくのか、如何に執着を無くしてこの世を去ることができるのか、年齢に関係なく、常に死と背中合せで生きていることを自覚し、如何に生きるべきなのか?と、わたし達は問われているのでしょう。

現在、癌の治療方法もあの頃とは比較にならない進歩を遂げています。
死の病という印象も無くなっています。
しかし、重い病に侵されれば、誰もが一度は死を考えるでしょう。
その時は辛くても、覚悟を決めればスッキリした気持ちになるのが不思議です。
それは、自分の人生を真剣に見つめるチャンスなのかも知れません。

いまわたしは、さまざまな苦痛を乗り越え、強く生きる勇気が持てる事を実感しています。
そういう経験を味方に尊ぶ気持があふれています。
宜しければみなさまの、人生(終活も含めて)の相談をお受けいたします。
ぜひ遠慮なくご相談ください。