第198回(Repeat)

思考の先へ その一
光と闇の関係

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
初回 二千二十年十一月二十五日 配信

何田:光が、闇に負けるということはあるのですか?

:今までの人類の歴史は闇に負け続けて、ここまできたのです。 「最後の一厘」という大どんでん返しは、九十九.九%まで、光が闇に負けた時にしか発動しないのです。そう考えれば、最後の一厘が発動しないと、何田さん、あなたは豊かになれないでしょう。しかし精神学を学ぶと、このように考える事ができます。何田さんが豊かになり始めると最後の一厘が発動した、ということです。そう考えたら、正しく豊かになりたいと思いませんか?

何田:豊かになりたい、と思います。正しい方法で。

:自分で光の勝利を実証したい、と思いませんか?

何田:本当にそう思います。自分が光の戦士として働けるなら嬉しいし、光の勝利に貢献できるなら、こんなにありがたいことはありません。私は、簡単にわかる精神学のテキストを作って、光の戦士を増やしたいのです。たとえば、積先生と出会って、精神学を学んで、一番気付かされることは、一方通行の考え方ではダメで、お互いは影響し合っているので・・・…。

:相互作用です。すべてをエネルギーの流れで捉えれば見えてきます。この宇宙は全部エネルギーでできているので、物質だけでなく、精神も、考え方も、知識もエネルギーなのです。正しい知識は、非常に強いエネルギーなのです。だから、「最終知識」を学んだ人間は闇を滅ぼすことができるし、「最終知識」を知る人は光の戦士となって闇と戦えるのです。だから、他の人が何田さん、あなたに悪意を向けたとしても、それに対して悪意で返してはいけません。

何田:なぜですか?

:それはなぜかというと、相手に悪意で返すことはあなたが闇のエネルギーの発生源になってしまうからです。あなたが相手との場(フィールド)に闇のエネルギーを投げ出すことになるのです。人間は神の子だから無意識に、自覚しないまま、他人に向けて闇のエネルギー(恐怖、怒り、ねたみ、そねみ、さかしら等)を投げているのです。お互いが闇のエネルギーをお互いに向けて投げ合えばどうなりますか? そうすると本当の殺し合いになります。戦いになるのです。ところが、何田さん、あなたが受けた闇のエネルギーをあなたの浄化力で処理することができれば、その闇のエネルギーは消えるのです。 もちろん、それは光の側のエネルギーにはならないです。しんどいだけです。 しんどいだけなのですが、情報として光の側に移すことで無害化します。闇のエネルギーを置いたままにしておくのは、この地球を汚すことだからです。

何田:闇はなくさなければ、いつまでたっても消えないということですね。闇を、わざわざ処理しなければなくならない、ということですか? つまり闇のエネルギーとは、人間の私達が無意識で闇のエネルギーを作り出して、それを知らず、闇のエネルギーの処理をわざわざしないから、地球に闇が溜まり続けているというわけですね。闇をなくすことが光の戦士の役割だということでしょうか。

:そうです。闇の意識体が光の意識体に出会った時に、必ず起きることがあります。何が起きるかというと、闇の意識体は光の意識体に向かって、「私を殺しませんよね」という交渉が始まります。

何田:闇が光に向かっていうのですか?

:そう、私を殺しませんよね。一緒に生きていってくれますよねと、闇はあなたにいうのです。それが悪魔の誘惑です。

何田:それが、悪魔の誘惑ですか?! 情けをかけて、闇に一緒に光になろうなんて、やさしく、「いいよ、殺しませんよ。一緒にがんばりましょう」といえば、闇や悪魔を生かすことになる、ということですか。

:そうです。何田さん、あなたみたいな人は闇にすぐ取り込まれます。 何田:えー、そういうことですか! いいですよ。殺しませんよ。反省しているみたいだし、未来に向かってがんばりましょう! なんて、闇を許可すれば、自分が闇に取り込まれるのですね。

:闇に情けをかければ、あなたが闇の手先に変わります。それがこれまでの宗教家たちが、ずっと、やってきた過ち、まちがいです。だから、神様世界には妥協はないと、私がいってきたでしょう。神様世界にあるのは、『正しい』か、もしくは『正しくないか』です。 『善』と『悪』は、関係がありません。人間が、善と悪という間違った変な概念を持ち込んだから、勘違いが始まったのです。そのために、光の地球であるべきものが闇の地球になってしまいました。そこが現行人類の、不幸の素(もと)なのです。その宗教の時代を終わらせなさい、と私はいっているのです。

何田:積先生、その不幸の素の始まりはいつですか? 約二千年前の一神教の宗教が生まれた時でしょうか?

:いまは、一神教の千年紀で起きなかったことが、二千年紀で起きるタイミングです。その「最後の審判」のスタートは、きっと千九百九十一年だと思います。私のデータでは、白山の白山比咩神社の三本杉が倒れた時が始まりです。

何田:そういうことだったのですか。結局、善とか悪とか、自分は善行をしようとか、悪や闇に情けをかけて改心してもらおうとか、人間が良かれと思っていたことが、神様業界の光と闇の問題では間違いであるということですね。いま生きている人間は、地球が闇に汚染されているというのに、自分の考えと行動の間違いが根本原因で、自分の責任だと、気付いていないのですか! 私達は。とても残念です。

:説明した内容は、宇宙論的なマクロコスモスとミクロコスモスの関係です。日本の神話のお話をすると、日本の神話というのは精神世界的にいうと、あれは人間界を学ぶためにある神話なのです。だから日本の神々は限りなく人間的でしょう。あるいは人間として描かれているでしょう。(古事記、日本書紀など) 日本の神話は、人間とはこういうものです、と描かれています。

何田:祓のノリトとかもそうですか?

:そうです。人間は、罪、穢れ(けがれ)の塊(かたまり)です。生きているということは、罪も穢れも増やしていくのです。その罪と穢れをきちんと祓うことによって、いつでも光に繋がっていなさいというのが、日本の神道の根本的な教えです。生きているということは穢れるのです。その穢れをきれいに祓わないと、人生の時間に引きずられて、闇の底に沈んでいきます。