たましいの行く先 その一
自分で創る地獄
◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年九月五日 配信
何田:最近の世の中の映画やマンガやアニメ、日本も海外も含め、流行っているのは地獄場面が多いです。地獄のヒロインやヒーロー、ゾンビやスプラッター系を可愛くしたり、カッコよくしたりとキャラクターと場面設置をしている物語がとても多いです。素直に、神様や天国界を描いた映画やマンガやアニメは、あまり流行るのが難しい、と考えています。積先生、その地獄の映像がもてはやされる理由は何でしょうか? 地獄を経験したことのあるたましいは地獄に戻りたいと思わないので、地獄を知らないたましいが地獄に興味を持って地獄に向かうのでしょうか?
積:普通の日本人は、この人生で死んだら終わりなので、そういった地獄を好むたましいは死んだら地獄に行きますね。行ったことがないから、わからないから、地獄に行くでしょう。地獄に興味を持つ、だから行くのです。
何田:でも先生、生きている間に地獄は想像できると思います。地獄って、どんな所かいろんな資料が多くあるので、調べればすぐに見つかると思います。
積:何田君、それはあれですよ。ヨーロッパで神は死んだといった人間が出てから、天国も地獄も人間の想像の産物になったわけで、今の地獄は中世の地獄のような地獄とは、まったく違います。ヒエロニムス・ボス(オランダ・ネーデルランドの画家:地獄と怪物の画家、無意識の世界をあばく画家)の描いた地獄とは、まったく違います。違うのです。ああいった絵を描くから、地獄が魅力的に見えるのです。結果として、アートのほとんどがそちら系になってしまいました。
何田:最終知識には地獄とは、全身の神経が敏感になって自分の罪に反応して、痛くて、苦しくて、つらくて、死ぬに死ねない世界。一人だけの世界で、閉ざされて何もなく、何もできない世界。耐えられることができない世界、と説明されています。消滅しないのでしょうか?
積:消滅できないから、つらいのです。何田君、仏教系でいう無間地獄(むげんじごく)というものがあるでしょう。無間地獄って何ですか?
何田:ずっと、そこから出られない世界が、無間地獄です。
積:要するに宗教が、説明している地獄には、まだ社会があるのです。たとえば、処罰する鬼さんがいて、人間は八つ裂きにされて、朝になればまた身体が元に戻って、毎朝殺されることを繰り返す。これは社会があります。本当の地獄は、一人でいつまでも閉ざされる世界です。解りやすくいうと、生きている人間のみが「神よ、神よ」と呼びかけることができます。本当の地獄の中で、「神よ、神よ、すみません。もしお聞き届けいただけるなら、何でもします」と叫んでも、世界が閉ざされているから、神様には伝わりません。消滅までその状態です。
何田:消滅というのは、自分のたましいのエネルギーが、なくなるまででしょうか?
積:そうです。
何田:そうですか。苦しいとかよりも何にもないから、行動する目的も理由もないのですね。
積:どことも繋がってないというのは、そういうことです。それが裁きでいうと、アナザーワールドという世界はそういうもので、並行宇宙というのは特異点の向こうにある世界だから、こちらからは、見えない、感じない、ないものです。ということは、無間地獄に落ちた人は救いようがありません。
何田:命の書に登録すれば・・…。
積:命の書に登録すれば、繋がりが生まれます。
何田:自分が行く無間地獄を、生きている間に自分で無意識に創ってしまっている。悪魔も神もなく、恐ろしいお話です。やることがないということは……。
積:いまの日本人の生き方を見ていると、ああ、もったいない、もったいない、という声が聞こえます。せっかく人として生まれてきて神に近づけたのに、死んで一人で地獄に去りましたか。もう二度と戻れるチャンスはありません(命の書の登録を除けば)。せいぜい人として百年生きただけで、死んだら消滅するまで地獄です。人間のたましいが消滅するのにたぶん数百年かかります。その間、その人は、ずっと一人です。
何田:自己の存在というものは、周りとの繋がりがあって、はじめて自分が成立するのでしょうか? 周りとの繋がりが、とても重要なのでしょうか?
積:そうですよ。だから江戸時代はよくも悪くも、仏教でこの日本国の死後世界をコントロールしていたので、ご先祖様を大切にしていたわけです。ご先祖様のところに自分も死んだら行くんだ、というルールがあったわけです。現在は人が死んだらご先祖様の所に行くんだ、と考えていないわけです。だから、ご先祖様をお祀りしないわけです。ということは、その時点で仏教の結界は切れているわけです。
何田:現在の人は亡くなったら、生きている間に死んだ後のことを考えていないから、どうしたらいいのか? わからないということでしょうか。
積:亡くなったお祖父さんやお祖母さん、父親や母親が迎えにきてくれるというのは、それはご先祖様を敬っている頭の中、脳内だから、その人に出てくるわけです。信じていたから迎えにくる、という現象がでます。その人の頭の中で、信じてもいないことが起こることがないのです。