第29回目

賽は投げられた

2022年12月31日
語り:たずさえ社

皆様、今年も後数時間で2022年が終わります♪ 一夜飾りは縁起が悪いとかいわれますが、無粋な私は、先ほどしめ縄を玄関に飾りました♪ 神社の社には必ず注連縄が張られています♪また、神が依り代にする巨樹や巨石などにもよく注連縄が張られています♪稲藁を螺旋状に編んだ縄によって、其処が神域だと知らしめる結界の役割を担っているそうです♪
このしめ縄❓結界に見えます~(^^♪

今年は、多くの作物に恵まれました♪ 楽しく真剣に、愛しみをもって育んだ、多くの野菜(イノチ)の、一期一会の引受先を、移動MARCHEという展開で実践しました(^^♪
その甲斐もあり、多くの方に無農薬野菜の移動MARCHEが徐々に認識されつつあります♪ とても有難いことなのですが…

昨夜、とても無機質な時間を過ごしてしまいました♪ 私の野菜を、多く人に紹介してくれる社長のお付き合いで…
店のボックス席に通された私達の元へ、20代後半の女性が数人来て、隣に座りました。どの女性も色白で人形を見ているような感じがしたのです♪ 突然耳鳴りがした私は、頭を下げこめかみを押さえました。O社長に『前島さん酔いました?』と問いかけられました♪ そこにM社長が『前島さん、ワクチン打ってないからや~』と、言ったことがきっかけとなり、話題がコロナの話になりました♪ ず~と耳鳴りがしていた私には周りの会話が全く耳に入らず、酔った雰囲気ともまた違う、不思議な空間にいるような気がしました。会話はこだましてはっきり聞き取れず、人の姿が歪んで見えるのです♪ 『アンドロイド』の中に私が一人だけがいるような…そんな気がしてからの記憶がほぼありません♪ 帰りの車の中で、『前島さん、あんた何時もそんなこと考えて生きているの?』と、いわれたので、解らないなりに『はぁ~』と、気のない返事を返していたら、『俺たちの方が間違っているような気がしてるんやけど…』(笑)♪

しめ縄の螺旋を人生に当てはめた成句に『禍福は糾える縄の如し』があります。
禍が福になり、福が禍のもとになったりして、この世の幸不幸は縄をより合わせたように表裏をなすものであるという意味です。
たゆまず進む時間の経過に合わせ過ぎて、前ばかり向いていると、過去を振り返ったり、立ち止まって方向性を見直したりすることがなおざりになってしまいます。事実そのものには禍も福もありません。禍福は自分の心次第と心得たとしても、自分の心(思考)のなすところの起点がずれていたら無機質な未来になることは、精神学で学びました♪

『賽は投げられた』ワクチンを打とうが打たまいが、審判はすでに始まっています。
私達は『審判の器』として、エントリーされているのでしょうか♪ 今、そんなことを思いつきました♪
皆さま、良いお年をお迎えください♪

第33回

ミクニの現実化

2022年12月 29日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 

今年、さいごの更新になるのですが、何を書くのか、これだというのが思い浮かばずに、ぎりぎりまで粘っていました。

来年の抱負というか、これからの残りの人生でやりたいことがカタチとして出てきたのですが、今の時点では資金も機会(お膳立て)もムリそうにみえます。うっかりしたら寿命も足らないかもしれないけれど、がぜん面白そうなので一応、能天気に目標にしてみるかというところまで設定してみようと考えています。

思い切っていえば、『ミクニのシティを創りたい』というのが夢です。

数年前になりますが、これからの人生をどのように過ごしたいのかと考えて、浄化上昇していた時に頭の中にでてきたのが、こちらの言葉と希望でした。要は人なのです。私は、残りの人生で一緒にいたい、または一緒に働きたい人間は、どんな人間なのかと考え、その人間と出会うためにはどうすればいいのかと、考えてみました。

 

これまでの人生経験で、付き合いたくない人の傾向ははっきりと絞られてきたので、その特徴を持っていない人とつながっていきたいのですが、そういう方は少数です。そして、距離的に離れていてもいいですが、できれば集まってつながって、次の文明の特徴を持った『ミクニ』と形容された地域を実際に作ってみたいのです。シティは街(または市)という意味なのか、また別のお金に関する意味があるのかはわかりません。光の経済も内包した一つのモデルケースが創られれば、それは瞬く間に、日本中に広がっていくことでしょう。そこには、人間の死へと続く生活や、子供のころから精神学を学んでおくことで、自分の能力を早期に起動できるなど、現在とは異なる死生観と人間の可能性を背景にして暮らすようになれば、そこから生まれてくるものは、まったく違ったものになりますし、身体と意識にも反映されて実際に変わってきます。

もう、今の文明の中で、健全に生きていくのは限界なのです。

私という存在の根を考えてみて、「この希望はどこから来たのか?」という疑いもあったのですが、相変わらず「面白そうだ……」と考えている私がいることから、風呂敷はたたまずに広げておくことにします。

2023年、大きな変化の中で、少しでもミクニが構築できるように働きますので、どうぞよろしくお願いします。

 

日戸 乃子(ひと のこ)

第28回目

終活のすすめ

2022年12月29日
語り:説諭士

 人生のエンディングをどのように演出しようと考えますか?
人は生まれた時から、もうすでに『死』に向かって生きていると言っても過言ではありません。
『死を考えて生きる』生き方をせざるを得なかった、わたし自身の体験を交え、今回お話しさせていただきます。

今から約20年ほど前の体験です。腰の辺りの違和感を覚えたのが始まりでした。
ちょうど更年期の年頃でもあり、誰もが経験するのだと思いつつ、気にはなりながら、いつかは治るだろうという気持ちでいたのです。
その頃『心と身体の健康』をテーマに、瞑想教室を開催しながら、東洋医学をベースにした予防医学を学び、健康食品販売の仕事をしていたこともあり、健康については少々敏感になっていた時期でもありました。

処が、日々鈍痛の繰り返し、思い切って病院に行って何度か検査を受けた結果、「子宮の外に癌ができています。それも結構大きいですね」その医師の言葉に頭の中は真っ白。
ガーンと胸の真ん中に冷たい氷の柱をぶち込まれたような衝撃。
医師の説明を受けてはいるものの、まったく理解していませんでした。
その頃は、まだ検査も治療法も現在のようには進んでなくて、死の病の認識の頃でしたから。
その時の気持ちは生涯忘れることはないでしょう。
治療も勿論病院には通院せず、死と向き合い、自分の未来を真剣に見つめたことはありませんでした。
家族との時間を大切にして、思い出をたくさん残したくて頑張った時間。

当初、医師に言われるまま手術の覚悟を決めていたのですが、主治医の反対を押して手術も治療法もせず、癌と付き合う覚悟を決めました。
この決断にはとっても勇気がいりました。しかし、この決断が信じられない方向へと転換したのです。

みなさまの2023年が良い年であられますように!
仕事柄、5人の末期癌の方々とのお付き合いが始まり、同じ思いを共有しながら、約3〜4年ほどの間に5人とも他界。
みなさんが、ご家族に感謝の言葉を述べられ、一人ひとりの人生の幕を静かに下ろされた後の、穏やかな顔が幸せだった事を物語っていましたと、嬉しいご報告をいただきました。
その時、安心感なのか達成感なのか、人知れず、死と向かい合って生きていた私にとっては、かけがえのない尊い時間に思えたのでした。
その後、久方ぶりに主治医の先生の診察をと思い立ち、病院へ足を向けることになり、診察の結果、それは信じられないような事実が起きたのです。エコーでの結果2センチ位まで小さくなっていたのでした。
「先生も信じられない」と言いつつ、「このまま様子を見ましょう」ということで、時々診察に通い、その後2年ほどで「完全に消えましたよ」とお墨付きをいただき、不思議ですが、わたしには5人の方々が、私の癌を持っていってくださったとしか思えませんでした。

戦国時代の武士や、戦時中の人たちは常に『死を考えて生きる』生き方をしていたのでしょうが、今の私たちは、平和に慣れすぎる(平和ボケ)生活の為か、そう言う生き方とは無縁になってしまったのでしょうか?
釈迦の教えにも人間の苦しみは『生老病死』の四苦があると伝えられています。
この苦を如何に乗り越えていくのか、如何に執着を無くしてこの世を去ることができるのか、年齢に関係なく、常に死と背中合せで生きていることを自覚し、如何に生きるべきなのか?と、わたし達は問われているのでしょう。

現在、癌の治療方法もあの頃とは比較にならない進歩を遂げています。
死の病という印象も無くなっています。
しかし、重い病に侵されれば、誰もが一度は死を考えるでしょう。
その時は辛くても、覚悟を決めればスッキリした気持ちになるのが不思議です。
それは、自分の人生を真剣に見つめるチャンスなのかも知れません。

いまわたしは、さまざまな苦痛を乗り越え、強く生きる勇気が持てる事を実感しています。
そういう経験を味方に尊ぶ気持があふれています。
宜しければみなさまの、人生(終活も含めて)の相談をお受けいたします。
ぜひ遠慮なくご相談ください。

第83回

たましいの行く先 その二
お迎え現象

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年九月十二日 配信

:自分が死んだ時に、その人の身内や、ご先祖様が迎えにきてくれると、本気で信じて生きてきた人には自分が死んだ時に、亡くなった身内やご先祖様のイメージが出てくることになるでしょう。それはなくなる直前、臨死の状態になった時の脳が、たぶん死の恐怖から遠ざかるためにはたらき、そうした現象が出てくるのだと考えられます。よくいわれるのは、お花畑や、三途の川を見たという報告ですね。それは、その人の頭の中の脳のデータが現象化しているように、本人には感じられるはずです。

たとえば、身内が迎えにきてくれるというのは、ご先祖様を敬っている人の、頭の中の情報です。そうではない、ご先祖様や神様を信じていない人にとって、だれが迎えにきてくれるの?  神様が迎えにきてくれるの? 天使様が迎えにきてくれるの? と問えば、おのずと答えはわかるでしょう。生前、生きている間に神様やご先祖様を信じて行動もしていなかった人の脳のデータにはないのに、死の前後にお迎えの現象は起こりません。先に死んでいった、やさしかったおばあちゃんが迎えにきてくれた、それってご先祖様と近しい関係にいたからです。

解りやすくいうと、その人の頭の中の「小宇宙」の中に、やさしかった死んだおばあちゃんが住んでいたのです。現在、人の頭の中には、神様もご先祖様も住んでいません。じゃあ、何者が人の頭の中に住んでいるのでしょうか?  ひとりひとりの頭の中の小宇宙に何者が住んでいるのですか?  あなたは自分の頭の中の小宇宙に何者を住まわせているの?

「正しいイメージ」が、とても重要です。人の死んだ先の現象は、その人の頭の中の小宇宙のイメージしか、現象で出てこないのです。これが、物質宇宙の絶対の法則なのです。いま生きている日本人の多くは、その頭の中に魔物を棲みつかせています。だから、正しい知識と正しいイメージが、重要なのです。

何田:積先生。それは、生きている間も、死んだ後も、自分の意識はずっと繋がっていて続いていくということでしょうか?

:そうとしか、考えられないでしょう。幽霊が出てくるという例を考えても、幽霊って目撃される姿は、死んだ時の格好か、自分が格好よかったり綺麗だった時の姿で出てくるでしょう。戦場で亡くなった方の幽霊は、ほとんど軍服の姿だったりします。

何田:軍服で出てこられた幽霊は生きている人と接触して、新しい知識を取り込むと意識のデータが変わって、姿も変わるのでしょうか?

:それは、光を宿した霊のお話です。光を宿さない霊は、そのままです。

何田:光を宿さない霊というのは、無間地獄行きでしょうか?

:無間地獄よりも、もっと可哀想な状態もあるでしょう。たとえば交通事故で亡くなって、死んだ後その場所に幽霊としてずっと居るものもいますよね。私があまり質問されたら答えたくなかった内容のひとつが、たとえば、もしかすると洪水で亡くなった人の霊は幽霊となって事故現場に地縛霊となって、その場所にずっとおられる可能性がある、ということです。

何田:あっ、なるほど。交通事故とか災害事故、病気により病院で亡くなった人、自殺した人、よく幽霊が目撃されるのは地縛霊となられて、その場所にずっとおられるということですね。自分のエネルギーが消滅するまで。

:自分が死んだと、気が付いていないのです。ご当人は。

何田:地縛霊になっておられる幽霊は、光を宿さない霊だからでしょうか?

:いいえ、光の問題ではありません。時代の問題です。光を宿している霊も、お役目としてその場所に残されることがあります。神様が起こされる災害、大震災、洪水、台風等で亡くなられた人の霊は、やがてお役目として天に上げられるでしょう。現在の人は、戦争でなくなった人を可哀想と悼みの感情でみていますが、もうすぐあの戦争でなくなった人の方が幸せだったかもしれない、と思うようになるでしょう。残された人、生き残った人、その子孫の責任と、やるべきことは非常に重いのです。

何田:積先生。たましいに光がある、光がない、というときの「光」というのは何でしょうか?  たましいに光がある人は他人のために、他人を優先に祈れる、ということでしょうか?

:人間を差別したくないのですが、人間は生まれた時点でその人に宿るたましいの中に、光の量が多い人と光の量が少ない人が存在するのです。

何田:えっ! 生まれた時から、光の量に多いことや少ないことがあるのですか?  たましいの中に?  でも積先生、以前にたましいは生まれた時に、たましいには光五十パーセント、闇五十パーセントと、半分々で人間として生まれてくるといっておられました。

:光の量の問題と、光の強さ、または質の問題は、別です。人間、ひとりひとりにとって、たましいの光と闇は光五十パーセント、闇五十パーセントで生まれてきます。しかし、他の人同士を比べると、Aさんは生まれた時からたましいの光の質が高い、BさんはAさんに比べてもっと高い、Cさんは一般的か低いという 、光の質の問題ですね。

人間は、それぞれたましいを持っていて、たましいは生まれた時は光五十パーセント、闇五十パーセントです。たましいは磨けば光ります。たましいは、磨かなければ、闇ばかりが増えていきます。ひとりひとりが自分のたましいを磨いて、光百パーセントにして死んでいくことが、人生の最終目的なのです。

それは、ひとりひとり、おのおの、個人個人でしかできません。それは生きて人間の身体を持って、頭で考えて、正しい知識を知り、理解することで、すぐにできることです。それが生きている間に、「精神学」を学ぶということです。

第28回目

クリスマス

2022年12月25日
語り:たずさえ社

12月24日午前9時、家のベランダに積もった雪の量です♪ たずさえ菜園ではこんな感じ♪

久しぶりのドカ雪で、県下は交通渋滞で必至♪

クリスマス、その起源は、一説ではローマ帝国時代に遡るといわれています。現在、世界各地では、様々な形態でクリスマスを祝い、それぞれの文化に合わせた過ごし方をしています♪
日本では、宗教的な意味合いよりも、家族や親しい人と過ごすことが中心になっています♪

この聖なる一日に、今年を振り返ると、光文書にもあるように、『キリスト教文明に支配された一つの時代の終わり』その象徴たる一つの出来事が、安倍晋三元総理が凶弾に斃れたことでしょう。
此のところ、私の頭の中に『抗う』という文字が浮かんでくるのです。それが何を意味しているのか?今はわかりませんが、一ついえることは、グローバル資本主義に抗いたい!と、思ってはいます(^^♪
無農薬、無肥料農業も、『抗い』方の一つなのかもしれません♪

この特大大根を植えた畑は、3年間耕作放棄された土地でした♪ その畑に苦土石灰を散布したのが去年の秋♪ それから耕運機で耕すこと数十回♪ この日を迎えました(^^♪

この野菜が欲しい‼と、いう人々の声援に答え、本日(12月21日)収穫(出演)したのがこの方々です♪
主演のオールスターズを紹介します♪ 右手前βカロテン豊富な春菊~♪ 左個性豊かな大根~ズ♪ その後ビタミンC豊富なキャベツ~♪ その隣京料理では有名な千枚漬け蕪~♪弱った胃腸や冷えによる腹痛を予防します♪ その後抗酸化性に優れ95%が水分の白菜~♪ダイエットに向いています♪ キャベツの左風邪の予防、抗酸化性に優れた冬野菜のヒーローねぎ~♪
リーダーのネギ曰く、我々を味方につければ、コロナなんか恐るるにたらず♪

皆んな特大ばかりではありません♪ 自然野菜は鋳物にあらず!個性豊かな逸品揃い^^♪
時には、こんな艶っぽい方もいらっしゃいます(^^♪

メリークリスマス🎅 来年の今日が、苦渋に満ちた一日でありませんように🎵祈ります(^^♪

第27回目

終活が話題に

2022年12月23日
語り:説諭士

久しぶりに出会った友達との会話の中で、「ここ最近この田舎の街でも、救急車が頻繁に走っているよね」「若い人でも突然亡くなったり、同年代の元気だった人が、突然亡くなるとショックよね」から始まった会話です。

確かに、救急車をよく見かけるし、亡くなる方も多くなった様に感じていました。
その友達が、「わたしも70代後半、いつ自分がどうなるかも知れない年代。今まで、死ぬと言うことすら縁のない様に思って生きてきたけれど、いつか必ず訪れる。最近凄く考える様になったわ。」「弘子さん、よく話してた死の準備の話を教えてよ。前に聞いた時は、自分は死ぬ事が怖くて聞きたくなかったから、関心もなかった。でも考えたら絶対に避けられないことやのにね。今ならしっかり聞けるよ。」だって。
(勝手なもんだなぁ)わたしは、心の中でそう呟いていました。

ここで、わたしなりに『死』と言うことについて自分の考えを呟いてみたいと思います。
わたしの同級生の仲間たちも、「いつお迎えが来るかも知れないしね」とは言うものの「元気な今のうちに、行きたいとこへ行って、美味しいものを食べて楽しみたいな」
殆どが同感だと言っています。
大抵の人はそう言うでしょうね。
でも、わたしはそれだけでは満足しません。
あと何年、人様のお役に立てるだろうか?  
自分の人生に満足できるには、どうあるべきなのか、健康でありたいし、自分がいなくなったあと、家族はどの様に評価するだろうか?
家族に愛される為には、それ以上家族を愛さなければならない。
他の人から親しまれ、愛されるにはそれ以上の愛を分かち合える心を持たないといけない、等々。
自分の、至らない部分だけが頭をよぎります。
旅行は行きたいと思うが、美味しいものという欲はないです。
ただし、用意して頂いたものは、感謝していただきます。

もう一つ、とっても大切な事があります。
死を迎えるための準備です。
残りの時間を、どの様な生き方をしたいのかです。
身の回りの整理をしてみて、はじめて気がつく事があります。

『死』というものを身近に感じて知る自分。
本当の自分を感じる為に大切なことです。
一人の友達がこの様な話を聞かせてくれました。
気丈で元気なお姑さんに「お婆ちゃんお迎えが来た時、棺の中に何を入れて欲しい?」と話したんだそうです。
一瞬黙り込んだけれど「あれとアレとあれを、そうやあれも入れて欲しい」と言ったそうです。
そしてその後、驚いた事に、お姑さんの表情が穏やかになり、話す言葉にもありがとうや労いの感謝の言葉が、自然と口にしている発見をしたのだそうです。

終活について、次回もまた、このような内容を呟きますので、よろしくお願いいたします。

どの様な事でも、自分だけで悩まず、是非ご相談して下さい。お待ちしています。

第32回

新しいおふだ

2022年12月22日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

精神学協会の会員になってから、毎年クリスマス前に来年に使用する新しいおふだが届きます。

今年も、本日、私用の二枚のおふだが届きました。

一年間・十二か月は、本当に早く過ぎていくもので、今年もすでに残すところ十日間を切っています。

何田さんが雪崩に巻き込まれたり、家族が亡くなったり、入院するような大けがをしたり、新たな背景がわかったりと、目まぐるしい展開があった今年でした。そして、来年には本格的な世界経済の変動も起こるみたいで、それらに対応するためにもっと自分の内なる小宇宙を整理して、何があっても対応できるように努めていきたいと思っています。

最近しみじみ思うのは、「精神学に出会ってよかったな」ということです。二千六年三月に、思い切って、大阪にある精神学協会の事務所を訪ねなければ、維持会員から正会員に変更して「精神学プログラム」を学ぶこともなかったでしょう。それで、私の人生の問題のすべてが解決したわけではないのですが、そこからがスタート地点になり、学びを積み重ねることで、自分の人生上に起こった過去の出来事を理解し、現在起こっていることもきちんと分析することができるようになりました。これらの学びがなければ、心穏やかに親たちを次の世界へと看送ることもできなかったでしょうし、この世を去るまでいつまでもつらかった過去の記憶にこだわっていたことでしょう。

最近は、「けっこう幸せ、いい人生だわ」と考えられるようになりました。

まあ、「幸せ」は主観的な感覚なので、また何か事が起こったら落ち込むこともあるのかもしれませんが、自分という人間が何のために生まれてきて、何を目指すのかということが分かったことで、生まれてきたことに無駄はなかったとわかり、存在することを肯定しやすくなっています。これらへ至るのは、精神の傾向(質)が問題なので、現実のチート能力はいりません。

要するに、特殊能力がなくても、存在するだけで周りの人を元気にできるような波動を出せる人間になれたらいいな、と思っています。

今の文明では、能力や才能が有り、それらをお金に変換できて、立身出世を目指すのが推奨される思考になるのですが、すべての人がその戦いに勝利できるわけでもなく、どうもその仕組み自体に矛盾があるなと思いながらも、他人の評価を受けながら社会の中であがき続けることになります。今の価値基準は、もう過去の文明のものなのです。そこに焦点を当てながら、自分自身を再構築していくことで、まったく違う未来と、よき結果が生まれてくるのかもしれません。

きたるべき来年に期待しつつ、残った今年を楽しみます。

日戸 乃子(ひと のこ)

第82回

たましいの行く先 その一
自分で創る地獄

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年九月五日 配信

何田:最近の世の中の映画やマンガやアニメ、日本も海外も含め、流行っているのは地獄場面が多いです。地獄のヒロインやヒーロー、ゾンビやスプラッター系を可愛くしたり、カッコよくしたりとキャラクターと場面設置をしている物語がとても多いです。素直に、神様や天国界を描いた映画やマンガやアニメは、あまり流行るのが難しい、と考えています。積先生、その地獄の映像がもてはやされる理由は何でしょうか?  地獄を経験したことのあるたましいは地獄に戻りたいと思わないので、地獄を知らないたましいが地獄に興味を持って地獄に向かうのでしょうか?

:普通の日本人は、この人生で死んだら終わりなので、そういった地獄を好むたましいは死んだら地獄に行きますね。行ったことがないから、わからないから、地獄に行くでしょう。地獄に興味を持つ、だから行くのです。

何田:でも先生、生きている間に地獄は想像できると思います。地獄って、どんな所かいろんな資料が多くあるので、調べればすぐに見つかると思います。

:何田君、それはあれですよ。ヨーロッパで神は死んだといった人間が出てから、天国も地獄も人間の想像の産物になったわけで、今の地獄は中世の地獄のような地獄とは、まったく違います。ヒエロニムス・ボス(オランダ・ネーデルランドの画家:地獄と怪物の画家、無意識の世界をあばく画家)の描いた地獄とは、まったく違います。違うのです。ああいった絵を描くから、地獄が魅力的に見えるのです。結果として、アートのほとんどがそちら系になってしまいました。

何田:最終知識には地獄とは、全身の神経が敏感になって自分の罪に反応して、痛くて、苦しくて、つらくて、死ぬに死ねない世界。一人だけの世界で、閉ざされて何もなく、何もできない世界。耐えられることができない世界、と説明されています。消滅しないのでしょうか?

:消滅できないから、つらいのです。何田君、仏教系でいう無間地獄(むげんじごく)というものがあるでしょう。無間地獄って何ですか?
何田:ずっと、そこから出られない世界が、無間地獄です。

:要するに宗教が、説明している地獄には、まだ社会があるのです。たとえば、処罰する鬼さんがいて、人間は八つ裂きにされて、朝になればまた身体が元に戻って、毎朝殺されることを繰り返す。これは社会があります。本当の地獄は、一人でいつまでも閉ざされる世界です。解りやすくいうと、生きている人間のみが「神よ、神よ」と呼びかけることができます。本当の地獄の中で、「神よ、神よ、すみません。もしお聞き届けいただけるなら、何でもします」と叫んでも、世界が閉ざされているから、神様には伝わりません。消滅までその状態です。

何田:消滅というのは、自分のたましいのエネルギーが、なくなるまででしょうか?

:そうです。

何田:そうですか。苦しいとかよりも何にもないから、行動する目的も理由もないのですね。

:どことも繋がってないというのは、そういうことです。それが裁きでいうと、アナザーワールドという世界はそういうもので、並行宇宙というのは特異点の向こうにある世界だから、こちらからは、見えない、感じない、ないものです。ということは、無間地獄に落ちた人は救いようがありません。

何田:命の書に登録すれば・・…。

:命の書に登録すれば、繋がりが生まれます。

何田:自分が行く無間地獄を、生きている間に自分で無意識に創ってしまっている。悪魔も神もなく、恐ろしいお話です。やることがないということは……。

:いまの日本人の生き方を見ていると、ああ、もったいない、もったいない、という声が聞こえます。せっかく人として生まれてきて神に近づけたのに、死んで一人で地獄に去りましたか。もう二度と戻れるチャンスはありません(命の書の登録を除けば)。せいぜい人として百年生きただけで、死んだら消滅するまで地獄です。人間のたましいが消滅するのにたぶん数百年かかります。その間、その人は、ずっと一人です。

何田:自己の存在というものは、周りとの繋がりがあって、はじめて自分が成立するのでしょうか?  周りとの繋がりが、とても重要なのでしょうか?

:そうですよ。だから江戸時代はよくも悪くも、仏教でこの日本国の死後世界をコントロールしていたので、ご先祖様を大切にしていたわけです。ご先祖様のところに自分も死んだら行くんだ、というルールがあったわけです。現在は人が死んだらご先祖様の所に行くんだ、と考えていないわけです。だから、ご先祖様をお祀りしないわけです。ということは、その時点で仏教の結界は切れているわけです。

何田:現在の人は亡くなったら、生きている間に死んだ後のことを考えていないから、どうしたらいいのか? わからないということでしょうか。

:亡くなったお祖父さんやお祖母さん、父親や母親が迎えにきてくれるというのは、それはご先祖様を敬っている頭の中、脳内だから、その人に出てくるわけです。信じていたから迎えにくる、という現象がでます。その人の頭の中で、信じてもいないことが起こることがないのです。

第31回

未知の意識体の暗躍

2022年12月 15日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

 妹が、一冊の本を持ってきました。インターネット閲覧中に広告が出てきて、気になって書店で探して買ってしまったといいます。姉(日戸 乃子)ならば、興味を持って好みそうな内容だと考えて、わざわざ持ってきてくれたらしいのです。

「はじめは気になって読んでみたけれど、何が書いてあるのか私ではよく理解ができなかったんだけど……」と、妹。

どんな内容なのかと問うと、日本の未来のことについて書いてあり、宇宙人のことも出てくるといいます。

現実派の妹にしては珍しい本を買ったな、と思ったけれど、昨今の世界の経済状況や国際情勢に関しての不安感から、未来の情勢がどうなるのかと心配していた妹の気持ちに、するりと入り込むように、買ってしまったようです。

私が、借りたのは、最終巻。同じタイトルの三部作の三冊目で、このほかに上巻と下巻があります。

なんか、最終巻だけ読んでも意味が解らないよね…と思って、妹から借りた本を読む前に書籍販売サイトで上巻と下巻の感想を調べてみました。

私は知らなかったのですが人気の書籍らしく、各本には1000個以上のカスタマレビューが付いていました。私の調べ方は、まず星一つの感想から見ていきます。ワーストに近い感想ですが、そこでしっかりとした視点からの批評があれば、それを参考にさせてもらっています。それとは別に、ブログで本の感想をまとめている読者の方もいて、こちらも参考にさせていただきました。どうやら、ドラコニアなどの爬虫類系の宇宙人が地球に関与した話も載っているようです。要約された内容を見てみましたが、情報自体の真贋はよくわかりません。

ブログ上で、この本で書かれている内容についての動画もあることを知り、それも少しばかり見てみました。動画の中で、解説を受け持っている著者の関係者の姿をみたり、その波動を感じて、借りた本を読むことをきっぱりと辞めました。どこから送られてきた未来情報かわかりませんが、私は全面的に拒否します(笑)。

そして本日、妹から借りた本にイコンシールのダークとライトを貼りました。借りた本なので直接シールを貼るわけにはいかず、ビニール袋に入れて、その上から貼ったのです。この作業をするために、私のもとにこの本が来たのかもしれません。

いま、地球の波動の悪化を反映してか、未来に対して恐れや不安を抱えた人間の関心を引くように、さまざまな予言や未来情報などがあふれています。その中に宇宙人系のものもあり、古くはアセンションやライトワーカーの情報もあるのでしょう。スピリチュアル関係の情報には、私も若いころは傾倒したものですが、たとえば宇宙や地球が次元上昇したからといって、そこに住んでいる人間が全員次元上昇できるという話は、人間側のご都合主義でしかないのです。また、自らが何もしていない人間がワクワクしながら暮らしているだけで、そちら側に移行できると考えるのも浅はかです。

仏教でいう、「ナムアミダブツ」などの念仏を唱えれば、真理を理解していなくても、死後は極楽へ行けるというのと大差ない情報であり、間違った世界観(情報)を受け入れれば、そこから自分の中へと別の何者かに住処(すみか)を与えます。せっかく聖書の時代が終わり、二千年にわたって人間の意識に蓋をしてきた神の時代が過ぎ去ったのに、今度は宇宙意識体、または宇宙人情報というものによって、それらの情報を受け入れた人間の頭(脳)に蓋がされることになるのです。この地球で、最後の審判が起こり、人間が右と左に振り分けられるという情報は聖書の時代の前から、完全な形ではなかったけれど伝えられてきました。それを超えて、次の文明に到達するのは、光と闇の内なる戦いを終えた人間であり、宇宙意識体でも神や悪魔でもないのです。たとえば、過去に、爬虫類系の宇宙人が人類の歴史に関与したことがあったとしても、それは単なる現象の一部でしかないのです。現在の分岐点では、人間であるあなた、または私が精神をどのように成長させたのかが、問われています。主人公は、光へ成長する人間のたましいであるということを知れば、それを阻もうとする闇側の情報や策略にも警戒が必要なのです。

二〇〇九年二月、一気に流入した闇のエネルギーにより、精神の混乱が起こった体験が、私にはあります。強迫観念と、恐怖からそこに存在しないものが見えたりして、逃れようとしてあがく自分がいました。急に起こった精神の変調に対して、私本人がついていけなかったのですが、その渦中において恐怖の考え(物語)が次々と自分の中に生まれても、それに攫われないように『自分の精神の核を守る』というのが、稚拙ながらも唯一の防御方法でした。

ひどかった状態が二週間ほど続き、心の中(脳内)に恐怖の想像が現れなくなり、普通に暮らせるようになるには三か月ほどかかりました。SBMも、聖油も、イコンシールも、まだ存在しなかった時代でしたが、会長と、整体師で今はSBM東京サロンの代表者のおかげで、私の小宇宙内の負のエネルギーが軽減して、最短で元に戻ったのだと思います。なぜ、突然に精神の変調が私に起こったのか? 大きな疑問というか謎だったのですが、ある日、私の頭の中にそのエネルギーがどこから来たのかの情報が届きました。

当時友人で、スピリチュアル系の情報が好きな女性が、「地球の中が空洞になっていてそこには別の世界がある」とか、「爬虫類型の人間が存在して、人類の上に隠れるようにして権力を握っている」などの陰謀が書かれた本を何冊も紹介してくれて、彼女が持っている本も貸してくれましたが、私はその本が気持ち悪くて読めませんでした。もうその本も返して、手元にはなかったのですが、私が抱いた恐怖の種類から、そこから流れてきたエネルギーだと理解したのです。

それから半年ぐらいして、「君がエネルギーを受けていなければ、友達のほうが死んだかも……」みたいな言葉を、会長から聞いて、多くをお伝えしていないのに同じような見解であることに、内心驚きました。

ただし、その友人とは縁を切りました。彼女には、その指向性から闇系の意識体が乗っている、または関与していることが推察されたからです。それから私は好奇心から、闇の深い情報を得ないように気を付けています。それらの闇の深いエネルギーを浴びても『自分は大丈夫!』と、いうことはけっしてありません。

自分のたましい(小宇宙)のお掃除をするのは、自分自身でないとできません。掃除しなければならないのに、ゴミのような情報を取り入れ続ければ、情報の何が正しくて何が間違っているのかもわからなくなるのです。たましいの覚醒の前段階には、正しい歴史認識が必須になっています。そこを崩そうとする偽情報には、十分に気をつけたほうがいいでしょう。

 

日戸 乃子(ひと のこ)

第26回目

ご相談を受けました

2022年12月15日
語り:説諭士

  あの世からご主人が!
ご相談に至るまでの経緯は、「主人が亡くなってから、時々不思議な夢を見る様になりました。2回家の前まで、窓の無いバスで自分を迎えに来る。
また後日主人が、朝方さあ、行こうか!オイ、行くぞ!・・・私はバッグがないと言って目が覚める。こんなことが続くから、主人が自分を連れに来ていたのかと思いました。」と話されました。

その後数年して、ご主人が嬉しそうにパチンコしてる姿を3回夢に出る。
半年ほど経って、足先から誰かが入ってくる感覚があり、ビックリして起き上がること数回。
その後主人が、夢に出てくることがなくなりました。
しかし、以後自分のベッドなのに、それに寝ているのが辛くなり、一晩中椅子に座って寝ることが多くなって、徐々に健康状態が悪くなり、下痢や食欲不振が続いていました。
病院に行くと胃腸炎と診断され4日間入院。
その1年後、炊事場で転倒し1ヶ月入院。
一年過ぎた今も、足の痛みが続いている。

今回ご相談のきっかけは、介護認定を受け、自動式のレンタルベッドを借りる手配をお願いし、後日ベッドが届きました。
処がそのベッドに寝ていると、腰から足の先まで濡れた様な気持ちの悪さ、それに胸が詰まった様な息苦しさで、朝まで眠れない。
その様な状態が1週間続きました。
さすがに体調も悪くなり、思いあまって病院に行って診察を受けたのですが、結果何も異常ありませんと言われ、点滴をして頂いただけで、帰宅。
それから、ベッドに寝られず仏壇の部屋に寝たら、朝方、毛布を抱えて「一緒に寝ようと思ったのに、もう起きたのかい」と言う亡き主人の声で目が覚める。
この様な内容でご相談を受けました。

私がアドバイスさせて頂いたのは、まず介護のベッドは、このベッドでお亡くなりになった方の念が残っている事、そしてご主人は、あなたのことが愛おしく、気になっているご様子、しかし、そのご主人の思いが、生きている者にとれば、ありがた迷惑となります。
一つ間違えばあの世へ連れていかれることもあるのです。
『命の書』の大切さを説明させていただき、ご主人を登録していただく事をおすすめしました。
結果、ご主人とご自身の二人登録となりました。

ベッドは、お返しするとのことでしたので、そのままお返しするのではなく、お祓いをして綺麗な状態でお返しすることをおすすめしました。
精神学協会の会員さんが、ご相談者のお友達でもあり、マツリヌシの資格も持っており、お祓いはその会員にお願いすることにしました。
「会員として、マツリヌシの有資格者でありながら、一度もおこなった経験がなく無理です」と言うが、「させていただいて下さい。アドバイスするので大丈夫。」
そうして、手順を伝え、「最後に風が吹くから大丈夫です。」と一言付け加えました。
一応とどこうりなく終わりの時、相談者がビックリして伝えてくださったのですが、「部屋の中なのに何故最後に風が吹く」と言うのか?不思議に思っていたそうです。

処が、実際そのことが目の前で起きて驚いたとのご報告。
部屋の中で風が吹く様な環境では無いのに、カーテンが風になびくように揺れていたそうです。
そして、お祓いを実行した会員さんから、無事にできてとっても嬉しいです。
他人様のお役に立てる喜びを、初めて経験したことが何より嬉しかったと伝えて下さいました。
後日、相談者の方もすっかり元気になって、食事も普通に食べられる様になりましたと、ご報告をいただいています。

どの様な事でも、自分だけで悩まず、是非ご相談して下さい。お待ちしています。