第29回目

賽は投げられた

2022年12月31日
語り:たずさえ社

皆様、今年も後数時間で2022年が終わります♪ 一夜飾りは縁起が悪いとかいわれますが、無粋な私は、先ほどしめ縄を玄関に飾りました♪ 神社の社には必ず注連縄が張られています♪また、神が依り代にする巨樹や巨石などにもよく注連縄が張られています♪稲藁を螺旋状に編んだ縄によって、其処が神域だと知らしめる結界の役割を担っているそうです♪
このしめ縄❓結界に見えます~(^^♪

今年は、多くの作物に恵まれました♪ 楽しく真剣に、愛しみをもって育んだ、多くの野菜(イノチ)の、一期一会の引受先を、移動MARCHEという展開で実践しました(^^♪
その甲斐もあり、多くの方に無農薬野菜の移動MARCHEが徐々に認識されつつあります♪ とても有難いことなのですが…

昨夜、とても無機質な時間を過ごしてしまいました♪ 私の野菜を、多く人に紹介してくれる社長のお付き合いで…
店のボックス席に通された私達の元へ、20代後半の女性が数人来て、隣に座りました。どの女性も色白で人形を見ているような感じがしたのです♪ 突然耳鳴りがした私は、頭を下げこめかみを押さえました。O社長に『前島さん酔いました?』と問いかけられました♪ そこにM社長が『前島さん、ワクチン打ってないからや~』と、言ったことがきっかけとなり、話題がコロナの話になりました♪ ず~と耳鳴りがしていた私には周りの会話が全く耳に入らず、酔った雰囲気ともまた違う、不思議な空間にいるような気がしました。会話はこだましてはっきり聞き取れず、人の姿が歪んで見えるのです♪ 『アンドロイド』の中に私が一人だけがいるような…そんな気がしてからの記憶がほぼありません♪ 帰りの車の中で、『前島さん、あんた何時もそんなこと考えて生きているの?』と、いわれたので、解らないなりに『はぁ~』と、気のない返事を返していたら、『俺たちの方が間違っているような気がしてるんやけど…』(笑)♪

しめ縄の螺旋を人生に当てはめた成句に『禍福は糾える縄の如し』があります。
禍が福になり、福が禍のもとになったりして、この世の幸不幸は縄をより合わせたように表裏をなすものであるという意味です。
たゆまず進む時間の経過に合わせ過ぎて、前ばかり向いていると、過去を振り返ったり、立ち止まって方向性を見直したりすることがなおざりになってしまいます。事実そのものには禍も福もありません。禍福は自分の心次第と心得たとしても、自分の心(思考)のなすところの起点がずれていたら無機質な未来になることは、精神学で学びました♪

『賽は投げられた』ワクチンを打とうが打たまいが、審判はすでに始まっています。
私達は『審判の器』として、エントリーされているのでしょうか♪ 今、そんなことを思いつきました♪
皆さま、良いお年をお迎えください♪