第27回目

終活が話題に

2022年12月23日
語り:説諭士

久しぶりに出会った友達との会話の中で、「ここ最近この田舎の街でも、救急車が頻繁に走っているよね」「若い人でも突然亡くなったり、同年代の元気だった人が、突然亡くなるとショックよね」から始まった会話です。

確かに、救急車をよく見かけるし、亡くなる方も多くなった様に感じていました。
その友達が、「わたしも70代後半、いつ自分がどうなるかも知れない年代。今まで、死ぬと言うことすら縁のない様に思って生きてきたけれど、いつか必ず訪れる。最近凄く考える様になったわ。」「弘子さん、よく話してた死の準備の話を教えてよ。前に聞いた時は、自分は死ぬ事が怖くて聞きたくなかったから、関心もなかった。でも考えたら絶対に避けられないことやのにね。今ならしっかり聞けるよ。」だって。
(勝手なもんだなぁ)わたしは、心の中でそう呟いていました。

ここで、わたしなりに『死』と言うことについて自分の考えを呟いてみたいと思います。
わたしの同級生の仲間たちも、「いつお迎えが来るかも知れないしね」とは言うものの「元気な今のうちに、行きたいとこへ行って、美味しいものを食べて楽しみたいな」
殆どが同感だと言っています。
大抵の人はそう言うでしょうね。
でも、わたしはそれだけでは満足しません。
あと何年、人様のお役に立てるだろうか?  
自分の人生に満足できるには、どうあるべきなのか、健康でありたいし、自分がいなくなったあと、家族はどの様に評価するだろうか?
家族に愛される為には、それ以上家族を愛さなければならない。
他の人から親しまれ、愛されるにはそれ以上の愛を分かち合える心を持たないといけない、等々。
自分の、至らない部分だけが頭をよぎります。
旅行は行きたいと思うが、美味しいものという欲はないです。
ただし、用意して頂いたものは、感謝していただきます。

もう一つ、とっても大切な事があります。
死を迎えるための準備です。
残りの時間を、どの様な生き方をしたいのかです。
身の回りの整理をしてみて、はじめて気がつく事があります。

『死』というものを身近に感じて知る自分。
本当の自分を感じる為に大切なことです。
一人の友達がこの様な話を聞かせてくれました。
気丈で元気なお姑さんに「お婆ちゃんお迎えが来た時、棺の中に何を入れて欲しい?」と話したんだそうです。
一瞬黙り込んだけれど「あれとアレとあれを、そうやあれも入れて欲しい」と言ったそうです。
そしてその後、驚いた事に、お姑さんの表情が穏やかになり、話す言葉にもありがとうや労いの感謝の言葉が、自然と口にしている発見をしたのだそうです。

終活について、次回もまた、このような内容を呟きますので、よろしくお願いいたします。

どの様な事でも、自分だけで悩まず、是非ご相談して下さい。お待ちしています。