第28回目

終活のすすめ

2022年12月29日
語り:説諭士

 人生のエンディングをどのように演出しようと考えますか?
人は生まれた時から、もうすでに『死』に向かって生きていると言っても過言ではありません。
『死を考えて生きる』生き方をせざるを得なかった、わたし自身の体験を交え、今回お話しさせていただきます。

今から約20年ほど前の体験です。腰の辺りの違和感を覚えたのが始まりでした。
ちょうど更年期の年頃でもあり、誰もが経験するのだと思いつつ、気にはなりながら、いつかは治るだろうという気持ちでいたのです。
その頃『心と身体の健康』をテーマに、瞑想教室を開催しながら、東洋医学をベースにした予防医学を学び、健康食品販売の仕事をしていたこともあり、健康については少々敏感になっていた時期でもありました。

処が、日々鈍痛の繰り返し、思い切って病院に行って何度か検査を受けた結果、「子宮の外に癌ができています。それも結構大きいですね」その医師の言葉に頭の中は真っ白。
ガーンと胸の真ん中に冷たい氷の柱をぶち込まれたような衝撃。
医師の説明を受けてはいるものの、まったく理解していませんでした。
その頃は、まだ検査も治療法も現在のようには進んでなくて、死の病の認識の頃でしたから。
その時の気持ちは生涯忘れることはないでしょう。
治療も勿論病院には通院せず、死と向き合い、自分の未来を真剣に見つめたことはありませんでした。
家族との時間を大切にして、思い出をたくさん残したくて頑張った時間。

当初、医師に言われるまま手術の覚悟を決めていたのですが、主治医の反対を押して手術も治療法もせず、癌と付き合う覚悟を決めました。
この決断にはとっても勇気がいりました。しかし、この決断が信じられない方向へと転換したのです。

みなさまの2023年が良い年であられますように!
仕事柄、5人の末期癌の方々とのお付き合いが始まり、同じ思いを共有しながら、約3〜4年ほどの間に5人とも他界。
みなさんが、ご家族に感謝の言葉を述べられ、一人ひとりの人生の幕を静かに下ろされた後の、穏やかな顔が幸せだった事を物語っていましたと、嬉しいご報告をいただきました。
その時、安心感なのか達成感なのか、人知れず、死と向かい合って生きていた私にとっては、かけがえのない尊い時間に思えたのでした。
その後、久方ぶりに主治医の先生の診察をと思い立ち、病院へ足を向けることになり、診察の結果、それは信じられないような事実が起きたのです。エコーでの結果2センチ位まで小さくなっていたのでした。
「先生も信じられない」と言いつつ、「このまま様子を見ましょう」ということで、時々診察に通い、その後2年ほどで「完全に消えましたよ」とお墨付きをいただき、不思議ですが、わたしには5人の方々が、私の癌を持っていってくださったとしか思えませんでした。

戦国時代の武士や、戦時中の人たちは常に『死を考えて生きる』生き方をしていたのでしょうが、今の私たちは、平和に慣れすぎる(平和ボケ)生活の為か、そう言う生き方とは無縁になってしまったのでしょうか?
釈迦の教えにも人間の苦しみは『生老病死』の四苦があると伝えられています。
この苦を如何に乗り越えていくのか、如何に執着を無くしてこの世を去ることができるのか、年齢に関係なく、常に死と背中合せで生きていることを自覚し、如何に生きるべきなのか?と、わたし達は問われているのでしょう。

現在、癌の治療方法もあの頃とは比較にならない進歩を遂げています。
死の病という印象も無くなっています。
しかし、重い病に侵されれば、誰もが一度は死を考えるでしょう。
その時は辛くても、覚悟を決めればスッキリした気持ちになるのが不思議です。
それは、自分の人生を真剣に見つめるチャンスなのかも知れません。

いまわたしは、さまざまな苦痛を乗り越え、強く生きる勇気が持てる事を実感しています。
そういう経験を味方に尊ぶ気持があふれています。
宜しければみなさまの、人生(終活も含めて)の相談をお受けいたします。
ぜひ遠慮なくご相談ください。