光に繋がる愛情物語

第5回目

神様からのメッセージ

2022年6月9日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

2022年2月23日の大規模な自然災害の被害は、何田匡史さんの死だけではなく、自然の木々や花、そして山菜まで流してしまいました。
島道鉱泉の坂道の道路は通行できるようになりましたが、土手には、雪崩で流された雑草などが散乱しています。
女性と高齢者だけになってしまった島道鉱泉。
整備、管理をしてくれる女性たちは、働き者です。
島道鉱泉3代目当主の父親は、大事な跡取りを失い、しばらく心の整理がつかない様子でした。
5代目になるはずの彼と仲良しだった母親は『亡くなった匡史が可哀想だ』と事あるごとに呟いています。
二人で、島道鉱泉の環境を守ってきたので次世代に引き継ぐ事を楽しみにしていました。

癒しのパワースポット島道鉱泉(しまみちこうせん)は、空気がキレイで、水が透き通っている環境です。
それなのに、わたしは、7歳に肺疾患と目の難病を発症しました。
30歳で寝たきり、40歳で肺機能が低下し、死に至ると宣告されている肺。
7歳の時、角膜が剥げ数回の手術を受けながら、網膜剥離になり瞳が閉ざされ、20歳までに失明すると宣告された眼球。
いつ死んでもおかしくない、いつ見えなくなってもおかしくない病があるわたしは、今日も生きています。
発病してから、約45年の月日が経ちますが、わたしは、まだ元気で生きています。

幼少期は、じぶんの肉体が思うように動かない辛さを経験しました。
目が不自由で、肺呼吸が苦しいですが、重病人に見えないため、心ない事をたくさん、たくさん言われてきました。
小学1年生の2学期から6年生まで、家族と離れ離れの病院生活を余儀なくされ、悲しく苦しい事ばかりでした。
『神様、なんで、わたしだけ、こんな目にあうのですか』
『神様、どうして、こんなに息苦しいんですか』
『神様、教えてください。わたし、何か悪いことしましたか。』
3人姉妹の中で、なぜ、わたしだけが病気になってしまったか。
目がかすみ、息苦しく、生きているだけで大変でした。
なぜ、わたしだけ、病気になってしまったのだろう。
その理由を探すために、生きてきました。

今回のシン・シンダラチャンネルの投稿にあたり、この際なので、じぶんとわたしの分析を真剣に始めることにしました。
わたくしごとでは
シンダラチャンネルを配信していた彼を思い出したくないのに、なぜシン・シンダラチャンネルの配信者になったのか。
かみごとでは
何田匡史さんは、じぶんの夢を叶えたから、やはり神様は存在するんだ。

にんげんごとのわたしとかみごとのじぶん。
魂は光と闇が50%ずつで生まれてくるそうで。
今のじぶんは、どうだろう。
魂の中の神・魔・霊は大丈夫かな。
それぞれの存在も光50%、闇50%のままになっているのか。

18年前、何田匡史さんとわたしは、出逢いました。
精神学協会に繋がり、命が長引きました。
彼は、自殺願望が強く、この世は苦しくて、60歳まで生きていたくない。が口癖でした。
わたしは、お金を稼ぐだけに生きていた魔的な生活をしていて、120歳まで生きる。が口癖でした。
ふたりとも
精神学で、じぶんの役割を考えるようになりました。
じぶんが光で、わたしが闇。
じぶんはわたしの救世主。
沸き上げる闇の部分を解明できたら自殺には至らない。

シン・シンダラチャンネルに繋がったあなた。
このサイトでは、死ぬ前に準備することを自ずと気づいていける不思議な領域です。
本当の目的を探す人生のナビゲーションをいたします。
信じては行けません。
確認してください。
確認作業を繰り返し続けてください。
核心部分に触れたら、どうか、逃げないでください。
それが、あなたの人生を輝かせるキッカケになるはずです。
信実はひとつだけです。
この世に起きる現実を真摯に受け止め、じぶんの中の闇を探しましょう。
わたしの中の闇のにも光が存在しますので、その光りを検証しながら、死後の世界に行く前の準備をしたいと思います。

何田匡史さんよりメッセージをいただいたとY先生からご連絡ありました。
『はるさん、7月は気をつけて。ありがとう。』
彼は、きっと、シン・シンダラチャンネルに合わせて、わたしにメッセージを送るつもりなのでしょう。
それを披露しないといけない衝動に駆られます。
しかも、シン・シンダラチャンネルの原稿を書いている時に、メッセージの連絡が来ています。
やはり神業です。
神様は絶妙なタイミングで現れてくださいます。(笑)

今日は、神様になった何田匡史さんの凄さを確認できた日になりました。