お金の問題 5
2023年4月 7日
もう過去のことになりますが、お金の不足を口にする人たちが身近にいたことがあります。
そのひとりは、親戚で、小さな会社を夫婦で運営していたところ、コロナのパンデミック発生や諸事情で出金が多くなり、あの頃は会うと資金繰りの大変さを話題の端ににじませて、怒りが浮き出たような態度をとることが多かったと記憶しています。私の方は、話題の提供にもびくびくしながらも会った後は疲れがでて、しばらく会いたくないなあと、本気で思ったものです。それが、景気の回復とか、問題点となっていたことが解決していくと、だいぶ態度や口ぶりにトゲがなくなりました。ある時に、「前に比べて最近は、(感じが)よくなったよね」とうっかり感想をいってしまったところ、「なんのこと? 私は前も今も変わっていない」と本気で詰めてこられて、「ああ、本人は自分の波動の悪さに全く気が付いていなかったのだね」と、その事実に私があせりました。いや、たしかに自覚していたら、早めに直すはずでした。
またもう一人は友人で、何の話をしていても最後には「お金がない。お金が不足している」という話に方向が向かっていき、だからといって、その不足分をどういう風に解決していくのかという具体的な方策はまったく考えずに、まるで不足を言葉にすれば、その問題が解決できるというように思い込んでいるようでした。最初は、こちらもうんうんと言って聞いていたのですが、だんだんと聞くことで彼女の愚痴が私の意識から離れずに、精神と体調に不調が表れるということが分かり、少しずつ後退して、そのうちに友人であることをやめました。
この他にも、「お金の不足を言葉にする人」が、過去の交友関係の中にちらほらいたのですが、その方たちに共通しているのは、ほめるような言い方をしながらも他人の悪口をいい、妬み深いということです。過去の私は、お金の愚痴をいうことを、一つのあいさつのように考えていた面も、あったのかもしれません。だから、以前は気になりませんでした。たしかに、「お金の不足」という共通の認識は、ある意味の一体感というか「お金に苦労しているのは私だけじゃなくて、あなたもそうなのね」という、低い位置での共感を得ることになるので、気にせずに口にしていたこともありますが、その話題によって受けるマイナスエネルギーの量や作用が大きくて、処理が大変であること、体感が不快であることに気が付いてからは、反省して、その傾向を持つ人とはなるべくお付き合いをしないし、話題にしないということを守ろうと思っています。
私は、どこかに「お金が不足していると考える人たちの想念の領域(集合意識)」があるのだと考えています。
人類の中のほとんどは、お金の不足を考えて、生存への不安と恐怖を内に抱いて生きているのだとしたら、その領域の思念、または闇のエネルギーはどれだけの力を持っていると思われますか? 現在、流通している紙幣自体に、闇のエネルギーが乗っていることから考えても、「お金の不足」を言葉として発するということは、その闇の領域に繋がるということになります。一度、捕まると、その領域から解放されるのに、かなりの浄化上昇の時間が必要になります。
まずは、自分の中の闇の部分が、同じような闇を引き付けていたことを自覚して、理解した部分から改めて、いらない部分は遠ざけていくか、捨てていくしかないということでしょう。親や、社会から移植された世界観を変えていくこと。お金は、まさにその代表的な物質なのだと思います。
日戸 乃子(ひと のこ)