あの世とこの世のハシワタシ

第35回目

言葉におもう

2023年2月16日
語り:説諭士

「おはようございます!」
一日の始まりの朝の挨拶で、わたしたちは今日も一日頑張ろうとおもう。
「こんにちは~」笑顔とこの一言で、ご近所さんとコミュニケーションをはかり、「こんばんは~」の挨拶で、今日もご無事でよかったですねの思いがこもり、「おやすみなさい🌙」で「今日も一日、ありがとうございました。」と感謝の気持ちでとこにつく。
この短い言葉一つ、声をかけられて、腹を立てる人がいるでしょうか。
もし挨拶できない、声をかけるのが苦手、という人がいるかも知れません。
でも、思い切って声をかけてみると、相手から、笑顔の返事が返ってきたら、それは嬉しいはずです。
人を幸せな気分に、導いてくれる言葉なのだと、気づくはずです。

先日、孫たちの会話が、耳に入って来ました。
「ねえねえこれできる?」といううちの孫、孫の友達が返した言葉「むず」。
そして、黙々と自分のやりたいゲームに夢中。
その後の会話が続かない。
だんだん日本語がこわれていく気がしてなりません。
言葉は、コミュニケーションをはかるうえでは、最も大切なものだと認識しているが、簡略化された言葉には、相手へのいたわりや、思いやりが感じられなくなったと思えて仕方がない。
簡略化した言葉そのものにも、『愛』『敬う』気持ちが伝わってこない。
今の若い子たちは、それでコミニケーションがとれているのでしょうか。
年代の違いとは思いつつも、何か虚しい気がしてなりません。
こうして、言葉が壊れ、相手を敬う気持ちが薄れ、社会が壊れていくのだろうか。
グローバルという言葉に乗っかって、英語が重要視されるなか、わたしは日本人として、国語を大切にする気配が失われることを、懸念しています。

また、言葉一つで、相手を追い詰めたり、度を越せば『死』に追いやったり、殺人兵器にもなりかねないと思っています。

標準語でなくても良い。
方言の方が、温かみがあって、親しみがあって、地域の絆につながっているのではないかと考えます。
同級生の友達が、学校を出て、東京で生活していた頃、居酒屋で偶然、同郷の人に出会い、方言を聞いただけで、凄く親近感が湧き、故郷を、懐かしく思い、以来時々その居酒屋で酒を酌み交わしていたのだと、当時話していた彼の言葉を、思い出しています。

『やまと言葉は、神界語』だと、わたしたちは、学びました。
『言葉は魔法』良くも悪くも、人の心を簡単にコントロールしてしまいます。
今の子供たちが、当たり前と思ってしまうのが、いかがなものでしょう。
それでなくても、いつの間にか、死語が増えています。
短くしてしまった、単語のような言葉ではなく、心のこもった、思いやりの言葉を交わせられる、子どもたちからの、会話を聞きたいものです。
言葉の崩壊が、国の崩壊に、つながると思うのは、思い過ぎでしょうか?