光に繋がる愛情物語

第2回目

一生忘れられない日

2022年5月19日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

何田匡史さんからの連絡がないまま不安な夜を過ごした朝、糸魚川消防と警察の方々が、島道鉱泉まで救出作業に来られました。
島道鉱泉へ続く坂道は雪崩の被害が大きく、歩いて降りれないこと、電信柱が倒されて電気が止まるかもしれない可能性があり、かなり危険な状況だと知らされました。
『わたしたちより、匡史さんの救出作業を先にお願いします‼︎』と頼みましたが、『生きてる方の命が優先ですから、一緒に避難してください‼︎』と促されました。

気持ちの整理もつかぬまま、ヘリコプターでの救出作業が始まりました。
島道鉱泉の駐車場上空にヘリコプターが迎えにきてから、安全点検が繰り返され安全ベルトや注意事項の説明を受け、いざヘリコプターへ‼︎
地上100m(ワタシの推測)から下ろされたロープだけを頼りに、機体へ引き上げられる瞬間まで、生きた心地がしませんでした。
ヘリコプターのプロペラの風で周りの杉は大きく揺れ、島道鉱泉の駐車場は粉吹雪が巻き上がっていました。
わたしは思わず息を飲み、隊員の方にしがみつきました。
『大丈夫ですよ、ちゃんと捕まってください。大丈夫ですからね‼︎』
周りの隊員の方々にも励まされながら、『雪山で助けられるのに、わたしはまるで、まな板の上の鯉だな』と馬鹿なことを考えなが、ヘリコプターへ吊り上げられました。

わたしが、一番で、次に父親が無事救出された途端に、匡史さんが、まだ見つかっていない切なさが込み上げてきました。
その日は、晴天だったので、雪山の景色は最高でしたが、『匡史さんは、この雪の中に眠っているんだろうなぁ』と想像すると空しくなりました。
2月24日は、雪崩の影響で、陸の孤島になってしまった島道鉱泉からの救出された切なく悲しい壮絶な日になりました。

糸魚川市のご厚意で、24日は、ビジネスホテルに泊まりましたが、一睡もできず朝を迎えました。
8時から災害現場での車確認が始まりました。
2台の軽自動車は、無残な形で発見され、次々とレッカー車で運ばれました。
2台目の車がレッカー移動されたタイミングで、匡史さんの遺体の確認作業を父親と妹がすることになりました。
『やっぱり』と思うと同時に、言葉では表せない気持ちがありましたが冷静なわたしがいたので不思議でした。
ただ、糸魚川消防、警察、市役所、匡史さんの救出作業に関わってくださった方々に感謝しかありませんでした。

父親が『匡史が見つかって良かった』
妹が『お兄さん、寝てるみたいだったよ』
の2人の言葉を聞いた途端に我慢していた緊張感がほぐれて、匡史さんが見つかった安堵感が混じり、涙が次から次から流れていました。

2月25日は、かげかえのない存在をこの世から見送った、一生忘れられない日になりました。