あの世とこの世のハシワタシ

第16回目

人生について

2022年10月6日
語り:説諭士

 わたし自身が常に求めていたこととは、この世に生まれた限り、自分はどうあるべきか?どうありたいのか?
自分が幸せと思える生き方を常に考えていたように思います。
そして今、76年を振り返り自分自身を考察してみました。
先ず長女として生まれたわたしは、常に長女の自覚を持つよう自分に言い聞かせ成長してきました。
自分よりも妹や弟を優先に考えていたように思います。
だから妹や弟と喧嘩した記憶が、私たちの間ではないのです。
親から言われたわけでもなく、自分より他を優先にできる性格に育ったのは、我慢していた訳でもなく、見えない存在が常にわたしの近くにいて、自然と足りる心を持てるようになったのだと思います。
青春時代を振り返り思うことは、虚弱な身体で両親にはいつも心配かけていたこと。結婚しても子供を産めるような身体ではなかったにも関わらず、結婚後三女を授かり、その後は至って元気な毎日。
それでも一通りの苦労もあり、様々な問題を経験して来ましたが、それでも人として幸せな日々でした。

父は若い頃より、真言宗密教僧として、紫燈護摩により、無病息災と平和を祈念して全国行脚をしておりました。私はそんな父を尊敬し、許される限り父について行った記憶をはっきりと自覚しています。(右の写真の右端が幼少の頃の私です)

ただ、以前にも書きましたが、主人の父の姉である家庭に家族養子で入り、今までの生活では考えられないような養母の振る舞いが、わたしの穏やかだった心を、打ち消してしまったのです。
「我慢してお前が、黙って悪者になっていればいいんだ。世間はわかってくれる」主人がいつもわたしに言っていました。

数年経って養父が亡くなり、養父を『命の書』に登録致しました。
その時、養母も・・・と思ったのですが、まだその時点では養母をどうしても許すことができませんでした。
養父が亡くなれば少しは変わるのではないだろうか・・・その期待は見事に打ち砕かれ、さらに拍車がかかり、有る事無い事言いふらし、毎日毎日同じことばかり言ってるもので、とうとう近所の人たちから疎外されるようになった時、わたしの心の中で、許せないからと言ってる自分の気持ちが許せない。
相手を許すことは、結局自分自身の気持ちを許すことなんだと気づき、養母を『命の書』に登録しました。
その時点で、ある写真と同時に『許す』という天からの声が再び聴こえた気がしたのです。
現在認知になって97歳になる養母は今も健在ですが、
それ以来、養母のことが全く気にならなくなりました。

人生を楽しく生きる。幸せに生きる。出会いを大切にしたい。
そんな思いが強くわたしを突き動かせてくれます。
人生には無駄はありません。
『許しあえる心があれば最高の人生を生きることができる』
『命の書』の登録によって、死後の世界まで最高の幸せが続くことを、これからの自分のお役目としてお話しさせて頂く覚悟ができました。
『命の書』という強い味方を世の中に理解して頂くための活動が許されました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

追伸:このチャンネルでは次回の投稿より、シンレイカイの最新情報をもとに、あなたの人生のご相談ごとをお寄せいただくフォームを設置させていただきます。