光に繋がる愛情物語

第1回目

2017年から2022年2月まで、ネット上に
『死んだらチャンネル』というサイトがありました。

2022年5月11日
語り:日戸 乃子(ひと のこ)

そこでは約5年間にわたり、『神を超えよ!仏を超えよ!』というタイトルで、何田匡史氏(本名:能登匡史)が聞き手となり精神学協会・積哲夫会長に「人間は、なぜ苦しい人生を歩まなければならないのか?」などの根本的な疑問を、多方面から質問する対談形式のブログが週一回で掲載されていました。生きることの根幹を深堀する、このブログ記事を楽しみにしていたファンもたくさんいたのです。
それらの原稿量は5年間で、新書本3冊分にものぼり、2022 年前半期にはその対談を元に一冊目の本が出版される運びになっていました。
ブログを書いていた何田匡史氏が住む『島道鉱泉』は、新潟県糸魚川市の雪深い山地にあり、昭和初期まで盲目の瞽女 ( ごぜ ) さんが三味線と歌唄いで芸を披露する仕事場としても活用されていました。また薬効の高い湯治場としても有名で、何田匡史氏はこの島道鉱泉の次期継承者として、一年前から移住していました。
2022年の冬は例年にない積雪があり、年末に何田氏と連絡を取った時には、電話の向こうの彼から息の荒い声が聞こえ、「除雪作業が大変や!腰が痛くなるよ」と、ぼやいていました。

京都生まれで、京都育ち。
雪が少ない地方からの移住なので、雪に埋もれるような生活のなか、屋根の雪降しの作業に毎日黙々とはげんでいたのです。
2022年2月23日夕方。
島道鉱泉の建物に向かう坂道を登っていた何田匡史氏を、突然の雪崩が襲います。
警察や消防による必死の捜索の後、何田氏の無事を祈るたくさんの思いは届かず、二日後に雪の中から冷たい遺体となって発見されました。しかし、雪崩の遭難には珍しく、損傷の少ないまるで眠っているようなきれいな姿で見つかったのです。
そして彼が楽しみにしていた、初めての出版本は遺作となってしまいました。
そして、葬儀の時。
「こちら(霊界)からメッセージを届けるという働きをしたい。そのために『死んだらチャンネル』を再始動してほしい」という言葉と決意が、向こう側に移った何田匡史氏から、日本全国に住んでいる複数の友人や知人に思いとして届けられたのです。
もともと、何田匡史氏は鮮明なビジョン(幻視)を見たり、希望者に精神学の『浄化と上昇』の指導をするなど、生前から精神界とつながって働いていた特別な能力のある人間でした。
ですから、あちら側に移動した彼から言葉が届けられたとしても、なんら不思議なことではないのです。
何田匡史氏の願いにより、人類史上初めての「身体を持つ人間だった個人が、死後の世界から、死後の様子を伝える」という使命と役割をもつサイトが誕生したのです。
死者と生者が協同して死後の世界を案内する企画が、この『シン・シンダラチャンネル』なのです。
ただし、霊界と呼ばれる領域では、現在大きな変動と混乱が起こっています。
(※詳細は、光文書 VOL.800+3『死後世界』を参照 https://www.godbrain.com/vol-8003/
それら精神界の再編成による激動の渦中から、生前と同じく学ぶ姿勢の篤い何田匡史氏のレポートが届くことを祈ります。