向こう側からのメッセージ

第29回

土地のエネルギー

2022年12月1日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

先週に続いて、今回は畑や土地、木の枝の剪定をしました。

仕事を始める二週間前、事前に手伝ってもらう応援メンバーに現地を見てもらったのですが、隣の畑に枝がかかりそうなので、伸びた枝を剪定予定の桜の木からは怒りを感じるとのことでした。

これに関しては、剪定予定だった樹木が、桜の樹だったと解って、

「えっ、花が咲いているのは見たことがないよ。これって桜だったの?」と、のんきに不用意なことを言った私への怒りらしく、「木が怒っていますよ!」ということでした。そうなのよね、桜の花…まったく記憶にないのね。ということは、その季節には長い間、畑にきていなかったということになります。誰も見てもらえずに、桜も寂しかったようで、怒っていたそうです。

加えて、「土地(畑)も、お荷物扱いされている……と、怒っているよ」と応援メンバー。

これらの土地は、実父が終戦後の農地解放の時に、今までは一族が小作人として耕してきていた畑を、貯金をはたいて買ったものの一部なのですが、あれから事情が大きく変わって、私の父母は私を連れてこの地を離れて、街中に移り住んだのです。10年ほど前までは、実母が野菜を作りに畑へ通っていたのですが、母が耕さなくなってからは地域のJAに頼んで、近隣に迷惑をかけないために、草刈りだけは定期的に行っていました。しかし、問題はそういうことではなく、これらの土地を所有することで今後も負担が大きいな、と感じている私の意識にあったようです。

畑で野菜を作るというのが苦手だということとは別に、父母がこの地を離れなければならなくなった親戚間の人間関係の軋轢も残っていて、私はあまりここへは来たくなかったのです。要するに、私の前の代の人間関係の思惑がエネルギーとして関係者内に残っていて、あまり居心地がいいとはいえませんでした。

今年の初夏に、スイカやレモンなどの苗を10本ほど畑に植えてみましたが、数日たって見に行ったらすべて抜き去られていました。イノシシなどの動物の犯行というよりも、人間による仕業ではないのかと、暗い気持ちになったのです。近くに住む親せきの顔を思い浮かべてしまいました。その後、私が思い浮かべた親戚は、生きている間に命の書に登録しました。

樹木の剪定と、農作業用の小屋の整理を行う前日に、近隣の神社2か所に私はマツリヌシとしてご挨拶に行ってきました。聖塩(積司)と秘積水を、境内にそっと撒かせていただいて、明日は畑と樹木の剪定をすることをご報告しておきます。土地の浄めをする時には、管轄の神社にご挨拶に行くことでスムーズに浄化が進み、また天からの支援も受けられるのです。

そして、畑と農作業小屋に関しては写真を撮り、アプリのイコンシール(特大)のダークとライトを貼り付けました。これらで一応の土地の浄化は完了したので、次の日に現地にて自分の目で確かめて、エネルギーが残っていそうなところには、紙のイコンシールを直接貼って除去することにしました。一方、桜の樹にも聖塩と聖水をかけてからお詫びの言葉を伝えて、来年の開花時期には観にくることを伝えました。

翌日。

応援メンバーとともに、農地の整理へ。

農作業小屋には、実家と同じく母がため込んで捨てられていなかった物品がたくさんあり、それを45Lのビニール袋に詰めていく作業を行いました。なぜか、小さな農作業小屋に大きな整理ダンスが据えられていて、引き出しの中からは祖母の着物やら洋服が出てきて、それも迷わずに袋へ詰めていきました。部屋の隅に重ねておかれていた布団類は、束ねて紐掛けしてもらい、こちらもゴミに出します。身近に使っていた鏡類が入ったビニール袋には、イコンシールのダークとライトを貼ってエネルギーを抜き去ってから捨てるようにします。なぜなら、ゴミとして処分したとしても、付着したエネルギーが処理されていなければそれらが返ってきてしまい、影響を受ける可能性があるからです。どこからもらってきたのかわからない漁船の『大漁旗』も2旗が見つかりましたので、それらを入れたビニール袋にもイコンシールを貼りました。

桜の樹は木と話ができるメンバーに、どのあたりの枝なら切ってもいいのかを聞いてもらって、そこを切ってもらいました。桜の樹も機嫌が直ったのか、素直に切らせていただいて順調にすすみました。今回は、不要な枝の剪定だったのですが、樹木本体を伐採するときには、後々に事故やケガが起きないようにきちんと事前にお祓いをしてから伐採をすることが望まれます。一本の樹を取り去ることは、人間側の都合でしかありません。植物にも意識があり、人間と意思疎通ができて話せるということを考えてみても、これまでとは違う関係性が生まれてきます。唯物論が主流でなかったころ、自然の中に人の生活があった時には、これらのことは常識だったのかもしれません。

日戸 乃子(ひと のこ)