向こう側からのメッセージ

第26回

怨霊になった天皇

2022年11月11日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

2022年11月8日、今回は「天王星食」も同時に見られる皆既月食が、442年ぶりに全国で見られました。次回に、日本で見られるのは322年後ということで、珍しい天体ショーを見ようと、夜空を見上げた人も多くいたことでしょう。

ところで、日食や月食は、太陽や月が欠けていくことから「不吉な出来事」として、むかしから捉えられてきました。政変が起こったり、戦が起こったり、また神の怒りが干ばつや豪雨、噴火や地震などの天災として地上に降ろされて、疫病や飢饉が起こるのでないかと、心配されたのです。皆既月食は月がすべて見えなくなるのではなく、月食中は赤黒い月に変色することからも、古代の人に恐怖心を抱かせたのだと思います。

一方で、時代は近代になり、皆既月食は月が地球の影に徐々に覆われていき、太陽と地球と月が一直線に並び、月全体が地球の影に完全に覆われるのだと解き明かされた結果、だれもが月食や日食を不吉な先読みとは考えなくなったのです。人間が住む町も、人工の明かりで満たされて、月の明るさがなくなっても十分に暮らしていけるようになり、恐怖心はなくなりました。しかし、本当に、月食には現代人がいうように、科学的な意味しかないのでしょうか。

月食と同じように、昔は怖がっていたけれど、今は怖がらなくなったものに、怨霊があります。

恨みを抱いて亡くなった人が、自分を悲嘆の底に追い落とした人間に「末代まで祟ってやる」といって死んでも、今の時代では、その恨みや呪いは、ないことになっているのでしょう。

2020年3月に、私は用事の帰りに思い立って、山道を通るルートで帰途につきました。山間のカーブの多い細い道を十数キロほど進むのですが、その途中に白峯寺があります。この辺りは、空海(弘法大師)が山頂に如意宝珠を埋め、円珍(智証大師)が地主神から信託を受け取ったという伝承が残る場所で、白峯寺には京より配流されてきた崇徳上皇の御霊と玉体が、幕末までありました。江戸幕末の動乱期に、悲運の崇徳上皇を憂いた孝明天皇が京都に移すように命じ、その子供の明治天皇が孝明天皇の遺志を継いで、京都御所の近くに新しい神社を作って、お帰りいただいたのです。

ですから、2年前に私が白峯寺を訪れた時には、崇徳上皇の玉体も御霊も、京都にお帰りになられてから久しかったのですが、白峯寺に車が近づくほどに、私の両目から涙がこぼれて止まらない状態になったのです。狭い道なので、対向する車の人は「なにごと……」といぶかしく思ったことでしょう。前からくる車の運転手がわんわん泣きながら走ってくるのを目撃したら……けっこう不気味です。

私といえば、「やれやれ。これは、崇徳上皇に感応したのかなぁ…」と、かなり気持ちは、どんより。感応は初めての体験ではなく、十年ぐらい前にも同じようなことがありました。神道の金井南龍氏が書いた「かみさまのおはなし」を読んでいて、急に泣き出して止まらず、しばらく大泣きをしたことがあります。どう考えてみても、おかしい体験だったので、当時、積会長にご報告したところ、「乗られたら(憑かれたら)、自分で対処しなければね」というお言葉。そうか、やっぱり別のものに乗られていたのか……どうしよう。すでに金井南龍氏は、私が命の書に登録させていただいていたので、彼ではないはず。自己探査の結果、「かみさまのおはなし」の中に登場される、昭和34年ごろに厳島神社の宮司として、神様の御用をされていたイキミタマの方ということがわかりました。宮司さんの本名は、わからなかったけれど…どうにか登録できて、ほっとしたのです。そして数年前には、イザナミ神でした。比較的近い、同じ地域にいらっしゃったせいか、これも数日、タオルを片手におんおんと泣いておりました。

今回は、崇徳上皇のようでした。実はこの話には続きがあります。そんな体験をした翌日に、北関東の会員さんのコーチングを受ける機会がありました。当時、私は誠実でない友人の行動に悩まされていて、その内容をグチグチと愚痴っていました。その時に、コーチングをしてくれている会員さんの意識上に、黒い龍のような存在が現れて「助力する…」というようなことを、伝えてきたのです。まあ、そんな出来事も忘れかけていたのですが、私の知らないところで意外な展開になっていたことを数カ月前に、知りました。また、続報は、書ける時がきたら書かせてもらいます。当時は、翌日ということもあり、もしかしたら「その龍体は、崇徳上皇……それとも○○神社の神様」という思いもあったのですが、よくわかりません。もしかしたら、崇徳上皇かもしれません。

さて、ここからが本題になります。

2年前の話なので、崇徳上皇のことはすっかり忘れかけていたのですが、光文書800+27「早良親王と円の終わり」(二千二十二年九月十五日記)に、日本に置かれた御霊様が働きだされたことが書かれてありました。九月の大阪セミナーでは、もっと詳しく御霊様の説明があったのですが、その御霊様の一柱に崇徳上皇がいらっしゃることから、そういえば2年前に感応したことがあったな、と思いだしたのです。そこで、「命の書に、お入れしたほうがいいでしょうか…」と聞いたところ、「きげんよく、はたらかれているのだから、そっとしておきなさい」といわれたので、そのまま、そこで話は終わりました。

あれから私も、手の怪我で入院したりと忙しくしていたのですが、何かをきっかけにして、崇徳上皇のことを考えると、また涙が出てくるようになったのです。

えっ、もしかして2年間、そのまま私に乗っていらしたのですか。えぇぇ。

もちろん、私に乗っていたとしても、それはご本体ではないと思います。白峯寺に残っていた崇徳上皇の、残り香のような意識なのかもしれません。なんせ、ご本体は長い年月、京の都で恐れられた御霊様なのです。

この本は、明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏が書いた「怨霊になった天皇」です。

2009年に刊行されて、2011年に文庫版として出版されましたが、この本の執筆に使用したパソコン4台、プリンター1台が壊れたそうです。このことは、ご自身で竹田氏が、YouTubeで解説されていました。どうも、私の内なる存在は、この本を読んでほしいようで、導かれて本を購入することになりました。

最近、私は本が読めなくなっています。一時的なものかもしれませんが、意識内に、お話が入ってきません。物語についているエネルギーをしんどく感じます。そして、私の本音は、あまりこの本を読みたくない……です。しかし、全部でなくても読めるところだけ読むのでいいというなら、できるかもしれません。本を読んで、何かを理解した後に、また進展や変化があるのでしょうか。

少し気が重いですけど、取り組んでみます。

日戸 乃子(ひと のこ)