向こう側からのメッセージ

第23回

歴代のペットたちを「命の書」へ登録!

2022年10月20日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

シン・シンダラチャンネルのサイトが一新されて、ねこカミサマやいぬカミサマのシールのことも公にされて、また一般に販売されるようになりました。9月の、大阪でのシンロジカルセミナーの時に、テスト版のねこカミサマシールが参加者に配布されて、私も2枚もらって帰って、我が家の猫たちに貼ってみました。行動が大きく変わるかなと思いましたが、あいかわらず、よく寝ています。猫って一日16時間ほど眠るので、シールを貼ることでねこカミサマとつながっても、頼りになるのかならないのか……、我が家の猫たちに限っていえば、わがままな性格と猫っぷりは健在です。

人間とともにいる犬と猫が新たに精神界の眷属として加えられるように、精神界での変更が行われたのと同時に、ペットも命の書への登録が解禁されました。登録したからといって、次に「人間へ生まれ変われる」という保証はないそうですが、光の宇宙への方向性は担保されるので、私は入院中、ずっとそのことを考えていました。私も、人間として長生きするという保証はないので、思い切って、気になっていたペットたち+人間一名を命の書に登録することにしました。

●ピーコ(白文鳥)

私が、小学生から中学生ごろまで飼っていた手乗り文鳥ですが、私の世話が足りずに死なせてしまいました。ずっと罪悪感があったのですが、まさかこの歳になってピーコに贖罪できるとは……ということで登録させていただきました。死んだ日も不詳ですが、無事に登録できたようです。※ペットの登録の場合は、ペットの名前の前に、飼い主の名字を入れて登録すればいいようです。この場合、私は小学生だったので、旧姓を使いました。

●ビースケ(白い日本犬・雄)

19歳の時に、溝に落ちていた白い子犬を救い出しました。その後、実家で飼っていたのですが、最後は逃げ出して、私の家の軒下で亡くなりました。ビースケは14年間生きていたんですが、その頃私は自分の結婚や子育てで頭がいっぱいで、拾ってきたのは私なのに、彼のことはほとんど頭の中になかったです。実家に行ったときに、お風呂場でシャンプーをして洗う係だけは、引き続きしていました。拾ってから10年後に、私が実家の近くに家を建てて引っ越してきてから、ときどき実家を脱走しては、よく迷わずに私の家まで来ていました。最後も、脱走して我が家まで来て、「帰らない」と主張して、そのままそこで最期を迎えました。

●カール(雑種犬・雄)

子供たちが小学生の時に飼っていた犬です。母犬が血統書付きというところからもらってきた子犬ですが、育ったら立派な中型の雑種犬になりました(笑)。でも、性格は優しく、外飼いでしたがカミナリが大嫌いで、カミナリが鳴ると網戸を破って家に駆け込むという、家族を笑わせてくれるいい子でした。共働き時代だったので、もっときちんと世話をしてやればよかったと、今も思っています。

●そして、現在飼っている我が家の猫2匹。11歳と4歳。まだ健在ですが、先に登録させていただきました。

(この後に、猫一匹(雌猫・7歳で死亡)の登録を忘れていることに気が付き、次回に誰か人間を登録するときには、忘れずに彼女も登録しようと思っています)

私がいつ天命を、まっとうするのかはわかりません。数年後かもしれないし、長生き時代を反映して後30年ぐらいは生きているのかもしれません。自分の寿命はわからないけれど、その時には「命の書」に登録した彼らが出迎えてくれる楽しみがあるなら、まあ、死ぬのも悪くないな、と思えてくるのです。というのも、9月の大阪セミナーの参加者の方で、会員でない視える方(一般の霊視ができる方)に「あなたに憑いているらしい白い猫が見える」といわれた人がいらっしゃいました。それを気にされていて、会場でその白い猫について質問されたのですが、会員の方で白い猫の通訳をしてくれた人の言葉から『その方が前世に飼っていた猫で、その人の転生先に追いかけてきている白猫の霊』だとわかったのです。なお、質問者は、今世では、猫は飼ったことがないそうです。

ペットと人間の関係は、こちらが考えているよりももっと深いもののようです。

そういう事象を鑑みるに、私とご縁があった歴代ペットを、私が生きているうちに「命の書」に登録しようと決意したのです。こちらも、いつまで生きているかわからないし……(笑)。

そして、命の書の登録は+人間一人。入院中に時間があり暇だったので、Twitterを読んでいました。最初に気が付いたのは立山踏破の写真とコメントでした。以前書いたように、精神学協会には登山同好会(?)なるものがあります。少し横道にそれますが、これまでの登山の話をします。

いちばん最初に、私が挑戦したのは富士山でした。2013年の8月の話です。どうしても富士山に一度は登ってみたかったので有志数人で挑戦しました。ですが、9合目で一泊したところ一睡もできずに翌朝は高山病を発症しており、元気な人は山頂へ向かい、私はしかたなく一人で下山しました。(9合目までで体調を崩して、先に下山した人もいました)

「どうしても富士山の頂上へ行きたい!」という思いは消えることがなかったのですが、高山病になってしまうというジレンマ。その時に、登山熟練者の会員さんが引率してくれることになり、もう一度、参加者を募って富士登山にでかけました。夜明け前から登る一泊しない弾丸コースだったのですが、おかげさまで引率されていた10人ほどが富士山登頂に成功しました。引率してくれた会員さんは、人間でない精神界の存在から「……登山を助けて(協力して)やれ…」というメッセージを受け取っていたらしいです。それから、数年を経て、私たちは白山、立山と登りました。富士山と白山、立山の山頂を結ぶと、日本の中に地理的な正三角形ができます。それとともに、私は、ひとりではなく志を同じくしたメンバーで動いた方が、ひとり(単独)ではできないことも成し遂げられるということを、実際に学んだのです。

さて、話を戻しますね。

ですから、最後に私が登った立山のTwitter上の風景には、興味を惹かれました。

その動画を上げていたのは、kota(@20_ZXT02K)という47都道府県をバイクで走破中の22歳の青年でした。日本一周ツーリングの締めに立山に登ったということで、立山連峰登山動画を上げていたのです。これが2022年9月30日でした。その2日後、私がTwitter上で見たものは、「ここで僕の旅は終わり。 もう苦しみたく無いし悩みたくも無い。 最後に日本一周出来て幸せだった、楽しかった。 さようなら。」そして、「最後にご迷惑をおかけします、本当にごめんなさい。」の言葉。

最後に添付された画像は、「注意欠陥多動性障害」の病名が記された彼の診断書と、暗闇に浮かびあがるダムの写真。早くに気が付いたフォロワーさんが警察に通報していて、私が見た時にはすでにkota君の死は確認された後だったのです。

ここまで書いて、かなり文章が長くなったので、kota君の話は次回に続けさせてもらってもいいでしょうか。

とりあえず、診断書により彼の本名がわかったので、私が命の書に登録させてもらいました。でもね、私hitonokoは君に伝えたいことがたくさんあるので、それは来週に書かせてもらいます。それまで、しばらく、ゆっくりと休んでください。

なお、自殺を考えている人はまずは自分を「命の書」に登録してからにしてくださいね。どうも登録すると、自殺願望がかなり薄くなって消えていくらしいので、お薦めします。

日戸 乃子(ひと のこ)