シンレイカイからの情報発信!
2022年9月 14日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)
2022年9月11日(日曜日)の午後に、『第63回シンロジカルセミナー』が大阪にて開催されました。
私はセミナー前に、何田匡史(本名:増田匡史)さんが積哲夫氏の聞き手(対談者)として登場する新刊本「神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】」の紹介と、申し込み受付のお話をさせていただいたのですが、やっぱりここはご本人から一言いただきたいと思い、死者の通訳(代弁者)ができる方に、彼の言葉を伝えてもらいました。何田さんもうれしかったようで、当日は会場に早くから来てくれていたようです。以下が、彼の言葉になります。
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皆さん、増田(何田)です。
この度は、積先生と私の対談本である『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉』というまことにたいそうな本を出していただきまして、ほんとうにわたくし、感無量でございます。
出来れば皆さんにも、積先生のありがたいお話とかを知っていただきたいので、ぜひぜひご購入下さい。
おねがいいたします。
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と、ご本人が通訳を通じて、おしゃっておりました。何田さんの、生前の生真面目な人柄がにじみ出ていました。
ナンダ師として、シンレイカイで働いている何田さんには、ぜひともシンレイカイの様子や、シンレイカイで出会った死者の方のお話などを伝えていただければ…と、私は個人的には考えております。『命の書』に登録してほしいシンレイカイにいる死者の方も、何田さんのところにご相談にいらっしゃっているようです。まあ、死んでしまうと、あちらとこちらの距離は遠いので、どうせならば生きているうちに、自分で自分を登録できるうちに『命の書』のことを、知りたかったことでしょうね。
でも、死んでしまった皆さん。あきらめないでください。家族の方の夢枕に立ち続けたら、いつかは気が付いてくれるかもしれませんから。実行あるのみです。がんばりましょう。
もうひとつ、心に残った記事がWEB掲載されていました。
以下、神戸新聞からの転載になります。
タイトル「45歳の死、生きざまに反響 別れの動画再生200万回 緩和ケア医関本さんの言葉に「励まされた」
緩和ケア医としてがん患者約千人を看取り、自らもがんのため今年4月に45歳で亡くなった関本剛さん。生前に収録し、自身の葬儀で上映した「別れのあいさつ」の動画が注目を集めている。遺族の了承を得てユーチューブの神戸新聞チャンネルに掲載すると、半月ほどで再生回数が200万回を超え、高評価も3万に達した。「励まされた」「希望をもらった」-。コメント欄には感謝の声があふれている。(津谷治英)
関本剛さんは神戸市東灘区出身で関西医大卒業後、病院勤務を経て2018年、母雅子さん(72)が開業した緩和ケア専門の関本クリニック(同市灘区)院長となった。翌19年に末期肺がんと脳転移が見つかり、抗がん剤治療を受けながら、亡くなる1カ月前まで患者の診療を続けた。
動画は病状が落ち着いていた2年前に収録され、遺言通り通夜、葬儀で流された。今年8月には、母校の六甲学院中学・高校(同市灘区)で同窓生らが開いたお別れ会でも大画面で紹介された。
「いささか短い人生ではありましたけれども…」。動画の中で、剛さんは話し始める。自らの死を念頭に置きながら湿っぽさはなく、カメラを見つめる瞳も言葉も落ち着いている。家族や友人に恵まれ、目標にしていた仕事に従事した生涯を「最高の人生」と振り返った。妻と子を残していくことだけが気がかりと明かし、「よろしくお願いします」と頭を下げた。一方で「あの世に行って、先に逝かれた先輩たちとおそらく宴会三昧の日々だと思う」と視聴者を和ませる配慮も。「後から来られる皆様のために、いいお店・いいお酒を手配してお待ちしております。そんな日が、少しでも遅くなりますことを」。笑顔で手を振り、別れを告げた。
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再生回数は9月10日正午時点で216万回を突破。視聴者は中高年の女性が多いとみられ、コメントも830件以上が寄せられた。「死に直面していながら、この冷静さと穏やかさ、さすが緩和ケアの先生」「全く存じあげない方なのに涙が止まりません。生を無駄にしてはいけないと、勇気をいただきました」
励まされたという医療従事者も。「看護師です。今まで患者様のために走ってきた人生だと思います。私も先生の分までこれからも頑張っていきます」末期がん患者からの言葉はひときわ重い。「緩和ケアが始まるところです。…いかに生き切るかが良き死を迎えることだとしたら、この方の生は誠にそういうものだったのでしょう。うらやましくも希望であります」
母の雅子さんも反響の大きさに驚いた様子で、次のようなコメントを寄せた。
「剛のメッセージがお役に立てているのを喜んでいます。将来、天国であまりに多くの方々から声をかけていただくことになり、剛もびっくりすることでしょう」
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多くの人を見送った緩和ケアの医師だからこそ、現場でたましいの存在を確信していたから、関本剛さんはこのような死後も存在し続けることを前提としているビデオ・レターを残されたのだと思います。死んでも意識があり続けると知ったら、現在をどう生きるのかを真剣に考えると思いませんか?
いま生きているその生き方が、死後にも問われるということになるのですから。
日戸 乃子(ひと のこ)