神を超えよ!仏を超えよ!

第七十五回

たましいの目的 その二 天の義

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年七月十一日 配信

:天の義に属して生きると、「義の人」になるのです。近年、若い人たちに、あの戦争(第一次、第二次世界大戦)で亡くなられた人達は、たましいに光を持って亡くなられたから幸せだったのだ、と気が付く人が増えてきます。それに引き換え、現在を生きている人達は日々、この世の悪魔達の誘惑にさらされて生きることに悩み苦しみ、常にたましいを悪魔達に売ろうとしている、と知るべきです。

何田:キリスト教の義に生きた人達はひと筋に、神様の信仰に生きられました。また、太平洋戦争で亡くなられた英霊達もお国を守るとして死んでいかれました。生きる目的、死ぬ目的は一つで、道は一つだったと思います。しかし、現在はいろんな解釈と選択肢があって、何をチョイスして生きて死に往くのか? を自分で選べるようになった世の中なので、余計に迷うことになっている時代だと思います。

:選べるということより、「義によって生きる」ということが、格好悪いと皆さんは思っていませんか?

何田:それは九十九パーセントくらい、現代では義が格好悪いと思っている人が多いと思います。たぶん、義を通して生きることは損だと考える人が、すべての人にあると思います。

:「義によって生きよ! 義を持って生きよ!」。これが、死んだらチャンネルを立ち上げた目的で、テーマです。
義を持って生きて死んだ人は、必ず天にすくいあげられます。けれど義によって生きてない人は死んだ後、天から捨て去られます。この正しい知識を見つめて自覚して生きることをしないといけません。ひとりひとりが、自分の人生でこの知識に、もう一度気が付かないといけません。結局、他人がどうのでなく、自分ひとりが「天の義」を、人生の中心に据えて生きてきたのか? そうやって死んでいくのか? これが死んだ瞬間、あなたのたましいが光となって天に昇るか、それとも闇のものとなって内なる神や神々とともに地獄に閉ざされるのか、なのです。ターニングポイントは、あなたの身体の死の瞬間ですが、たましいの行き先は日々の人生の過ごし方、時間の使い方、精神性の高さ、そして本当の正しい知識にあります。たましいは、すべてのことを記録しています。昔の人間は、死後の世界でも神様を欺くことができると考えていたようですが、内側に記録が残っているのです。
現在はそういう、ひとりひとりが試される時代だから、イエス様の十字架のテーマが置かれているのです。イエス様の十字架を恐れる人間は、義の人にはなれないのです。聖書を知ると、自分が十字架にかけられるのが嫌だな、という脅迫が常にあるわけです。イジメはしたくないけれどイジメに加担するのはイジメる側にいないと、自分が十字架に周りから架けられるのが嫌だ、という恐怖心があるのが理由です。十字架への恐怖、つまり恐怖心がイジメや闇を作り出すわけです。

何田:自分の人生で、天の働きをまっとうして人生を送ろうとすれば、十字架に架かってもよいという覚悟を持たなければ、義がわからない、ということでしょうか?

:そうです。覚悟がなければ解らないのです。今、この時点で、ここを自分の頭で考え抜かない限り、神なぞというものには近づくことはできません。自分に恐怖心があれば、その恐怖から出た言葉や行いは闇につながり、自分は闇の住人になります。恐怖をおそれない、天の義をまっとうして生きることの覚悟がなければ、天の住人にはなれないのです。
天に繋がる言葉や行いを、人生というこの時空間に顕わして生きた人が死んだ瞬間、たましいは天にすくいあげられ、次に進化のステージにいけます。これら、すべては正しい道理です。それを、人の道といってもいいのです。すべてはあなたの人生の時間の過ごし方で決まります。そのためには、考え抜かないといけないのです。

何田:積先生のお話を聞いていますと、マンガやアニメのストーリーのように聞こえます。

:そうそう、マンガとかアニメの方が解りやすいです。日本文化としてのマンガ・アニメを、精神学の知識をベースに、作家活動する人がいればとても売れるでしょう!

何田:積先生は、コンテンツの最も重要なポイントは、感動といわれています。感動はたましいが震えることだといわれていました。人は本当の正しい義というものに出合うと、たましいは震えて感動し、それが天の義だと人は理解するものでしょうか? では、義とは何でしょうか?

:義とは、簡単にいうと、殺すな、盗むな、偽証をするな、のいましめに代表されるものです。人間として生きる基本の重要部分です。キリスト教や仏教の戒律は、人間がつくったものだと、天はいっています。この三つでいいのです。

何田:イジメをしている人はどうでしょうか?

:人をイジメている人は、殺しをしています。人におまえ死ね、おまえ汚いから死ね、などの言葉や行いで相手を殺しています。義を貫いて、殺すな、盗むな、偽証をするな、をして死んだ人は、神様が言祝い(ことほい)でくださいます。
よくよく、いっておきますが、たましいにとって一番重要なポイントは、人の評価ではないのです。たましいには、神様というか、天の評価が一番重要なのです。人間の評価を気にしている間は、ダメなのです。庶民感覚でいう、お天道様が常に見てくださるという倫理観、行動原理を自分の中に持っているか、持っていないかなのです。それが、義なのです。