何田匡史がつなげるシンダラ情報

第9回目

お盆とご先祖さま

2022年8月18日
語り:説諭士

 仏教の世界では、お盆にはご先祖様達が帰ってくる、という供養法があります。
その時期になるとお坊様が忙しく檀家周りをされ、檀家ではご先祖様を迎えるべく、お墓や仏壇には仏花や様々な食べものをお供えしています。
普段疎遠になっている親戚関係の方々も、ご先祖様へのご供養と、久方ぶりに親交を深める、良き機会になっていることも否めない事実でしょう。

お盆の14日、妹と久方ぶりに、母の実家である皆元家のお仏壇にお参りすることになりました。
従兄弟夫婦とも久しぶりに、子供の頃の話や、亡き叔母や祖母の話に、時の経つのも忘れるほど、話に花が咲いたように、楽しい談笑のひと時を共有していました。
後半、叔父がポツポツと源一族のことを話し出しました。
私は数年前一度叔父からも聞いていましたが、叔父もおん歳93歳、最後の機会だと思ったのでしょう。
今回も従兄弟夫婦と妹を加え、私たちを前にして、以前と変わらず興奮して語る叔父の姿に、一度は聞いたものの、もしかして、叔父から聞けるのも、これが最後かも知れない。
そうした思いが、私だけではないと言う空気感の中、叔父は、真面目な顔をして、真剣に語り始めました。
勿論聴く側もです。
叔父の言葉をそのまま記します。
私たちのご先祖は、源氏の子孫です。
この話は、代々語り継がれてきたお話で、僕は子供の頃から、何度も親父さんから、繰り返し聞かされてきたので、忘れることはない。
鎌倉幕府が終わりの頃、子孫を残すため、300人の家来が小さな子どもを連れて鎌倉を出たんだって。
最終辿り着いた所が今の大阪、江戸堀という場所。
小さな子供も家来の人たちも、長い年月一般の町人として生活。
叔父の話は、その時代から家系図を証拠として、口伝で語り継がれてきたものです。
僕の子供の頃には、家に鎧や兜に刀剣などが、部屋に置いてあった。
どんな字を書いていたのかは覚えていないが、近年まで、しま屋という屋号で廻船問屋を手広くしていて、大阪天満宮に神輿を奉納。
その後、大東亜戦争が始まったので、鎧兜刀剣や一番大切な家系図等を、当時の持明院というお寺さんに預け、疎開して行ったとの事。
戦争が終わって、寺院を訪ねていくとそこはB29戦闘機から落とされた爆弾で、跡形もなく丸焼け状態。
何にも残っていなかったんだって。
その証となるものは全て灰になってしまい、親父が父の形見として、持っていた四国88ヶ所の朱印帳に『源』と焼印し、願主 皆元源次郎 その朱印帳のみとなってしまった。
僕のお爺さん、源次郎さんのお話になるが、明治になって町人にも苗字が許された時、源ではなく、皆の元・皆元に変えてしまったのだというお話です。

そして、ここから後はわたしの直感になります。
わたし自身の気持ちなんですが、空海さんのお導きで、精神学協会にご縁をいただき、源一族の因縁の深さを、なんとか解消しなければという思いに駆られ、先ずは頼朝さんと義経さんを『命の書』に登録いたしました。
次に身近なご先祖で気になり出したのが、私たちの代からすれば曾祖父さんの存在でした。
源次郎さんの父親は源七という様に、代々男の子の名前には、必ず頭に源を付けることになっていたのです。
ところが自分の息子は、熊楠そして子は日出夫、その息子が昇、源がついていないこと。
これは、わたしの推測です。
四国88ヶ所参拝は、源一族の深い因縁切りの為、それに縛られない名前で子孫を守りたい、その思いだったに違いありません。
そして、14日の皆元家に、為朝さんもその場に居ました。
お盆の日に盛り上がったお話、命の書への登録によって、源次郎さんは、光の側で働いてくださっていると確信しています。
また、先日シンレイカイに行くことを「しばしお待ちください」と言っていた為朝さんですが、この日を境に、きっと光への道を進んでくれることと信じています。
そして、私が預かってきた朱印帳、源次郎さんの心を察しているわたしに託してくださったのだと、理解しました。

※命に書の果たす力・今回の体験から得た確信
 〇ご先祖のタマシイ救済=子孫の幸せにつながる。
 〇なんとなく肩の荷が降りた様な感覚、身体が軽くなる。
 〇気分が清々しくなる。
 〇過去のなくなった方達の殆どが、光の世界にはいないご先祖への、愛と感謝の行為となる。
 〇命の書に登録した『たましい』は光の中で癒され、生まれ変わりも、光の御使として働くことも、
  許される世界に移行します。