第19回目

何田匡史さんとの思い出

2022年9月15日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

7月の大分でのカウンセリングから、2ヶ月半で、わたしの人生は奇跡的な現実ばかりです。『魂が地獄から、この世に還ってくる』そんな馬鹿な話は無いと思うわたしと、この世に戻るなら地獄で遊んでいた方が、まだマシだよ、というじぶんがいました。

わたしの中のじぶんは、いつも正直で純真無垢な存在です。人間界の目を気にして生きるより、精神界の仕組みに従い生きるのは、勇気が必要な時もあります。ただ、そんな事を気にし過ぎていたら、この世はつまらない世界になってしまう。それが、地獄からこの世に戻ったじぶんの魂の本音でした。

4月に、シンダラチャンネルのサイトで、書きたい事を書くことを許可していただいた時期、わたしは島道鉱泉から離れて一切の業務を止めるつもりでした。5月の下旬から6月にかけては、仕事をする気になれず、度々、何田匡史さんを思い出し泣いてばかりいました。

そんな、わたしに声をかけてくれて、励まし、支えて、見守ってくれたのは、何田匡史さんをよく知る人たちでした。人は亡くなってから、価値が判ると言いますが、全くその通りだと思いました。何田匡史さんは、不器用で、事故表現が下手でしたが、真面目で、一途で、誠実な人柄は、出逢った方々の心を安らげていました。そんな彼が撮る写真は、ほのぼのする安心できるものばかりでした。

現在は、何田匡史さんの代わりに、妹や北九州から移住してきた方が、島道鉱泉の撮影を引き受けてくださっています。彼女達のひたむきで健気な姿勢が、私の傷ついた心を癒してくれました。

雪崩のために尊い命を奪った島道鉱泉の場所は、わたしにとって辛く、悲しく、憎しみが渦巻いていました。それは、匡史さんの事を頼りにしていた証拠だったのだと確信しました。頼りという名の依存だったように思います。何田匡史さんの死を通じて、改めて、じぶんの生き方や在り方を、真剣に考えて行動していきたいと思いました。

最後まで、お読みくださりありがとうございました。