第4回目

島道鉱泉・再生への道

2022年6月3日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

島道鉱泉の山々は、青い空と白い雲と新緑のコントラストが眩しい季節になりました。
何田匡史さんが、あの世に旅立たれて早くも3ヶ月がたちました。
月日というのは、人の気持ちや思いを変えてくれます。
変えてくれるというより忘れさせてくれると表現した方が近いでしょうか。
天災の悲惨な状況から、徐々に改善し、あらゆる存在のチカラをお貸しいただき、島道鉱泉の山々は、別世界になりました。
朝日が上り、眩しい陽射しが当たります。
鳥がさえずり、風が爽やかで、池の鯉が、時々、飛び跳ねています。
春になり、暖かな日が続き、木の芽が吹き、お花たちはそれぞれの個性を輝かせはじめました。
そんな風景を眺めながら、わたしは物思いにふけっています。

『これからどうしよう』
現実世界の自然界やまわりの方々の支援、応援が集まって来ていますが、わたしの心は不安で、気持ちは落ち込むばかりです。
復旧活動がスムーズに進み、たくさんの皆様の誠意の上に成り立つ暮らしと、湯治場・島道鉱泉の活性化に人力を尽くしてくださる支援・応援が集まっているのに…。
この世には、何田匡史さんがいません。
シン・シンダラチャンネルの配信をしていた何田匡史さんがいません。
相談する人がいない不安さと、まだ島道鉱泉の場所で働く覚悟がありません。
昨年の5月に彼と、京都から移住してきたこの時期、彼との事を思い出すと、悲しみと切なさが溢れて出してきます。
島道鉱泉の環境は、素晴らしい景色ですが、今のわたしからしたら残酷で憎い仇のような存在です。
まだ、わたしは、島道鉱泉の環境と一緒に働く事が出来ない小さいにんげんなのです。
にんげんごとで考えたら大切な彼の命を奪った『島道鉱泉の山々』との関係を断ち切りたい気持ちでいっぱいです。
でも、何田匡史さんからのメッセージ『はるさん力を貸してください』の事が頭から離れず悩んでいます。
何田匡史さんが、この世からいなくなり、わたしはスッカリ元気がなくなり、まだグジグジしています。
そして、何田匡史さんを奪った島道鉱泉の山々を許せないのです。
昨年の、この時期、匡史さんと日向ぼっこをしながら、未来のピジョンを語りました。
光と闇の仕組み、魂のテーマ、生きるとは、死とは、死んでから困らないように生きているうちに何をしなくてはいけないか、などなど…。
真実を追求し、本当のことを世に伝えるために、匡史さんは、神様に真剣に向き合い、精神学を勉強し、一生懸命生きていました。
わたしは、彼ほど精神世界に興味がなく、彼の一生懸命さと熱意に付き合っていた感じです。
そんな、彼といる時が一番面白くて楽しい時間でした。
いま思うと、何田匡史さんがやりたかった事は、わたしの小さい頃からの夢と重なるところがありました。
シン・シンダラチャンネルの配信が始まり、わたしの身の回りに不思議な事が起こり始めています。更新日近くになると、匡史さんが、わたしの身体に重なる事があり、わたしでない感情が湧き出てきます。
やはり、何田匡史さんとわたしは仲良しなのです。
今日は、彼と一緒に、散歩しながら『シン・シンダラチャンネル』で何を配信するか悩んでいる日になりました。
また、覚悟が決まっていないじぶんの弱さに気づいた日でもありました。
最後まで、お読みくださりありがとうございました。

第3回目

青空からのメッセージ

2022年5月26日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

何田匡史さんが、この世を卒業してから1ヶ月。
4月上旬、家族を労うため石川県金沢市と新潟県弥彦村に出向きました。
目的は神社に、お礼参りに行くためでした。
しらやまひめの神様も、やひこの神様も不在でした。
でも、近くのホテルに予約して、素敵な思い出作りをしました。
神社へのお参りの最中に、糸魚川市役所から連絡がありました。
4月上旬、島道鉱泉坂道の除雪、木々の撤去などの作業を開始するとのこと。
4月中旬には、雪崩の影響で取り残された重機も引き取られ、坂道に埋もれていた木々は撤去されました。

大自然の猛威を忘れないために、あえて残された木々たち。
雪崩の悲惨さを見る度に悲しさが込み上げてきますが、そうも言ってはいられません。
未来に生きる方々のために、自然災害の厳しさと怖さをお伝えしていかなければなりません。
悲しいことばかりではありません。
苦しいことばかりではありません。
今回の天災で、糸魚川市をはじめ、消防、警察、地元の業者の皆様が、懸命に働いてくださいました。
本当にありがたかったです。
『ぼくが、はるさんを守るから、はるさんの力を貸してください』
何田匡史さんが大沢岳の青空から、清々しい風に乗ってメッセージを送ってきたのは言うまでもありません。

第2回目

一生忘れられない日

2022年5月19日
語り:島道鉱泉4代目当主/能登はるみ

何田匡史さんからの連絡がないまま不安な夜を過ごした朝、糸魚川消防と警察の方々が、島道鉱泉まで救出作業に来られました。
島道鉱泉へ続く坂道は雪崩の被害が大きく、歩いて降りれないこと、電信柱が倒されて電気が止まるかもしれない可能性があり、かなり危険な状況だと知らされました。
『わたしたちより、匡史さんの救出作業を先にお願いします‼︎』と頼みましたが、『生きてる方の命が優先ですから、一緒に避難してください‼︎』と促されました。

気持ちの整理もつかぬまま、ヘリコプターでの救出作業が始まりました。
島道鉱泉の駐車場上空にヘリコプターが迎えにきてから、安全点検が繰り返され安全ベルトや注意事項の説明を受け、いざヘリコプターへ‼︎
地上100m(ワタシの推測)から下ろされたロープだけを頼りに、機体へ引き上げられる瞬間まで、生きた心地がしませんでした。
ヘリコプターのプロペラの風で周りの杉は大きく揺れ、島道鉱泉の駐車場は粉吹雪が巻き上がっていました。
わたしは思わず息を飲み、隊員の方にしがみつきました。
『大丈夫ですよ、ちゃんと捕まってください。大丈夫ですからね‼︎』
周りの隊員の方々にも励まされながら、『雪山で助けられるのに、わたしはまるで、まな板の上の鯉だな』と馬鹿なことを考えなが、ヘリコプターへ吊り上げられました。

わたしが、一番で、次に父親が無事救出された途端に、匡史さんが、まだ見つかっていない切なさが込み上げてきました。
その日は、晴天だったので、雪山の景色は最高でしたが、『匡史さんは、この雪の中に眠っているんだろうなぁ』と想像すると空しくなりました。
2月24日は、雪崩の影響で、陸の孤島になってしまった島道鉱泉からの救出された切なく悲しい壮絶な日になりました。

糸魚川市のご厚意で、24日は、ビジネスホテルに泊まりましたが、一睡もできず朝を迎えました。
8時から災害現場での車確認が始まりました。
2台の軽自動車は、無残な形で発見され、次々とレッカー車で運ばれました。
2台目の車がレッカー移動されたタイミングで、匡史さんの遺体の確認作業を父親と妹がすることになりました。
『やっぱり』と思うと同時に、言葉では表せない気持ちがありましたが冷静なわたしがいたので不思議でした。
ただ、糸魚川消防、警察、市役所、匡史さんの救出作業に関わってくださった方々に感謝しかありませんでした。

父親が『匡史が見つかって良かった』
妹が『お兄さん、寝てるみたいだったよ』
の2人の言葉を聞いた途端に我慢していた緊張感がほぐれて、匡史さんが見つかった安堵感が混じり、涙が次から次から流れていました。

2月25日は、かげかえのない存在をこの世から見送った、一生忘れられない日になりました。

第1回目

2017年から2022年2月まで、ネット上に
『死んだらチャンネル』というサイトがありました。

2022年5月11日
語り:日戸 乃子(ひと のこ)

そこでは約5年間にわたり、『神を超えよ!仏を超えよ!』というタイトルで、何田匡史氏(本名:能登匡史)が聞き手となり精神学協会・積哲夫会長に「人間は、なぜ苦しい人生を歩まなければならないのか?」などの根本的な疑問を、多方面から質問する対談形式のブログが週一回で掲載されていました。生きることの根幹を深堀する、このブログ記事を楽しみにしていたファンもたくさんいたのです。
それらの原稿量は5年間で、新書本3冊分にものぼり、2022 年前半期にはその対談を元に一冊目の本が出版される運びになっていました。
ブログを書いていた何田匡史氏が住む『島道鉱泉』は、新潟県糸魚川市の雪深い山地にあり、昭和初期まで盲目の瞽女 ( ごぜ ) さんが三味線と歌唄いで芸を披露する仕事場としても活用されていました。また薬効の高い湯治場としても有名で、何田匡史氏はこの島道鉱泉の次期継承者として、一年前から移住していました。
2022年の冬は例年にない積雪があり、年末に何田氏と連絡を取った時には、電話の向こうの彼から息の荒い声が聞こえ、「除雪作業が大変や!腰が痛くなるよ」と、ぼやいていました。

京都生まれで、京都育ち。
雪が少ない地方からの移住なので、雪に埋もれるような生活のなか、屋根の雪降しの作業に毎日黙々とはげんでいたのです。
2022年2月23日夕方。
島道鉱泉の建物に向かう坂道を登っていた何田匡史氏を、突然の雪崩が襲います。
警察や消防による必死の捜索の後、何田氏の無事を祈るたくさんの思いは届かず、二日後に雪の中から冷たい遺体となって発見されました。しかし、雪崩の遭難には珍しく、損傷の少ないまるで眠っているようなきれいな姿で見つかったのです。
そして彼が楽しみにしていた、初めての出版本は遺作となってしまいました。
そして、葬儀の時。
「こちら(霊界)からメッセージを届けるという働きをしたい。そのために『死んだらチャンネル』を再始動してほしい」という言葉と決意が、向こう側に移った何田匡史氏から、日本全国に住んでいる複数の友人や知人に思いとして届けられたのです。
もともと、何田匡史氏は鮮明なビジョン(幻視)を見たり、希望者に精神学の『浄化と上昇』の指導をするなど、生前から精神界とつながって働いていた特別な能力のある人間でした。
ですから、あちら側に移動した彼から言葉が届けられたとしても、なんら不思議なことではないのです。
何田匡史氏の願いにより、人類史上初めての「身体を持つ人間だった個人が、死後の世界から、死後の様子を伝える」という使命と役割をもつサイトが誕生したのです。
死者と生者が協同して死後の世界を案内する企画が、この『シン・シンダラチャンネル』なのです。
ただし、霊界と呼ばれる領域では、現在大きな変動と混乱が起こっています。
(※詳細は、光文書 VOL.800+3『死後世界』を参照 https://www.godbrain.com/vol-8003/
それら精神界の再編成による激動の渦中から、生前と同じく学ぶ姿勢の篤い何田匡史氏のレポートが届くことを祈ります。