第21回

闇の処理

2022年9月29日
編集:日戸 乃子(ひと のこ)

山の斜面で転び、手をついた下に朽ちた細めの切り株があり、左手の掌を突き刺しました。

それが、9月24日の土曜日の話で、刺創は深さが3㎝ほどあり、すぐに病院へ。レントゲンの結果、次には私の地元の県立総合病院へたどり着き、大きく掌を切開する緊急手術になりました。傷の奥には、苔むした木片が残っており、それをすべて取り去る必要があったのです。

あれから五日が過ぎて、毎日、抗生剤の点滴を受けながら過ごしてします。時たま、ドクターヘリが飛んできて屋上に着陸し、また飛び去って行きます。4人部屋なのですが、私のほかは膝の手術、大腿骨の手術、肩の手術のお三方で、80歳代2人と70歳代1人という構成です。(私が最年少の60代になります)毎晩、手術後のイタイ、イタイ…の声が充満している病棟です。(整形外科病棟ですからね)でも、ここで働かれている方は、医者も看護師もお掃除の人まで含めて夜勤でも日勤でも、いつも笑顔で前向きに接してくださって(中には例外の方もいらっしゃいますが)、久しぶりの入院ということもあり、いろいろと物思う時間ができています。

2016年に79歳で亡くなった実母は、この病院で定年退職まで看護師として働いていました。(間で県内を数回、転勤していました)私にとって、支配的で万事に厳しく、愛情表現のない母親は苦手で、反発心もあり、母親の死後もなかなか過去の思いが整理できなかったのですが、浄化上昇をすることで少しずつそぎ落としていったものがあります。

前回のブログで母親の弟である叔父のことを書きましたが、子ども時代の環境や人間関係から、私は常に自分が受けた闇を、次には自分の心の中でさらなる闇として吐き出し続けていたのだと思います。そう考えると、どれだけの闇を作り続けてきたことになるのでしょうか。この作業を、人間一人一人が、大なり小なり言葉として闇を生産して自分の外側に吐き出してきたならば、この地球が闇に覆われているといわれても納得できるのではないでしょうか。人のことをあれこれというのは、まさにこの闇の再生産にほかなりません。

実は、私の世界には、私だけしかいないということです。私に向かって闇を吐き出すものがいても、それは私には関係ないことで、闇を吐き出す人の問題なのです。ただ、それに反発してしまう、または反応してしまうと、その闇エネルギーの循環につかまってしまいます。横のつながりにつかまってしまい、人間関係のエネルギーの中で、人は闇をためて疲弊していきます。

大切なのは、上に向かう意識エネルギーで光の宇宙につながろうとする意志でしかないのです。地球は、人間が出す闇で覆われています。その闇に覆われた地球を個々の意識が抜け出すことが、すでに「聖書の時代」が終わったこの時代には不可欠なことなのです。

日戸 乃子(ひと のこ)