第七十九回

たましいの目的 その六
人生の苦労

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年八月八日 配信

:現在の日本の親はどうやって子供を育てていますか? うちの子供だけが苦労をしないようにと、子供を育てているでしょう。それは単なるエゴイストです。そうなると子供の責任は、もっと重くなります。

何田:はい。それは親の、子供に対する認識が正しい方向とは逆ですね。

:そうです。認識が逆なのです。私の立場として、私は皆さんの先達として、先に生まれて働いたおかげで今は楽をしています。君たちの方が実は大変なのよと、楽しく教えています。人は学び終えたら楽になるけれど、そうでない間は大変な苦労があります。それが人として生まれる意味だからです。子供に、人として生まれて楽をして死んでいけるようにしてあげたいと、考える親が日本のほとんどになったことで、すでにこの日本は滅んだのと一緒なのです。

何田:昔の時代、江戸、明治時代では子供が生きるためには、その子に苦労をさせてでも、苦労を生き抜くために、厳しく躾(しつけ)をさせてきました。

:現在は、つまり世論です。要するに世の中で、お金の価値は変わらない、東京大学の価値も変わらない、その前提で世の人は価値観を組み立てていますが、歴史というものはそういうものではありません。昔の時代とは決定的に違いがあります。私がお伝えしている重要なポイントは、ここから先はたましいが裁かれるということです。

何田:人の、たましいが裁かれるのですか!

:その、たましいが裁かれた時、地獄に落ちるような生き方をしてきた親によって育てられた子供は、その地獄のような環境から脱出するのにどれだけのエネルギーを使わなければならないのか?  子供は自分が死んだあとに、天に引き上げられるためには、親の地獄に落ちるような生き方やその教えを改めるために、どれほどの苦労をしなければいけないのか?  だから、「地球は地獄でしょうか?」という質問は半分正しいです。地獄を創るために、この地球が存在すると考えた方がいいのかもしれません。

何田:救済措置はありませんでしょうか?

:逆に質問します。なぜ地獄に救済措置が必要なのですか?  まあそう考えるのは、何田さんの出発点が仏教徒だからでしょうね。

何田:先生、「聖別をする」という言葉があります。人間の身体は神の容器です。人間の身体に神が降りれば、神の光の部分と闇の部分に分けられます。だから私は、聖別するという言葉は、光の部分と闇の部分に分けることだと考えました。

:違います。 聖別というのは、聖なる力を宿すということ、です。聖なる力は、すでに人間のたましいに宿されています。聖なる力は、人間のたましいには生まれる前から宿されているのです。人間全員が、生まれた時にはすでに聖別されて、人間としてこの世に送り出されています。本来は……。

何田:私は泥水を、透明な水と泥に分けるように、分けてしまうということかな?と……。

:光と闇に分離することは、聖別といいません。何田さんの説でいくなら、私がこの全地球を聖別したら、地球は光と闇に分けられるということです。果たして、分かれますか? そうならないでしょう。私が精神学協会で、キリスト教会の神父さんのように、あなたを祝福したらあなたが光と闇に分かれるなんて、ありえません。それは宗教が行ってきたことです。それはまったくの間違いです。漢字の、聖別という言葉と、英語のコンセクレイテッド:consecrated(神聖にする、聖別する)という言葉の意味は違うのです。英語のコンセクレイテッド:consecratedという言葉は=聖なる力を宿す、ということなのです。たとえば、聖なる力を宿したオイル、聖なる力を宿した水、聖なる力を宿したお塩、などです。

何田:私は、分かれる、とあるので、別々に分けることだと考えていました。

:だから、俗物と聖なる物、です。聖別された物は、俗物の中に聖なる力を宿した物です。同じ塩でも、一般のお塩と違い、聖なる力を宿したお塩が聖別されたお塩ということです。地球上にある物は、聖なる力を宿していません。私は光と闇を分けるということが、聖別とは一言もいっていません。

何田:ああ、聖なる力を宿した、オイル、水、お塩、というわけですね。聖なる力を宿したものですね。聖なるという言葉は光ですか?

: 聖なるという言葉は、光を宿していると、私は解釈しています。この手のお話は、スター・ウォーズを見ておけばいいのです。精神学を学べば、スター・ウォーズよりもっと面白い時代がくるよ、といっています。精神学を学べば、スター・ウォーズを超える聖なる力に出会い、それが現実化できて、より正しい豊かな人生を送ることができるのです。