余命宣告を受けた義兄の死について
2022年7月11日
語り:説諭士
膵臓癌を患い、手術から4年後に他界した義兄のお話です。
生前の兄は多岐に渡り、地域の様々な人たちから信頼を得て、政治家、商工会、警察関係や学校関係等々の役職をこなし、たくさんの方々からの信頼も厚く、身内から言うのも僭越ですが、本当に人格者だったと思います。
死の直前まで、入院先のベッドに横たわりながらも、地域のことを心配したり、気になるところに電話したり、刻一刻と迫り来る死の直前まで、気丈にも野球観戦をしていました。大の阪神フアン(自称トラキチ)
時々苦しそうな顔をしながらも、目はテレビを見つめての応援。
すごい生命力と生への執着を感じました。最後の最後まで、余りにも生きることに執着している姿は、天晴れでもあり、悲しくもありました。
死が刻々と迫り来ることが、誰の目にもわかるのですが、そのような状態でも「阪神が1点入れたよ」という声に反応し、頭を持ち上げようとするのでした。
最後までその仕草が続きましたが、臨終の時でさえ、兄の気持ちを知り、誰もがテレビを消しませんでした。
それほど生に執着していた義兄でしたから、『命の書』には登録していましたが、死後のことが気がかりでした。
火葬場にて荼毘に付されているときも、中々受け入れていない事が私には伝わってきました。
確認のために、神霊士の妹に訊ねると「あぐらを組んで座っていたよ」と…、やっぱり・・・と思いました。
暫くは、家に居るな~! 今はどこへ行ったのかな~? という状態でしたが、ある日義兄の顔が浮かんだので、これで、光の門に行くのだと確信しました。
それ以来、仏壇にも自宅にも気配がありません。
『命の書』の登録をされていれば、死後その人の自覚ができた時に、光の門への導きがされます。
そして、審判の時まで、光の中で癒され暫くはそこにとどまるそうです。
死後の「たましい」にとって、至福のひとときとなるのでしょう。
何田匡史さん、いま、あなたはどうされているのでしょうか!