人生の終り方
2023年1月26日
語り:説諭士
お釈迦様の時代から、人間には生老病死の四苦があると言われています。
それぞれの苦しみを乗り越えるには、一言では言えない並々ならぬ頑張りと、自分を信じる強い信念が必要です。
わたし自身も、小さい頃から様々な病気体験を繰り返し、青春時代、級友達が卒業旅行に行っても参加できない体調に、寂しい思いを繰り返していたり、その中で一番耐えがたい思いを体験したがんの告知。
それでもショックと苦しさを乗り越えて来ました。
また、心肺停止の経験もし、あの世の光も見て来ました。
息を吹き返した時の苦しさと、目が覚めた時の感謝と幸せ感が忘れることはありません。
体験者として、こころの成長につながった事がいっぱいです。
「なんで?私がこんな身体?」こんな気持ちになったことも再三でした。
でも、「何でこんな体に産んだの?」と、親を責めたことや、思ったことは一度も無かったです。
たんたんと、子供なりに受け入れていたんですね。
それよりも、両親には本当に心配かけて来た事を申し訳なく思っていました。
そのような体験からか、人の痛みが少しは分かる人間に成長できたかな?です。
先日、幼なじみの友から、久しぶりの電話が入りました。
人一倍元気な友だけに、電話を受けた第一声から、とても同じ人とは思えない、か細い声に「どうしたの?」「どこか具合がわるいの?」咄嗟にこの言葉しか浮かばないほど、元気のない声が伝わって来ました。
「今日は、ちょっと楽なので声を聞きたくて」と言うのです。
「病名は、膵臓癌、それも胃よりも大きくなっていて、手術不可能と言われた。他にも2箇所に転移していると言われた。抗がん剤で、髪も抜け、何も食べられなくなって、体力がガタ落ちした。でも、今は食べる量は少ないけど、なんでも食べたいものは食べて良いと、でも美味しいと思った事ないので、60キロ以上あった体重が、40キロになりガリガリに痩せてしもうたわ」としんどそうに話すのでした。
訪ねて来てくれても、起きられないからと言うことだったので、暫くして、私の方から電話連絡してみました。
前回と同じく、元気のない声です。
「明日、抗がん剤を受けに、病院に行くことになっているの。今は抗がん剤が頼りだから。辛抱せんと仕方ない。頑張るわ。」
と言うものの、諦め感がひしひしと伝わってくるのが、ちょっと悲しかったです。
自分の生命が、今にも消えそうな時、人の思いは様々でしょうが、病気になったことは、第一に正面から受け入れなければならないのだから、治療方法や病気に対する考え方、家族との暮らし方や接し方、そして自分の人生について等々、そこからどうする?なのです。
神頼みや医者任せではなく、自分で答えを見出さなければなりません。
そして、いつか人はこの世をさることになります。
その事を踏まえて、自分はこう生きる、または、どう生きるべきか?との考えを持って生きる事が大事です。
私たちの命の補償は誰にもできません。
だからこそ、普段から、死について考える事が大切だと、わたしは常々想って生きています。
わたしたちの肉体は、本当に不思議です。
血液の中の栄養素を運ぶ血管の長さは、赤道の2倍半の長さだと言われています。
呼吸のリズムは、波が打ち寄せたり引いたりのリズムだと言います。
体調の悪い時や感情的になって興奮状態の時は呼吸が浅くなり、逆にリラックスしている時はゆっくりと穏やかなリズムを保っているはずです。
波長というのも、波と波のリズム間隔だと想います。
波長が長ければ穏やか、人が生まれる時は満ち潮、なくなる時は引き潮の時だと、聞き知りました。
全て、自然のリズムのなかに、答えがあるように思います。
こう考えると、ここでもモーセ様の言葉『人の生命は地にあり』を思い出してしまいます。
そして、死後の世界の存在を否定することなく、受け入れた生き方を、機会あるごとにお話ししたいと考えています。
今回は友達の電話がきっかけで、この様な文章になりましたが、誰もがいつその様なことになるか知れません。
「明日は我が身」という言葉がありますが、明日のことはわからないのです。
このテーマは、真剣に考えてほしいという思いで、綴らせていただきました。