命の書と養父母
2022年7月21日
語り:説諭士
養母との関係を、恥を偲んで書かせていただきます。
主人とは親子ほど歳の離れた従兄弟に望まれ、35年前家族養子として縁を結びました。
当初は、身内親類からも祝福をいただき、入籍の決心で家族として絆を深めようと自分達家族なりに努力していました。
養父は主人と血のつながりもあり、家族を大切に思ってくれる気持ちが伝わるのですが、養父が健康を害し、数年の内に4回入院、私が付き添いをした頃から、養母の様子が極端におかしくなり、人が集まるところに行けば大声で私の悪口を言うとか、身に覚えのないことまで色々私の耳にも入ってきました。
主人は「お前は悪者になってたらいいんだ。ほっとけ」の一点張りです。
実際そうするしかないと自分に言い聞かせていました。
しかし、養父の入院の時は、病院には毎日7、8回電話し付き添いの看病が行き届いているかの確認があったそうです。
看護師長さんが、見かねて「こちらの看護もちゃんとさせてもらってるし、付き添いさんも一生懸命お世話してますよ」と「こちらの仕事にも差し支えが出ますので、お電話控えてください。」そう言ってくださったそうです。
それほど酷かったのです。
養父が私に「すまんなぁ」と言えば、養母の心中穏やかでないことがすぐに感じ取れる有様でした。
例えば身内であれ、他人様であれ、私をかばってくれる様な発言をすれば、次の日にはその人のこと『怖い人』になってしまう。
次第に養母の友達も段々寄り付かなくなっていました。
命の書への登録
療養中の養父の症状が悪化して、命の書登録を考えました。
しかしながら、私自身もストレスが溜まり、素直な優しい気持ちにはなれませんでした。
あんな人達のために何故そこまでしなければならない?
余命幾許もないことが誰の目にも明らか。
養父には、養母ほどの感情はないが、そうは言っても中々思い定まらない。
そんなある日、積会長が「命の書への登録は『たましい』にたいする、この上ない最高の愛の行為だよ」と話されているのを聞いていました。
生前中の登録には、まだ私の気持ちが定まらず、養父が亡くなった直後、近所の人たちから、「世間の人はよく見ているからね。人を呼び止めてでも悪口言って、可哀想な人や。」と言って私を理解してくださるくださったその人の言葉に、私自身が目覚めたのです。
今まで数十年、辛い辛いと思いつつ、我慢してきたというその思いこそ必要のないこと。
養母の態度は変わらなくても、今二人にしてあげることは『命の書』の登録しかないのだと決心に至り、晴れやかな気持ちで登録させていただきました。
養母の嫌がらせの言葉にも、聞き流せる自分に驚きと、強さを感じることができるようになりました。
日蓮さんのお迎えと光への導き
『命の書』登録以後は、上昇しつつ私自身の反省が始まりました。
自分自身を正当化していることにも、反省しました。
気持ちを切り替え、清々しさを取り戻せていく自分を感じながら上昇していると、前からお坊さんらしき人が三人、私の方に向かって進んでくるのです。
日蓮さんが、二人の側近を伴い、私の目前に来られました。
土井家は、日蓮宗の檀家でもあり、養父を迎えに来て下さったのだと分かりました。
私の前に立っている養父の姿に、私は驚きました。
ボロボロの着物を着てうなだれているその姿に、私は驚きました。
生きている時は隠せても、肉体から離れ意識のみになった時、自分自身の意識レベルを認識したのでしょうか。
日蓮さんの導きによって、審判の門をくぐっていくのでしょう。
トボトボと後をついていく姿が、少し哀れに見えました。
審判の後、生まれ変わりを選ぶのかはわかりませんが、改めて『命の書』の登録の実証と、契約が果たされることを確認させて頂いとことは、とっても喜ばしいことでもあり、私自身にとってもすごく大きな学びとなりました。