第17回目

立派に逝った友へ

2022年10月13日
語り:説諭士

恩年62歳の早すぎる友の死。
その友の奥さんの言葉が忘れられない。

 その友との出会いは小学3年生の秋、父の仕事事情により現在の町に引っ越し、同級生となりました。
新しい学校で、転入生として先生からクラスの皆さんに紹介され、「よろしくお願いします」と不安と反面新しいお友達ができることにワクワクする気持ちで、皆さんに少々緊張気味でご挨拶したことをはっきりと記憶しています。
直ぐにクラスのみんなの仲間入りをさせて貰い、共に小学校から中学校へ進級。
友だちとの思い出もなつかしく、年老いても会えば00ちゃんと、いつ迄もその頃の呼び名で呼び合う間柄です。
最近、同級生とも音信不通になると、必ず訃報が届く年齢。
指折り数えても足りない人数の同級生が、この世を去っています。

その中の一人、同級生の中でも特に気が合い、それでいて恋愛感情でもなく、お互い結婚して家族同士でお付き合い。
子供達も姉妹のように仲が良く、とっても良いお付き合いでした。
その彼が「奥さんの前でも、この人転校して来た時、すごく可愛くて、白い服着て天使かと思った」ちょっとオーバーな表現だけど、何度も言うもんだから本気で言ってるのか冗談なのか本心はわからないまま。

その彼が、愛する奥さんや子供や孫を残して他界。
亡くなる1週間前に見舞った時は、足の裏やお腹に水が溜まり、素人目にもそう長くはないだろうことは察しがつく。
「ちょっと甘えていいかい」と言うので、「何なりとどうぞ」「足をちょっとさすって欲しい」「こんなに浮腫んでだるいよね」「もう一本中足があるんやけど」と会話しながらも冗談言って笑わせる。そばで奥さんも一緒になって談笑。
その翌日、容態が悪くなり病院へ行ってそのまま入院。
5日後には帰らぬ人となってしまいました。
ここまでなら普通のお話で終わるところですが、お葬式がとどこうりなく終わって後日、奥さんから聞いたお話が、なんて凄い人だったんだろうと・・・

癌の告知を受け闘病生活の最中、奥さんの実家である九州の五島列島まで行き、ご両親に「家内を幸せにしますと約束していたのに果たせず、皆んなを残し先に逝くことを許してください」と涙ながらに挨拶に行っていたんだと、お葬式の時両親から聞き、わたしが気づかないで闘病中に九州の五島列島までいつ行ったんだろう・・・
それだけでなく、子供達には財産分けまでし、自分のお兄さんとの間にあった問題も、その他の問題や今後のことについて、全て解決していたのだと・・・
覚悟を決めて、やり残すこともなく、私たちにまでもいつもと変わらない笑顔で、思い出話など交わしてくれる優しさが辛かったです。
自分の死を覚悟しながら、内心どんな気持ちだったのか計り知ることはできませんでした。
奥さんや娘さん達とは、今も家族付き合いが続いていますが、奥さんと時にはその頃の話をし、「自分がこの世をさる時、主人のように笑顔で死ねるだろうか?本当に立派な最後だったからね」と家族や周りの人達に、死に方のお手本を示してくれた友の最後を忘れないで、私たちもいつかはこの世をさる時が来ます。
自分の終活を、真剣に考えたいものです。
友に感謝

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