第18回目

『命の書』は究極の愛

2022年10月20日
語り:説諭士

 抵抗もできなくて、なす術もなく、残酷な行為によって命を落とした小学生が、まさか自分たちの身近な地域で、この様な事件が起きると言う信じられないニュースに、町中大騒ぎした記憶が、わたしの脳裏に焼き付いています。
連日テレビのニュースが流れる中、犯人逮捕。
同じ団地に住む大学生だったことが、更にショックは大きく、二人の間に何があったのかは知る由もありませんが、想像を絶する残酷さに、恐怖におののき、身体が硬直し逃げることすらできなかった、そんな光景がわたしの頭の中で一瞬映像化(錯覚かもしれませんが見えたように感じたのです。)しました。
わたしは躊躇することなく、その小学生を『命の書』に登録致しました。
後日、その子のお父さんと主人が知り合いだった事。そして同級生グループの旅行で、バスの運転手さんがその子のお父さんだったこともあり、車中、子供の事件のことや裁判中であること、親としての辛い気持ちを、いろいろ聞かせていただくなんて、偶然とは思えませんでした。

以来、親からの虐待を受け、幼い命が消えた悲しい事件を知るごとに、どうしても『命の書』への登録が必要と思ったときは躊躇せず、登録致しました。
ある子供の時に、登録が少し遅くなったのです。
寝ていると、トントントントンと、子供の小走りに走る足音で目が覚めたのですが、「命の書の登録を早くお願い」という意を汲み、翌日『命の書』へ登録するということもありました。
何故そのような事を?と思うのですが、どうしてもそうしないと気が済まないと言う気持ちの前に、その子との魂が触れ合ったと言った方がピッタリなのかも知れません。

それと随分前の出来事ですが、新年を迎える元旦の朝、夢を見ていたのです。小学生くらいの子供達12人か13人が、暗いトンネルの中で向かい合って三角座りして、みんな顔を膝にくっつけて、目は虚ろで弱々しい。
「どうしたの?」と何度たずねてもみんな無言。
その内、一人の男の子が「僕たち生まれてこない方がよかったんだよ。」
また他の子が「楽しいことなんて何にもなかった」「友達もいないよ」「みんなが羨ましい」
と言い出したのです。
「みんなの気持ちわかった。おばちゃんと一緒にみんなのやりたいこと考えよう?」・・・・・しばらく沈黙が続く中「君たち、やりたかったことおばちゃんに教えて」すると一人の男の子が立ち上がって「僕いろんな夢持ってたよ。でも何一つできなかった」次々と子供たちが夢を語り始めた時でした。
子供たちの足元が明るくなってきたのを感じていました。
「よし、みんなの夢を叶えよう❣️❣️」「やりたい❣️」「ヤルヤル❣️」と言ってぴょんぴょん飛び跳ねる姿が、足元の光が子供たちの姿を捉えていました。

わたしは、「なんて明るい綺麗な光なんだろう❣️」と思いつつ子供たちの姿と光を見つめていた時、「おい、起きよ。テレビ見ろよ。」と主人の声がしたのです。
「何でこんな時に起こすの?せっかくいい夢を見てたのに」と、ぼやきながらテレビの前へ。
「アッ❣️と声が出てしまいました。テレビに映っている光と下からのぼってくる角度が全く一緒。
その光は『初日の出』富士山の素晴らしいシルエットを捉えていたのです。
一瞬感謝の心に変わりました。

それ以来、子供の元気と幸せを祈るようになりました。
私にとって、ただの夢ではなかったのです。
自分のお役目として、『たましい』までも救済できる『命の書』と出会えたことが、自分が求めてきた唯一の道だったのです。
「命の書」への登録によって、何の縁もゆかりもない子供たちから、『真の愛』を教えて頂いたのです。
因みに、夢に出てきた子どもたちは、この世の子どもたちではありません。

ここまでお読みいただき感謝しています。
これからも『命の書』の大切さを皆さんにご紹介してまいります。
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ありがとうございました。