第100回

闇の処理 その二
うらみ、ねたみ、そねみ

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十九年一月九日 配信

何田:積先生、イエス様を十字架に掛けた人々は、うらみ、ねたみ、そねみ、でした。その、うらみ、ねたみ、そねみの重たく、暗い闇は私達の中に普通に存在すると思います。自分のやりたいことを正しいと思い込み、強引にねじ曲げるために、暴力、狂気を起こす。勝って、生き残った者がすべて正しいとする闇のやり方です。 私達の中で闇が現れて来た時は、どう処理をすればいいでしょうか?  やはり、浄化と上昇でしょうか?

:はい、そうです。浄化と上昇が一番良いです。浄化と上昇を学んでから、審判を求めなさいということと、悔い改めをしなさい、ということは同じなのです。悔い改めというのは、私はイエス様を十字架に掛けた人々の子孫である、ということの自覚です。私の中にうらみ、ねたみ、そねみの闇が存在します、闇の要素がありますと認識し、受け入れることです。

何田:それを反省すればいいのでしょうか?

:そうです、反省します。悔い改めの極意というのはね、イエス様の十字架が目の前にあった時、「私は、今度はイエス様を十字架にかける側には回らない」ときちんと宣言します。それによって私は、自分がイエス様の代わりに十字架にかけられてもよいのですと、覚悟を決めて宣言するのです。皆さん、イエス様の十字架を知らなくても、たましいはちゃんと知っています。だから無意識に自分が十字架にかけられることを恐れるのです。避けようと言動するのです。しかし、私は、今度は十字架にかけられてもよい、という覚悟を日々宣言していれば、自分の闇は本当の正しい光で浄化されます。

何田:宣言とは「誓うこと」でしょうか?

:そうです。それを自分で決めて、神様に向かって天に向かって宣言、誓うことによって、天の神様に通じるのです。ああ、こいつはここまで上がってきたのね、と天の神様は見ておられるわけです。

何田:それが「最後の審判」を求めることでしょうか?

:それが、「最後の審判」をどうぞ私の身体の中で起こさせてください、ということに繋がります。

何田:すごい・・・なるほど!

:だから私は皆さんに、精神学は百パーセント理屈だとお伝えしています。理屈なのです。ほんものの神様というのは理屈、なのです。神様はいない、という理屈を人間は十八世紀ごろから、科学という名のもとに信じてきたわけです。科学という名の学の体系が今の地球の文明をつくったように思われていますが、それは大きな間違いなのです。それは、「最後の審判」に到る過程のひとつに過ぎません。人間が悪魔というものと対立した時、つまり光と闇が対立した状況をこの地球上で作り出して、それでもひとりひとりのたましいに、それでもあなたは神様を信じますか? 信じませんか? と問う状況が現在の地球世界です。アメリカのキリスト教団体が勧誘に、あなたは神を信じますか? といっているでしょう。今の地球の全ての人間ひとりひとりに、あなたは本当に神様を信じますか? と、ほんとうの天の神様に問われているのです。あなたのたましいがどこから来たものであるか? と考えたことがありますか? ということが問われています。

何田:その質問には、ほとんどの日本人は神様を信じています、と答えると思います。日本人は神様が好きだからです。神様と自分の歴史を知らないといけません。説明ができないからです。

:そこには、キリスト教の神様の理屈ではなく、日本人の歴史には、古事記・日本書紀があります。古事記・日本書紀の世界です。先に神様がおられて、次にその神様から八百万の神々様が生まれて、次に神々様から日本人が生み出されます。それが世界の宗教の一神教の神の子孫だとする説明では、つじつまが合わなくなります。人類が一神教の神の子だとすると、すべての人類は平等であるはずなのに、世界にこれほどまでの格差は生まれないからです。しかし実際、地球人類は格差に苦しんでいます。すると一神教の理屈では行き詰まってしまいます。けれど、日本人の歴史(神話や記紀)をみれば、神様が作り出した問題を解決するために、私達はその神様の分け御霊を与えられて、ひとりひとりが問題解決のお役目を持っているのだ、ということになります。それは世の中に貧富の格差があって、いくら世の中が不条理に満ちていたとしても、この日本人の歴史神話で説明がつきます。理屈ではこれでつじつまが合います。つじつまが合うということは、正しいということです。あなたは神様の子として日本人に生まれてきたのです。神様が作り出した問題を神様の子のあなたが解決するのです。そのために生まれてきたのです。これは日本の神話が伝えている神様のストーリーが本物である、という証明です。

何田:私たちは、神話の世界を現実世界で行動しているということでしょうか?

:そうです。

何田:そうすると、私は幸せになりたいとか、私は幸せになるために生まれてきたのだという考えは間違っている、ということでしょうか?

:それが、今までの宗教の限界なのです。神様が何かをしてくださるといいますが、真実は神様は何もしてくれないのです。あなたが神なのですから。