第96回

精神の進化 その六
死後に行く場所

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年十二月十二日 配信

何田:積先生、マツリヌシという資格は、亡くなった人の霊を天に上げたり、お葬式を出したり、遺骨を散骨して葬ったり、あと土地の浄化やお祓いができる、資格です。また、各地でマツリヌシの方々は散骨事業を近々スタートされるということです。私も参加させていただきたいです。そこで質問です。
私も、マツリヌシ資格者なので、亡くなった方のお葬式や散骨、霊を上げることなどさせていただきたいと思っていますが、亡くなった人の霊を天に上げる儀式はマツリヌシの人にまごころがなければ霊は上がらないと考えるのですがいかがでしょうか?

:そうです。何田さん、中途半端な人間がマツリヌシとして、中途半端に霊を上げると祟られる(たたられる)のですよ。

何田:ああ、そうですか! 霊が上がらなかっただけでなく、祟られるというリスクがあるのですか、なるほど。だからマツリヌシは真剣に行わなければならないと・・・…いうことでしょうか。

:そうです。単なるお金儲けでやっていては霊が上げられないし、祟られるしでいいことはありません。私は常々、マツリヌシは生半可な気持ちや心構えでやっては危ないと警告しています。危険だからこそ真剣に誠実にマツリヌシを行えば、天はサポートしてくれて、しっかりと霊も土地も浄化できます。だからマツリヌシは誰でも現場へ行けばできる、といっています。これまでの日本で、死者を送ってきたのはお坊さんですが、お坊さんでは霊は上がりません。では、なぜ、お坊さんは祟られなくて大丈夫かというと、お坊さんは強いので霊が寄ってこないのです。

何田:お坊さんが霊に強いって、どういうことでしょうか?

:はっきりいうと、優しくないのです。霊に対してね。お坊さんは優しくないのです。

何田:常日頃から慈悲が大切と口々にいっているお坊さんに、慈悲や愛がないのでしょうか?

:いや、お坊さんにも慈悲や愛もあるでしょう。ただお坊さんは修行をやっているうちに、別に幽霊なんか怖くない、となってくるのです。死者に戒名をつけるということは、そのお坊さんの弟子になるということです。だから、お坊さんはお墓の真ん中のお寺にひとりで暮らしていても大丈夫なのですが、それは人間霊の側からすると、あいつ(お坊さん)に取り憑いても全然メリットがないから取り憑かないよ。というお話です。優しい人しか、霊を上げることはできない、のです。

何田:霊からしたら見えるのでしょうか? 人間の性格というか心や精神が見えるのでしょうか?

:霊からは、人の中身がわかるのです。人の「波動」が違うからです。

何田:あの積先生、人が亡くなった時にその人に信仰があれば、正しい神様筋からお迎えや導きがきますでしょうか?
:正しい信仰があれば、です。亡くなった人がその宗派の信仰をきちんと持っていてしっかり、意を乗せた行動してきたのか? 単なる儀式としてお努めしてきただけなのか? で分かれます。

何田:たとえば、仏教で阿弥陀如来や観世音菩薩など、実在しないかもしれない仏は人が死んでも、導きとしてお迎えに出てこないのでは?

:いや、出てくるかもしれないです。阿弥陀如来や観世音菩薩がきてくれるかもしれません。ただしそれが本物かどうかはわかりません。

何田:ああ、なるほど。何ものかがお迎えにくるかもしれませんが、それが本物の阿弥陀如来や観世音菩薩だとは限らない、ということですね。

:過去のお話で、お迎えがあったというのは多いですね。それはそれで、仏界に亡くなった人が引き上げられて、良かったのではないでしょうか。死んだご当人は望んだ世界に行くことができるのですから、それで良かったのです。ただ、もうすぐ仏界は消滅します。しかし、いま、亡くなっている人はそこまでの信仰はありますか?  そこまで信仰がなかったらお迎えも導きもありません。

何田:今の世の中、昔と違って真面目に真剣に、死後の世界と目に見えない神や仏や天に祈りをささげている人はとても少なくなっています。信仰のある人は都会では極端に少ないと思います。地方では神社やお寺など年間行事や役がありますので、生活の中に神や仏が入ってきますので、小さい頃から信仰の篤い人は多いと考えられます。そういった人はお迎えがきますでしょうか?

:信仰のある人に、お迎えはくるといってあげたいのですが、わかりません。ただ、たとえば自分の親兄弟の死に様を見ていて、自分が死ぬと「あっ、そっちの方に死んだら行くのか」という経験をして、そして自分が死んだ時にお迎えがきてくれたら、その人はとても幸せだと思います。

何田:ああ、なるほど、そうですか! つまり自分の信仰が篤く、お迎えを望んでいたとしても、神様や仏様、天の使いが必ずやってくるとは限らない。自分が望んでいても、相手次第ということですね。お迎えがこられた人は幸せで良かったですね、となります。その人は救われたことになります。しかし霊として待っていてもお迎えがこない人は、霊がいつまでも天に引き上げられないから、救われることがない状態のままでいることが、ずーっと続くことになります。

:あれだけ生きている間に、いろいろやってきたのにお迎えがきてくれない、なんてことが現在はほとんどです。だから霊界と重なっている現界に、行き場のない霊がたくさんおられます。また、その一個体の霊のエネルギーが消滅するのに何百年もかかります。

何田:積先生は、人間の身体は審判の容器で、神様や悪魔や霊のエネルギーを光と闇に分けることができる、といわれています。では、亡くなって行き場のない人の霊はどこへ行きますか? お坊さんには助けてもらえないとしたら、どこへ行ったらいいでしょうか?

:ですから、行き場のわからない霊は、ほとんど人間に取り憑いています。取り憑かれている人は、自覚がありません。ひとりの人の身体に何人もの霊が入って多重霊構造になってしまっています。そのため、自分でもわからない、理解できない行動をして、問題を起こしているのです。