第106回

日本経済の未来 その四
貧富の差

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十九年二月二十日 配信

何田:普通の、市井(しせい)の人々は、自分や自分にかかわる人達の幸せを普通レベルで望んでおられると思います。その普通に望む幸せというものの方向が、間違っているということでしょうか? 悪魔が与えた幸せを願っているということでしょうか? 悪魔の世界が、本当に幸せになれる未来の世界だと思い込んでいる結果、今この世に地獄が現実化している理由でしょうか?

:そうでしょうね。

何田:積先生、私は常々考えていることがあります。それは、人々は悪魔の提唱する自分本位で欲望の達成が賞賛される地獄の世界をカッコイイとか幸せの世界だと想像するのに、なぜか神様を想像できない、神様の世界、天国や御国を想像しない、またはできないことが不思議なのです。自分達は天国や御国に行きたいと願っているのに、現実はその逆で、想像の世界の本当は悪魔と共に働く世界を受け入れているみたいです。それを自分が死んだ後に行く世界が、幸せの国と思い込んでいます。

:神の国は、聖書によれば、「やがて、値なしですべてが与えられる」と約束されているのです。お金はいらないのです。(だれでも)欲しいといえば、はい、あげるです。 現在の地球の技術レベルだったらば、為政者がきちんとするならば、それは達成できるのです。

何田:昔の人がSFの世界で、夢で描いていた国、誰でも食べ物や生活に困らない国、「ユートピアの国、理想国家」が現実にできるレベルまで人類は到達した、ということでしょうか?

:よく考えてごらん。現在の日本の社会では、生活保護というセーフティーネットの仕組みによって、ちゃんと申請さえすれば飢え死にする人はいないはずでしょう。それでも現実に飢え死にする人が存在するのは、なぜですか? この日本で。なぜ飢え死にする人がいるのですか?

何田:少し前のニュースで初老の姉妹が五円程度しかお金がなくて、食べ物を買えずに二人とも餓死されていました。生活保護の申請をされなかったのか、なぜ周囲も、近所も役所も知り合いも助けてあげられなかったのか、と心が痛みます。幼児虐待やDV(ドメスティックバイオレンス)も同じです。苦しんでいる人を周囲は見ていてわかっているのに、人も行政も助けられず死なせてしまっています。弱肉強食を肯定して、弱いものは死んで当たり前だという庶民や政治になっています。マスコミや評論家や学者、責任ある階級の皆さんは、そこに自分の責任を感じてはおられません・・・。

:昔ながらの価値観をお持ちの人は、生活保護は社会に迷惑をかけるから受けません、という価値観で申請をされないのか? または申請をしても、行政の担当者が困っている人の苦しみを見極められず、セーフティーネットの審査で許可を厳しくする面もあるかもしれませんが、どちらにしても責任はどこかにありますね。

何田:行政の人は窓口だけで本当の姿を調べない、幼児虐待やDVも本人確認せずに扉の向こうで帰ってしまいます。アメリカだったら虐待や生命の危険を目撃した人は通報する義務があります。通報しなければ罪に問われます。また警察も同伴で本人を確認して、無事や状況を確かめます。日本はなぜそこまで気づいても死なせてしまうのか? 死なせた人も組織も罪に問われないのはなぜですか?

:私が何田さんに質問しているのですよ。なぜ、日本国で生活保護やセーフティーネットの救済の仕組みもあって、人が死んでいくのですか?

何田:すみません。理由がよく解りません。

:それは、もう全体が、日本全体が壊れているからでしょう。なぜか? なぜでしょうか?

何田:一回、二回、三回と、同じことが起こったなら、すぐに仕組みを見直して、再発しないように仕組みやルールを変えればいいのに、やらないからまた同じことが起こる……人命にかかわることなのに。関わった人の責任にされるのが怖いからでしょうか?  悲しい世の中です。日本は本当に悲しい国になってしまいました。

:私は、こう考えています。要するに社会と人間は、国家と人間の形でもよいのですが、西洋の契約の概念で説明すると、「現在の日本の国家と国民はこういう形で契約をしています」ということを、日本国民が知らないのです。

何田:日本人が国家と国民が契約している内容を、本人が知らない! のですか?

:そうです。日本国民に生まれるということが、如何に素晴らしいことなのかということを、日本国民が知らないのです。

何田:先生、それはなぜですか?

:教えていないからです。もちろん、日本国を守るということは大前提です。その根幹にある、「日本国民であるということは、世界の中でこれだけ途方もない特権をあなたは与えられている」というのに、なぜそれを行使しないのですか? そのように教育がなされていないからです。それを逆に利用しているのが失礼ですが、共産党と公明党でしょう。でも彼らが利用している権利というのはごくごく一部でしかないのです。憲法が良いとか悪いとかは置いておいて、今の憲法によって国民は健康で文化的な生活をする権利が(日本国から)与えられている、のです。 お金が無いことによって、それは侵害されないのです。お金が無いことによって、それが侵害されても当然だというのは江戸時代以前の社会、もしくは戦前の社会でした。戦後の社会は、お金が無いことによって健康で文化的な生活をすることを妨げてはいけないというのが、現在の日本国の法体系です。それを保守の人も主張しないでしょう。 それは、なぜですか?

何田:確かに保守の人達も皆さん、お金が無くても健康で文化的な生活をおくることを、声を高くにあげないです。お金持ち優位で、お金持ち優先の社会が当たりまえと、頭の中を洗脳されているからですか。

:だから、それを補正するために人間の社会は、自由・平等・博愛のフランス革命の時、「個人の権利」を認めてきたわけです。個人の権利を認めてきたことに関して、日本の神様は否定をしていません。西洋がそうなって、やがてそれらの制度が日本に入ってきたときに、日本の本来の「高天原民主制度(たかあまはらみんしゅせいど)」というのが成立するからです。高天原は民主制度なのです(高天原=天の国、神様の国)。それはみんなで話し合って決めましょう、の国なのです。

何田:自由・平等・博愛は、フランス革命のスローガンで・・・…。

:自由・平等・博愛はフランス革命の光の部分です。その背後に邪悪な陰謀があったとしても、神様的にいうならば、人間は神の子であるので神と同等の権利を持っていてよい、と認められています。だからそこに貧富の差なんかないのです。すべては神の子なのですから。この世で現在の日本国は、人は日本国に生まれたらその権利を行使するということが法律的によって保証されているのです。神の国の入り口がそこに見えているのに、なんでみんな、そこへ行かないのですか?  このために戦争に負けたのでしょう。

何田:このために、第二次世界大戦に負けたというのはどういうことでしょうか?

:明治憲法下(戦前まで影響)では、いまの日本国民の権利がなかったのです。ところが現在の日本人には途方もない特権がすでに与えられています。日本人には、その自覚がありますか?