第112回

神代の話 その三
壮大なひとつの物語

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十九年四月三日 配信

:現在の日本国憲法は、人間と国家の関係における、個人の権利というのをすべて認めている、といえます。これは日本の「国体」に何も反していないのです。日本の国体は本来、そういう国体だったのです。国民をおおみたからとする、ということは、そういうことなのです。

何田:ああ、国は、個人の意志と個人の権利を尊重するという・・・…。

:そうです。天皇のお仕事は大神主として、この国の「おおみこころ」と、「おおみたから」の関係を守り祈ること。要するに、日本の国体とはそういうものです。その国体を別の言葉でいうと、「天上の神様の子孫が、地上に降りてきて、造った国がこの国、日本です」ということになります。だから、この日本国の国民の皆さんは、何らかの形で神様の親戚であり子孫なの、です。このストーリーを受け入れると、 (だれであっても)天皇を殺してはいけないのと同じように、日本国民も殺してはいけない、ということに同意できるでしょう。元(もと)は、同じものだからです。

何田:積先生、言い方が間違っていれば申し訳ありません。人間、いえ人類は皆、日本人、世界の人々含めて、いろいろな物語の中で、人間は神様の国に行くことを目指して、旅をし、神の国に受け入れられることが至上の幸せである、と考えてきたといっていいのだと思います。それで、質問は、その神の国に行くことができる人は、資格が必要なのでしょうか?  神の国は誰でも目指すことはできます。でも、神の国に入るには、じつは人に資格が必要なのでしょうか?  誰でも、神の国の扉の向こうに入れるわけではない、のでしょうか?

 :そうですよ。

何田:ええっ! やっぱり、そうだったのですか!  神の国で、神様に会うには資格が必要なのですか。そう・・・なのですか。人は人間事で努力して、精神性を高めて、いろんな面で愛を持って、人々や周囲に尊敬されていても、神様の世界には行けない、のでしょうか?

:神の世界に入る、その資格は神様の分けみたまを持っているかどうか、です。たとえば、中国の人が神様の分けみたまを持っているかどうか? と私に聞かれても、わかりませんとしかいいようがないのです。

何田:それは、たとえばユーラシア大陸の中国の人や朝鮮半島の人の歴史に、神話が無いからでしょうか?

 :神話があったとしても、それを継承しているかどうかでしょう。失礼だけれど、ユーラシア大陸に、産土(ウブスナ)の神様がおられるとも思えません。

何田:他の国では、産土の神様も、分けみたまという言葉も聞きません。日本だけです。

:とりあえず、日本国には産土の神様、こちらは地の神様ですが、おられるわけです。日本人はだれでも、その人のたましいは、地の神様のわけみたまと、天の神様の分けみたまをいただいて、作られているのです。だから、神様の国に入れる資格を持っています。昔はね。世界の神話が伝えるように、神様方が世界におられたのです。しかし、人類はその歴史の中で、古き神様方を否定し、追い出したでしょう。信仰のない国はしかり、信仰があるといっている国も神様のいうことを聞かずに、自分勝手な解釈と思い込みで行動し、原因と責任を神様方に押し付けて。だから、世界の神様方はみんな日本に逃げてきた、と「最終知識」に書いてあります。現在、世界におられた神様、神々様はみんな、日本におられます。世界のどの国にも神様や神々様はおられないのが、今の時代です。だから、神様、神々様に出会うには日本国にくればいいのです。そこで、最終段階のたましいは日本国に生まれます。ただし、そのたましいは日本人で失敗すれば、それで終わります。たましいが神様を目指して、光の神性に目覚めるチャンスは、日本人で最後です。日本以外で生まれた人は、資格があれば、次は日本人で生まれてきます。世界の人々はまだやり直す次のチャンスがあります。しかし、この時代、日本人に生まれた人のたましいは転生のチャンス(やり直しのチャンス)が、もうありません。たましいの旅は、日本人の人生で終わりです。もうだめなのです、と私がいっているのはそういうことなのです。

何田:そういうこと、だったのですね。世界と日本も含めた地球の話は、なんと壮大な本当にひとつの物語でしょうか!