シンレイカイにいる光使・何田匡史(ナンダ師)が、
死んだらチャンネルに掲載していました第一回から第七十一回までのブログは、
「神を超えよ!仏を超えよ!積哲夫の言葉【一の巻】」として、
タオラボブックスから二千二十二年九月に刊行されました。
こちらのコーナーでは、第七十二回からのブログ記事を再掲しています。
◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年 六月二十一日 配信
積:なぜ今になって「死んだらチャンネル」を作りなさい、と天から指示が出たかの説明をします。精神学協会はこの世に西暦二千年にスタートしてもう十八年経っています。そして、二千六年の三月で、日本人のたましいのもとたる神格が、すべて人間に降りました。もう、十二年も経っているわけです。ところがこの六月に、人間に降りた神格から、このままでは、自分たちも、人間の霊界に閉ざされる危険があるとの連絡がありました。二千年にスタートして、六年で、人間に降りた神格が、さらに、六年プラス六年で、大問題に直面したのです。
何田:神様方が、人間の霊界に閉ざされるなんて、起きるのですか。
積:起きようとしているから、問題なんです。人間は神の容器であり、審判の容器ですから、審判後に、暗黒面へ去るというたましいが多く存在しています。さらに、これが最後であるという自覚のない多くの日本人の意識こそ、問題だったということです。
何田:それはもしかすると、イエスの時代の人間が、イエスを十字架にかけたのと同じように、自分のなかに降りていただいた神様を殺してしまうという行動を普通の日本人がしているということですか。
積:いま起きているのは、イエスの十字架の物語のくり返しではありませんよ。いよいよ、その次の段階に入ろうとしているから、いままでの知識にはないことが起こります。それが、問題なのです。ところで、何田さん、あなたは精神学協会に入られて、いろいろありましたが、きちんと導かれて、この場におられます。その間、あなたが抱えてきた経済的問題も奇跡のように解決してきました。それらのことも天の配剤だということに気づいていますか。
何田:はい、とてもありがたいです。感謝しております。
積:いや、ありがたいじゃなくって、その分働きなさい! ということなのです。天が心置きなく働ける用意をしてあげたからね、働きなさい、ということなのです。わかりましたか。そう言われたでしょう、上昇したら。
何田:はい、その通りです。浄化上昇したら頭に「あなたの残りの人生の時間と他すべてを天に委ねなさい」みたいな言葉で伝わってきました。
積先生、質問です。これからの時代、人は死んだら、どうなりますか?
積:死んだらどうなるかではなく、どうなりたいか、ではありませんか。「人はどこへ行きたいか」が重要です。どこへ行きたいかで、死んだ後の霊体の行方が決まります。死んで、行く場所を想定していないから、行く所がないわけです。それで行く所がないから二十世紀の霊は墓場にへばりついていました。いまは、そこにはいません。居場所がありません。
何田:自分は死んだ後、どこへ行きたいのかを、想定していないと迷うのですか?
これは重要ポイントです。現在、終活などをして自分が死んでいく準備をしている方々は死後どこへ行くのかは、ちゃんと考えているのかどうかわかりません。一番大事なのは終活でなく、死後自分が行く場所だということなのですね。それができていないと霊として迷うことになります。その人達はどう考えているのでしょうか?
積:かつての知識では、単純に、仏教徒なら極楽、キリスト教徒なら天国、みたいな所に行ければいいな、という感じでしょう。イスラム教の変なテロリストの人達は死んだら天国に行って何でもできるよ、といわれて信じて自爆テロをするわけです。しかし実際はそんな天国はありません。時代が変わったのです。
何田:しかし先生、生前にない世界を想定しているとすると、死んだらそこに自分の都合の良い世界でも現れてそこに行けるのではないのですか?
積:行けますよ。でもそれは自分だけの思いの世界だから、その思いの世界に閉ざされます。小さくなって、小さくなって、そうなったらもう転生はないから消滅します。
何田:ああ、そこに後悔は生まれますでしょうか?
積:後悔はあるでしょうね。こんなはずではなかったって。こんなはずではなかったと後悔しているから、人に取り憑く時代がくるよと、私はいってきました。
何田:その、人に取り憑く時代が現在、今であるということですね。あなたは死んだ後は何処に行きたいのですか。この「死んだらチャンネル」は、結構皆さん思い込みの中で生きていますから、論理的というか、丁寧に理屈で説いていかないと・・・…。
積:だからすべて理(ことわり)です。すべて論理的に理解できます。そう考えたら反論の余地はないでしょう。「そんなことはない」と、理を無視して考えるのは勝手ですよ。しかしそのうちに沈静化します。ただ、皆さんは知らないだけなのです。知り始めたら、「あっ、どうもそういうことなのか。ああなるほど、納得!」となります。そこから先は、精神学を勉強するか、しないかは、その人の勝手です。ただ、死というものは常に生きている間にちゃんと考えておいた方がよいのです。
何田:これから、宗教が伝えてきたのとは別の、たいへんなお話がはじまるのですね。