たましいの目的 その三
死について考える
◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年七月十八日 配信
何田:積先生、質問がきています。質問、「この大災害や大地震などの天災で亡くなった人、交通事故や仕事で亡くなった人、不慮の事故で亡くなった人の死んだ後はどうなりますか? たましいは、どうしていますか?」。
他の方からの質問もあります。「孤独死などの一人で何かの原因で亡くなった人は、死んだらどうなりますか?」と、いうものです。いかがでしょうか? そして、私からも質問です。「生まれてくる前から事故に遭う経験をするために、事故を想定して生まれてくる」という、見解はどうでしょうか?
積:まず、最後の何田さんの質問では、その時点で死ぬことになっているとしたら、未来はすべて予測可能ということになります。それではこの物質宇宙は、必要がないことになります。一方で、天災や災害でお亡くなりになった方が、病院で亡くなった方と比べてどこが違うのか? といったら、これらは予期せぬ死ということになります。わかりやすくいうと、どちらも死は死なのです。たましいがその死によって、それが不慮の天災や事故や事件に遭われて亡くなったからといって、天にすくい上げられるということはありません。悲しいことですが……。ただ生き残った人が、その人たちのために祈ってあげることはできます。
何田:生き残った人が亡くなられた人のために祈れば、亡くなられた人はすくわれますか? すくわれるという言い方はおかしいかもしれません。「命の書」に登録すれば、たましいはすくわれる、次のチャンスがもう一度与えられるということは知っています。命の書に登録しなくても、生き残った人が祈れば、その方はすくわれますでしょうか?
積:その境目なのです。生き残った人の責任は大きいのです。生き残った人は亡くなった方をちゃんと送ってあげられるかどうか? が、鍵です。
何田:生き残った人が死んだ人のたましいに、どれだけのことをしてあげられるかどうか、ですか?
積:現在までのところ、日本人というのは変な言い方ですか、日本人はたましい的にあきらめがいいので、あまり幽霊として出てきてはいませんね。また、たとえば阪神大震災とか、東日本大震災とか、天が起こされた事象に関して亡くなったたましいについては、日本の神様は少しは考慮されています。
今回の西日本豪雨(二千十八年六月二十八日から七月八日頃)の雨って、完全に天からの日本人に対する警告なのです。七月八日(日)の日に大阪でシンロジカル・セミナーを開催しましたが、皆さんから大阪に豪雨で行けるかどうか事前にご相談があったけれども、私はセミナーはできるし、皆さんはくることができると答えていました。それで無事にセミナーもできて、皆さんもこられました。ただ、あの豪雨はまだ警告の第一段階です。天から「警告したよ、一昨年は熊本で、去年も、北九州で警告したよ、今回は西日本、中国地方から近畿地方まで警告したよ」といわれています。そういう意味ではもっともっと、死というものが身近になります。
何田:今までは、高度成長期ではあまり死なない方向に・・・…。
積:そう。敗戦後の日本では、死についてよく考えないことが暗黙の了解としてありましたが、それが今年から問われます。死とは何か? ということをしっかり考えなければ、幸せな生を手にすることはできないでしょう。
何田:最近の日本映画で、亡くなった人達が大勢、霊となって集団で生きている人達の前に現れてコンタクトするという映画やドラマが、多く出てきています。そんな現象が現実に現れたりなんてことが起きますか? どうでしょうか?
積:映画じゃなくて現実に起こっています。阪神大震災の時は少なかったですが、東北の東日本大震災ではたくさんの霊が人間にコンタクトしてきています。家族とかが撮った写真にも、いっぱい写っています。
何田:その霊は生きている人間に、何を訴えるために出てきているのでしょうか?
積:それは逆です。その霊は死を受け入れられないもの達です。「私は死んだのですか?」と、問うのです。自分が死んだと思っていません。だから霊はその場に留まったままでいます。それが変なお話で、その人のお葬式を出して終わっていても、自分が死を受け入れていないから霊となって出てくるのです。生きている人間がその場に行けば、その霊が現れてコンタクトするために、写真に写るという形になります。お葬式を出すということは、あなたはもう死んだので生きている人間の現世に出てきたらダメですよ、というケジメの儀式だったのです。しかし、それも昔のお話で、現在ではお葬式は機能しなくなりました。だから、サイト「死んだらチャンネル 死んだらどうなる 最新情報」を作ったのです。
何田:ああ、この死んだらチャンネルは生きている人達だけでなく、亡くなった人達のための情報チャンネルでもあるということですか!
積:そう、死んだらどこへ行くのですか? キリスト教の天国もないのにどこへ行くのですか? 仏教の極楽もないのにどこへ行くのですか?と、問うています。「命の書」に登録しておけば、また人間になれます。知らないから、霊として滞留します。その後、ほとんどの霊はエネルギーがなくなって、私がいうところの地獄へいくことになるでしょう。その地獄とは、何もできないたった一人だけの世界です。何にもできない世界なのです。仏教でいう無間地獄ではなく、一人で何もできない孤独の世界で、永遠に近い時間すごす地獄に行くのです。たましいの神性を成長させなければ、皆さんはこの新しい地獄へ行くことになります。
ほとんどの日本人は、これで生まれ変わるチャンスはもうないから、この「死んだ後にある知識」を知らなければ、日本人のたましいは地獄行きを決定して死んでいきます。唯一の救済処置は、「命の書」への登録になります。皆さん、都合のよい思い込みを信じてばかりで、本当の死んだあとの知識を知ろうとしないのです。審判はあるのです。警告は充分にされました。というわけで、神様業界は過酷なので、これ以外の例外はありません。