地球のメカニズムは魔界 その二
最後の審判の後、右と左へわかれる
◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十九年六月二十六日 配信
何田:積先生、皆さんよく、「祈っています」とか「祈り(いのり)」という言葉を使いますが、祈りもその内容が問題で、中身によっては別物になるでしょうか?
積:祈りの中身によっては、神様に祈っているつもりが悪魔さまにつながるのです。だから人間の欲望というものは厄介なのです。つまり、お祈りのイロハでね、自分のために祈るな(自分のために祈ってはいけません)というルールがキリスト教世界ではちゃんとあります。自分のために祈った時点で、それはもう悪魔に対するお祈りになるのです。悪魔を崇めているということになるのです。人生の生き方を間違えれば、自分で地獄をつくってそこに閉ざされることになっています。人間は、地獄をつくる容器でもあります。それで地球がすこしは綺麗になっていくのだからいいのです。(地球浄化システム) 現在生きている日本人のほとんどは地獄をつくる要員なのです。
たましいの最後の救いは「命の書」への登録だから、地獄に行ってしまった自分のお父さんやお母さん、知り合いのたましいを誰かが命の書に登録してあげてください。命の書に登録されたたましいは地獄から救い出され、永遠の喜びの光の宇宙に行くことができる権利を与えられます。それは生きている人がしてあげなければ、命の書への登録はできない。それは本当の愛を持っている者にしかできない行為です。
何田:自分が生きている間に、自分用のお一人様地獄をつくって、死んだ後はその地獄に入っていく、それで正しいのでしょうか?
積:それでいいのです。いつも言っているのは、審判後の世界では、死んだ後には時空の転換が起きるということです。その時空の転換で、「最後の審判」の後にはもはや交わることがないのです。あっちの宇宙に行った人ね、こっちの宇宙に行った人ねと、先の宇宙同士は接触することがないので全く関係がなくなってしまいます。
何田:現在の人は普通、人生は楽しく、豊かに、謳歌するものですと皆さんその認識で生きています。そして人生の困難に対して、人知で考えて、自分で判断して乗り越えていくことができる、と人の判断が一番正しいと思い込みがちです。しかし実際、人はたましいを持っているので、神というテーマを人生の正面に据えて考えないから、人生を間違うのでしょうか?
積:神というテーマを私と同じレベルで人生の中で考え続けたならば、同じ結論にしか達しないでしょう。理屈で考えたらそうなるでしょう、ということを私は人にお伝えしなければいけない、と思っています。それは宗教的な言葉を一切使わずして、子供でも解るように、そういうお話を、「こういう仕組みになっているのよ」と、私が生きている間に何らかの形で人にお伝えできるようにはしなくちゃいけないな、と思っています。
何田:それが学問ですね。
積:そうです。それが学問です。そういう私の頭の中をつくるために、私がいうところの神様業界が私にいろんな試練を与えて神秘体験もさせて、これまでの時間をかけてきたのです。私をつくったものと私がいっているのは、私をつくったものがいるという前提に立ったら、神様がいるって私がいっているのと同じことなのです。私の頭の中にあるデータを、私と同じような論理構成で考えれば、私と同じように結論が考えられるようになるはずでしょう。もし、頭の回路が私と同じようになったとしたら、私と同じようにきっと神秘体験もできます。それが理屈です。そう思いませんか?