神を超えよ!仏を超えよ!

第七十三回

シンレイカイにいる光使・何田匡史(ナンダ師)が、
死んだらチャンネルに掲載していました第一回から第七十一回までのブログは、
「神を超えよ!仏を超えよ!積哲夫の言葉【一の巻】」として、
タオラボブックスから二千二十二年九月に刊行されました。
こちらのコーナーでは、第七十二回からのブログ記事を再掲しています。

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十八年六月二十七日 配信

何田:積先生、質問です。死んだその瞬間はどのようになるのでしょうか? 私も死には小さい頃からとても興味があって、どんな感覚になって、意識はどうなるのだろうとか、よく考えていました。たとえば、立花隆さん著の「臨死体験」とかを読むと、死に直面して生き返った人のお話では、お花畑が現れたり、三途の川が出てきたり、自分が肉体から出て遠くへ行く幽体離脱をして、他の人のお話を聞いて覚えていたりと、臨死体験の臨床データから死とはどうなるのかを考察されています。それで一個人の肉体が死に直面すると、まず脳の中で脳内快楽物質といわれる、ドーパミンやβエンドルフィン、セロトニンらの脳内伝達物質が大量に放出されて、とても気持ちいい状態になって死を迎えます。その時にお花畑、三途の川、知人との会話、宗教的信仰のお迎えなどが、脳内に現れます。次に、たましいは肉体から抜け出るのでしょうか?

:はい。たましいのようなものが肉体から抜け出るのは、ユーチューブで検索すればいくらでも観られます。死に際して、モヤモヤとした、たましいのようなものが身体から抜けるのは、幽体離脱の体験報告とも一致するので、事実だと思います。

何田:そのモヤモヤとした物がたましいならば、たましいにはこちらが見えるのでしょうか? また、たましいには、神性と闇が含まれているといわれていますが、それらは一体のものなのですか?

:死んだばかりの人のたましいは、人の格好をしています。

何田:それが昔からいわれている幽霊の正体ですか?

:そうです。それが転生間際になると一寸法師みたいに小さくなります。エネルギーがなくなって小さくなるわけです。

何田:ああ、霊感の強い人がよく小さいおじさんや掌サイズの人が見えるというあれですか。

:そうです。エネルギーを放出して人間の格好のままどんどんどんどん小さくなって、限度を超えると転生段階を迎えてどっかへ行ってしまします。

何田:幽霊もそのままでは持続せず、時間が経過するとエネルギーが抜けて、小さくなって、存在がなくなるのか転生するのか、変化があるのですか。すると、たましいや幽霊は思考という考える能力を持っているのでしょうか? 以前のシンロジカルセミナーで積先生は、幽霊は考える力を持っていないといわれていました。幽霊は、思いだけが残っていて、たとえば、おじいさんやおばあさんが孫に「死んだ後は孫達をあの世から守るね」とかいって死んでも、それはありえないでしょうか。

:ありえます。それは霊の思いだから。役に立つかどうかはわかりません。けれどその思いだけは残るのです。そして思いを残したら、そこにその場所にいることになります。今、現実に大変なことが起こっています。昔の死んだ人の霊は墓場にいました。まあ、幽界と顕界という言葉通りの棲み分けができていたのですね。でも、最近は、幽界は顕界と重なっていて、霊は普通に家の中、人に憑いたり、また生きている人間の身体の中に取り込まれて同化したりという、今までになかった現象が日常茶飯事に起こっています。幽霊というのは、その昔、幽界に去れずにこの世の側に姿をあらわしていたものたちの名称なので、霊と総称していいと思いますが、多いですね。

何田:言葉の定義が曖昧ですね。霊、霊魂、幽霊、たましい、間違いやすいです。昔、江戸時代以前は遺体が土に埋葬されたから、よく怪談話で人魂が空を飛んでいます。これはリンが燃える物理現象でボワァとかユラユラとか、いろいろいわれてごちゃごちゃしています。

:たましいの本体は火の玉みたいなもので、もっと光輝く、明るい玉のようだと思います。それには、たくさん証言があるのです。先の戦時中でどこか遠くで兵隊さんが戦死をされると、その出身の家の仏壇に明るい光の玉が帰ってきたというお話がたくさんあります。家に帰るたましいもいれば、靖国神社に行ったたましいもおられるでしょう。
私が何をいいたいかというとね、「死んだら自分のたましいは、自分が決めた場所には行くらしい」ということが重要なのです。死んだら、たましいはどうやら自分が行こうと思うところに行くらしいのです。さっきのおじいさんおばあさんのお話で説明しますと、どうやら、おじいさんおばあさんが死ぬ間際でキチンと思いを残せば、死んでも働けるらしいのです。霊になってね。

何田:死んだら働ける・・・…?

:違います。死んでも働けます。別ないい方をしますと、相手を末代まで呪ってやる、という言葉は効果があるのです。

何田:ええ~! 天に対して生前にできていなかったことを死んでも働こうとすれば働けるということですか。同様に同じ理屈で、自分が悔しい思いをして死んでいく前に、相手を呪ったり妬んだりすれば、それも有効に機能して、死んだ後は相手やその子孫が幸せにならないように、自分を苦渋な目に合わせた人や家族を取り殺せると、いうことでしょうか?

:呪い殺すという作用は機能するのです。たとえば自殺者の例でいうと、イジメとかあって自殺する人はどうせ死ぬのだったら自分をイジメた相手を呪い殺してやると思って死んでいくと、自分をイジメた相手にその思いのエネルギーが機能するわけです。呪い殺せますよ、強烈な思いを生きているうちに持てていればですが。「私は自殺をするけれど、私の自殺の原因を作った相手を末代まで呪い続けてやる」と、思って死んだらその通りになります。

何田:そう呪って自殺した人は死んだ後は、ずーっとその思いのままの状態ですか? エンドレスのまま・・・…。

:思いのエネルギーの怖さを知らないから、イジメが蔓延するのです。普通の人間は、たとえ呪っても、呪いをやっているうちに嫌になってやめていくのがほとんどです。ただ、執念があれば効力もある……。昔の人はそれを知っていたのです。だから、お百度参りとかありました。現代人は呪い殺すということを知らない。それは死んでも、たましいは消えないことを知らないのと同じです。自殺する人は自分だけが死んで犠牲になって、自分の暗黒に閉ざされるだけで、自分をイジメた相手には何も悪影響が表れないから、イジメが治まらなく広まるばかりです。死んだら終わり文明の教育のせいで、現在はイジメにストップが効かない状態なのです。