神を超えよ!仏を超えよ!

第201回(Repeat)

思考の先へ その四
光と闇の関係3

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史 初回
二千二十年十二月十六日 配信

:何田さん、人間が不幸になる元凶はたましいの中の闇なのです。闇が穢れを生んで不幸を作ります。闇というものは、精神学を学んで、闇と日々戦い続けて、身体の中で焼く尽くす能力を高めていけば、外にでてきちんと他の人の面倒も見られるようになるし、戦えるようになります。その先に、人間世界でいくならば、人間世界で求めてもいい、お金だったり名誉だったりというのが、光の領域で待っています。光の領域には光のお金や光の名誉がちゃんと用意されて待っています。プロセスが、大切なのです。 (プロセス:経過、過程、工程、手順、進行、成り行き、手続き、といった意味。)

闇のお金をいっぱい持っている人のところにいって、あなたを光の世界に導いてあげるからそのお金を出しなさいといってきたのが過去の宗教なのです。その過去の宗教では、もう上手くいかないのです。闇のお金は、はっきりいえば光の領域、光の世界では何の役にも立ちません。しるしがついているからです。

何田:しるしは、お金にですか?

:そう、お金にしるしがついています。これは、正しい方法ではない方法で得たお金だよね、と最後に問われるのです。

何田:ははあ、積先生なんとなくわかってきました。この宇宙は最初からやり方も自分で考えて、しくみも作って、プログラムして、実行して、失敗すればやり直して、正しい成功まで自分力で到達するようにできているのですね。失敗はその途中の成果ですね。

:そうです。ですから人間の歴史は、失敗の歴史なのです。でもそれでいいのです。それを繰り返すことによって、次は失敗しないよ、と学んで進化するのです。

何田:それは積先生をつかさどる存在様が外宇宙からやって来られたから、今このタイミングで光と闇をわけて、闇を消滅させられたから、進化が進んだわけですね。もし、積先生をつかさどる存在様が来られなかったら、宇宙は闇のままでしょうか?

:宇宙が生まれた時にそれは約束されていたことだから、その質問には答えられません。それを象徴しているのが精神学協会のマークです。この宇宙の○マルに対して、一本棒が真っ直ぐ縦に○マルを突き抜けているでしょう。『始まりの前を知り、終わりの後を知っている存在』を、どう名付けていいか知らないけれど、皆さんが知っている神様ではないですよね。とりあえず、『私をつかさどる存在』と、私は呼んでいます。私たちは物語宇宙の中にいるのです。(自分の)人生という物語を完成させたらよいのです。人生というものは小説みたいなものですから。ほとんどの人は、人生を中途半端な終わり方をして、人生をさよならします。きちんと一つの小説として、ああ、いいお話だったねと本が閉じられたら、もう人間なんてしなくてもいいのです。

何田:積先生、「最終知識」には愛というものはいかなる場所、そこら辺中に溢れ出ていて、その愛は形となって、その人の必要な時に必要な形をとって現れるそうですが、これは積先生をつかさどる存在様は愛をベースに宇宙を創られたからですか?

:愛をベースというより、光は愛そのものなのです。光と愛はイコールです。

何田:自分のたましいの中にある光は愛なので、その光と愛を活用することによって、自分で自分を光の領域で育てるのですか?

:そうです。あなたのたましいが本当の愛に目覚めたら、他の人にも愛のエネルギーを送ることができるだろうし、地球全体の愛の光のエネルギーが少しは強くなるでしょう。もし、地球全体が愛のエネルギーに溢れるならば、今の人間の不幸は無くなるでしょう。つまり、愛は無限にあるのです。愛のエネルギーは奪い合う必要なんてないのです。光は愛ですが、光が無ければ闇は生き残れないのです。それは光が愛であるから、光の特性が闇を生かすのです。その結果として光の人は、これまでの時代では、不幸になるのです。

何田:だから闇や悪魔は光の人に出会うと、「わたしを殺さないでね」と交渉してくるのですか!

:そうそう。

何田:闇や悪魔に情けを出して、改心すると思って、殺さないで一緒に頑張ろう、といった瞬間、光の人は闇や悪魔に取り憑かれるのですね。なるほど。

:そう、浄化力が無ければ光の人は、闇と悪魔に取り込まれます。そのあとで後悔するのです。

何田:なんかゲームみたいですね。ドラゴンクエストとか、ファイナルファンタジーとか。自分が参加するゲームを作ったら、光と闇の戦いで、おもしろいゲームになりそうです。

:だから神様のゲームというのは、めちゃくちゃ面白いのです。神様というのはゲームみたいなものなのです。

何田:光と闇の戦いの中で、自分は光の人としての立場で動き、しかし闇や悪魔に同情して情けをかけると、実は自分が取り込まれるルールに気が付いていない。良かれと思ってがんばって、自分が光の人から闇の人に変化していることに気が付かないで人生を終えるのですか! 闇や悪魔のほうが賢いから、光の人も賢くならなければいけない! ということですね。

よくわかりました。

:情けは人の為ならずという言葉があります。これは情けを人にかけることによって、それは良い報いとなって、やがて自分に返ってくるよ、という意味です。

何田:相手の闇を生かして、自分も闇を持っていて、お互いの闇の存在を許してしまえば、地球上に闇を蔓延らせることになる。この闇の情けの行為は間違いですか?

:いや、考え方によります。精神学を学べば、相対的にいろんな立場から考えられるようになります。つまり相手の闇の存在を許して生かしたとしても、その相手の人のたましいが光に目覚めて、たましいが光に変わった時は、あなたにも光の配当がかえってくるのです。だから、面白いのです! 光の人で働くことは喜びに変わるからです! これが楽しく、明るい人生を生きるコツです! これが精神学の知識なのです。