神を超えよ!仏を超えよ!

第185回(Repeat)

超えていく その五
闇の因子による罪

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
初回 二千二十年八月二十六日 配信

何田:積先生。世代、世代によって考え方は、似ていませんか? ある世代で同じような考え方をする人達ばかりいて、違う世代では考え方が全く違って、でも同世代では考え方が同じ人が多いです。後から生まれてきた人達からみると、歴史は繰り返していないと思うのです。

:歴史は、繰り返していないです。

何田:ということは、その世代の人達の罪というのは問われないのでしょうか? 後から生まれてきた世代ばかりが損なのでしょうか?

:いやいや、たましい的には罪は問われます。たましいは、問われるのです。

何田:ちゃんと罪は問われるのですか! 自分のやってきた罪だけでなく、世代の罪、日本国を危ない方向に持っていったという罪も問われるということでしょうか?

:だから全体でいえば、群体(ぐんたい)として、群れ(むれ)としてね、世代間によってたましいの質がちょっとずつ違うのです。いま一番、罪深いたましいは団塊の世代で、この国で生まれています。若い人の方がその意味では罪は軽いのです。世代の人達に自覚があるかどうか知りませんが・・・…。でも人生が苦しいのは同じです。

何田:ということは一神教だけが原因でなく、元々闇の因子をたましいに持って生まれてきた人達であるいうことでしょうか? 「最終知識」の記載でいえば、イエス様を十字架に架けて殺した、ねたみ・そねみ・つらみの闇の因子を持って生まれてきた人達ということですか? つまり、「最終知識」に記されている、この地球の前の地球を五度滅ぼした、闇の因子を受け継いだ人達ということですか? 根の根の底の、闇のドロドロしたエネルギーの塊(かたまり)をたましいに持っている人達によって、また地球上で戦争が引き起こされ、デスゲーム(死のゲーム)を当たり前に日常で繰り返している人達の、自覚なき罪を問うものはだれもいないのでしょうか?

:それは、地球だけじゃないかもしれないよ。

何田:それを、積先生をつかさどる存在様は放出させて、消滅させるために・・・。

積:放出させるのではなくて、この宇宙はそれを分離するために存在しています。

何田:光の部分だけを分離するのですか!

:でないと平等ではないでしょう。約束しているのだから。『光のものは光へ、闇のものは闇へ』ということです。

だから、私が死にかける時には、闇のものは闇へというのをはっきりいって人間世界に、言葉として皆さんの潜在意識に残るように、何らかの形で刻印(こくいん)して去っていこうと思っています。

何田:それは人間の存在だけでなく、神様や悪魔、仏や霊、精霊や眷属など、地球上に存在するあらゆるすべての意識体に対して、ということですか?

:この宇宙のルールは、光のものは光へ、闇のものは闇へ、です。光と闇を分離するために、この全宇宙が存在しているのだというのが、この宇宙のルールなのです。物語宇宙というのは、そういうことです。

何田:では、ある人が、私は光を目指して光の人として働けるよう生きています。でもまだ光の人として働けていません。私は、闇は嫌いです。だから、私は闇の人ではありません。しかし、まだ光の人でもありません。ですが地獄にも行きたくありません。このような自覚の人がほとんどだと思います。

そのような人達は他人から、あなたは闇の人ですね、と指摘されれば怒り出します。しかし、あなたは光の人ですか? と質問されれば自信がないのではっきり「そうです」と答えられません。そういうグレーゾーンの人達は、どうなるのでしょうか? つまり、光の人だけがチョイスされ、光と闇の混合の人は、闇の人と同様に地獄に行くのでしょうか? つまり「地獄=闇の宇宙=ひとりだけ宇宙」に取り残されるのでしょうか?

:そうですよ。だって、光の宇宙にきたくないのですから。信仰(しんじてあおぎみる)がないと、光の宇宙に行きたいとは思わないでしょう。光の宇宙に行きたいと願うことは、「神様どうぞ、光のものとして私を使ってください」ということなのです。ところが、今の闇の社会の中で何とか生かしてくださいとか、楽して生きたいと願うと、結果として闇の宇宙につながって闇の宇宙の住人になるのです。光の宇宙に行きたいと願うことは、「光の宇宙の住人として働きます」と宣言して働いている人なのです。

何田:光の宇宙には行きたいけれど、闇の宇宙には行きたくない、という人はどうなるのでしょうか?

:それは、宗教の時代を生きている人のお話です。宗教の時代が終わった後には、光と闇しかないのです。光の宇宙と闇の宇宙しかないのです。つまり中間の、「私には光もあるけれど闇もあります。それでもいいよ」という宗教的な救済の考え方はないのです。これは論理的な帰結でしょう。

何田:ああ、そうですか! ひょっとして「最終知識」に記載がある心(こころ)の問題ですか?

つまり中途半端状態でも、「いいよ、いいよ。それでもあなたは救われるよ」みたいな、光と闇が混ざっている人でも救われるというのは、宗教の間違った教えであって、実際、死んでみたら救われることはないということですか。

積:そうです。心というのはグレーゾーンでしょう。人間の心はグレーゾーンであり、もの凄いエネルギーの供給源でもあるのです。その心から生み出される思いのエネルギーの多くは、はっきりいって邪念(じゃねん)なのです。お金がほしい、あの子にモテたい、あいつがうらやましい、なんで自分はこんなに運が悪いのかとか、そのようなエネルギーがこの世の中に放出されています。

そして、そのエネルギーは、間の中に再吸収されて動いています。

つまり、心のエネルギーが邪念を生んで、そのエネルギーを人間は光のエネルギーだと勘違いして、有り難がって生きています。自分が邪念のエネルギーの発生源であり、浄化力を獲得しないといつまで経っても闇の宇宙の住人のまま死んでいくことになります。私が、あなたが、死んだあとに気が付いても遅いですよ、と忠告し続けているのは、論理が成立しているからなのです。