神を超えよ!仏を超えよ!

第164回(Repeat)

二十世紀の予言 その二
自分への自信と学び

◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
初回 二千二十年四月一日 配信

:救世主になりたい人を集めたらいいのです。自分が救世主になりたい人、超能力者になりたい人も同じです。あなたがあなたの小宇宙の救世主にならない限り、あなたのたましいは輝きません。あなたがあなたの小宇宙の救世主にならない限り、やりたいこともできません。このことを人に伝えるのが精神学なのです。

能登さん:何田さんも、夢で何かいわれたのでしょう。

何田:そうです。夢で白い童子が出てきて、「超能力者を集めなさい」、といわれました。集まってくるみたいですけれど・・・…。

:超能力者は集まってきます。うちの会 (精神学協会)におられる人は、できは悪いけれど超能力者なのです。

能登さん:そうですよね。ほら、ほら私がそういっているでしょう、何田さん。

:できが悪いから自分の超能力に気が付かないのです。私が横から見ていて、馬鹿だな、と思うのは能力があるのに、なぜ能力を発揮できないのだろう? と、いつも思います。

能登さん:どうせ、私はできない。そういう風に、自分で思い込んでいるのではないでしょうか?

:そうですね。その可能性が高いですね。

何田:責任を負いたくない、非難されたくない、失敗したくない、ということが原因でしょうか?

:それは入り口なのです。要するに精神学は宗教ですよね? という一言で引く人間は、自分は責任を負いたくないという人です。だって、神の責任は誰も取れないと思うでしょう。その時に私がいつもお伝えすることは、必要なのは信仰心なのです、ということです。信仰心がなければ、このお仕事はできません。それはどういう信仰心か? といったら、「神様、神様、もし私でよかったら、どうぞ使ってください。もし私でよかったら・・・。」という祈りです。

これが、「私に能力がありますから使ってください。」といえば、それは変な教祖になります。

何田:私(自分)に、能力があると思っているとダメだと・・・。

:その人は大やけどします。たとえば何かを始める時に、ここから先は自分に責任が取れません、といった時に、神様が私を使っているのですよねと、信じ切れるかどうかだけなのです。それを信仰といいます。やはり自分に自信がないということは、神をも信じていないということです。

能登さん:自分を信じていないということは、神様を信じていないと等しいことですね。だって積先生は、私に神様がすべてを用意していてくださるといわれましたもの。

何田:その、人間は神様と繋がっているという自覚はあるのでしょうか?

:自覚はね何田さん。現場でいっぱいいじめられて、それでも信仰心を捨てなかった時に結果が出て、はじめて、ああ正しかったんだって自覚するのです。やってもいないのに神様と繋がっている自覚なんて生まれません。

能登さん:神様を信じている信仰心の強い人の方が奇跡とかに出会う確率は高くなると思います。いかがでしょうか?

:たとえば、あるキリスト教の団体の人達のやり方は、信仰心をためすにはよいのです。「(毎日毎日)こんにちは、何とかです。」といって家を訪問して、ずっと門前払いが続くわけです。それでもあなたは信仰を持ち続けることができますか? ということが問われているのです。その宗教団体の人達は人間集団でしょう。みなさん仲間うちが家族みたいなものです。今日も成果がなかったけれど、それでもあなたは日々成長していますね。とみんながなぐさめてくれるのです。だから教団という小宇宙から、出られなくなるのです。

本当の信仰というものは、不思議なもので、はじめから試練があります。「どうぞ神様、わたしでよければ使ってください。」と祈って、「これがきっと神様に与えられた、わたしの使命なのだ」と感じて一般社会に働きかけた時に、必ず一般社会から強烈な拒絶と威嚇(いかく)を受けるのです。

そこで、くじけたら終わります。くじけずに続けている間に変わるのです。何かが変わって、結果がでます。それをわかりやすく証明しているのが私です。

能登さん:その貴重なお話をここで聞けるということが奇跡ですね。

:とりあえず会員さん(精神学協会会員)は私を見ていたら、神様を信じる気になるのです。いいな、自分も(積先生みたいに)ああなれたらいいなって思って。私は、あなたもなれるって、何度も伝えています。そこが精神学は宗教でない証拠です。精神学は、学だからまなびです。ちゃんと学べば、私にちかづけます。(積先生みたいになれる)私が到達したところまでは、だれでも到達できます。それが学(がく)なのです。ご理解いただけましたか?