神の仕組み その二
平安京
◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
初回 二千十九年十月九日 配信
積:二千二十一年に向けて皆さんに、私からの最大のメッセージがあります。何田さん、年初に「死んだらチャンネル」に書いてください。たとえば一般的日本人(人間)の代表として何田さん、あなたの今までの人生の最大のテーマは、人間と、生きるということと、お金の関係、だったと思います。それでジタバタ、ジタバタして、ずっと苦しい人生を送ってきたと思います。それは何田さん、あなただけではない。日本中の人々が皆さん、その三つのテーマで苦しんでいるのです。生きているのです。それを(苦しみを)終わらせるという約束が、聖書には書いてあるのです。だから苦しんでいたらいいのです、今は。日本中の人々は、二千二十一年はもう少し苦しむとは思うけれど、でももう出口は見えています。
それはどういうことかといいますと、今の地球のお金の秩序の背後には悪魔くんがいるっていうことを皆さんが理解すれば、いまの地球上の闇のお金はなくなります。全部は、なくならないかもしれないけれど、闇のお金とは、別に光のお金が生まれてくるのです。今の地球上のお金を支配しているのは闇の人間だってことを、地球の人間みんなが、気がつかなければいけないのです。皆さんが闇のお金はそこまでほしくありませんと、いえば地球は確実に光に変わります。そう、思いませんか?
何田:闇の人間が動かしているから、闇のお金なのですか?
積:そうです。
何田:積先生、お金に闇とか、光とかの特性はない、のですか?
積:ありません。お金は人間が呼び名をつけているだけです。闇のお金は、お金がない恐怖症に人間がさらされるのです。最悪、人も殺すし、自分も殺します。お金がテーマです。何田さん、人類のテーマはずっとお金がテーマだったのです。国家間の戦争も、お金がテーマなのです。
何田:積先生、昔の人間は寿命も短く、まだ若いうちから、死についても身近なものでした。昔は人生五十年、五十歳にもなれば自分の死を考えて行動します。しかし、今は医療も発展し、寿命は男女とも八十歳を超えて、元気で、アンチエイジングとうたって、死を遠ざけています。だれもが、死の恐怖に対して無防備です。死そのものが、恐怖の対象となってしまっています。本来、死は崇高で生の総決算であるはずです。皆さんに、死をどう思いますか? と尋ねると、怖いっていわれます。
積:まあ、そうでしょうね。だって、死んだら終わり、と思っている人間達だからです。
何田:では積先生、質問です。イザナミの神様が黄泉の国に行かれて、後をおわれたイザナギの神様が黄泉の国からこの世に帰ってこられて、イザナギの神様の身体についていたのが穢れであったと、それは死であったということ。神様も、死は怖いのでしょうか? あっ、でも神様は死なないとも積先生はいわれましたね。
積:神様は死なない、ですよ。死が穢れだ、というのはね、日本の神話として、人間に伝えるために人間世界の投影として物語の形になっています。日本の神話というのは、ある目的のために作られています。ですから、それがすべて真実ではありません。しかし、それで良いのです。実は、日本の神話というものは、聖書を保管するために置かれています。
何田:えっ! 聖書を保管するために? 日本の神話があるのですか?
積:そうですよ。日本の神話の一番肝心なところは、黄泉のお話しではなくて、国譲りのところです。地上を治めていた大国主の神様が、地上も(天と同じく)、天照の神様の子孫が本来の統治者でありますということを受け入れて消えていかれます。それが日本神話(古事記、日本書紀)に書いてあります。聖書のお話でいうと、古事記、日本書紀では、天皇家という一族のお話の中に、ある日突然、神功皇后(じんぐうこうごう)と応神天皇(おうじんてんのう)の神話が入ってきます。(何田注:神功皇后は応神天皇の母、仲哀天皇と神功皇后の子供が応神天皇にあたります。)しかし、応神天皇は歴史書をどう読んでも、仲哀天皇の子供ではありません。応神天皇は神功皇后が、仲哀天皇がお父さんでなくて産んだ子供です。実は、応神天皇はイエス様なのです。(何田注:生まれ変わりということです。)
だから今の天皇のしくみというのは、イエス様がもしこの世の中に、御国(みくに)を作るとしたらという形の物語なのです。それが日本の歴史に挿入されています。ですから日本では平安時代に死刑がないのです。平安時代の日本というのは、ある意味で理想国家だったのです。平安京(へいあんきょう)の意味するのは、エルサレムのことなのですから。(何田注:事実「平安京」はユダヤの言葉、ヘブライ語の発音では「イール・シャローム=エルサレム」と訳されます。)
何田:確かに、平安京のヘブライ語はエルサレムと直訳されます。それは私も知っていました。聖書は旧約聖書と新約聖書の部分の二つが合わさってできています。
積:聖書(旧約、新約含む)のお話は二千年前にあり、日本の神話は今から約千三百年前に日本に起こります。つまり聖書を作った存在が日本の神話も作っている、ということです。それらのことを全部知っている存在が「最終知識」にも関与しています。だから聖書、日本神話(古事記、日本書紀)、「最終知識」は、全部一本の糸で繋がる一連の物語なのです。
何田:全部知っている存在が積先生をつかさどる存在さまです。
積:そうです。最初から知っていたかどうかはわかりませんが、ただ地球上の神様データはそうやって、すべて統合されました。いま地球の神様世界は統合された一つの世界になって、その世界の共通語が日本語になりました。その仕組みをつくるのに三十年もかかりました。