未来の可能性 その五
試練は与えられるもの
◇お話し:積哲夫 ◇聞き手:何田匡史
二千十九年五月十五日 配信
何田:積先生は、生きている間に精神性をどれだけ高められるかということ、精神性の階段を上がることは、人間が神界に上がれるかどうか? で、死んだ後のたましいの行き先が二つに分かれるということでしょうか? 人間は、神界に上がれなければ、他は新しい地獄に行ってひとり閉ざされるということ、でよろしいでしょうか? つまり、人間として生きている間に、人間だけの世界で成功したり、普通に生きて罪が少なく死んでいっても、死んだ後の神界への引き上げがなかったら、また苦しむ世界が待っているということでしょうか? 自分ひとりで頑張って生きても、間違ってしまうと苦しむ世界が待っている、ということになります。
積:その質問に答える前に何田さんに、哲学的な質問をします。一神教の考え方では、宇宙の主宰神はたったひとりです。神様だから一柱(ひとはしら)といいますが、たったひとりの宇宙の主宰神なんてものに君はなりたいと思いますか? たったひとりなのですよ。
何田:孤独は・・・…、孤独はとてもつらいです。孤独は嫌です。
積:すべてを所有する宇宙の主宰神、なんてなりたくないでしょう。すべてを所有するということは、すべての責任を負うということです。それに対して、宇宙が生まれ、いろんな神様が生まれて、人間が生まれた、というのがこの日本国が伝えている神話です。神様業界だって孤独には耐えられません。そこからヤオヨロズの神々が生まれ、その物語を人間が引き継いでいるというのが、私の知識です。孤独でいいのなら何もしないことのほうが、善でしょう。全知全能なら、この宇宙も必要ないはずです。
何田:そうですね、そのようになります。
積:ところが、この宇宙の法則は、始めてしまったものは、やめられない(とめられない)、のです。進行するのです。物語は。それが時間は一方通行だということです。
何田:出口は、ゴールはあるのでしょうか?
積:ゴールは、光の宇宙です。その回答が出てきたのが、ついこの前です。それまでは八百万の神々(やおよろずのかみがみ)がジタバタしているのが、この地球という舞台だったわけです。だから人間がジタバタ苦しむのは当然の理屈(わけ)です。出口を知らないのですから。
何田:ああ! そうだったのですか! つまり神様、神々様も出口が解らないから苦しんでおられたということですか!
積:そうです。
何田:もう一つ質問です。よく神様が試練を与えてくださって、とか、神様が人間の私を試しておられる、という言葉を世間ではよく使います。本当に神様や神々様は試練とか苦しみを与えられるのでしょうか? 私にはどうも解せないのです。
積:神様が与えられるのではなくて、たましいの成長のプログラムとして、それを経験しないと学ぶことができないものを、試練と呼ぶのではないでしょうか。
何田:試練、それは生まれる前から準備されているものでしょうか?
積:人間をやるのであれば、試練は与えられるものだと考えた方が、人間の生き方としてはいいのではないでしょうか。
何田:ああ、なるほど。神様と繋がりができますもの。大事なことをお聞きできました。積先生、ありがとうございました。
積:人間として躓かないのだったらば、人間に生まれる必要はないのです。人間は、躓くのです。躓くことによって成長していくのです。それが人間として生まれることの極めて大きな意味だからです。神様が失敗したのだから、人間が失敗しないはずはないのです。その失敗を克服して、このルールの物語からはもう卒業しましたね、といったら、次のステージに行けますよ、というお話です。本当に卒業したら、こんな物質宇宙、欲しいですか? と聞かれたら、いらないよ、っていう返事になります。そういう、流れになります。
何田:今回は貴重なお話でした。よく解りました。すべてが繋がったと感じます。積先生、本当にありがとうございました。